12話


 次の日、僕はみなもとともにあけみの家へ向かっていた。

「そうちゃん。今日は大丈夫?」

「ああ、打ち合わせ通りバッチリだ」

 昨日の作戦会議で、彼女のアイデアと僕のアイデアを掛け合わせたものを二人で練り上げた。

「これなら、あけみちゃんが外に出るきっかけは作れるはずだよ」

 僕はレンタルビデオショップと執事宅から借りてきた2つのアイテムを持っていた。この作戦でうまくいかなかったら、きっと、あけみは誰にもこころを開かないだろう。


 僕らはあけみの家にお邪魔した。彼女は相変わらずであった。

「今日は何しにきたんですか?」

「一緒に映画を見ようと思ってね」

 僕はDVDを取り出して見せた。『ウインドミル』だ。以前にあけみが好きと言っていた映画である。

「わざわざ借りてきてくれたんですか?」

「うん。私たちも興味が湧いたからね。テレビ借りてもいいかな?」

「ええ。大丈夫ですけど」


——クソ田舎の高校生の主人公が、県内に男子ソフトボール部が一校もないから、簡単に全国大会に出られると知ったことがきっかけで、ソフトボール部を作る物語である。

 映画の内容は批評的に見ると、あーね。そういうやつねって感じのテンプレ通りに感動を狙った物語だ。主人公の生い立ち、成長、心の葛藤から周りの人々との対立、和解、敵との試合と勝敗。それらが雰囲気のあった音楽とともにテレビ画面に映し出され、時間はあっという間に過ぎていった。

「いや〜なかなかいい映画だね。これ見ちゃったらソフトボール始めたくなるね」

 みなもはうんと背伸びをした。

「私、途中で泣きそうになっちゃった」と言いながらみなもは僕の方を見た。

「って、なに泣いてんの!?」

「……だって主人公が、全国大会で負けちゃったから……あんなに一生懸命練習してたのに」

 僕は鼻を啜りながら、声を震わせて言った。この映画はヤバい。本気で感動してしまった。

 あけみは気を使って、ティッシュの箱を僕に渡した。

「ありがとう」

 僕は思いっきり鼻をかんだ。

「あけみちゃんはどうだった?」

 みなもはあけみに話を振った。

「久しぶりに見たから、なんか懐かしいです」

 あけみの言葉はいつも以上に感情がこもっていた。

「実はさ、映画で出てきた全国大会のグラウンドがここの近所にあるんだよ。見に行ってみないか?」

 僕はあけみに言った。

「えっ? そうなんですか?」

 彼女はどうしようか迷っているあいだ、みなもと僕はドギマギしていたが、

「行ってみたいです」

 あけみは答えた。

 みなもは僕に目配せをした。僕は親指を立てて、返事をした。


§


 グラウンドは緑地公園の中にあり、実際に目の当たりにすると、映画のシーンがありありと思い出される。主人公たちは全国に簡単に行けると思っていたが、確認不足で、実際は他県の強豪校と地方大会で戦う必要があり、その勝者が全国大会の切符を掴むというものだった。主人公たちは猛練習に挫折しかけ、仲間とも険悪になりながらも、最終的にはお互いを信じて戦い抜き、主人公が強豪校にサヨナラ逆転ホームランを打って勝利をおさめ、全国大会に出場した。しかし、全国大会の壁はそれ以上に厚く、全く歯が立たたずに負けてしまい、最高の思い出ができた仲間たちは笑顔でグラウンドを去るが、主人公だけは悔し涙を流しながらグラウンドを後にするのだ。

