第13話 臥薪嘗胆

 夜の闇の中でも爽やかな色合いをくっきりと映し出す青い屋根と白い漆喰の壁で作られた豪邸に、トルヴィアたちは招かれた。ここがクガ家の邸宅だ。


「あらためて、わがクガ家にようこそ。寝室は既に従者たちに大急ぎで整えさせてあるからいつでも寝転がって構わない。あんた等の所に比べれば狭いだろうが、まあしばらくはゆっくりしてってくれ。家にあるものは皆自分のものと思って遠慮なく使っていい。」

「いやはや、なんとお礼を申し上げればいいのやら・・・頭を下げても下げたりないくらいです・・・。」


 サナグは何度もクガに感謝の言葉を送ってぺこぺこと頭を下げたが、当のトルヴィアはまだツンとしている。


「私が居候だなんて・・・。」

「お嬢様!さすがの私もいい加減おこりますぞ!雨露をしのぐ宿を貸してくれた大都督に対してなんて無礼な・・・!」


 だがクガはそんなトルヴィアの態度も笑って許し、結局そのまま皆と一緒に中へと入れた。

 サナグを含め従者は皆早々に風呂へと入りそれぞれの寝床に案内されて就寝することにしたが、トルヴィアはまだ入ろうとはしなかった。なぜなら彼女はこの家では唯一の女性なので、万が一を考慮して一番最後に入るべきだとクガ自身が提案したからだった。

 しかし待つ間何もないのは寂しかろうと、クガはトルヴィアを食卓へと呼びだした。


「なによ、いきなり・・・風呂はまだなんでしょ?」

「ああ、たっぷり時間はある。そういえば今日の晩飯はまだ何も食ってないだろう?待つ間に”ごちそう”してやろうと思ってな。だれかいないか!」

「は!」

「頼んでおいた例の料理は出来たか?」

「は、ただいまお持ちします。」


 従者はそういって引き下がると、厨房の方へかけていった。

 ややあって、再び戻ってきた従者がトルヴィアの前に置いたのは、なんとジロウケイであった。


「ちょっと・・・これ・・・どうして・・・?」

「久方ぶりに食ってないだろう。まあ食えよ。見よう見まねで作ったから味の方は勘弁してくれ。」


 思わず手が伸びかけたが、コホンと咳払いをしてきっぱりと断ろうとした。


「あいにくだけど、今お腹は空いてないの。せっかく作ったのに申し訳ないけど・・・」


 グゥゥゥ・・・・


 トルヴィアの中にいる腹の虫は我慢できそうにはなく、目の前に置かれた好物を見て思わず鳴いてしまった。同時に彼女の顔は日が出そうなくらいに紅潮した。


「・・・」

「・・・体は正直、だな。遠慮するなって。」

「か、勘違いしないでよね!せっかく作ってくれたのを無下にしないために食べるんだから!貴方の恩に甘えるわけじゃないんだから!」

「はいはい分かったよ。早く食わないと、麺が伸びちまうぞ。」


 クガが用意してくれたジロウケイに盛られたヤサイの山をトルヴィアはすぐに慣れた手つきで”天地がえし”にかかった。だが、いきなり麺から食うと血糖値が上がるので、まずは少しずつヤサイを食べつつ、こぼさぬように麺とヤサイを逆転させていく。その流れるような箸さばきは流石のクガも舌を巻いた。


「(うーむ・・・できる!)」


 だが当の彼女は目の前の麺の事よりも別の事を考えていた。つい先ほどナカザイに言われた嫌味の事である。当の本人はあえて誰かとは言わなかったが、それがトルヴィア自身を指していることは明白だった。


『どこぞの土いじりが好きなじゃじゃ馬に爪の垢を煎じて飲ませたいですな。全く、私財をなげうって掘り出したものが虫の死骸とは・・・』


 変異虫と共に王国にじわじわと忍び寄りつつある滅びの足音に、少しでも立ち向かいたいと始めた旧文明の発掘調査。だがこれまで大した功績を上げることもなく、ただ私財を浪費しただけであった。でも、ただ座して死を待つよりは、王国を生き永らえさせるため、何よりも自分が自分の故郷で生きれるようにするために行動したかった。かつて高祖も、滅びの淵に会った人間たちを救い、導き、今に至る王国を築いた。自分にもその血が流れているなら、何か王国の繁栄のためになることをしたかった。ただ、それだけなのに。


