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なずなは先日、夢を失った。


高校生の時から同級生と、“かめれおん”というガールズバンドを組んでおり、なずなはギターと作曲を行っていた。


インディーズで地道に活動し、ライブでは固定客もついてきた中、ボーカルの瑠依るいがレコード会社から声を掛けられた。デビューへの誘いだ。勿論メンバー全員喜んだが、その誘いは、瑠依のソロデビューというものだった。それがデビューする上での、レコード会社からの条件だった。


瑠衣は歌が上手くて可愛いし、何より華があった。なずな達も、その華やかさを頼りにしていた部分もある。けれど、曲はなずなが作っていたし、皆で苦楽を共にしてきた。一緒に戦ってきたと思っていたのだが、瑠衣は一人、デビューの道を選んだ。

相談の余地も無かった。「新しいボーカルを見つけてほしい」その一言で、バンドは呆気なく終わった。


簡単にメンバーの替えなんてきかない、何よりボーカルはバンドの顔だ。そして、自分達が瑠依とその歌に頼りきっていた事を、こんな時になってようやく気づいた。瑠依なしで這い上がれるほど、なずな達には力がなかった。


支えを失ったバンドは壊れ、ドラムの明里あかりは夢から覚めたと、故郷に戻る道を選んだ。

覚めたのは現実で、夢から無理矢理叩き起こされたという方が正しいのかもしれない。今まで頑張ってきたもの、積み上げてきたものが一瞬で崩れ落ちる。

情熱が覚めれば、残るのは空っぽの自分だけだった。




朝の上野駅。街に漂う空気は、太陽もまだ微睡み、少し肌寒い。

明里の見送りに行ったのは、なずなだけだった。瑠衣とは連絡が取れなかった。

あんなに同じ時間を過ごしていたのに、こんなにもすれ違ってしまうのか。夢に振られ、友人まで失ってしまった。自分に才能があれば、こんな事にはならなかったのだろうか。

なずなは東京生まれ、こんな時、気持ちを切り替えて帰れる故郷はない。


「なずなはどうするの」

「…分かんない、突然すぎて。家に帰ったら店を手伝わされるし、結婚はまだかーって、親にもお客さんにも言われそうだし」

「なずなんとこのお客さん、皆親戚みたいだもんね」


なずなの実家は定食屋だ。古くからのお客さんもついているので、家族構成から親子喧嘩の理由まで、何もかも筒抜けである。

それに、これを良い機会と捉え、母は徹底的になずなに料理の腕を叩き込もうとするだろうし、常連のお客さんに「結婚は、仕事は」と聞かれるのも、考えただけで溜め息が出そうだ。母も常連客も悪気はないのだが、未来がなくなった今、素知らぬ振りで傷を抉られる事には、耐えられそうもなかった。


「明里は?実家の旅館継ぐの?」

「うん、親からは、私の才能じゃ音楽でなんて食べていけないでしょって。もう潮時かなって」

「…そっか、じゃあ今度泊まりに行こうかな」

「はは、サービスしちゃう」

「やった」


笑い合っていれば、そろそろ電車が出る時間だ。また連絡すると言って、最後も笑って手を振った。せめて、別れ際くらい明るく努めなければ。そうでなければ、自分達が夢を追いかけてきた日々が、懸命だった自分達が報われないような気がした。


明里が改札口に呑まれ姿が見えなくなると、なずなはそっと肩を落とした。途端に身が軽くなった気がする、これは悪い意味でだ。

何もなくなってしまった。溜め息を蹴飛ばし、駅の人混みをすり抜ける。

一日はまだ始まったばかり、先を急ぐ人々と逆行して歩く自分は、世の中から取り残されたような気分だった。


これから、どう生きていこう。


バンドが解散した直後は、まだ自分は終わってないと思ったけれど、知り合いから聞いた話では、プロとして活躍していく瑠依の曲は、自分が作ったものとは大分テイストの違う、ダンスナンバーだった。改めて、自分の楽曲が評価されていない現実を突き付けられた。

皆、落ちこぼれな自分を笑ってるかもしれない。そう思えば、誰かと連絡を取り合う事も怖くて、そんな気持ちでいるから、友人達からも連絡は来なくなった。

友達も疎遠、恋人も居ない。

一人でぼんやりしていれば、世の中に自分は、果たして必要な存在なのだろうかと思えてくる。


苦しくて、考えてもよくない事ばかりで、でも生きていかなくてはいけなくて。

周りからしてみれば、何て事ないかもしれない、けれどなずなにとっては、音楽の道は人生最大のテーマだった。目指すべき道だった、その道が目の前まで来て途絶えた。

自信は満ち溢れていたわけではない、でも、不安だけじゃない、希望があった。しかし、その希望すら失った今、なずなはこの先をどう過ごしていけば良いのか、分からなくなっていた。


音楽の事ばかり考えていたから、それ以外の未来なんて必要無いと思っていたから、それ以外の生き方が分からない。

とにかくアルバイトを、と思ったら、勤めていた店は経費削減の為、人員を削るという。なずなは、その中の一人だった。


落ち込んでいてもお腹はすく。食べ物を買えばお金はなくなる、働かなきゃ家だって追い出される。

なのに、こんな時に限って新しい仕事も見つからない。落ち込んだ暗い気持ちが、先方にも見抜かれているのだろうか。


そんな時だ、母から電話がかかってきたのは。祖母が入院したと。


夢に振られた事を家族にも言えなかったのは、言えば実家の定食屋を手伝わされる事もあるが、まだ音楽を志した自分を、捨てきれなかったからかもしれない。








夕暮れの、空に広がる朱色の輝きが目に染みる。病院からの帰り道、手紙の住所がなずなの暮らす町と同じだったので、自宅のアパートを越えて、住所の場所まで足を伸ばしてみようと思った。

なずなの暮らす町は、東京の端にある小さな町で、駅前に大きな神社がある。神社は映画やドラマの舞台に使われる事もあり、ちょっとした観光スポットだ、なので駅前は割りと賑やかだが、駅周辺から少しでも外れれば、家々が敷き詰め合うだけの、何でもない普通の町だ。


電車を降り、なずなは手紙の住所に向かう足を止めた。

駅から見える参道を見て、お参りして行こうと思い立ち、神社へと向かった。

日中は、平日でもそこそこ人で賑わっているが、夕暮れを過ぎると、参道は閑散としていた。早めの店じまいに備える参道脇の店の様子を眺めつつ、神社に向かう。それでも、参拝客の姿はチラホラ見えた。

手水舎で手と口をゆすぎ、拝殿へ向かう。なずなは、ご縁がありますようにと、五円玉をお賽銭箱に入れ、けれど不安がよぎり、百円も追加で投げ入れた。

そして、仁礼二拍手、目を閉じ、そっと心の中で願いを唱えた。


“手紙の手がかりが見つかりますように”


「……」


“…私の未来も見つかりますように”


これも大事だ。なずなは一つ頷き、一礼して拝殿を後にする。



その姿を、拝殿脇から見つめている人物がいた事に、なずなが気づく筈もなかった。



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