29話


「いいか。ここで待っとけよ」

 僕は警察署の前で、アテナに釘を刺した。

「はーい。漱石のお母さんにあったら、よろしくって伝えてね」

「アホか。僕の声は届かないだろ。ってか、母さんは休みだよ」

 僕は捨て台詞を吐いて、正門へ向かった。警らの人が立っているのに、僕を見ることはない。試しに手を振るが、彼らが気づく素振りも見せなかった。本当に気づいていない様子だ。

 自動ドアの目の前に立っても、ドアは反応してくれなかった……本当に通り抜けることができるのか?

 僕は目を瞑って、腹を括り、ドアへと一歩踏み出した。すると、体がドアを通り抜けた。

「おお。すげぇな」

 ハリー・○ッターが初めて9と3/4番線に入った時と同じぐらい感動した。幽霊の体って面白すぎるだろ。

 気をよくした僕は、どんどんと警察署の奥へと壁をすり抜けて入ってゆく。署内の見取り図は頭に叩き込んであるので、迷うことなく機密資料室の前へ辿り着いた。

 するりとドアを通り抜けた僕は、並べてあるファイルの年月を確かめる……あった。7月13日、三ノ宮家強盗殺人事件報告書と背表紙に書いてある。コイツさえ奪ってしまえば、全てが解決する。

 思えば、アテナが僕に取り憑いていかなったら、僕はずっと退屈した毎日を過ごしていただろうな……。でも、アイツが僕に取り憑いてからは、毎日楽しいってわけじゃなかったけど、退屈はしなかった。不意に熱いものが心に込み上げてくるのを感じるが、今は、感傷に浸っている場合ではない。

 僕がファイルと取ろうとすると、スカッ、スカッ。ものの見事に空振った。

「なんて日だ!!」

 初めての幽体離脱で謎にテンションが上がってしまって、ものが掴めないことをすっかり忘れていた。初めて経験する完璧な絶望……ああ、どうしよう。

 すると、部屋の壁が会話が聞こえてきた。気になって覗いてみると、僕(アテナ)が誰かと歩いていた。

(どういう状況!?)

 僕の隣を歩くおばさん婦警は小太りで、厚化粧だった。お世辞にも美人とは言えない。

「若いっていいわね」

「とんでもないです」

 アテナは低く色っぽいバリトンボイスで話していた。まさか、僕の声帯からあんな良い声を引き出せるなんて、アテナもなかなか侮れないな。

(いやいやいや。そうじゃなくて)

「塚本さんの息子さんなのよね?」

「そうです。私のお母様が資料室で忘れ物をしたから、お使いで取りにきたんです。総務部長の芦屋さんに頼めば開けてくれるって言ってましたよ?」

「あらっ? 塚本さんって資料室には入れないはずだったけど……」

「いいじゃないですか。細かいことは」

 そういってアテナは芦屋さんの腰に手を回して、体を密着させた。

(オイオイオイ……)

「アラッ。漱石くんったら」

 芦屋さんは顔を赤らめ、満更でもなさそうだ。

「明日の会議でどうしても必要なものらしいです」

(アイツ。僕の体を使って、あんなヒドいことをしやがって)

「最近、旦那さんとご無沙汰なんですか? 盗み聴きするつもりはなかったんですけど、偶然、耳に入っちゃって」

 僕は芦屋の耳元で囁いていた。

(なんてこと聞いてやがる)

「フフッ……漱石君ったら」

 おばさんは恥ずかしそうに微笑んだ。

(つーか、アイツ、色仕掛けを使って、ここまできたのかよ……)

 アテナとおばさんは資料室の前で立ち止まる。

「資料室はここね」

「開けてくれますか?」

 えーっ? と言いながらおばさんはモジモジした。

(いや、その見た目で、それはキツいな)

「じゃあ。キスしてくれたら、開けてあげる」

「いいですよ。でもここだったら、誰かが来ちゃうので、資料室の中でしましょうよ」

(正気か!?)

「うーん。しょうがいないわね」

 おばさんはカードキーを取り出して、扉を開けた。アテナと彼女は部屋の中へ入った。

「じゃあ、目を閉じてください」

 アテナは優しく言った。

(おいおい、バカかアイツ……)

 芦屋さんは唇をタコのように尖らせた。

(あぁ。僕のファーストキスが……)

 アテナは指を一本差し出して、おばさんと指ごしにキスをした

(アカンアカン。鼻とかぶつかりまくってる)