「グラウンドって、実際に見ると映画で見るより全然広いや」

 みなもはベンチからダイヤモンドを見回した。

「せっかくだし、キャッチボールしようよ」

 みなもは言った。

「えっ? でもグローブ持ってきてないですよ?」

 あけみが言うと、みなもは実は……と言いながら、カバンからグローブを取り出した。

「3人分持ってきてたんだよ」

 みなもはグローブを僕とあけみに渡した。

「私、左投げなんですけど……」

 あけみの言葉に、僕らは冷や汗が流れた。そこまでリサーチができていなかったみなもと僕はやっちまった、と思ったが、

「でも、無理やりグローブを嵌めれないこともないです」

 あけみは自らグローブをはめて、左の拳で叩いた。

 僕はホッとした。

 あけみは以前より、声色にたくさんの表情が出ていた。塞ぎ込んでいたときより、明らかに前向きになっていた。


 僕らは三角に広がり、距離をとった。みなもから投げられたボールをキャッチすると、革の乾いた音が小気味良く響く。

 僕はあけみの方へボールを投げた。あけみはボールをキャッチして、みなもに投げた。

「こうやって友だち同士とキャッチボールするなんて、久しぶりです」

 あけみは言った。

「前は誰とやってたの?」

 みなもは訊いた。

「アテナって女の子です……彼女が死んだこと、2人ともご存じでしょ?」

 あけみが口にした途端、心臓が跳ね上がった。だけど、あけみの表情はどこか穏やかで、ホッとした。彼女の様子を見ていると、前のように、気持ちが不安定ではなさそうだと思った。

「まあね。同じ高校だからね……」

 みなもは曖昧に答えて、僕にボールを投げた。

「残念だと思うよ」

 僕は言いながらボールを受け取り、あけみに投げた。

「そうちゃん。投げ方が女の子なの、直らないね」

 みなもはケラケラと笑った。自慢じゃないが体育の成績は下から数えた方がはやい。

「おいバカにするんじゃねぇ! 次は見てろよ。大谷翔平バリのエゲツないストレートを投げてやるからな!」

「そんなボール投げられたら、私が取れないですよ」

 そう言って、あけみがクスッと笑った。

「あっ、あけみちゃん笑った」

 みなもは嬉しそうに言った。言われたあけみはちょっと驚いた仕草をした後、嬉しそうな表情を浮かべた。

「久しぶりに笑いました」

 そういって、あけみは微笑んだ。

「あけみちゃんは笑ったほうがかわいいよ」

 みなもが言った。

「そんなことないですよ」

「前みたいに、家で暗い顔してる時より、今の表情の方が素敵だよ」

 みなもの言葉に、僕も頷いた。あけみの瞳が揺れた。

「うん……ありがとうございます。2人が来てくれて、気持ちが楽になりました」

 あけみはみなもにボールを投げた。

「なら、よかった」

 みなもはボールをキャッチしながら答えた。

「昔はそうちゃんより下手だったのに、結局、私の方がうまくなっちゃったね」

 みなもはニヤニヤしながら僕にボールを放り投げた。

「バカか。名作と呼ばれる芸術作品は、長い間愛されつづけるだろ? 僕の投球フォームも同じだよ」

 僕はボールを受け取った。キャッチボールをしていると、昔のことを思い出した。

「昔はこれでみなもにマウントが取れると思ったけど、ソフトボールまで上手くなられたから、みなもに勝てるところはなにひとつないや」

 僕は悟ったようなことを言って、ボールをあけみに投げた。

「……私は、ずっとアテナの後ろをついて回っていたんです」

 あけみはボールをキャッチした。彼女のその一言がきっかけで、堰を切ったように、言葉があふれ出した。

「小学校に上がってからもそうでした。アテナともう1人の女の子が中心のグループで遊んでいて……私はアテナにくっついていたから、オマケみたいな感じで入れてもらってました……それでも、みんな仲良くしてくれて……突然、アテナが私の誕生日会やろうって言い出して、みんなを誘ってたんです。

「それで私も嬉しくなって、お母さんに頼んでケーキを用意してもらったのに……その後すぐに……いじめみたいなのが始まったんです。グループのうちの1人を間外れにするみたいな……それで、私がターゲットにされて、辛かった……だけど、そのことでアテナがみんなに怒ってくれたんです。アテナは私のために、みんなの前で怒ってくれて……だけど、その後で……私も悪いって言ったんです。あけみもいつまでも私の後ろについて回っちゃいけないって。いつまでも、私のくっつき虫のままだから、こんなことになるんだって……それで、初めて喧嘩して、誕生日会の前日にですよ……もう来てくれないと思ってたんだけど。アテナは……アテナはちゃんと誕生日会に来てくれて、プレゼントくれて、すっごく嬉しかったんです。

