記憶の欠片(四)

 夜は記憶に残るような夢も見ず、起きて思い出したのは、コビーに何か訊くことがあるんだった、ということ。でも、まだ寝ぼけているのか思い出せない。

 まあいいや、そのうち思い出すだろう。

 軽くストレッチをして梯子を降りると、恵人さんの姿がないことに気づく。顔を洗って拭いているうちに、ドアが開けられた。

「おはよう、恵人さん」

「おはよう。コーヒーを買ってきたよ。どっち飲む?」

 ひとつはミルク濃厚カフェオレで、もう一方は甘さ控えめカフェラッテ。

 あまり変わらない気がするが……カフェラッテをもらっておく。

 朝食は用意していたものを食べた。ナイフで切ったフランスパンにハムとトマトと切ったモッツァレラチーズ。それにスープとヨーグルトも食べれば、立派な朝ごはんだ。

「あとは、お弁当を買う約束だったね」

 恵人さんがカフェオレをすすり、少しずつ陽が強くなる外を眺めながら思い出したように言う。

 土産屋にお弁当はいくつかあった。でも、開店までもう一、二時間ありそう。

「なんなら、現金でくれてもいいよ」

 わたしが言うと、彼は苦笑した。

「現実的だね。そっちの方が時間を節約できるし、自由に使えるからいいかな。でも、食費を削って別のものに使おうとしてはダメだよ、栄養失調になったら元も子もない」

 バレたか、とちょっと思う。安いコンビニパンとかで済ませて、ちょっとは別のことに使おうと思っていたのだけれど。

 お金を直接もらうことに抵抗のある人もいるだろうけれど、わたしはそうではない。プライドがどうとか言える人は明日のご飯を心配しない人だ。

 とはいえわたしにも、世話になり過ぎるのはどうなのかと思うくらいの人間の心は残っている。

「では、飲み物とお弁当で五〇六円で」

「それ、コンビニのお弁当くらいの計算でしょ? もっといいところのお弁当買いなよ。千円くらいの。また移動するんでしょ」

「移動の前に買い物が……まあ、駅弁を買って食べてもいいかな。そう言えば、そろそろホテルに戻らないとチェックアウトに間に合わない」

 そう言うと、彼はわざわざリュックサックから取り出した紙に包んで二千円ほど渡してくれた。はたで見ている人がいたら結構、怪しい場面だな。

 わたしはさっさと自分の物をリュックサックに回収した。

 しかし……ここで彼と別れてしまっていいのか?

 コビーの声かと思うくらいに頭の片隅ではっきりそうささやきかけるものがあるが、といってもどうしようもない。

 それより、チェックアウトの件で気が焦っていった。

「気をつけて。戻ったら歯磨きくらいするんだよ。それくらいの時間はあるだろう」

「まあ、たぶんそれくらいは」

 コートを着てリュックサックを背負う。まさか二度と会えないわけじゃないだろうが、離れがたさを感じるわたしの背中に、

「あ、新しいリュックができたら持ってくるね」

 声を掛けられて少し拍子抜けしてしまう。

 自分の口もとがほころぶのがわかった。

「うん、楽しみにしてるよ。それじゃあ」

 そう言って〈透明化〉してからバンガローを出て、朝の空を飛ぶ。

 また偽人類が攻撃してくるのもあり得るんだろうか。少し低めに、見つかりにくいように飛んだ。それでもバスより速いし、チェックアウト時間である十時の一時間以上前にホテルに到着する。

 部屋に戻ると歯を磨き、冷蔵庫の中のコーヒーの残りを空のペットボトルに移し替え、ゴミは捨てて、できるだけ来たときと変わりないような状態にして部屋を出る。

 部屋をチェックアウトすると、まず銀行で口座を確認。まだ報酬の入金はなく、とりあえず残してあった二千円を下ろしておく。それからまず百円ショップ。カップとエコバックと、ペットボトルホルダーを買った。これでペットボトルをリュックサックやベルトなどに吊ることができる。

 それからホームセンターへ。小型の携帯ラジオがほぼ六百円、薄手の毛布が八百円ほどだ。なかなかの出費だけれど、自然の中を進む旅をしているときは、モノを言うのはまさに物。お金は文明の届かないところでは役に立たない。

 買い物を終えると、リュックサックの中の整理。無計画にポンポン入れられるほど広くはない。ペットボトルを外に出せる分は余裕ができたけれど、毛布というのはかなりかさばる。荷物があふれたらエコバッグに入れて手に下げて歩こうと思っていた。

 何しろ、ここからが本題。食料を買っておかないと。次の食事は駅弁でも買おうと思っているけれど、その先のためには長持ちするパンか何かが必要だ。

 デパートの食料品売り場に行き、目をつけたのは四つ入りのハムパンと梅干。長持ちする野菜を買いたかったんだけれど、安さと持ち運びやすさを考えたらこうなった。でも、梅って野菜なのかな……?

