第3話 十五年前の出来事
――――会議終了後、アイリは王太子から呼び出しを受ける。
「やあ、アイリ。忙しいのにわざわざ呼び立てて悪かったね。そこに座ってよ」
指し示されたのは豪華なソファー。王太子の真正面だ。
「忙しいとわかっているなら急に呼び出さないでください。アポイントメントを取るのはビジネスマナーの基本だと教えましたでしょう」
「ごめん。ごめん」
謝りながら王太子は自分でお茶を淹れだした。
ここにいるのは、アイリと王太子、そして彼の側近二名のみ。この中なら、自分が一番上手いからというのが、王太子自らお茶を淹れる理由だ。
(まあ、昔からなにをやらせてもそつなくこなす人なのだけど)
親しく名前呼びをしてくる王太子と、彼に対し不遜とも言える文句をつけるアイリ。そして、それを立ったまま呆れたように見つめながらも、王太子にお茶を淹れさせている側近たち。
実は彼らは、幼馴染みだった。
出会いは、十五年前に遡る。
――――十五年前のその日、王宮には王太子と年齢の近い貴族の子どもたちが集められた。
名目はただの交流会。しかしその実態は、王太子の側近と婚約者候補の一次選抜会だ。優秀な子どもをピックアップするための場なのである。
そこにアイリも参加していた。
実は、彼女は伯爵令嬢。それほど家格の高い家ではないが、祖父が近衛騎士を務めたこともあり、婚約者候補のひとりくらいになら、なってなれないこともないくらいの家柄だ。
もっとも、そこから王太子妃になるとしたら、かなり努力が必要なのは間違いないが。
この場に招かれることは、貴族にとってたいへん名誉なこと。子どもを連れてきた親はもちろん、あまりよくわかっていないはずの子どもたちでさえ緊張している。
会場となった王宮内の美しい庭園で、当時八歳のアイリは醒めた目で周囲を見ていた。
別に、この集まりに批判的だったわけではない。幼い頃から資質を見極め、優秀な者を次代の王につけようとすることは、正しいことだろう。
それでもアイリがこの場を斜めに見てしまう理由は、自分が『婚約者候補』の枠内に入っているからだった。
(側近になれるのが男だけだなんて、男女差別もいいところだわ。私は、王太子の婚約者より側近になりたいのに)
心の中で、グチグチと不満をこぼす。
とはいえ、この世界は特に男尊女卑というわけではなかった。女性は尊重されているし、社会進出し働く女性も数多い。国のナンバーワンは国王だがナンバーツーは王妃だし、特に今の王妃は平時から国政に関わって辣腕を振るっているとも聞いている。
(それでもこの場では、女の子は、本人の意思に関係なく全員婚約者候補なのよね。……まあ、普通の貴族のご令嬢なら王太子妃より側近になりたいなんて思わないのかもしれないけれど)
そうでない令嬢は皆無だったのだろう。――――少なくとも、今この時までは。
アイリは、ムスッとして座っていた。
コンサルティング企業で働いていた前世の記憶を持つ彼女にしてみれば、王太子の婚約者候補なんて面倒だし、まかり間違って王太子妃になるのも、まっぴら御免。ドレスや宝石で着飾るよりも、そのドレスや宝石に関わる産業の発展を後押ししたいのだ。
(……ああ、もう早く帰りたい)
咲き乱れる色とりどりの花々の中、愛想笑いのひとつもしないアイリを、彼女の両親はハラハラと見つめていた。
当然、そんな彼女に近づく者は誰もいなかったのだが……蓼食う虫も好き好き。スタスタと歩み寄る者がいる。
誰あろう、この場の主役である王太子殿下だった。
「こんにちは。よくきてくれたね」
当時十歳。アイリよりふたつ年上の少年は、不機嫌オーラ丸出しの少女に向かい、ニコニコと笑いかける。
煩わしいと思いながらも、アイリはスッと立ち上がった。
「お招きにあずかり光栄です。王太子殿下」
どんなに不機嫌であろうとも、アイリの中身は日本の社会人女性。挨拶されて無視するなんてありえないので、完璧なカーテシーを披露する。
