第三話 あら、負け犬が嫉妬して吠えてますわね?
入学式から2週間。
慌ただしく時間が過ぎていった。
あの最初の授業の日から、リーチヒルトはエミカーシュとセットとして扱われるようになった。
問題児の窓口として、回覧物や催し関係のチラシを渡すよう依頼される。
まるで、鎖国した国で唯一外国に開かれた港のように。リーチヒルトは、別に鎖国などしていないのだが。
しかし、一度関わったが最後、リーチヒルトの”交友”に巻き込まれてしまうとあらば、他生徒が関わりを遠慮するのは理解できた。
思い描いていた学院生活と、だいぶ趣が変わってしまったなと、エミカーシュはため息と一緒に嘆くのだった。
相変わらず彼女たちの座る最前列の席には、人が寄り付かない。
しかし、変わったこともある。
その最前列の中央に座っているのがエミカーシュで、その右側にリーチヒルトが座るようになったことであろうか。
何故かというと、余計な諍いを避けるためである。
真ん中に座るエミカーシュの左側。そちらにあの”災厄の子”マーレが座るからだ。
彼女もまた一週間経った今も他の生徒と馴染めず、孤独に過ごしている。
誰にも煙たがられるはぐれ者。行き着く場所は必然的に誰も近寄らぬ最前列席になる。
だが、その最前列は、あのリーチヒルトが座っていた。
一大事と感じたエミカーシュは、何とかリーチヒルトを宥めすかして座席を入れ替えてもらい、何とか致命的な破綻を防いで小康状態を作り出すことに成功していた。
「はぁ~い、皆さん~。ちゃんと採集場で目当ての薬草を採ってきたかしら?」
本日の授業は、霊薬調合基礎。
担当は、恰幅の良い貴婦人、レイリャ・マーリャ・アトナフ婦人である。
霊薬調合の権威で、これまで4つの伝染病の特効霊薬の開発を成功させてきた。
「採ってきた薬草が正しい種類かどうか、ちゃんと確認しますからね~。はい、この箱に入れてくださいねぇ~」
それぞれの生徒たちの目の前に、足の生えた箱が整列して歩いてくる。
この箱の中に採ってきた薬草を入れろ、ということらしい。
「ふふん! 天才令嬢の私にかかれば、こんな課題、何でもございませんでしたわね!」
「よく言うよ…」
採集場に住み着く昆虫モンスターに追いかけ回されながら、何とかエミカーシュが採取したのだ。リーチヒルトは逃げ回っていただけだった。
「こういうのはチームワークですわ! エミさんよりも、私の方が足が速い。ならば、敵の注意を引くのが適役。その間に目利きの上手なエミさんが薬草を手に入れる。天才の采配に相応しい完璧な作戦でしたわ!」
エミカーシュよりもリーチヒルトの方が運動能力が高いのは事実。そして、ちゃんと授業を聞いていた為に目的の薬草の特徴をしっかり学習しているエミカーシュしか目利きができなかったことも事実。
「困難な事柄も、人と人とが力を合わせれば、必ず突破できるものなんですのよ!」
お互いの能力、特性を見抜き、それらを組み合わせることで最善の結果を得た、という意味では天才の采配と言え―――なくもないかもしれない。
どうだろうか…? どうかな…?