 あとは駅弁。駅に寄り、弁当屋さんを見つけて選ぶ。海鮮丼とか一目見て美味しそうと思うような弁当はやっぱり高い。

 どうやらご当地駅弁としてはホタテ釜飯が何種類かあるらしいが、ホタテはわたしの地元では珍しいものではない。それに海鮮よりは肉の気分だった。

 千円ちょっとの牛飯弁当を購入。どうやら馬肉の弁当なるものもあるらしいけれど、今は並んでいなかった。

 ここからどうするかというと、とりあえず青森市を出て八戸へ向かうと決めた。そこでも一週間分の記録を調べて、後は海沿いに南下してとなりの県に入るつもりだ。

 とりあえず、街中は歩いても怪しまれないし危なくもない。わたしは歩いて市街地の外をめざす。

 飛ぼうと思えば速く快適に移動できるけれど、旅している感は薄れるのが難点。ゆっくり行けばそうでもないだろうし、いい景色があれば飛んでみるつもりだけれど。

 カメラは首から提げた上で内ポケットに入れてある。いい風景や何か珍しいものが撮れると嬉しいな。

 しかししばらくは人の流れの中を行く。一週間も住んでいない場所の旅先に滞在したのはたぶん初めてくらいなので、離れるのは少し寂しい気もしないでもないけれど、新しい地への期待も大きい。

 こういう心境になれるのなら、旅に向いているかもしれない。

 そんな風に思いながら、わたしは上に着ているコートの襟もとを開ける。天気が良くて少し暑いくらいだ。

 経路は、一度北に出てから八戸市へ向かうルート。駅の案内板にあった青森県の地図だと物凄く距離がありそうだったけれど、観光用パンフレットのひとつにあった地図で北海道と比較するとそうでもないようだ。

 当面は道路の歩道を歩く。それでもこの旅装では怪しまれないだろう。

 しかし出発した時点で時刻は午前一一時過ぎ。出発してそう経たないうちに、腕時計を見ると正午を過ぎている。

 見ると、行く手のやや向こうに川が見える。あのそばで休もうか。

 道路を離れ、木の陰に隠れて特殊能力二つを発動。そのまま宙を飛んで川沿いに降り、思い出す。ウィークリークエストをクリアできるならしてしまいたい。

 とりあえず小石を集める。地道な作業だ。それが二〇個集まったら、それを川の向こうにひとつずつ投げる。

 ……やっておいてなんだけれど、こんなので本当にクリアになるんだろうか?

 まあ、すぐにホームフィールドで確かめてみることにして、わたしはちょっと飛んで、先ほど見つけておいた小さな公園のような、ベンチや花壇の整備されているところに降り立った。水飲み場もあり、道路から見てその陰になるところにしゃがみ込んでから特殊能力を解除。

 ベンチに座るとペットボトルを下ろしたリュックサックから外し、弁当を取り出す。駅弁の牛飯弁当だ。

 紙を外して蓋を開け、ついていた割り箸を割る。味付きの牛肉がご飯の上に敷き詰められ、何種類かのおかずも端に並んでいた。文明の利器がないので温めるような真似はできないものの、冷めていても充分美味しい。

 ボリューム満点の美味しい弁当を食べてしっかり体力回復。恵人さんに感謝せねば。

 そう、恵人さんだ。

 あの夢のことを思い出す。

 ――わたし、コビーに何を尋ねるつもりだったんだっけ。

 それが今一度頭に浮かぶが、結局思い浮かばない。

 弁当を空にすると出たゴミをゴミ箱に捨て、もうちょっと道路から見えにくいベンチに移動する。そこでリュックサックを枕にして仰向けに横たわった。あまり身長の高い方ではないものの、足がのらないのは仕方がない。口に塩飴を入れ、顔を横にして木々を眺めながら目を閉じる。

 すぐに現われる、いつもの光景。

 アクセスするなり、聞きなれた合成音声が響く。

『おめでとうございます。ウィークリークエストをクリアしました』

 お?

