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「彼らは、妖なんだ。この世には、妖の世へと続く境界がある、それが鈴鳴川すずなりがわ。僕ら以外にも、知られてないだけで妖は人の世にも居るんだ。もしかしたら、一緒の職場で働いてる事もあるかもね。

僕は人の世に生まれた神だけど、このアパートに暮らす者は皆、妖の世からやって来た…ちょっと訳あり者の集まりなんだ。

もし、火の玉騒動の犯人が僕達だと、その誤解が信じられたりしたら、彼らは妖の世へと戻される。このアパートも取り壊されるかもしれない」


穏やかに話し始めた春風はるかぜに、なずなも少し心を落ち着けて耳を傾けていた。まるで現実とは思えない話だったが、春風の真剣な眼差しを見ていたら、真っ向から否定が出来なかった。疑うにも、まず話を聞いてからでも良いのかもしれないと、なずなは戸惑いながら口を開いた。


「…どうしてですか?」

「人の世で騒ぎを起こせば、妖の存在を人に知られてしまうかもしれない。もし知られたら、人は妖を放っておかないでしょ?正体を暴こうとするかもしれない、そうしたら、妖は人の世では暮らせない。ここに居る彼らどころか、人の世で平和に暮らしている他の妖まで、妖の世に帰らないといけなくなる。だから騒ぎを起こす妖には、人の世で生きる妖達は恐怖を感じてるんだ。

そして僕達は、火の玉騒動の犯人じゃないかと疑いを掛けられてる。僕達はその疑いを払拭させなくてはいけない。僕達は人の世で騒ぎを起こそうとは考えていない。ただ、人の世の片隅で、ひっそり暮らしていけたら良いだけなんだ。

その為には、火の玉の犯人は僕達が捕まえないと。でも、それだけじゃ一度掛けられた疑いは消えない。僕達が人間と交流を持っていると、アピールもしなくてはいけない。

人の世で暮らす妖にとって、自分達は安全だとアピールする役目を、君に担って貰いたいんだ」


春風はカップをテーブルに戻すと、満面の笑みでなずなを見つめた。

理由は分かったが、彼らに一体何をさせられるのか想像がつかず、なずなはたじろいだ。


「…ど、どういう、」

「簡単な事だ、君には僕らの友達になってほしいんだ」

「…友、達」


友達という言葉が、ここまで身に染みてこないのは初めてだった。


「あらぁ、素敵な響きね」


不意に甘ったるい女性の声が聞こえ、戸惑いの渦中にあるなずなは、再びびくりと肩を震わせた。ひた、ひた、と音のする方を振り返ると、いつの間にか側に女性が立っていた、マリンだ。その美しさと溢れる色香に、同じ女性ながら思わず見惚れてしまった。


「可愛い子じゃない、私は賛成。女の子の話し相手が出来て嬉しいわ」


そっと美しい指先で顎を掬われ微笑まれ、なずなは思わずドキリとした。新たな扉を開いてしまいそうだったが、ふと、マリンの髪の一部が透けている事に気づいた。


「…その髪、」

「ふざけんじゃねぇ!」


そこへ、今度は怒鳴り声が響き、なずなは更に身を竦ませた。


「俺は人間と馴れ合うつもりはねぇぞ!それも女なんか!何連れてきてるんだ、さっさと追い出せ!」


そう怒鳴るのは、ギンジだ。彼は怒り任せになずなに歩み寄ると、その腕を取って強引に立ち上がらせた。ギンジの大きな手は、まるで腕を握り潰さんとばかりの強さで掴むので、なずなは思わぬ痛みに顔を顰めた。


「痛、」

「ギンジさん、乱暴はやめて下さい!」


すかさずフウカが止めに入ろうとすると、ギンジは空いた片腕でフウカの胸を突き飛ばした。


「え…」


その腕を見て、なずなは自分の目を疑った。

フウカを突き飛ばしたギンジの腕は、人の物ではなかった。

人であるギンジの体とは不釣り合いな、大きな獣の腕。銀色の硬そうな毛が棘のように生えた太い腕の先に、ギラと鋭い爪が光っていた。


「な、」


振り返ったギンジの目はつり上がり、まるで獣そのものだ。震えるなずなを前に、その姿は更に変化していく。なずなを掴む腕も、むくむくと巨大化し、なずなの細腕など、簡単に握り潰されてしまいそうだ。凶暴な爪がなずなを睨みつけ、這い上がる恐怖に、なずなは息を呑んだ。


「そうやって、人間はいつも俺を化け物扱いする」


ギンジの顔も、みるみる内に狼のそれとなり、大きな口が開くと、ギラリと鈍く光る大きな牙が見えた。


「人間の力なんか、誰が借りるか…!」

「や、」


恐怖に体が震え、逃げようにも腕を掴まれているので逃げられない。何より、足が竦んで動けない。

固まるなずなに、その頭より大きな拳が振りかざされ、なずなは成す術なく、恐怖から目を固く瞑った。

殴られる、そう思ったが、風がふわっと顔に当たっただけで、その拳がなずなに当たる事はなかった。


「ダメよ、ギンちゃん。そうやって自分から線を引こうとするんだから」


穏やかな声に、なずなは恐る恐る目を開けた。振りかざされた拳は、あろう事かマリンの肩にめり込んでいた。


「え、」


しかし、マリンに痛がる様子もなければ、血が流れる様子もない。逆に、拳を振りかざしたギンジの方が、焦りを滲ませていた。

マリンの体からは、まるで湧水のように水が溢れ出し、肩にめり込んだギンジの腕へ水が伝っていく。その水は徐々にマリンの体からギンジの体へと流れ移り、なずなの前に居た筈のマリンは、気づけばギンジの肩に腕を回す形で、彼の背後に立っていた。


「それに、女の子に手を上げるなんて、もっての他よ」


マリンの体から発生した水は、更にギンジの体を這い上がり、ギンジの大きな口を塞いでしまう。


「どんな拳も私には効かないわ、私は水だから。このままあなたの息を止める事も出来るのよ」


囁き声は怪しく、ギンジを見上げる瞳は鋭い、標的になっていないなずなまで身震いした。彼女に服従しなくてはと、言い表せない圧を感じた。

水で覆われたギンジの口からは、空気の泡が零れ出ている、このまま水に覆われ続けたら、ギンジは窒息してしまう。


「マ、マリンさん!」


焦るフウカの声に、マリンは肩を竦めて微笑むと、ギンジの口や体に這わせた水は、マリンの体へと戻っていった。ギンジは膝をつきさえしないが、大きく息を吸って咳き込んだ。


「私があなた達に手を掛ける事はないわ、ギンちゃんが身を引いてくれるならね。それに、人に手を上げたりしたら、あなた強制送還になるわよ」

「…分かった、悪かったよ」


ギンジにしてみれば、首にナイフを突き付けられているようなものだろう。大人しく身を引いたギンジは、人の姿へと戻っていく。満足したマリンは、ニコニコとギンジの肩に手を乗せているが、ギンジの顔は引きつったままだ。

その様子に、扇子を広げかけた春風もほっとした様子で、なずなへと目を向けた。


「という訳で、お嬢さん」


春風と目を合わせたのが、なずなが気力を保っていられる限界だった。


「お嬢さん!?」


なずなは、その場で気を失った。



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