11話
執事の住む家は、アテナの家から車で10分ほどの距離だ。彼女の話によると、執事はアテナが生まれる前から主人に仕えていたらしく、信頼も厚かったらしい。その主人が殺されて以降は退職し、隠居生活を送っている。
「執事の上原さんは口髭を蓄えたイケオジって感じで、カッコいい人だったわ」
アテナはまさに恋するオトメと言った様子だ。
「そうなんだ」
「年上の色気があって、教養もあって、カッコいい人だったわ」
「カッコいい以外にないのかよ」
「えっ? なに? 嫉妬してるの?」
アテナはニヤニヤしながら言った。
「なんでだよ」
嫉妬する要素が何処にあるというのか。僕には教養も色気も口髭もないが、若さという立派な武器がある。嫉妬など断じてしていない。
「なるみさんも元気にしてるかな?」
「なるみさんって?」
「上原さんの奥さんよ。その2人が家のことを殆どやっていたわ」
なるほど、あれだけ広い家を世話をするのは、やはり人手が必要なのだろう。料理人もいるって言ってたもんな……。
「それで、ここは誰の紹介で来たって言えばいいんだ?」
「そうね。上原さんは当時の担任の山口先生のこと知ってるから、その名前を出せばいいと思うわ」
そうこう話しているうちに、目的地へ辿り着く。
僕は玄関のインターホンを押すと、しばらくしてから、応答があった。
「はい?」
「こんにちは。僕は塚本漱石と言いまして、三ノ宮アテナさんのクラスメイトだったものです。当時の担任の山口先生の紹介で来させてもらいました。突然のお伺い失礼いたします」
「はあ」
声色から、若干の警戒心が滲んでいる。しかし、焦ることはない。
「近い日にアテナさんの一周忌がくるので、山口先生と友だちで彼女を偲ぶ会を執り行いたいと考えているんです。そこで、彼女の思い出話とか、そういう話しがあればお伺いしたいのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「……………」
相手は黙り込んだ。突然知らない人が訪ねてきたら、知っている名前を出されたとは言え、警戒するのが当然だ。部屋の奥でボソボソと話す声が聞こえるが、小さすぎて何を言っているかわからない。
「まあ、とりあえず上がってください」
その言葉を最後に、インターホンが切れた。僕はほっと一息ついた。
「君が塚本漱石くんだね。あらためて伺いますが、お嬢様とはどういう関係で?」
上原は机の上にコーヒーを出した。
「アテナさんとはクラスメイトで、ふたりで学級委員を務めていました」
流石に幽霊として隣にいるとは言えず、適当なことをでっち上げる。アテナは久しぶりだわ。言ったとおりカッコいい人でしょ? と僕に話しかけてくる。なんてウザい奴なんだ。
「あんた。お嬢様の話、色々してあげなよ。その方がお嬢様も浮かばれるわ」
なるみは優しそうな表情で、上原に言った。
「うん。まあ、話そうか」
「ごめんね。この人結構堅物で、最初は渋ってたんだけど、私がお嬢様のことを偲んでくれるだなんて素敵なご友人だから、話してやりなって言ってやったんだよ」
そんな話しをされても、どう返していいかわからず、そうなんですかと言って、とりあえず微笑んでおいた。
「そんなこと言うなよ」
上原が言うと、
「あら、ごめんなさい」
なるみは笑いながら上原の肩を叩くと、別室へ去っていった。
「それで、お嬢様のどの話を話せばいいかな?」
「とりあえず幼少期はどんなだったか、お聞かせ願いますか?」
上原は頷いて話し始める。
幼少期のアテナは今と相変わらず、お転婆で元気いっぱいの女の子だったそうだ。いつも泥だらけになって帰ってきて、よく叱られていたらしい。
「そうそう。家の中が泥だらけになるってよく怒られたっけ」
アテナは意地悪く、僕に話しかけてきて、思わず返事しそうになるが、なんとか無視した。あとで、仕返しをしてやろう。
小学校時代は習い事に追われていて、華道、茶道、ピアノの先生や、家庭教師が家にやってきて、アテナに教えていたらしい。
「そういえば、茶道の先生がエゲツないハゲ方してたわね」
アテナがボソりと呟いた。エゲツないハゲ方ってどんなだよ。笑ってはいけない空気の中、僕は軽く俯いて笑いを堪えた。
中学時代は両親の教育方針で、お淑やかに振る舞うように言われていたが、学校では相変わらずで、クラスの中心にいたらしい。卒業式では合唱曲の伴奏を任されたらしく、普段の活発な様子から想像できないアテナのピアノの腕にクラスメイトの度肝を抜いたらしい。
「ちなみに弾いた曲は郷ひろみの二億四千万の瞳—エキゾチック・ジャパン—って曲よ。まだ弾けると思うわ」
僕は『まばゆいぐらいにエキゾチック・ジャパン』と言う歌詞を全校生徒でハモっているところを想像して、笑いそうになるが、どうにか頬の内側を噛んで堪える。そんな歌を卒業式に歌うわけがない。コイツが幽霊じゃなければ、シバいてる。