 目指した遺跡からは何も出てこず、出てきたものと言えばそれこその虫の死骸だけ・・・そのためにいろいろなものを失った、ついには家まで失った。何もかも失って、ついには軍人の家に居候して、飯まで恵んでもらうなんて・・・今の自分の姿は、とてもみじめで見ていられない。でも実際お腹は空いている。だから食べる。つい突っぱねてしまったが、それは、今の自分の状況を認めたくないからだ。本当は、真っ先にありがとうと言わなければいけない立場なのに、素直に感謝も癒えないなんて、自分は、自分は・・・


 そう思いながら咀嚼していると、クガが心配そうな面持ちでこちらを凝視していた。


「おい・・・大丈夫か・・・?」

「・・・へ?な、なにが?」

「お前、涙が出てるぜ。」


 気が付くと、トルヴィアの頬には大粒の涙が伝っていた。


「そんなに美味しくなかったか?」

「そ、そんなことないわよ、素人にしてはよく出来てるわよ!」

「じゃあ、なんで・・・。」

「なんでもない、なんでもないから!本当に・・・なんでも・・・」


 しかし、何度も何度も拭っても、涙は出続けた。


「なあ、トルヴィア。」

「何よ!泣いて無いったら!!」

「泣きたいときは思いっきり泣いていいんだぜ。我慢は、しない方がいい。」

「私は・・・泣いて・・・なんか・・・ううっ・・・」


 だが、ついにトルヴィアは堰が切れたように大声を上げて泣き出してしまった。クガの前では弱みを見せたくなかったのだが、もう限界だった。

 しかし彼はそんな彼女を決してなじったりはせず。ただただ背中をさすってあげた。


「うえええん・・・!」

「いろいろあったからな、まあ、でもお前はよくやってるぜ。」

「何も成果が出なくて、家も取られて、貴方の家に邪魔して、ごちそうまで恵まれる立場になって・・・本当はあなたに感謝しなきゃいけないのに・・・変なプライドが邪魔をして・・・みじめな私が悔しい、悔しい・・・ううっ。」

「大丈夫さ、別に礼を求めてるわけじゃないしな。だがトルヴィア、お前は今まさに逆境に立たされているが、お前はいずれそれらを乗り越えられると信じている。王国軍に入ってからお前は俺への対抗心一つで見違えるように実力を上げたのが何よりの証拠だ。ナカザイと言う輩は確かにムカつく。だが今は堪えどきだ、臥薪嘗胆の時だ。いつかあいつの鼻っ柱をへし折ってやるまでは、決してその怒りを面に出すんじゃないぞ。必ずその機会はやってくる。そしてその時が来て雪辱を果たせたらまた、祝いにジロウケイを一杯おごってやるよ。な。」

「うん・・・うん・・・」

「そのためにもまずは、腹ごしらえをしておかないとな。早く食べないと冷めちまうぞ。」


 トルヴィアは涙を流しながらジロウケイをぺろりと平らげた。汁まで残さず完食するのが彼女のポリシーだ。食べ終わったころにはすっかり涙も乾いていつもの彼女の顔になっていた。ちょうどその時、従者が風呂が沸いたと報告しにやってきた。すっかり夜は更け、時計の短針と長針がともに12時を指す頃になっていた。


「貴方は入らないの?」

「ああ、俺は朝風呂派だからいいんだ、先に入っていいぞ。」

「そう、分かったわ。」


 トルヴィアはどんぶりを片付けて浴場へと向かって行った。そして30分後、寝間着に着替えて風呂から上がった彼女は従者に寝室へと案内されたが、その途中、応接間にてソファに横になって布団をかぶっていたクガの背中を見た。


「ねえ、大都督はいつもあそこで寝てるの?」

「いいえ、姪君様、実は姪君様御一行を受け入れるにあたり、どうしても部屋が足りませんでしたので、致し方なくクガ様はここで寝ることにしたのです。ああ、そうそう、姪君様の寝室はクガ様の寝室でございます。部屋は自由に使ってよいとの申しつけです。」

「そう・・・寝室は階段を上ってすぐの扉で間違いないかしら?」

「はい、その通りです。」

「分かったわ。寝室には自分で行くから、もう下がっていいわよ。」

「畏まりました。では姪君様、おやすみなさい。」

「おやすみ。」


 従者が立ち去ったのを見て、トルヴィアは寝息を立てているクガに近寄った。

 しばらくずっと見つめていたが、彼女は誰にも聞こえないような声で一言だけ言い残して、すぐに寝室へと向かって行った。


「・・・しばらくお世話になるわ。ありがと。」


 まだ起きていたクガはそれを聞いて、ふふ、と笑みをこぼしながら、再び目を閉じて眠りについたのだった。

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