31話
夏場の夕方だというのに、長袖の白シャツを着てきたことを、ちょっとだけ後悔していた。しかし、長袖だと蚊に刺される心配がないことに、後で気がついた。
時計を確認すると、午後6時5分、あけみは、待ち合わせ場所に指定したアテナの家の前に、5分遅れてやってきた。
「ごめんなさい。支度に時間がかかっちゃって」
僕は何でもないと手を振って。
「大丈夫だよ」
僕らは館へ向かって歩き出した。
「ここでなにするんですか?」
「執事の上原さんにアテナの思い出の品をとってきて欲しいって頼まれたんだよ。それに付き合って欲しいんだ」
僕の言葉にあけみは首を傾げた。
「はあ。そうですか」
「あけみちゃんにとって、アテナとの一番の思い出って何かな?」
「思い出ですか?」
そうですね、といってあけみはしばらく考えた。
「やっぱり、アテナと2人で誕生日会でしょうか。たぶん一生忘れられません」
「他には?」
「うーん。沢山ありすぎて、何から話せばいいでしょうか」
あけみは困ったように笑った。
「思い出が沢山あることは素敵なことだ」
僕は言った。話している間に目的の場所についた。
「上原さんから聞いた話だと、ここら辺のはずだ」
僕らは玄関前のアプローチの脇に立っていた。
「ここにあけみちゃんとアテナが埋めたタイムカプセルがあるらしいね。これも素敵な思い出だろう」
「ええ。そうですけど……」
あけみは歯切れ悪く答えた。
「それを今から掘り起こそうか」
僕はアプローチに立てかけておいた、スコップを手に取った。
「ええっ? でも、それはアテナと私が20歳になってから開けようって約束したものなので……」
あけみは戸惑いながら話すが、
「掘り返すのはやめてください。私たちの大切な思い出なので」
彼女はキッパリと言った。
「包丁と返り血がついた服をタイムカプセルに隠したからだろ?」
僕がスコップを地面に突き刺すと、あけみは目を見開いた。
「殺した順番はアテナ、お父さん、お母さんの順番だ。1人で眠っているアテナを殺した後、両親の寝室に行って、先にお父さんを殺したんだ。もし、お母さんから殺したら、物音で起きるかもしれないお父さんを相手にしなくちゃいけないからな。分が悪すぎる。だからお父さんから殺した。その後、物音で起きたお母さんとあけみちゃんは格闘状態になったんだ」
「突然、何を言い出すんですか?」
あけみは言うが、構わず続ける。
「部屋についていた血痕のほとんどが、お母さんのものだったから、激しい揉み合いだったんだろうね。それで、あけみちゃんがお母さんを殺した後、自分が返り血を浴びていることに気づいた。このままだと、家に帰るまでに目立ってしまうから、アテナのクローゼットを開けて、彼女の服に着替えたんだ。その証拠に、アテナのクローゼットの取手、それも右側にお母さんの血がついていたんだ。あけみちゃんは左利きだからね。左手で凶器を持っているはずだから、空いた右手を使わざるを得ない。
「一家を殺害した後、地下金庫で金品を盗むんだけど、ここで君は致命的なミスを犯す。シリアルナンバーのついた腕時計だ。箱ごと盗めば、足は付かなかったはずなのに、あけみちゃんには知識がなかったから、箱も盗むという発想がなかったんだ。君のお父さんは箱の価値を知っていたけどね。お父さんが事件の後に箱を回収できなかった原因は、箱の存在に気づいたあとに、ここが有名な心霊スポットになっていたからだろう。冷やかしにきた人たちに目撃されたら困るからね。
「話を元に戻そう。凶器と返り血のついた自分の服はタイムカプセルの中に隠して埋めて、自分の家に帰った。ここでも決定的な出来事が起こっている。4時半頃に料理人がアテナの幽霊を見かけたと言っていたが、それはアテナの服を着たあけみちゃんだったわけだ。違うかな?」
僕が言うと、あけみは観念したように、空を見上げる。
「……僕の予想だと、あけみちゃんは自分の犯した罪に耐えかねて、犯行をお父さんに自白したんだ。それを聞いたお父さんが、通報を受けてから、真っ先に現場に駆けつけ、指揮を執りがなら、犯人に結びつく可能性のある証拠を消していった。あってるかな?」
僕が聞くとあけみは観念して、口を開いた。
「……間違いないです」
「……そっか」
僕はため息をついた。
「どうしてアテナを殺したんだ? お母さんの病気が原因か?」
「まあ、それもあります。だけど、一番の原因は……」
あけみは冷たい瞳を僕に向けた。