「結局、喧嘩したことはなんか有耶無耶になっちゃって、それでも、二人の仲だしそれで全然構わないと思ってたんですけど……だけど、アテナが死んじゃって、気づきました……私のためにみんなを怒ってくれたことと、私のためを想ってくっつき虫はもうやめろって勇気を出して言ってくれたことを、ありがとうって言わなくちゃいけなかったって……」

 あけみはしどろもどろになりながらも言葉を繋いだ。話し終えると、一呼吸置いて、

「あーっ。話しちゃえば、なんかすっきりしました。突然こんな重い話をしてごめんなさい」

 あけみは僕らに頭を下げた。

「ううん。あけみちゃんこそ、話しづらいことを話をしてくれてありがとう」

 みなもは言った。

「後悔は残ってるけど、なんか気持ちが楽になった気がします。聞いてくれたのが2人でよかったです」

 あけみは言った。

 不意に啜り泣く声が聞こえた。その方を見ると、遠くでアテナが涙を流していた。僕も釣られて泣きそうになるが、グッと堪えて、

「これ、読んでくれないか」

 僕はあけみに手紙を渡した。あの日に役目を果たすべきだったのに、機会を逃してしまい、眠ったままの言葉たちが、アテナの筆跡で書かれていた。

「これは……手紙ですか?」

 あけみは僕に訊ねた。

「そう。アテナからあけみちゃんに宛てた手紙」

 僕が言うと、彼女は唾を飲み込んだ。

「これどうしたんですか?」

「あけみちゃんが10歳の誕生日会の時に、アテナが書いたんだけど、渡しそびれたらしい。それをたまたま執事の上原さんが保管していたんだ」

 あけみは戸惑うが、僕は続ける。

「たぶん、これを読むことが、あけみちゃんにとって、アテナにとって過去の清算になると思う。本当の意味で、あけみちゃんはもうアテナのくっつき虫じゃなくなると思う」

 あけみは緊張の面持ちで読み始めた。


『あけみへ。お誕生日おめでとう。今日は私しかいなくてごめんね。本当は他の子たちもあけみの誕生日をお祝いしなくちゃいけないのに、イジワルなアイツのせいで、台無しになっちゃった。だけど、そんなヤツらがあけみのお誕生日を祝うなんて、私は絶対に許さないから、あけみもあんなヤツはほっといてください。

 そして、昨日は私はあけみに酷いことを言って、ごめんね。あけみは私のくっつき虫じゃないです。私の大切なお友だちです。親友です。私はいつでもあけみの味方だし、困った時はすぐに助けます。だから、あけみは私のそばで笑っていてください。アテナより』


 あけみは手紙を持つ手を震わせて、涙を流した。みなもは彼女をそっと抱きしめた。

「アテナ……アテナ……」

 あけみは消え入りそうな声を震わせた。

「アテナさんが亡くなって辛かったでしょ?」

 みなもが言うと、あけみは静かに頷いた。

「私はその痛みが想像もつかないけど、だけど、あけみちゃんに寄り添って一緒に悲しむことはできるよ」

 僕も頷いた。

「アテナさんはあけみちゃんと同じことを悔いてたんだよ。それって、あけみちゃんとアテナさんの気持ちが繋がってるってことだよ。アテナさんが亡くなった今でも、こうやって、手紙がつなげてくれてるんだよ」

 みなもが言うとあけみは声を上げて泣いた。みなもも静かに涙を流した。僕も堪えきれずに涙を流してしまう。僕はこのアテナとあけみの不器用な物語に終止符を打つために、アテナに託された“想い”を伝えようと口を開こうとするが、不意に、アテナが成仏するかもしれないとよぎった。僕には、青春がしたいだなんてうそぶいて、本当はあけみに本当に伝えたかったことがあったから、幽霊になったのかもしれない。もしそうなら、僕がアテナの“想い”をあけみに伝えてしまうと、成仏してしまう。僕はそれでいいのだろうか?