「や〜もう。はぐらかさないでよ」

「続きはまた今度ね」

 アテナはおばさんの頭をポンポンと叩いた。おばさんは不満そうに文句を言うが、結局、満更でもない表情をして部屋を出た。

「おまえ、僕のファーストキスをよくも……」

 僕が食ってかかると、アテナはすかさず反論した。

「いいじゃない。指ごしなんだから。今度、私が貰ってあげるわ」

 僕の姿でそんなこと言われても、ドキドキもなんとも思わない。

「うるせぇ。ユーレイの癖に」

「今はあんたがユーレイじゃない」

 正論を言われて、ぐうの音も出ない。

 よく見ると、自分の指が真っ赤になっていた。

「怖っ」

「ダイソンぐらいの吸引力ね」

「つーか。よくここまでたどり着いたな」

「幽霊だったらモノが持てないって、途中で気づいたのよ。ナイスアシストでしょ?」

 アテナは鼻の下を伸ばしていた。僕は自分が調子づくとこんな表情をするのかと思って、自分のことなのに、気味が悪いと思った。しかし、冷静に考えてみると、アテナが色仕掛けをつかってここに来なければ、僕は証拠を手に入れることが出来なかったのだ。

「そうだな、アテナのおかげで助かったよ」

「それで、証拠は何処なの?」

「そこにあるよ」

 僕は場所を指差した。


§


 証拠を手に入れた僕らは、出口へ向かって歩いていると、

「おやっ? こんなところで何をしているのかな?」

 僕はその声にギクリとした。振り返ると、灘祐介が立っていた。僕は心が冷えていくのを感じた。もう出口はそこなのに、嫌なタイミングで捕まってしまった……。

「ああ。ええっと……お久しぶりです」

 アテナは混乱し、慌てて頭を下げた。

 灘は僕の様子を見て、目を細めた。

「先週に会ったばかりだよ? もう忘れたのかい?」

 灘は皮肉を浴びせたので、アテナは明らかに狼狽した。僕はこの光景を直視できず、心の中で祈った。

「まあ、いいや。こんなところで何をしてるんだい?」

「……ちょっと母の遣いを頼まれまして」

「へえ。何を取りに来たのかな?」

「……ノートです。デスクに置き忘れたらしくて」

 アテナの緊張のせいで、二人の会話のテンポが妙に噛み合わなかった。灘は彼女の話を聞きながら、疑いの目で僕をめ付けて腕を組むが、しばらくして、獲物を追い詰めたように、不敵に笑った。

「さっき、資料室から出てきたのを見かけたけど、気のせいかな?」

 僕は息を飲んだ。

「……気のせいじゃないですか? 私は母のデスクに用事があるので、資料室なんて行ってないですよ」

「ちょっと貸しなさい!」

「あっ」

 灘は不意をついて、アテナが持っていた袋をひったくった。僕灘は冷酷に微笑みながら、カバンの中を検めた。

 僕とアテナの視線がぶつかった。バレてしまったら、全てが終わってしまう……。

 しかし、灘の探しているものは見つけられなかった。

「……おかしいな、どうしてないんだ?」

「失礼ですけど、返してくださるかしら?」

 灘は舌打ちしながら、アテナにカバンを返した。

「何を疑っているか知りませんが、証拠もないのに、人を疑うのはよくありませんわ」

 アテナは仕返しと言わんばかりに、素敵な笑みを浮かべた。灘は拳を強く握りしめているが、何も言い返せなかった。

「じゃあ失礼しますね」

 僕らは警察署から出た。


 警察署から離れたところまで歩いて、僕とアテナはハイタッチをする素振りをする。

「「イエーイ」」

「死ぬかと思うぐらいドキドキしたわ」

「お前もう死んでるじゃん!」

「今死んでるのはあんたのほうよ!」

 お互いに指差し合って、笑い合った。

 アテナは服の中から資料を取り出して、あらためて、袋の中に入れた。

「マジで保険をかけて隠しておいてよかったぁ」

「これで、事件は解決するわね」

「うん。全てが終わるはずだよ」

 不意に、アテナがスマホを取り出して、覗き込んだ

「あっ。アホみなもからメッセージが来てるわ」

 アテナはスマホを操作して、パスコードを開けた。

「なんで知ってるんだよ!?」

「アホみなもに晩御飯のお呼ばれされちゃったわ」

 アテナはスマホの画面を見せた。

—晩ご飯作りすぎたから、家に食べにこない?

—すぐにいくよ

「おい。なに勝手に返事してるんだよ!?」

「いいじゃない。どうせ明日には元に戻るんだから、ちょっとぐらい人間の生活を楽しませてよ」

 アテナは言いながら、じゃーねーと言って走り去っていった。アイツ。まじで自分勝手だな。せめて、証拠さえ渡してくれれば、灘が隠した事件の全貌を見届けることができたのに……だけど、今は無事に証拠を手に入れた安堵に浸っていよう。

 取り残された僕はすることもないので、家に帰ることにした。帰り道に幽霊っぽい人や、魂が浮いてるのがちらほらと目につく。アテナやみなもが見ている景色ってこんなんなんだ。だけど、生きている人たちは僕の気配に気づかない。なんか不思議な感覚だ。それに、生きている僕と、実態のない僕とでは、無視のされ方が違っている気がする。

(……アイツも寂しいかっただろうな)

 僕は孤独を感じた。孤独と向き合うのは初めてだ。それと対峙し続けると、自分という存在が何なのかわからなくなる……だけど、少しだけアテナに近づいた気がした。

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