第四話 そんな、まさか、あまりにも雑魚すぎませんこと…?

 この奇妙な同盟は、円滑とは言えないものの、エミカーシュの思った通りに活用が始まった。

 事あるごとに、三人は力を合わせ、課題に取り組むようになったのである。


「こっちにはありませんでしたわ!」

「どうして私がこんなことをしなくちゃいけないのよ…」


 イラつきながら青髪を掻くマーレは、巨大魔導書館のハシゴの天辺で、目的の本を探している。

 魔法基礎理論の授業の一環で、生徒たちは指定された魔導書を探し出し、それに関するレポートを書くよう指定されたのだ。


「マーレ、そっちにはありましたの!?」

「見てわかるでしょ! いま探して―――わっ!?」


 と、地上のリーチヒルトに振り向いて言った直後、不安定なハシゴがぐらりと揺れた。

 慌てて、リーチヒルトとエミカーシュがハシゴを支える。


「エミ、ちゃんと支えなさいよ!」

「ハシゴの天辺で暴れたら、バランスを崩しちゃうよ…」

「…うるさい!」


 何とか安定したハシゴの上で、次の書棚を探そうと身を乗り出したところで、マーレの眼の前に、小さな黒い蜘蛛が降りてきた。


「きゃあああああああああ!!!」


 マーレが叫び、ハシゴの上だというのに書棚を蹴って飛び退く。


「何してるんですのー!?」


 ハシゴを支えるリーチヒルトとエミカーシュの真上にマーレが落ちてきて、避ける間もなく二人は下敷きになった。


「もうイヤ!」

「嘆くのはボクらの上から降りてからにしてくれる…?」

「魔導書館が虫だらけだなんて聞いてない! 私、もう帰る!」

「ここで帰ってしまったら、レポートはどうする気なんですの!?」

「…な、なんとか、適当にやるわ!」

「参考書もないのにレポートが書けるわけないでしょ…」


 マーレの下から抜け出したエミカーシュは、強く打った背中をさすりながら、近くの長机の席に落ち着いた。


「…やっぱり人海戦術で探すのは、無理だ。別の手を考えよう」

「別の手?」

「うん、冷静になって考えてみようよ。この魔導書館には司書も居ないし、書架案内もない。なら、ボクら以外の人はどうやって魔導書を検索しているんだ?」


 エミカーシュは魔導書館を見渡す。

 それぞれの書棚の高さは5mを越えているだろうか。それらが、まるで巨人の墓標のように均等に並んでいる。

 霊火の青い光で彩られた魔導書館は暗く、そして冷たい闇は何を覆い隠しているのか分からない底知れなさを孕んでいた。


「何か法則があるはずだ。あるいは、本を探すための仕掛けが」

「もう指定された書架の本じゃなくて、適当な本でレポートを書けばいいじゃない…」

「そんなのダメですわ! 先生が課して下さった課題ですもの!」

「うるさい、バカ令嬢」

「バカじゃないですわ! 天才令嬢ですのよ!」

「ああ、そう! なら、天才令嬢様、この虫だらけの魔導書館から私の探す本を見つけてきてくださるかしら?」

「受けて立ってやりますわ!」


 受け言葉に買い言葉。感情の赴くままに、リーチヒルトはマーレの言葉を高く買い、魔導書館の埃臭い床の上から立ち上がると、顎に手を当て、何やら考え始めた。


「エミさんの言う通り、何か仕掛けがあると、私も思いますわ」

「うん」

「そして、ここは魔法学院―――ならば当然、魔法系統の仕掛けですわね」

「う、うん」

「私のお屋敷にも、魔法の侵入者避け等の仕掛けが沢山施されていますの。それと同じだとすれば、破り方も同じのはずですわ」

「う……ん? 破り方…?」


 急に物騒になってきた。


「隠蔽魔法や感知魔法の核となっている魔印―――これを破壊するしかありませんわね! よし、火を放ちましょう!」

「待って!? 燃やすのはまずいよ!?」


 ここが貴重な魔導書を保管する魔導書館だという考えが抜けている!