「ともかく、無事納品、ですわ!」
リーチヒルトはエミカーシュが採取してくれた薬草を得意げに箱の中に入れる。
足の生えた箱は、薬草を受け取るとアトナフ婦人の元へと戻っていった。
「まぁ! みんなちゃんと薬草を取ってこれていますね!」
「ふふーん!」
アトナフ婦人のお褒めの言葉に、リーチヒルトは何故か自慢げだ。薬草を採ってきたのはエミカーシュだというのに。
だが、エミカーシュもこの二週間でかなり慣れた。
傲慢で愚鈍で、お調子者で、コロコロと感情が切り替わるこの令嬢との付き合い方に慣れてきていた。
天才でもなんでもない、ただの少女である彼女は、夏を忘れられない秋の空のように、眩しく、粗々しく、しかし健やかだった。
家柄などなく、ただの一生徒として対等だったのならば、と、エミカーシュは思う。
ふと、エミカーシュは右側に座るマーレの机の上に、足の付いた箱がまだ残っていることに気づいた。
マーレは、明後日の方向を向き、箱を完全に無視している。
「マーレさん…?」
「………」
マーレはエミカーシュを完全に無視した。
「………」
エミカーシュは、こんなこともあろうかと用意していたもう一房を、マーレに気づかれないようにそっと箱の中に入れる。
薬草を入れた箱は、アトナフ婦人の元へ駆けていった。
「ひ~、ふ~、み~………まぁ! 半分の生徒さんが薬草をちゃんと正しく採取して来れたようね! 偉いわ~! 薬草をちゃんと採ってこれた生徒さんは合格です~。そうでない生徒さんは、残念だけれど、また採集場に行ってくださいね~」
夏が近づけば近づくほど、採集場に住み着く昆虫系モンスターの勢力は増していく。
来週の採集場は、より手強いダンジョンと化しているだろう。ここで合格できなかった生徒達が負のスパイラルに陥る可能性は高かった。
「―――霊薬なんて、バカバカしい」
捨て台詞のように、マーレがつぶやいた。
「あら、負け犬が嫉妬して吠えてますわね?」
しかしそれを、地獄耳のリーチヒルトが拾ってしまう。
二人の真ん中に座るエミカーシュは、背骨に凍った針をまっすぐ差し込まれたような気分になった。
「……。安い挑発だわ」
「ふふふ、今日のワンちゃんはよく吠えますわ~」
バキッ…と、マーレの手にあった羽ペンが折れて真っ二つになった。横に二つになったわけじゃない。縦に真っ二つになった。何か尋常ならざる力が働いたのだろう。
「なんでしたら薬草採取のコツを、天才令嬢であるこの私が、教えて差し上げてよろしくてよ?」
「バカ令嬢が、偉そうに」
「なァ!? 誰が馬鹿ですって!?」
「下僕がいなきゃ何も出来ないくせに」
あ、ボクってやっぱり世間的にはそういう評価になってるんだ…と、間に挟まれたエミカーシュは思った。
「エミさんは下僕ではございません! 大切なお友達ですわ!」
「どっちも同じでしょ」
「違いますわ!」
苛立ちと共に席を立つリーチヒルト、何とか宥めようとエミカーシュが口を開こうとするが、先にアトナフ婦人が仲裁に入った。
「はいはい~、そこまで。お二人ともとても素晴らしい薬草を採取して来られたんですもの、喧嘩しないで」
「え?」
「は?」
そんなまさか、という顔をするリーチヒルトとマーレの二人。
「優秀な生徒さんが多くて、先生、とっても楽しいわ~。さ、今日は薬草採取のコツのおさらいから入りましょうか~」
そうして、授業は始まった。
寸でのところで二人の喧嘩は有耶無耶になったが、代わりに授業中、二人の視線がエミカーシュに刺さり続けることになった。
□ ■ □ ■ □
「どういうことですのー!?」
「どういうことなの?」
授業が終わるなり、両サイドから詰められるエミカーシュ。
誰か助けてくれないかと、去りゆく生徒たちに視線を向けても、誰も彼もが目を逸した。援護の望みはない。
「ど、どうもこうも…。一房、余計に採れたから、勿体ないと思って空箱に入れた、それだけだよ」
「干して取っておけばよかったのではありませんの!?」
「私は、別に薬草が分からないから採ってこなかったわけじゃないのよ」
眉を顰め、顔を紅潮させながら、マーレが言う。
「そもそも霊薬の授業なんて、くだらないのよ。前時代的な学問なの。あれは私の意思表示だったのよ」