「楽しんでいるかい?」
「……はい」
不覚。返事をするまでに間が空いてしまった。
王太子は、クスリと笑う。
「つまらなそうだね?」
バカ正直に「そうです」と答えられるはずもない。
「いいえ。楽しんでおりますわ」
アイリは、鉄壁の営業スマイルでそう言った。
「へぇ。どんな風に? 見たところ、お茶も飲んでいないしお菓子も食べていないみたいだけど。……他の子とお喋りをしているわけでもないよね?」
王太子は、コテンと首を傾げる。
よく見ているなとアイリは感心した。
天使みたいな容貌の王太子だが、案外曲者なのかもしれない。
ひょっとしたら、彼はアイリが言葉に窮するところを期待しているのかもしれないが、それに応える必要はどこにもないだろう。
「人間観察を楽しんでおりました」
アイリは落ち着いて返事をした。
「人間観察?」
「はい」
頷いたアイリは、持っていた扇で離れた場所に座る少女を、王太子にだけわかるように指し示す。
「たとえば、あちらの辺境伯のご令嬢の衣装ですが……ポーセラ産のサテンドレスは、隣国で流行はじめたばかりの最新デザインです。とてもお洒落に敏感な方なのだなと思いますし、隣国と彼女のお家との関係が気になるところですわ」
令嬢の家の領地は、隣国と接している。それゆえドレスも調達出来たのだろうが、隣国の貴族であっても手にするのは難しいと聞く最新のドレスを普通に着こなしているのが気にかかる。あまりに他国と親密な辺境伯というのは、いかがなものか?
王太子に真っ直ぐ視線を向けながら、アイリは、今度は扇を自分の方に向けた。もちろん自分ではなく、自分の背後を指し示したつもりである。
「あと、私の後ろの公爵令嬢。彼女は口数は少ないのですが、かなり厳しい言葉遣いをされるみたいです。きっとプライドの高いお方なのだろうなと思うので、振り向くのは止めておこうかなと思っています」
王太子は、目を丸くした後で苦笑しながら小さく頷いた。どうやら予想は当たっていたらしい。
「それに、あちらの侯爵子息とあちらの男爵子息は、直接会話をされることはないのですが、時々視線で合図を送り合っているんですよ。お家同士の仲が良いとも聞きませんので、いったいどういう関係なのか、とても気になると思いませんか?」
ペラペラペラとアイリは話した。
王太子の好みは、おしとやかで慎み深い少女。お喋りで好奇心旺盛なタイプは苦手だと聞いていたからだ。
(これだけかしましく自分の勝手な憶測を話せば、私を婚約者候補に選ぼうなんて思わないはずよね)
同時に側近候補になる道も消えるのだが……どのみち女性のアイリには進めない道なのだ。ならば気にする必要もない。
どうだとばかりに王太子を見つめれば、彼はなんとも表現しがたい顔をしていた。
驚いているようでもあり、困っているようでもあり……なんだか、楽しそうでもある。
(……楽しそう? なんで?)
首を傾げたアイリだが、その疑問を問うことはできなかった。
背後から甲高い声が聞こえてきたからである。
「お久しぶりです、王太子殿下。なんだか楽しそうですね? 私ともお話していただけませんか?」
声の主は、先ほど話題に上げた公爵令嬢。自分の目の前で、王太子が他の令嬢と話し合っているのが気に入らなかったらしい。
アイリは慌てて立ち上がった。
「それでは私はこれで失礼いたします。お声をかけていただきありがとうございました」
三十六計逃げるにしかず。公爵令嬢の癇に障るような真似はしない方がいい。
そそくさとその場を離れようとしたアイリに、王太子は声をかけてきた。
「ああ。面白い話が聞けて楽しかったよ。……またね」
またねなんて、お断りだ。
キッとこちらを睨んできた公爵令嬢を見ないようにして、アイリはその場を後にした。
この時のアイリは、王太子と話す機会なんて、もう二度とないだろうと思っていた。
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