「しかしエミさん、そうでもしませんと魔法を破れませんわ…?」

「魔法を破るんじゃなくて、謎を解くんだよ! 魔法的な仕掛けがあるっていう仮説まではいいんだ、あとは、どうやってその仕掛けを発動させるかだと思うんだ!」

「あ」


 そこまで言われて、リーチヒルトは何かを思いついた。


「もしかして―――魔力を、流す?」

「そう! そうだと思う! けど、何に流せばいいのかわからない」

「それなら、蜘蛛ではありませんの?」

「え、蜘蛛?」

「蜘蛛の話をするな!」


 全身に鳥肌を立たせてマーレが抗議する。


「蜘蛛って?」

「さきほど、マーレさんは蜘蛛に驚いてハシゴから落ちたんですのよ。ね?」

「う、うるさい…」

「こんなに暗いのに、リト、よく見えたね…」

「ふふん! 私、天才でしてよ?」

「単に目がいいだけでしょ…」

「でも、どうして蜘蛛だと思うの、リト?」

「ええ。おそらく、使い魔なのですわ」


 使い魔は魔術師が魔力を練って作り出す魔法生物だ。

 リーチヒルトは、あの一瞬で見えた蜘蛛が魔法生物だと見抜いたというのか。


「物は試しですわ。蜘蛛さん、蜘蛛さん、本を探してくださいますか?」


 リーチヒルトは、右手に魔力を走らせる。

 すると、先程見かけた小さな蜘蛛が、手のひらにぴょん、と飛び乗った。

 そして、その目をチカチカと霊火と同じ青に光らせる。

 それと同時に、魔導書館をどんよりと覆っていた闇が、夜空の星のように、幾重にもチカチカと瞬き始めた。

 そうだ。彼らが闇だと思っていたのは、暗闇ではない。

 その全てがリーチヒルトの手にのる蜘蛛と同じ、真っ黒な蜘蛛の使い魔だったのである。

 バタン。と、リーチヒルトの傍らで何かが倒れた音がした。

 見れば、マーレが気絶している。


「……。そんな、まさか、あまりにも雑魚すぎませんこと…?」

「いや、流石にこれは苦手な人の気持ちがわかるよ」


 魔導書館のの使い方は分かった。本探しは蜘蛛達に任せるとして、エミカーシュはとりあえず、マーレを背負って魔導書館から脱出することにした。

 ここに彼女を置いておくのは、あまりにも気の毒だったから。

 


