開かれた選択(四)
食事を終えると、わたしは部屋に戻り、そこに恵人さんも一緒に来てくれて、彼に古いリュックサックを渡して持って行ってもらうことができた。だいぶボロボロになりつつあるそれを見た彼は、『物持ちがいいんだね』と少し感心していた。
その後、彼と別れて部屋に戻る。もう少しわたしが記憶を失う前の話も聞きたかったが、それはテレパシーででもコビーを通してでも聞けるし。
部屋に戻ると、まずはリュックサックの中に出していた荷物を入れる。前の物より少しだけ余裕ができる。毛布やタオルなどをしっかり畳んで背中に当たる部分に入れ、歯ブラシやカミソリ、ペンやメモ帳など細々とした物はポケットへ、化粧品や飴など食料は余った部分へ。
ジャケットは取り出しておいた。コートを脱ぎ、袖を通してみる。大きいとか小さいとかなく、丁度いい大きさ。今はちょっと生地が硬く感じるが、しばらく着ていれば柔らかくなるだろう。
そのままジャケットを着た状態で、ベッドに仰向けに転がる。
――これを着ているときは、コートを一枚はリュックサックに入れないといけないな。さすがにジャケットの上にコート二枚着るほどには、まだまだ寒くない。それはむしろ暑い。後で、コートを工夫して畳まないとな。
そこで思考が途切れる。白い天井を眺めているうちに自然と思い浮かぶのは、夕食時のこと。
恵人さんとの話で感じたのは、恵人さんたちがわたしをどう思っているのか。自分で思うのは少し照れ臭いけど、大事に思ってくれてはいるらしい。
けれど、わたしが知りたいのはそれとは逆のことだった。
つまり、わたしは彼らのことをどう思っていたか。
菊池さんが言っていた選択肢。今のまま旅を続けるか、力を得てみんなと一緒に戦うか。恵人さんの言っていた力を得て旅を続ける道もあるかもしれないが、それはちょっと都合が良過ぎるような気がして腰が引ける。
どちらの選択肢を選ぼうか。その判断材料のために、わたしは、かつてのわたしにとって仲間たちがどれほどの大きさだったのかが知りたかった。
自分がチームを作り、そこにやってきた仲間たち。どうやら来る者は拒まず、去る者は追わずだったらしいのでどこまで大切にしていたのかわからない。
――結局のところ、自分のことが一番わからない。というのはよく聞くので、そういうものなのかもしれないが。
なんだか哲学的だな。
とか考えている場合じゃない。……結局どうするの?
こんな焦るような時期じゃないかもしれないけれど、親切にされると親切にされるほど、こうしてわたしだけのんびりしていていいのか、という気になるのだ。
この気分、何かに似ていた。思い返すと、これは家族が出かけて事故死し、わたしだけ家でだらけていたと思っていたときの気分。きっと何もせずにいたら、あの頃と同じように悔やむんじゃないかな。
もし、恵人さんとか暁美さんが怪我をするなり、最悪亡くなるようなことがあったらどう思う? コビーがついているから、そういう最悪の事態にまではなかなかならないだろうけれど。
そんな考えが浮かんでは消え、結構選択肢のうち戦いに参加する方に傾いてきてはいるけれど、みんなを失いたくない気持ちはそんなに現実感がなかった。
だって、家族と過ごした長年の記憶はしっかり覚えているけれど、仲間たちと過ごした記憶はあまりない。まだまだ他人事のように思えるのだ。
もう少し何かを思い出せれば変わるのかもしれない。とりあえずのところ、今は考え疲れた。お腹いっぱい食べて、少し眠くなってきたし。
しかしちょっと生クリームとか、脂質の多いものを食べ過ぎたかもな……。
テレビをつけてなんとなしに見ながら、軽くストレッチをする。体重が変わっても〈飛行能力〉に変わりはないかもしれないが、やっぱり二〇代女性としては、少しは体形は気になるものだ。
少し汗をかいたところでテレビを消し、風呂に入って寝巻代わりのジャージに着替えてベッドへ。新聞のテレビ欄にニュースの記述があったので、また少しテレビをつけて見ていた。
相変わらず、偽人類の尻尾も見えないニュースばかり。偽人類も数が減ってきて、慎重になってきているのか。
スキルや能力を使うとコビーが感知するから、あまり使わなくなってきていると聞いた気がする。
まあ、この近くに偽人類がいたとしたら、わたしが捕まえたあの偽人類とも連絡を取り合っていただろうし、あの場にいたんじゃないかなと思わなくもない。
そのうち眠気が強くなってきて、テレビのスイッチを消し明かりも豆電球にして目を閉じた。
今夜もまた夢を見た。
なぜすぐに夢だと思ったかというと、この夢は多分、前にも一度見ているからだ。既視感のある光景。
周囲の騒がしさが耳に届く。そんな中、わたしは窓の向こうの風景を目にしていた。時間帯は夜で、街灯や窓の明かりに照らされる近くの道路を一台のバスと、それを追うようにバギーや何台かのバイクが追う。
バイクのエンジンの爆音が周囲の静寂を乱す。
――面倒くさい……そしてうるさい。
迷惑、の二文字がわたしの感情を支配している。だが、手を出す必要なく、しばらく待てばこの嵐が過ぎるというなら、それを待つのもいいだろう。