「エミさん、こんな形で恩を売っても、真の絆には成り得ませんわ! 付け上がった相手に利用されるのがオチですわ!」
「言っておくけれど、私は恩ともなんとも思ってないわよ。貴方が勝手にしたことなんですからね」
「ほら! 増長させるだけなんですのよ!」
「キャンキャン、うるさいわね…!」
「なんですって!? 虫が怖くて採取場まで行けないくせに!」
「なッ!?」
図星を見事に貫かれ、マーレは目を丸くした。
「ん…?」
だが、射抜いた本人は、首をかしげる。
「え、あれ…? 貴女、虫が怖いんですの…?」
「………」
マーレはさらに顔を真赤にさせて、押し黙ってしまう。
絶対殺す、と言いたげな視線を、リーチヒルトに向けていた。
このままではいつかの二の舞いになると危惧したエミカーシュは、意を決して口を開いた。
「―――ごめん、白状するよ。確かにボクは、マーレに恩を売ろうと思って薬草を箱に入れたんだ。でも、リトは言ってたよね、チームワークだって。人と人とが力を合わせれば困難を乗り越えられるって」
「うっ…た、確かに、そうは言いましたが……」
「ボクは、マーレの力を借りたいんだ。実践演習のときに、彼女の力を借りられれば心強いから」
次に、エミカーシュはマーレを見た。
「マーレ。君が万能でないのなら、足りない部分を僕らが力を貸すよ。だから、僕らが困っていたら力を貸して欲しいんだ」
「……イヤよ」
「なら、イヤと言えなくなるまで、君に恩を押し付ける事にするよ」
「なんでよ…」
「それは、力を貸して欲しい―――」
「アンタも、結局そうなんじゃない」
―――他の連中と同じだ。そうマーレがそう言い切る前に、エミカーシュは言葉を被せる。
「――――っていうのもある。けれど友達にもなりたい。だって、ボクらはいつも、この最前列に座っているんだから。仲良くできれば、きっと楽しい。君は独りでいいだなんて言ってたけれど、ボクはそう思ってない。頼もしい仲間がいっぱい欲しいよ」
「………私がなんて呼ばれてるか、知ってるでしょ?」
青の災厄。
青とは、その髪の色にちなんで名付けられたもの。
強大な魔法を生まれながらに操ることのできる特異な子供。
この魔法学院に来る前、彼女はこの力で、自分の生まれた街を破壊し尽くした。
故に、災厄と呼ばれ、疎まれ、ここへ閉じ込められることになった。
「私に関わると、碌なことにならないわよ」
「なら逆に聞くけど、君は、ボクがなんと呼ばれているか、知ってる?」
エミカーシュは微笑んだ。
そんなこと、誰も知らなかった。
「ボクと関わると、碌なことにならないんだ」
オウム返しにそう言って、エミカーシュは席を立った。
「さて、そろそろ夕食の時間だ。皆で食堂に行かない?」
「ま、待ちなさい!」
リーチヒルトは、エミカーシュのローブの裾を摘んだ。
「わ、私、私も――…エミさんの異名を存じません…。けど! 碌なことだなんて、思ってませんわ! お友達だと思ってますわ! エミさんがたとえ何者であろうとも、我が家名に誓って、見捨てたりしません!」
「え、あ、いや、リト、今のは言葉の綾で―――」
「それに、エミさんが、マーレとお友達になりたいというのなら……私も―――その……お友達ですわ。少し、気に入りませんけれど…」
リーチヒルトはマーレに向き直った。
「今日、貴女へ向けた侮辱の全てを謝罪します。ごめんなさい。エミさんのお友達であるならば、私も貴女のお友達になりますわ」
「………なんでよ。なんでそうなるのよ。アンタ達、バカなの?」
「マーレの魔法が凄いのは確かですわ! 頼もしい仲間ですわ! けど、霊薬製作ではぜっっっったいに私の方が上なので、あまり人をバカだバカだと言わないほうがいいと、友人として忠告させていただきますわね!」
「あ、あはは…。じゃあそこは、バカも天才も、紙一重ってことで」
苦笑交じりにそう言って、エミカーシュは食堂に歩いていく。
フンっと鼻を鳴らして、リーチヒルトも大股歩きでエミカーシュを追いかけていった。
「………。ちょっと!? 何かいい感じのことを言ってまとめたつもり!? そんなの、私には通用しないわよ。ねぇ、ちょっと、聞いてるの?」
一拍遅れて、マーレも二人の後を追いかけていった。
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