□ ■ □ ■ □



 魔導学院での生活が始まって、ニヶ月になろうとしていた。

 最初はどうなるかと思った学院での生活だが、思ったよりも順調だった。

 リーチヒルトは天才というには少し―――いや、かなり低い水準であるものの、真面目で、素直な少女であった。貴族特有の傲慢さも薄い。

 マーレも、途方もない魔法を扱うことができるものの、それは万能ではなかった。彼女は昆虫を目の前にすると恐怖で動けなくなってしまうし、捜し物や、考え事は苦手だった。

 少し変わっていたけれど、二人ともエミカーシュの良い友人となっていた。


 そんなエミカーシュは、最近、少しだけ考えることがある。


 それは、リーチヒルトのことだった。


 魔導書館から出てすぐ、木陰になっているベンチにマーレを運んで優しく寝かせたエミカーシュは、振り向いて魔導書館の重厚な扉に視線を送った。


 侯爵令嬢であると感じさせない、別け隔てのない器質もそうだが、彼女は時折異常にことがあった。

 例えば、薬草探しの時、エミカーシュが薬草の特徴を掴んでいるとはわからないはず。

 マーレを友人と呼んだあの日も、彼女が昆虫嫌いだとは知らなかったはず。

 今日も、魔法の仕掛けの鍵が、蜘蛛だというヒントはなかったはず。

 だというのに、そのどちらも、彼女は見抜いた。

 そして、彼女自身それを何故見抜けたのか理由を分かっていない。

 彼女は知らず知らずのうちに正解を引き当てているのだ。

 エミカーシュの知る中で、大きな”正解”はこれで3回目だが、彼女と過ごす2ヶ月の中で、小さな正解は幾つもあった。

 雨が振りそうだといえば雨が降り、食堂のメニューがシチューだと言えば、その日は確かにシチューだった。

 偶然にしては、多すぎる。

 彼女には、他の人にはない何かがある。

 マーレと同じく、彼女も特異者であるというのか―――…


「うっ……は!? 蜘蛛!? 蜘蛛は…!?」

「マーレ、よかった。気がついたんだ」

「蜘蛛! 蜘蛛はいない…!?」

「いないよ。身体にもついてないよ」

「………はぁ」


 マーレは身体を起こした。それでも念のため、蜘蛛がローブのどこかに隠れていないか入念にチェックし、それでも居ないと確認できた彼女は、大きなため息を吐いて項垂れた。


「このこと、他のやつに話したら、エミ、アンタのこと許さないから」

「わかったよ。あ、リーチヒルトはボクと一緒にマーレの醜態を見ちゃってるけど、それはいいよね?」

「あ~…くそ、あいつには、弱みをみせたくなかったわ…」

「あはは…」


 青髪を掻き毟るマーレの様子に苦笑するエミカーシュ。


「魔導書館の秘密もわかったし、マーレの分の本はボクが探してくるよ」

「……癪だけど、あいつに恩を作るよりマシね」

 

 そうして二人は、リーチヒルトが本を探し当てて出てくるのを待った。

 木陰のベンチは、徐々に強まりを見せる日差しを柔らかく遮り、そよいで来る風は、魔導書館の埃臭さを拭ってくれた。

 なんとも良い心地の日だった。こんな日は、昼寝でもして過ごしたいと思うほどに。


「ねぇ」


 魔導学院の庭をぼーっとながめていたエミカーシュに、珍しくマーレから声をかけてきた。


「エミは、どうしてこの学院に来たの?」

「立派な魔法使いになりたいから、だけど」

「違う、そうじゃないわ。だってアンタ、本当に才能がないじゃない」


 抜き身の刃のようなマーレの言葉に、エミカーシュは傷ついた。


「事実でしょ?」

「ま、まぁ、そうかも―――いや、そんなこと、ないけれど…」

「なら、試しにリーチヒルトの使った土属性の初歩魔法をやってみなさいよ」

「………」


 エミカーシュは困った顔をした。

 できないのだ。


「ほらね」

「練習はしてるよ…」

「私達の学年じゃ、あれくらいの魔法なんてみんな使えるのに、アンタは初歩の魔法も満足に撃てないんだわ。だからあの日、私と組もうと思ったのね」

「お見通しか」

「そんなアンタが、どうしてこの魔法学院に入れたの?」


 誰もが、この学院に入れるわけではない。

 権力を持つ貴族や、コネをもつ商人、特別な才能を持つもの。

 そういった”何か”がなければ、この学院の敷居を跨ぐことさえもできない。

 貴族の子でも、特別な才能を持つわけでもないとすれば、彼は―――…


「ボクにもよく分からないんだ…」

「はぁ?」

「ボクの家は、その、貧しくて、帝都でも一番外縁にあるんだ。そこに、学院長先生が急にやって来てさ、魔術師になってみないかって言われた。それでこの古いローブと教科書一式を渡されたんだ。来月迎えに来るからって言われて。それで―――待ってたら、本当に迎えが来て―――…」

「――――なら…アンタにも、何か特別な才能があるってわけ?」

「分からない」


 エミカーシュが今まで生きていて、その特別な才能が片鱗を見せたことなど一度もなかった。


「……ふうん。ひょっとしたら、私と同じなんじゃないかとも思ったけど―――違うのね。残念だわ」

「ごめんね」

「別に、謝ることじゃないわ…」


 しかし、マーレの期待が裏切られたことは間違いない。

 彼女は、自分と友達になりたいと言ったこの少年もまた、自分と同じ境遇であることを期待していた。

 特別な才能を持ち、それを疎まれたがゆえに、この学院に押し込まれたのではないか、と。

 だけど、違った。

 エミカーシュは本当に、魔術師になりたいだけの少年だった。


「変なこと訊いて悪かったわ。忘れて頂戴」

「うん」

「それにしても、リーチヒルトのバカは、遅いわね。何やってるのかしら」


 あの蜘蛛が使い魔の司書だというのなら、とっくに本を探し当てていいはずだった。


「見てくるよ。マーレはここにいて。あ、ついでに本を探してくるね」

「………頼んだわ」


 マーレから先生に指定された書籍のメモを受け取り、エミカーシュは魔導書館の扉を潜った。


「リト、本は見つかっ――――…」


 中に入り、リーチヒルトに声をかけようとした。しかし、その言葉が、止まる。

 止めざる得なかった。


「エミさん! 来てはダメですわ!」

「―――…」


 そこには、リーチヒルトが二人立っていた。

 



 

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