第6話 従姉よ虫人になるな

 王国民の憩いの場である王陵公園は初代国王メディン・カヴトが謎の失踪を遂げた後に見つかった、彼の書置きをもとに、カヴト家の者が設置したものだ。

 様々な草花で彩られた公園の中央広場には、初代国王の銅像が――その横には彼の偉業をたたえた看板が――雄々しく佇んでいる。


 トルヴィアが小さかったころには特に何とも思わなかったこの銅像だが、いま改めてみるとこの銅像は彼女と同じ虫人の鎧を身に着けている。わきに抱えているのは、虫人の仮面兜ヘッドギアの部分だ。そして、メディン・カヴトの補足情報が彼女の疑似網膜によって視界に都度表示される。


[メディン=エーデ・カヴト 初代国王。変異虫の難と呼ばれるおよそ400年前に発生した変異虫による人間の大量殺戮をたった一人で退けたこの星で最初の虫人。]

[もとは旧文明時代に存在したある企業の科学者であり、その時に培った知識を生かして対変異虫戦闘システム、虫人を完成させる。]

[その後、カヴト王朝を興し、王となってからも数々の発明品を生み出し臣民に貢献するも、建国20周年の節目に突如行方不明となる。]

[好物はアンコリーノ。]


 だが全てニホンゴで表示されるので、トルヴィアにはその内容の半分も理解できなかった。唯一、まともに読めた文字と言えば・・・


「(アンコリーノって何・・・?)」


 必死に視界の中の文字を解読しようとしていたトルヴィアの頬に突然痛覚が走る。いくら呼んでも目の前の一点をずっと睨んだまま答えないので、クインヴィが頬をつねったのだ。


「痛い痛い痛い!クインヴィ、どうしたのよいきなり・・・」

「さっきからずっと呼んでました。何をそんなに見つめてるのですか?」

「ああ、虫人になってから視界の中に文字が写るようになったの。任意の物体に目線を合わせるとそれを解析して何やら文字列を出してくるんだけど、全く読めないわ。でも面白いからついつい解読しちゃうのよね・・・」

「・・・お姉さまは、虫人になってしまったというのに、なんとも思わないんですか?」

「・・・え?」


 いつになく真剣な表情で自分を見つめるクインヴィにトルヴィアは戸惑った。


「そ、そりゃあまさか私がなるとは思ってなかったし、無理やり戦闘させられた時はどうなる事かと思ったけど、視界に文字が写るようになったこと以外は特に変わってないわよ。あ、もう一つ、ジロウケイの味が少し美味しく感じられるようになっ」

「お姉さま!私は真面目な話をしているんです!」


 おとなしいクインヴィがいつになく金髪を振り乱して激昂している。

 その目には涙が一杯たまっていた。


「お姉さまは、一番最初にその鎧を付けた、高祖様がどんな末路をたどったかご存じないのですか!月日が経つにつれて鎧そのものの邪念に侵されて、最後には失踪してしまったのですよ!訓練を積んだ高祖でさえそうなったのに、お姉さまがそうならない保証が、どこにあるというのですか!自分がだんだん正気を失っていくことが、怖く、ないんですか・・・!」

「・・・」

「お姉さまが、お姉さまじゃなくなってゆくのを見るのは、私は、私は、嫌です、嫌です、私は、お姉さまと、ずっと一緒にいたいんです・・・」


 顔を覆って泣きじゃくりながら必死に訴える従妹の姿を見て、トルヴィアは段々と自分がとても情けなく、そして恥ずかしく思えてきた。こんなにも自分の行く末を心配してくれる家族がいるというのに、当の自分は後先考えずに誓いを破り、自分が満足する為だけに行動していたのだ。全くもって恥ずかしい。

 今はまだ虫人になったばかりなので確実にそうなるとは言えないだろうが、もし虫人の副作用が自分の身に起きた時、おそらく掟に基づいて、”変異虫”扱いで排除されてしまうのだろうか。そうなった場合、彼女は父親以外の家族を失って、生涯にわたって寂しい思いをさせてしまうであろう。それは自分も嫌だ。彼女に涙は似合わない。


 思わず従妹を抱きしめた。ごめんね、ごめんね、と耳元で謝りながら。


「クインヴィ、本当にごめんね、私が愚かだったわ。ジロウケイに気を取られてて本当に大切なものを見失っていたわ。もうジロウケイも食べないし、虫人にはならないって約束するから、ね?もう泣かないで。」

