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すっかり陽が落ち、辺りは暗くなっていた。

手紙の住所の場所に向かったが、やはり住所は見つからなかった。曾祖母のヤヱが若かった時に暮らしていた場所だ、もしかしたら、区画整理等があって住所が変わったのかもしれない。そうでなくても、十年前はただの畑だった場所が、大きなマンションに変わっていたりする。時が変われば人は流れる。この住所に間違いがなくても、何十年も前のものがそこに変わらずあるとは限らない。

空き地の周辺を見渡しても、新しそうな一軒家やアパートばかりだ。


「…あ」


いや、一軒だけ古びた建物が見える。あの、メゾン・ド・モナコだ。なずなは高い生け垣の向こうに見える、建物に目を向けた。

生け垣沿いに歩き、入り口を目指す。

生け垣の隙間から中を覗くと、広そうな庭が見える。初見では、なずなもここがアパートだとは思わなかった。随分寂れた洋館だな、と思う傍ら、少し身震いした。

とても静かだ。夜のせいかもしれないが、そうだとしても、何となくここだけ空気が違う気がする。まるで幽霊屋敷みたいだ。


ここに、人は住んでいるのか、だとしたらどんな人だろう。


入り口のアーチが見えてきた頃、ふと前方から光を感じ、なずなは洋館を見上げていた視線を正面に向けた。

道の両側は、アパートや家がズラリと並ぶ一本道だ。その中央で、ゆらゆら揺れて動く灯りがあった。道の端には街灯が明かりを灯している。目の前に見えるオレンジの灯りは、それとは明らかに違う。


まるで火の玉だ。


そこで、今世間を賑わせているニュースを思い出した。まさしく、火の玉が突然目の前に現れる、というものだった。初めは作り話だと言われていたが、それが多くの人が自分も見たと名乗り始めると、毎日のように火の玉の目撃情報がネットやテレビで取り上げられていた。それも短期間に、この町を中心として。

あまりに多いので、一周回って本当にそれは怪奇現象なのかと再び疑いが向けられていたが、それがいざ目の前に現れれば、疑いようもなく火の玉で、なずなは腰を抜かしそうになる。

ここは道の真ん中、火の玉を吊るす糸も、これが映像や光の演出と思われる仕掛けも見当たらない。


「…え、」


そしてそれは、なずな目掛けて飛んできた。


「キャア!」


一つだった火の玉は、いつの間にか五つに増え、それが勢いよく飛んでくる。なずなは思わず悲鳴を上げ、逃げようとした足が縺れ、尻餅をついてしまった。一気に目の前に迫る火の玉、なずなは恐怖に、ぎゅっと目を閉じた。


「やめろ!」


閉じた瞼の向こう、突然聞こえた声に驚いて顔を上げると、なずなの前に男の背中があった。

男は、一歩踏み出そうとした足をその場に止めた。何が起こってるんだと、なずなは訳が分からないまま固まっていると、男は小さく肩を落として振り返った。その背後を覗くが、なずなが驚いてるその僅かな間に、火の玉は消えてしまったようだった。


「大丈夫ですか?」


そして、なずなの前に飛び出してきた彼が、フウカだった。火の玉から守ってくれたこの瞬間が、フウカとなずなの出会いだ。


「は、はい、ありがとうございます」


爽やかな容姿の青年に、思わずどきりとしたのを覚えている。なずなは、差し出された手を借りて立ち上がった。尻餅をついていたのが、恥ずかしい。


「いえ、怪我がなくて良かったです」

「あの、今の火の玉ですよね、最近話題になってる…」

「…えぇ、恐らくは」


フウカは言いながら、火の玉が浮いていたであろう場所を見つめていた。何かあるのだろうかと、なずなも視線を向けようとした時、「姿を消したみたいだね」と、のんびりした声が聞こえた。春風はるかぜだ。彼はこの時も、後ろからのんびりとやって来て、それから、地面に落ちた手紙に目を留めた。


「…これはお嬢さんの物ですか?」


なずなは、はっとした様子で春風に駆け寄った。恐らく、火の玉に驚いた時に、手から落としてしまったのだろう。


「私の物です。すみません、ありがとうございます」


これを失くしては大変だ。ほっと安堵してなずなが顔を上げると、春風は暫しその顔を見つめていたが、その内、にこりと微笑みかけた。


「随分、古い手紙のようですね」

「…はい、祖母から預かった物なんですけど、この宛名の住所を探しているんですが見つからなくて」

「おばあさんが出す筈だった手紙ですか?」

「えっと、祖母が曾祖母から預かった手紙なんですが、出したら戻ってきちゃったそうで。手紙を相手に渡せなかったのが心残りだって…祖母も元気がなくて。だから、親族の方にでも渡せたらいいなと思ってるんですが」


なずなが苦笑えば、フウカは心配そうな、戸惑った様子で声を掛けた。


「それなら見つけてあげたいですね…でもこの住所…」

「実は僕達、そこのアパートの住人なんですよ、よろしければ中でお話しませんか?」


フウカの言葉を遮り、春風はなずなににこりと微笑みかけた。きょとんとするなずなに、「初対面で何言ってるんですか」とフウカが焦った様子で窘める。


「僕は、君の力になれるかもしれない」

「え?」

「その代わり、君に協力して貰いたい事があるんだ」

「協力、ですか?」


にこりと微笑む春風に、フウカは訝しげな表情を浮かべ、なずなは再び、きょとんとして春風を見上げた。


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