34話

 

 路上で膝を崩して、どれだけの時間が経ったか覚えていない。

「……おい、こんなところで何してるんだよ?」

「…………………………」

「そうちゃん! 何してるんだよ!」

「…………………………」

「おい、久しぶりの再会なのに、どうしたって言うんだよ」

 やっすんは僕の顔を覗き込んだ。

「おまえ、何泣いてんの?」

「……………泣いてないよ」

「嘘つけ。目は真っ赤だし、鼻水も垂れ流しっぱなしだ。とりあえず、立てよ」

 やっすんに言われて、近くにあった電柱に縋って、立ち上がった。

「なんだよ、幽霊でも見て、怖くなったのか?」

「そんなんじゃないよ」

「じゃあ、なんだよこの世の終わりみたいな顔しやがって」

「………っていうか、やっすんじゃないか。こんなところで、何してるんだよ?」

 話している間に頭が回り始めた僕は、今さらやっすんの存在を認めた。

「はあ? 今さら何言ってんだよ? 俺は死んだから幽霊になったんだよ」

 僕はあらためて、やっすんの姿の変わらなさに驚いた。

「なんか、なにも変わってないな……」

「あたりまえだろ」

 久しぶりすぎて、何を話せばいいかわからない。

「とりあえず、中に入るか? ここじゃなんだし」

「おう。おまえの家に来るのは久しぶりだな」

 僕はやっすんを自室へ招いた。

「いやさ。幽霊っていいもんだぜ」

 部屋に入るなり、いきなりやっすんが口を開いた。その口調と仕草は生前から変わっていなくて、本当に懐かしい。

「いきなりなんだよ」

「だって、女の子の部屋に入り放題なんだぜ?」

 いきなり何を言い出すかと思えば、下世話すぎる。

「美人に取り憑いているときに彼氏ヅラして遊んでたんだけど、本物の彼氏なんかできた日にゃ、脳みそが壊れるぜ」

「アホか」

 やっすんと話をしていると、なぜか笑えてきた。今はそうしていたい。笑って話していないと、心が壊れそうになる。

 しかし、僕はこんなヤツのために、過去を引きずっていたと思うと、情けなくなってくる……だけど、こんなヤツだから、過去を引きずっていたのだ。

「おかげで、NTRに目覚めてしまったよ。あれは禁断の果実だな」

「そうか」

「それでさ、おまえのところに取り憑いていた美人はどこで知り合ったんだよ?」

 やっすんは興味深々に聞いてくる。

「やめろよ。そんなやらしい感じで言うなよ」

 僕は、胸がチクりと痛みつつも、アテナと出会ったの経緯を説明すると、やっすんは恨めしそうな目で僕を見た。

「いいなー。前にちょっと話したけど、清楚で、御淑やかで、完璧超人って感じで、育ちの良さが全開だったからなー」

 そんな訳がない。アテナは天真爛漫で、イタズラ好きで、友だちのために涙を流すような、優しいヤツなんだ……。

「いきなり黙って、どうしたんだよ」

「あっ、いや。なんでもないよ」

 僕が誤魔化そうとすると、

「どうせ、おまえのことだから、あの女の子が好きだったんだろ?」

 図星を突かれてぐうの音も出ない。

「幽霊を好きになるって、相当おかしな趣味してるぜ」

「NTRよりははるかに健全だろ?」

「おまえさ、考えてみろよ。幽霊といちゃいちゃできないし、セックスもできないし、デートしようもんなら、頭のおかしいヤツ扱いされるぜ」

「まあ、そうだけど。それでも……それでも、いいやって思ったからさ……」

 僕は言った。行き場のない気持ちを抱える辛さが、頭をさらに重くさせる。

「だけど、アテナに断られて、何も始まらなくて……本心を打ち明けて、こんな、辛い結果が待ってるなんて……本当に、残酷だよ」

 アテナが自分の心を打ち明けて、あけみと心を通わせたあの時のように、僕も、素直に自分の心に従って、言葉を口にした。

 僕はただあの教訓に従っただけなのに……それが正しいことだと思って行動を起こしたのに、結果的にアテナがいなくなるという顛末を招いたから、とても後悔している。

「……茶化してごめん。好きに幽霊とかカンケーないもんな」

 やっすんの言葉に、ハッとした。今はアテナの話をしている場合じゃない。アテナが最後にくれたものを、僕は受け取らなければいけない。

「ごめん、今はそんなことどうでもいいんだよ。そんなことよりさ。おまえに言いたかったことがあるんだよ」

 僕は無理やり話題を変えた。

「やっすんさ、僕とケンカしたまま、死んだだろ。それをどうしても謝りたかったんだ。ごめんな」

 僕は頭を下げた。

「いや。漱石が謝ることはないよ。俺がずっと病気のことをおまえに隠していたから……俺こそゴメン」

 やっすんも頭を下げた。

 今、お互いの過去の清算が終わった。

 謝った、謝らなかった、僕が悪い、やっすんが悪いとかそういうことじゃなくて、ただ、やっすんと話しがしたかっただけだったということに、今、気づいた。

「それから、みなもにも悪かったって伝えてくれ。たぶん、そのことで話が拗れたりしたんだろ? 本当に悪かった」

 やっすんは言った。

「いや、みなもは気にしてなかったよ」

「本当かな? アイツにお祓いされそうになったぜ? うっかり成仏するところだったよ」

「え?」

「こっそり取り憑いてストーカーしてた女子大生のおねーさんが、みなもん家の神社に行ったからさ、うわっ。懐かしいな、久しぶりにみなもの顔を見てやろうって思ったんだけど、そういえば、みなもって除霊はすごいって話をみなもの顔を見た瞬間に思い出して、ソッコー逃げ出したよ」

「ああ、だから近所を彷徨いてたのか」

 僕は思わず吹き出してしまう。

「ほんと、洒落にならねーよ。流石に、みなもの手前、女子大生ばっかりに取り憑いてることがみなもにバレたら、正義の鉄槌を下されかねん」

「確かに、おまえが幽霊じゃなかったら、ただの犯罪だからな」

 そんな感じでくだらない話を延々と続けた。何も考えずに、ただ、話し続けることで、自分を認めてくれる。それが親友なのだ。自分の居場所を与えてくれる、唯一無二の存在だ。そこでは、今の僕の心を傷を少しだけ忘れさせてくれる……。

「結局、おまえとなんでケンカしたんだっけ?」

 やっすんは言った。

「しょーもないケンカだったと思うぜ。阪神か巨人どっちが強いかって話だったと思うよ」

「今思えば、ほんとうにくだらねぇ」

 僕らはふたりで大笑いした。あまりにもつまらないことで大笑いするのは、久しぶりだった。

「じゃあ、そろそろ行くわ」

 キリのいいところでやっすんが切り出した。

「これからどうするんだ? また女に取り憑くのか?」

「いや。もう脳は破壊し尽くしたからな。そろそろ成仏するよ」

「そっか」

 やっすんとの別れに、名残惜しいと思うが、不思議と清々しい気持ちだった。彼の門出に対して、素直に送り出せる気持ちになれた。

「天国で会えるといいな」

 僕が言うと、

「いや、地獄で待ってるよ」

 やっすんはそう言って、意地の悪い笑みを浮かべて、家を出て行った。

「まったく、あいつらしいや……」

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