 僕はアテナのいた方へ視線を向けるが、彼女はいなかった——いや、もういいんだ。彼女はすでに成仏してしまったのだろう。

 それより、彼女が託したものを、僕は伝えなくちゃいけない。

「アテナはあけみちゃんと“来世も親友でいようね”って想っているよ」

 あの日の帰り道、アテナが僕に託した言葉を伝えた。

「……そう思ってくれてると……いいな」

「たぶんじゃなくて、絶対そう想っているよ。絶対に」

 僕は言うが、声の震えを抑えることはできなかった。 

 

 夕陽が沈みそうになった頃、あけみは泣き止んだ。彼女は憑き物が落ちた顔をしていた。

「今日はありがとうございました」

 あけみは言った。

「私はアテナの分まで生きようと思いました。私はアテナの親友だから、アテナの分まで青春を全うしよう思います」

「うん。そうするべきだよ」

 みなもは言った。

「学校に来なよ。それで、私たちのいるオカ研に入って、アテナさんの幽霊を探そうよ。もしかしたら、居るかもしれないし」

「はい。一緒に探したいです」

 あけみは言って、笑った。

 だけど、僕らにアテナはもう見つけられないだろう。もう彼女は成仏してしまっているのだ。最後に見たアテナが泣いていたことはちょっとだけ心残りではあるが……。

「2人とも今日は本当にありがとうございました」とあけみが言うと、

「いいんだよ。あけみちゃんが立ち直ってくれて、本当によかったよ」

 みなもは返した。僕も頷いた。

「そろそろ、帰ろうか」

 僕は言うと、2人は頷いた。

 あけみははめていたグローブをカバンになおすために、ベンチへ行った。

「ここが聖地だなんて、よくわかったね」

 みなもはこっそりと僕に言った。

「前にみなもに付き合って聖地巡礼しただろ? あれを思い出して、映画のこと色々調べたんだよ」

 みなもに言うと、彼女はへえと言って、感心した。

「そういえば、そうちゃん、アテナさんのこと呼び捨てにしてたね。まるで知り合いみたいに言うんだね」

 みなもがジトッとした目で僕を見たので、ドキッとした。

「いや、知り合いとか全然そんなんじゃないし。言葉のあやみたいなもんだよ」

 僕が言い訳すると、みなもは首をかしげるが、まあいいやと言った。

「だけど、どうしてあけみちゃんにここまでしてあげたの?」

 みなもは僕に訊いた。

「……やっぱりさ、やっすんの一件があったからな」

 僕が思わず漏らしてしまうと、みなもは複雑な表情を浮かべた。僕は取り繕うように、みなもに聞き返した。

「おまえこそどうして手伝ってくれたんだよ?」

「うん? そうだね……」

 みなもはちょっと間を開けてから、

「あけみちゃんを見てて昔の自分を思い出したから」

 あけみはちょっと微笑んだ。

「そうちゃん。あの時、助けてくれてありがとね」

 みなもは言った。あの時といえば、小学校の頃の話だ。みなもが神社の娘というだけで、クラスの男子全員が新興宗教だの胡散臭いだの、よってたかってイビっていたのに、僕だけはみなもの味方をしていたことだろう。まあ、その当時の僕は体も小さく、運動神経も対して良くないので、僕もまとめられてイジメられたというオチだ。まあ、今だから話せる話だ。

「今さらそんな話を持ち出してどうしたんだよ」

「やっぱり、口に出して言わなくちゃいけないことってあるって思ったから」

 みなもはそう言って、顔に影を落とした。

「……そうか」

 僕はあけみの後ろ姿を見て呟いた。不意に風が強く吹いて、ベンチ脇に咲いていたシロツメクサを揺らした。


 ———先に後日談を語ると、あけみは学校に来ることに前向きな様子であったが、僕らの高校だと、アテナの一件のこともあり、トラウマが相当深いために、カウンセリングを受けて、心の傷を癒してから、別の地元の高校に編入学することを、考えているらしい。

 だけど、あけみちゃんが別の高校に行こうが、僕らは友だちのままだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る