「本当はアルバム以外にも学校の通知表や作った作品とかあれば、いろいろ思い出せるんだけど、ここにはないんだ。すまないね」
上原は僕に言った。
「いえ、とんでもないです」
「この写真に写ってるわ」
なるみがいつの間にか、アルバムを僕に差し出してきた。ピアノを弾いているアテナは気品に溢れていた。
「他にも見せてもらっていいですか?」
「もちろん」
僕はアルバムをパラパラとめくっていくと、幼稚園時代のアテナの姿が目に止まった。顔はあまり変わらないが、まだあどけなさが残っていて、可愛らしく見えた。それと、愛嬌はあるが、太っていてお世辞にも可愛らしいとは言えない女の子が、たびたび出てきた。
「この子はお友達ですか?」
「ええ。ご近所さんのあけみちゃんって子よ」
「えっ?」
僕は思わず写真を二度見する。この姿から今のあけみになるなんて、想像がつかない。
「今の方が可愛いかったでしょ? ソフトボールを始めてからだいぶ痩せたからね」
何故かアテナが自慢げに話す。
「マジかよ……ソフトボールってすげえな」
僕の無意識に出た言葉に、執事夫婦は目を丸くする。その様子を見たアテナはケラケラと笑っていた。ファッキンアテナめ、覚えとけよ……。
「失礼しましました。僕もあけみさんと知り合いで……」
僕はどうにか取り繕うと、夫婦は納得したようだ。
「その子、お父さんが警察署長なのよ」
なるみが言うと、上原は苦々しい表情を浮かべた。
さて、本題に入ろうか。
「あけみさんとアテナさんは仲が良かったんですか?」
「ええ。よく2人で屋敷の中で遊んでいたわ。三ノ宮家は広いから、よく鬼ごっこをして家中を走り回っていたっけ。それにおままごとにもよく付き合わされたわ。ねぇ?」
なるみは上原に問いかける。
「ああ。お嬢様は私たちをよく振り回してくれたよ。いかんせん、年を喰ってるものだから、子どもの元気さについていくのに必死だった」
そう言いつつも、どこか懐かしそうな微笑を湛えていて、見ている僕が切なくなった。
「あけみさんはどんな子どもでしたか?」
「お嬢様とは正反対な性格で、却ってそのせいで仲が良かったんだろうね。いつもお嬢様の後ろをついてまわっていたよ。まるで、本当の姉妹のようだったわ」
なるみは言った。
さらに、アルバムのページをめくると、アテナとあけみが誕生日ケーキの前で笑っている写真があった。
「これはあけみちゃんの10歳の誕生日会の時ね」
なるみの言葉に、なんとなく違和感を感じた。
「2人だけだったんですか?」
「そういえば、お嬢様の話では他のお友達もいらしてるって聞いてたんだけど……」
なるみは首を傾げた。
僕は写真の後ろに、紙が入っていることに気づいた。
「これ、なんですか?」
「あら、覚えがないわね」
こっそりアテナを見ると、何かを思い出した様子だった。
「ああ、それね。あけみの誕生日に渡す手紙だったんだけど、いろいろあって、渡しそびれたのよ」
アテナはその時の話を始めた。
「ちょうど私が10歳の時、だから小学4年生の時ね。あけみがクラスのリーダー格の女の子に目をつけられて、いじめられてたのよ……」
あけみが誕生日会が近づくと、グループ全員がボイコットしたが、アテナだけは誕生日会に参加したという話だ。当然、アテナはグループ全員から総スカンをくらったが、彼女はそんなことで折れるわけがなく、却って反発し、あけみとアテナ2人が孤立することになったという話だ。
「グループの女の子全員に、貧乏人のクソどもがって吐き捨ててやったわ」
(なるほど。だから、この写真は2人だけなんだ)
僕は違和感の正体に納得した。写真に写っていたケーキは明らかに2人分の量ではなかったからだ。
「……一つ心残りがあってね」
(何が残ってるんだ?)
僕は目配せをして、アテナに話の続きを促した。
「誕生日会の前日にあけみと大喧嘩して、彼女に酷いこと言っちゃったんだ。だから、当日に仲直りしようと思って、手紙を書いて、家に行ったら、あけみは私が来てくれたことに舞い上がっちゃって、それで、私も昨日のことは流してくれたんだと思ってさ……だから、その手紙はなんか雰囲気に流されちゃって渡せなかったんだ。だけど……今になって、やっぱり口に出してあのことを謝れなかったことと、あの手紙を渡せなかったことも後悔してる」
僕はアルバムを眺めるフリをしながら、アテナの言葉を咀嚼していた。彼女もまた、僕と似たような後悔を抱えている。後悔は2種類ある。やって失敗してしまってうまれた後悔と、後になってやっておけばよかったとする後悔。圧倒的に後者の方が悔いが残る。僕はそのことを身に沁みて理解している。
—————「これ、お借りしてもいいですか?」
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