第7話 虫人の末路

 夕闇迫る王陵公園に突然、けたたましいサイレンが鳴り響いた。


「警報発令。警報発令。暴走した虫人が市街エリアに向けて脱走中。公園内にいる皆さまは直ちに防護シェルターへ避難してください。繰り返します。警報発令。警報発令。・・・」


 無機質な合成音声が淡々と非常事態を告げる中、園内にいた人々は即座にシェルターへと向かった。勿論、その中にはトルヴィアとクインヴィの姿もあった。

 二人はシェルターへと一目散にかけていったが、途中でクインヴィが石に躓いて転んでしまった。


「きゃっ!」

「クインヴィ!」


 トルヴィアはとっさに振り向き、倒れた従妹の元へ引き返して彼女を立ち上がらせた。だが、彼女は足をくじいたらしく、一人では走れなくなった為、トルヴィアが左で肩を貸して支えながらシェルターへと急ぐ。


「大丈夫?さあ、急ぎましょう。」

「いっ・・・つつ・・・お姉さま、すみません・・・」


 二人三脚で歩きながら、ようやくシェルターの入り口が見えて二人ともほっとしたその時だった。トルヴィアの耳にヴヴヴという不快な羽音が聞こえてくる。そして次に視界に危険を表す文字がいくつも浮かび上がった。


[WARNING][WARNING][WARNING][BEHIND_WACTH_OUT!]


 自分の五感がただならぬ気配を感知し、思わず後ろを振り向いた瞬間。


「きゃあぁぁぁっ!!」


 ぶわあっ、という風の音と同時にクインヴィが上空へと舞い上がった。

 いや、正確には、鷲掴みにされて空へと連れていかれたのだ。


「クインヴィ!!」


 遠目からでもよくわかる、黄色と黒の縞模様の人型がクインヴィを片腕でつかんで上空へと誘ったのだ。あれこそが暴走虫人か。トルヴィアの疑似網膜がその容姿を拡大し、その状態をより詳細に解析して視界に写す。


[CONTROL_OUT][WARM_PARTICLE_OVER_ROADED][CONDITION:NEGATIVE]


「ワム粒子が規定量を大幅に超えている・・・!あいつ、ほとんど変異虫になりかけているってこと!?」


 人の形をしている以外ほとんど変異中になっている蜂の姿の虫人、ヤオはヅヅヅ、と呼吸をするたびに可視化レベルにまで濃縮されたワム粒子を吐いた。クインヴィは恐怖で生きた心地がしなかった。よく見る虫人は虫の姿をしていても人としての生気を感じたので恐怖はなかったのだが、この虫人からは人の生気のかけらもなかった。ヤオは片手でつかんだクインヴィの顔をのぞき込んだり遠ざけたりしている。恐怖に震える目で、黒い光沢をたたえる複眼の向こうに、血走った女性の顔をみとめたような気がしたとき、不満げなつぶやきが聞こえた。


「ヅヅヅ・・・チガウ・・・コイツジャ・・・ナイ・・・ヅヅヅ。」


 目の前の獲物から急速に興味を失ったヤオは、クインヴィをまるで物のごとく投げ捨ててしまった。彼女には虫人のように羽根がないので、空中を真っ逆さまに落ちてゆく。


「いやああああ!!」

「クインヴィ!」


 トルヴィアに、もはや考えている時間はなかった。

 考えるよりもまず先に、体が動いた。

 腕が自然に腰のポケットに入っている高祖のレリーフバックルを取り出し、それを腰につける。

 レリーフの両淵からしゅるっと黒い帯が伸びて腰に巻き付き、全身が光りだす。

 大地を蹴って、大きく飛び上がり、あわやクインヴィが地面に激突するというその瞬間、彼女の体は再び甲虫の鎧に包まれた。今度は偶然ではない。トルヴィア自身の意思で、変身したのだ。


[BATTLE_READY]


 トルヴィアの鋼鉄にも勝る鎧籠手は妹をやさしく抱きかかえてシェルター入口の目の前に着地した。幸い人は皆シェルターの中におり、変身は見られていなかった。


「クインヴィ、もう大丈夫よ。さあ、早くシェルターの中へ。」

「お姉・・・さま・・・」


 クインヴィは初めて虫人になった姿の従姉を見た。サナグの言う通り、それは高祖メディン・カヴトが纏っていた鎧とうり二つであった。そして、二度と変身はしないとつい先ほど誓ったばかりなのに、変身させてしまった。自分のせいで。