「うう・・・絶対、絶対ですよ?」

「ええ、勿論!」


 それを聞いてようやく、従妹の顔に笑顔が戻ったのを見て、トルヴィアはほっと胸をなでおろした。


 ・・・


 その頃、王国の虫人軍では大変なことが起きていた。


「は、放せっ!腰巾着ども!」


 虫人軍の本部建物内にて、何やら一人の女が二人がかりで押さえつけられている。そしてその女の腕をまくり、手に持った筒状の形をしている”虫下し”を打とうとしている男がいた。彼の名は、クガ・ミツル。国王より征虫大都督せいちゅうだいととくの職をたまわった、虫人軍団のいわゆる総司令官である。後の二人はその副官・参謀であるコクワとミヤマだ。


「ヤオ、じっとしていろ、虫下しが打てない。」

「大都督、何をなさるおつもりです!私はまだ虫人として戦えます!」

「一分間当たりのワム粒子放出量が規定量の倍を超えた場合、当該人物には即座に虫下しを投与すべしという掟があるのを忘れたか。お前からはもう規定量の三倍は観測しているのだ。今すぐ投与しなければお前自身も危ないのだぞ!」

「ふ、ふふっ、あはは、あはは!そうやって、そうやってあたしをだまそうとしたって無駄だよ!規定量を越えたなんて真っ赤な嘘!本当は、それで、その毒で、あたしを殺そうって言う腹づもりなんだろう!」


 ヤオと呼ばれる女軍人は必死に拘束を解こうともがいている。その額には脂汗が浮かび、目は血走り、焦点が定まらず、ろれつもうまく回らない。完全なワム粒子中毒の末期症状である。本来ならこの段階に来た時点で”処分”しなければならなかったのだが、大都督はそれでも彼女を救おうとコクワとミヤマの協力を得てどうにか虫下しを投与しようとしていた。


「だ、大都督、やるなら早く!もう押さえつけられません!」ミヤマが叫ぶ。

「なあ、頼むよ、ヤオ。大都督はあんたを救おうとしてるんだよ!だから暴れないでくれ、うおっ!」コクワが必死に説得する。

「黙れ!黙れ!・・・ああ、そうか、そうか、分かったぞ!この軍隊の中で私はお前の次に強い、だから自分の地位を脅かす存在を消すために、大都督の地位を盤石にするために後の憂い、すなわちあたしを大都督権限でを消そうってんだろ!そうだ、きっとそうだ!この極悪人めが!そんなにあたしが怖いか!」


 ワム粒子中毒になると思考回路が限りなく変異虫のそれに近づく。そのためワム粒子を唯一消滅させ得ることのできる特効薬、虫下しは彼女にとって怖くて怖くてたまらない。もう彼女は完全な錯乱状態に陥っており、まともな思考は出来なかった。

 そしてついに、恐れていたことが起きた。

 なんと、ヤオの体がだんだんと虫人の鎧に勝手に変化し始めたのだ。


「し、しまった、とうとう始まった!」

「うわああ!!大都督!大都督!」


 ミヤマとコクワの二人が必死に押さえつけるのもむなしく、ヤオはついに完全に虫人と化して二人を振り払った。黄色と黒の縞模様、そしていたるところに生えている鋭いとげが目立つその姿は、スズメバチ型の虫人だ。


「はぁ・・・はぁ・・・どウだ・・・モう、コーどなしデも・・・へンしんデきるぞ・・・あハハ、アはは!!ジユウだ!ジユウダ!アタシハウマレカワッタ!」


 雄たけびを上げたヤオは診療室の窓を破壊して空中へと飛び出し、大空を数回ひらりひらりと舞ってから城下町の方角に向かって一目散に逃走した。クガはすぐさまミヤマとコクワに命令を下す。


「ミヤマ、大至急城下町にいる警備兵に命令して第一級避難警報を出すよう伝えろ!コクワ、お前は俺と共に至急50人の虫人兵を連れて奴を追え。あいつはもう人間じゃない・・・変異虫として駆除する!」

「「御意!!」」


 ・・・


「ウマソウナ・・・ニオイ・・・ガスル・・・」


 ヤオはすでに本能だけで動いていた。人としての名残はその体つきにしかない。虫人部隊本部から逃げ出したあと、そのまま行き当てもなく空を飛んでいた彼女は、いつの間にかどこかから漂ってくるにおいにつられて飛んでいた。彼女はにおいをかいでいると思っているが、これは即ち、ワム粒子の事である。

 彼女の疑似網膜は、視界中にノイズを走らせながらもしっかりとそのワム粒子の発生源を捉え、一直線に進んでいた。

 その発生源予測地点として疑似網膜が割り出したのが、今現在トルヴィアとクインヴィがいる王陵公園であった・・・

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