当面、何もすることなくただ見続けることにした。
わたしのいる廊下の向こうから、誰かがやってくる気配。恵人さんだ。彼はすぐそばまで来るが、わたしがとりあえずのところ動く様子がないと見ると、同じく窓の外の様子を眺めることにしたらしい。
外では逃げ場を失ったバスが力尽きたように止まる。バイクなどからははやし立てるような声。
ガラスが割られたのか、向こう側から耳障りな破砕音が鳴った。
それに追い立てられるように、運転席の横のバスのドアが開く。
開いた出口からまず降りたのは、一匹のふさふさした動物。
「犬……?」
恵人さんが目を見開き、もっとはっきり確かめようというのか、窓を三分の一くらいまでそっと開けた。
犬は薄茶色で、ゴールデンレトリバーと思われる。それが、驚いているバギーやバイクの男たちを吠えたてた。
男たちは最初は驚いていたものの、やがて笑い出す。
「犬かよ!」
「犬だけで運転できないだろ。ペットを見捨てるとは、とんだ飼い主に当たったな?」
「バスで移動とか、とんだお犬様だな」
男たちは乗り物を降りて、手にそれぞれ武器をかまえた。どれも、このゲームの中で手に入れられる特殊な武器だ。
まさか、犬を攻撃するんじゃあるまいな――と思った直後、バスから一人の老人が下りてくる。
「やめてくれ。攻撃しないでくれ」
見たところ、老人はロクな武器を持っているようにも見えない。
それでも、男たちは身を引こうとはしなかった。ほかのプレイヤーを倒せば、相手のレベルに合わせたクエスト得点が手に入る。ここは仮想空間のホームフィールドだし、倒されたところで実際の肉体や命に被害はないが、持っているアイテムやスキルポイントは奪われてしまう。
それでもプレイヤーキラーをやるプレイヤーは少ないが、世の中にはそんな荒っぽい連中も一定数はいるのだ。
「そういうわけにもいかねえな」
男の一人が大剣を手に近づくと、老人を守るようにして犬が前に出て吠え立てる。
そのうるささに、大剣を手にした男は顔を歪めた。
「黙れ!」
そう言って剣先を振り下ろしかけた男が、突然仰け反るようにして後ずさり、ぎゃあ、と叫ぶ。
大剣を落としたその右手に、一枚のカードが突き刺さっていた。
それはつい今しがたまでわたしの手の内にあったものだ。コートの内ポケットから取り出した、ゲーム内アイテムの武器のひとつ。
男たちは驚き、半ばパニックになりながら周囲を見回す。
しかし、向こうからはこちらは見つけられない様子。
わたしはかまわず、二枚目、三枚目と何度もカードを飛ばした。絵柄はタロットカードのようだが、大きさはトランプ程度で、やや厚みのある〈投擲〉用の武器。投げるたびに無くすのならもったいないが、実はアイテムとしてもらえるのは一枚だけで、その一枚からコピーが一度に三枚まで発生し、投げてしばらくしたカードは消える。
投げたカードはほかの男たちの手にも刺さる。どうやら攻撃は廃校の窓から来ているようだ、と気づいた者もいるようだが、そのうち、ほかの窓からも攻撃され始め、反撃どころではなくなってしまう。
やがて上がり続けた汚い悲鳴の中に、「逃げるぞ!」とか「もう無理だ!」などと泣き言が混じり、男たちは自分の乗り物へと戻っていく。
蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていく男たちを、追い立てるように最後の炎の球が彼らの後ろで爆発した。
当てる気はなかっただろうが、情けない悲鳴を上げて男たちは去っていく。
校庭に残ったのは、あの犬と老人。
「じゃあ、行こうか」
恵人さんが安堵の笑みを浮かべて言う。
「行くって、迎え入れるつもり?」
「そのつもりで助けたんじゃないの? あのバスが追いかけられているのを見たときから、きっときみはそうするんじゃないかなと思っていたんだけれど」
「わたしはただ、うるさいのを排除しただけで……まあ、こんな夜遅い時間だし、危険な目に遭った後なんだから、迎えてあげてもいいかもしれないけど」
わたしは窓を閉め、コートの裾をひるがえす。校庭に出るつもりだった。背後には、数歩の距離を置いてついてくる気配。少し笑い声が聞こえた気がするが、気づかなかったことにした。
廊下を少し歩いたところで、その夢は途切れる。
ほかにも気になる夢を見たような気はするが、記憶には残らなかった。
カーテン越しでも朝日がまぶしい。
目を覚ましても、あの夢のことははっきりと覚えていた。たぶん以前も見た、でもそのときよりも今回の方が明確であろう夢。
――こうして少しずつ、記憶が戻っていくのだろうか。
わたしはわたしの中の仲間の大きさを知りたいと思っていた。それが知らないふりをすると寝覚めが悪いくらい大きいのなら、力を返してもらいともに戦おうと。
でも、こうやってどんどん思い出していくのなら、何もしなかったら、未来のわたしが後悔することになるんじゃないか……?
まだ寝ぼけまなこで天井を見上げながらも、そんな考えがはっきりとわたしの頭の中を支配しつつあった。
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