第10話 研ぎ
研ぎに必要な道具。一番は何を置いても、砥石である。
ハッサに売った人工砥石はこの場になかったが、代わりにマコトが目を付けたのは、鉄材と取り違えられてしまった石材だった。石細工をクラフトするための材料であるそれは、きっちり長方形のブロック形で、物によって違いはあるがどれも表面が水面のように平らになっていた。ムラなくきめ細かな石肌は、金属に傷を付けないで磨くのに持って来いだ。
「それから、砥石が動かないようにする台みたいなのがあるといいんですけど」
「だったら、俺に任せろ」
そう言ったのはハッサで、彼はシーリャの作業台に手をかざす。するとクラフトの光が放たれて、石机にブロックがぴったり納まるサイズのくぼみが作られた。
「俺はシーリャほどの才能こそないが、こういう単純なのを数字通りの大きなで作るのは得意でな」
「ありがとうございます。……あとは、僕の仕事だ」
礼を言って、マコトは作業台の前に座ると、ブロックを一つ選んでくぼみに嵌めた。
深呼吸。
手を合わせ、祈るようにして精神統一。
思い浮かぶのは、憧れの砥ぎ師である祖父の姿だ。
『受けた仕事と恩は、かならず返すんだよ』
「……うん、じいちゃん」
つぶやいて、取りかかる。
たった一晩で何ヶ月も放っておいたかのようにサビてしまった包丁を、水で濡らした砥石に当てて上下にこすってやる。
まず変化が起こるのは、水だ。透明だった水が、石の上で赤黒く濁ってきた。濡れた石と鉄が表面を削り合うことで泥水が生まれるのだ。
泥水に滑らせるように研いでいくと、サビが落ちるにしたがって感触が変わってくるので、頃合いを見計らって、刃物とから切先へと砥石に当てる部分をズラす。石ブロックの幅が狭くて、包丁全体を一度には研げないためだ。
この時、砥石に刃を当てる角度が変わってしまうと、出来上がりがガタガタになってしまうので、気を付けなければならない。
……だけど、今の角度でいいんだろうか?
不安がよぎるが、それで手元を狂わせては意味がない。祖父から教わったことを信じて一心不乱に研ぎ進め、どれくらい時間が経ったか。両面のサビを落としきって我に返ると、だいぶ太陽の位置が変わってしまっていた。
「ウサギ、ひと段落ついたなら、飯にするかい?」
「……ううん。コンクールが始まるの、もうすぐでしょ」
休憩をすすめられても構わず。包丁を光に当ててみる。角度がブレていないか、研ぎ位置をズラした拍子にどこか歪んでいないかを確認…………――良し。ここまでは成功だ。だが、サビこそ残っていないものの細かい傷がたくさんついてしまっている。まだまだ研ぎは不十分だ。
砥石を、キメ細かいものと交換。
スベスベした砥石は大きく研ぐことはできないが、その分小さな傷を取ることができた。ただし手応えもまた小さいので、うっかりやりすぎてしまわないよう何度も包丁の状態を確かめながら進めていく。
全体を研いだら、さらにキメ細かい砥石と換えて研ぎ直す。マコトは汗だくになりながら、それを三周も繰り返した。
「すごいな。もう傷ひとつ残っていないぞ!}
ハッサが歓声を上げる。
たしかに、包丁は目で見てわかるような瑕疵はすべて取り払われていた。しかし、シーリャとマコトは首を横に振る。
「悪いけど、これじゃ……」
「シーリさんの包丁は、もっとスゴイよ」
納得はしない。まだ最後の仕上げが必要だ。
「ハッサさん。頼んでた物は出来てますか?」
「ああ。石材を砕いておいたぞ。できる限り細かくしておいた」
「ありがとうございます。……今から、絶対に話しかけないでくださいね」
用意してもらったのは、砥石を砕いた粉だ。マコトはこれを適量、刃金に乗せていき深く深く呼吸して集中を整えてから――自分の指で磨き始めた。
それは言葉にするほど簡単なことではなかった。何時間もかけて研ぎ澄まされた包丁は、恐ろしい切れ味になっている。刃に直接さわろうものなら、スッパリ切れてしまってもおかしくないのだ。
……もし指を切ってしまったら。それだけならまだしも、血で包丁を汚してしまったら。
神経が凍りつくような緊張に襲われながら、繊細の限りをつくして指先を滑らせていく。
すると、どうだろう。磨いたところから少しずつ、空が晴れるように曇りが取れて、刃金が輝きだしたではないか。
「っ!?」
誰かが息を飲むのが聞こえた。シーリャだろうか、と頭の片隅で思いながら、マコトはおもむろに指を止めた。
きれいな水で泥を洗い流し、柔らかい布で拭う。
「はあ……はあ……終わり、ました……」
差し出した包丁を、シーリャは信じられないような表情で受け取った。泣き顔とも笑顔ともつかない複雑な色を浮かべ、唇を震わせて、
「******」
「……え?」
なんて言った?
マコトを訊き返そうとして、ふいに気づく。
体が動かない。
何も聞こえない。
真っ暗闇だ。
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