「ううっ、ひっぐ・・・ごめん・・・なさい、お姉さま、私の・・・せいで・・・えぐっ。」

「もう、クインヴィったら、私なら大丈夫よ。ほら、泣かないの。」


 再び泣きじゃくり始めた従妹をやさしくなだめるトルヴィアであったが、どうやら敵の方は悠長に待ってはくれないようだ。


「ミツケタァ!」


 その声の方に振り向いた瞬間に、ヤオの急降下攻撃がトルヴィアの胴体に炸裂した。


「うっ!」

「ハハハァ、オマエ、ツヨソウ、ワムリュウシ、タクサン。」


 羽根をたたみながらヤオはトルヴィアと対峙する。


「ツヨイムシヒト、シガイ、タベル、ワタシ、ツヨクナル。ダカラ、オマエ、タオス。」

「やれるもんなら、やってみなさい!」


 お返しとばかりに握りこぶしをぶつけようとするが、素早くかわされてしまう。伊達に蜂の姿をしているわけでは無い。ぶんぶんと素早く動きまわった後に、どうにか隙を見つけて攻撃を入れようとするも、相手はそれよりも早く飛び去ってひらりと躱し、こちらに攻撃を与えてくるのでトルヴィアは防戦一方であった。


「ノロマナ、カブトムシ、ハチニ、スバヤサ、カナワナイ、オマエ、ワタシニ、オイツケナイ。」


 やかましい羽音と憎たらしい言葉、そして標的を思うように攻撃できないもどかしさに、トルヴィアの憤りは頂点に達した。


「ああもう!あのにくたらしい蜂をどうにか撃墜できないの!」


 すると、それにこたえるかの如く視界に文字が現れる。


[IDEA:WARM_PARTICLE_RELEASE]

「ワム粒子を・・・開放しろ・・・?」

[DISTURB_TO_SENSOR]

「・・・そういうことね!ワム粒子、開放!」

[WARM_PARTICLE_RELEASE_READY]


 トルヴィアがそう叫ぶと、鎧の隙間と言う隙間からぶしゅう、と音を立ててワム粒子が土煙を巻き込んでもくもくと排出された。規定含有量の半分ほどを出し切ると、トルヴィアの視界に異常が発生し、疑似網膜の視界以外の機能が全く役に立たなくなった。なるほど、大気中のワム粒子の濃度が高いと疑似網膜の機能が著しく低下するのか。自分でもこうなるのだからおそらくは敵も同じように取り乱しているだろう。トルヴィアはそう思って上空を見上げてみると・・・


「ナ、ドコダ、カブトムシ、ミエナイ!」


 どうやら上手くいったらしい。今が一番のチャンスだ。声のした方向に向かって思いっきり飛び上がった。目の前に突然敵が現れた相手は一瞬、ほんの一瞬油断した。だがトルヴィアがヤオのな顔に力を込めた拳を食らわせるには、その一瞬で十分だった。バギッ、と言う音がした後に盛大に吹っ飛び、そのままヤオは地面へと墜落した。


 そしてトルヴィアも土煙を羽根で流しながらゆっくりと地面に降りて敵の様子をうかがった。背中から地面に勢いよく突っ込んだヤオは羽根がつぶれ、仮面の右半分がひび割れて、素顔が露出していた。その目は血走ってぎょろぎょろと動き回り、頬には青筋が何本も浮き出てどくどくと脈を打っている。よくみると、その青筋はそのまま鎧につながっている。

 彼女はそれを見て思わず息をのんだ。


「なんて・・・みにくい、顔なの・・・」


 それを聞いたヤオはにやりと口角を上げてよろよろと立ち上がった。


「ハハハ、オマエ、シラナイ、ムシヒト、マツロ。」


 そしてヤオは、右手から長く鋭い針を造換し、両手に持ってトルヴィアに向け構えた。


「イズレ、ミナ、コウナル。イマノ、ワタシ、オマエノ、ミライ。」


 トルヴィアは驚愕した。そして、自分の見識の甘さを思い知った。

 自分もいずれ、ああなるというのか?

 高祖でさえも抗うことのできなかった、虫人がたどる運命。

 自分の意識が虫の邪念に乗っ取られて、自分が自分でなくなっていく。

 誰かれ構わず貪り食う、変異虫と同じ存在になる。

 もし暴走した自分が、サナグや叔父上、そしてクインヴィを襲ったりしたら・・・


 不安に駆られたトルヴィアは、退治する敵がだんだんと暴走した自分の姿にオーバーラップするような気がしてますます不安になっていった。



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