「アテナを許せなかったから……アイツは……私の家を貧乏だとバカにしたんです。たしかにアテナから見れば、私は貧乏かもしれないけど、でも、お父さんもお母さんも、一生懸命働いていたから貧乏じゃない! 先祖代々があの地域を仕切って、土地を守って受け継がれてきたものなんです。おじいちゃんがあの家を建てて、お父さんがリフォームして、大切にしてきたものなんです……アイツは私のプライドを傷つけたんです」
彼女の唇が震えていた。
……アイツはそういうところがあるからな。アイツが冗談で言ったつもりでも、相手が冗談に受け取れなければ、それは鋭い刃物になる。
「今の話を聴いて、アテナはどう思うんだ?」
僕は連れてきたアテナの方を見た。僕とあけみのやりとりを聴いていた彼女は呆然としていた。
「……いきなりなんですか?」
あけみは怪訝な目で僕を見た。
「僕はアテナに取り憑かれているんだ。事件の真相が知りたくて、幽霊になったんだよ。みなもは霊感があるからアイツに聞けばわかるよ」
僕の言葉に、あけみは信じられないと言いたげだった。
「……押し花のブローチ、ありがとねって。あけみに伝えて」
アテナの言葉を僕があけみに伝えると、あけみは明らかに動揺した。ふたりだけがわかる共通の品物だろう。
「嘘……そんなわけない……」
あけみは頭を抱えた。
「……あけみ。ごめんね。私の言葉であけみが傷ついてるなんて知らなかったの。私は軽い気持ちで言ってたから、もっとあけみの気持ちを汲むべきだった。気づいていれば、そんなこと絶対に言わなかったのに」
アテナの言葉をそのままあけみに伝えた。
「だけど、私は……」
アテナは言葉を詰まらせた。
「……あけみが私を殺したことに納得できない」
「そんな……やめて……」
あけみは耳を塞ぎ、苦しむように喘いだ。しかし、アテナは言葉を続けようとした。
「私は……私は……あけみが……許せない……私の人生……返してよ……」
アテナは膝をついて、首を垂らして、泣き始めた。僕は彼女の姿を見て、言葉が出てこなかった。
……あけみは僕の友だちだ。あの日、あけみちゃんが犯罪者の娘であっても、僕の見る目は変えないと言った。だけど、今は違う。彼女は取り返しのつかないことをし、超えてはならない一線を超えてしまった。……アテナを殺したあけみを許すことはできない。
「……アテナがあけみちゃんのこと許せないってさ……僕も、あけみちゃんがやったことは許されるものじゃないと思ってる」
僕は思っていることをあけみに言った。彼女のことが殺したいぐらいに憎いけど、だけど、僕が彼女を殺したところで、アテナの一件の過去の清算ができるわけではない。何も終わらないし、何も始まらない。
「だから、自首して、自分のやったこと省みるべきだ。それで、アテナにちゃんと謝ってほしい」
僕が言いたいことを言い終えると、
「……これ以上、私を傷つけないでよ」
あけみはギロリと僕を睨んだ。あまりに唐突だったので、僕は驚いた。
「なにがアテナの幽霊よ。何が事件の犯人よ……」
あけみは人格が入れ替わったかのように、僕に優しく微笑みかけた。
「いきなりどうしたんだよ?」
「どうしたもこうしたもないよ。私はただ、アテナを罰したかっただけなの!」
あけみは懐からナイフを取り出した。最悪の状況だ。彼女に見境が無くなっている。
「……そんなもん持って、どうするんだ?」
僕は大きく深呼吸をして、務めて冷静に話した。
「あんたは犯人にたどり着いたからゲームオーバー。どうせお父さんがうまく隠してくれるから」
あけみはナイフを弄んだ。
「僕を殺しても、その先に何もないよ?」
僕はあけみを説得しようとした。だけど、僕には人殺しの気持ちがわからないし、その立場に沿って、言葉を考えようとしても、何も浮かばない。
「何もないことはわかってるよ。あんたも、アテナの同じように幽霊になればいいじゃん。お似合いカップルの誕生だ。アテナも寂しくなくなるね」
あけみは笑った。
「いや……やめて……ダメよ……」
アテナは言うが、あけみに言葉は届かない。僕は観念した。こうなれば、一か八かだ。
「刺せるもんなら、刺してみろよ」
僕はあけみに近づいた。
「男気あるじゃん。じゃあ死ねっ!」
あけみは嬉しそうに叫んだ。
「やめて!!」
アテナの声が谺した。
あけみは僕の左胸を目掛けてナイフを刺してきた。
(思った通りだ)
左胸に予想以上の衝撃と鈍痛が駆け巡る。直後、ナイフは行き場を無くして、宙に舞い地面に落ちた。あけみはナイフが刺さらなかったことに呆然としていた。
「……どうして?」
「母さんの防刃ベストを拝借してきたんだ」
僕はナイフを拾い上げ、シャツの下をチラリとめくった。
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