 もしかしたら、と思っていたけれど、これでクリアになるんだ。嬉しい半面、少しだけ拍子抜け。

 まあ、考えてみればウィークリークエストっていったら毎週何度も何度も出されてきたものなんだろうし、その中には拍子抜けするくらい簡単なものがあってもおかしくはないかもしれない。

 報酬は先週と変わらず、クエスト得点三〇〇点。前回の分をまだ使っていないので、合計六〇〇点になった。これも使わずにためておく。

 スキルポイントもまだ大した溜まっていないし、作業はここまで。

 目を開けるとまた木々が見える。

 ――コビーに何を尋ねるんだっけな。

 塩飴が小さくなるまで舐め続けながら、記憶をどうにか取り戻そうとする。あの夢を頭の中で反芻して。

 思い出せないけれど仕方がない。もう呼んでしまおうか。コビー。

『ああ、何かね』

 即座に頭の中に人間のものではない響きの声が伝わる。

 コビーはわたしが最初にこのゲームにログインした日がいつかを確認している? それは、ホームフィールドのアナウンスが言っていたことと変わらない?

 AIは、珍しく回答までに一拍の間を費やした。

『わたしはただのサポートAIだからね。ナビゲーションシステムが伝えたのと情報源は変わりないよ』

 ただのサポートAIの割には、ゲームの外まで干渉できている気がするんだけれど。ほら、槍を出したときとか。

『誰かが持っていたのをそっくり真似て出しただけのこととさ。その程度の数字の操作なら、いくらでも誤魔化せるからね。プレイヤー個人の登録情報を操作したり、覗く権限を与えられるのとは訳が違う』

 ふうん……。

 個人の情報、ということばでわたしは訊きたかったことを思い出す。

 登録されていない、日常の個人情報は知られないの? それもプライバシーの保護で禁止されている?

『それは内容による。本人が広く公表している情報や積極的に宣伝している情報は本来プライベートな内容でも保護すべき情報とは言えないし』

 なるほど。

 では、恵人さんの親戚がアパートを経営しているという情報は公表されているのかな。どちらかと言えば宣伝が推奨されそうな情報だと思うけれど。

『それは公表されている情報だね。宣伝を頼まれているそうだから』

 つまり、それは事実なのか。

『恵人から直接聞いたわけじゃないのか?』

 ちょっと不穏そうな声が頭に響く。

 わたしは夢の話をすべきか迷った。ここでその意味を人工知能に尋ねて一緒に考えてもらう方が手っ取り早いのかもしれない。

 でも、あの夢が予知夢の一種だとか偶然だとかじゃなくて、過去にあったことだとしたら、コビーはわたしに嘘をついていることになるんじゃないだろうか。いや、嘘をついているのはコビーだけじゃないけれど。

 ここは黙っておくことにしよう。

 ――いや、本部に行ったときにそんなパンフレットか用紙か何かを見た気がしたから。

『そういうことか。てっきり、きみに勧めたのかと思ったよ』

 勧めたって、取り壊しが二年後に迫っているから安く借りられるとかいう部屋?

『そこまで知っているんだね。それをきくということは、きみも定住に興味を持ったのかい?』

 将来的な可能性のひとつとしてね。一年も旅をしたら飽きて、普通の生活をしたくなる可能性もあるじゃない。それじゃ、また。

『じゃあね』

 そこでコビーとの通信を切る。

 ここまで一致することがあるだろうか。

 本部でアパートに関する資料なんか見てはいないが、それだって無意識に視界に映っていたのを脳が記憶して、勝手に何かしらの情報と結び付けて恵人さんの親戚にアパート経営者が、となった可能性はある。

 それでも、親戚のアパート経営者の経営するアパートの中に二年後に取り壊すアパートがあって安く部屋を借りられる、というところまで一致するだろうか。

 偶然とは思えない。

 わたしはリュックサックを背負いなおし、ベンチから歩きだしながら考えた。

 夢と言えば、菊池さんに会ったときの既視感と、思い出した夢。あれも本当は夢じゃないのでは。どこかに存在した、実際の出来事だったのかもしれない。

 それに、なぜ菊池さんは塩飴を渡したのか。あの塩飴がわたしのホームフィールドへのアクセス方法で、実際、わたしはあの飴を食べてホームフィールドに初めてアクセスしたわけだけれど。そして菊池さんが連絡先をくれた先が〈ハイアーシルフ〉本部……まるですべてお膳立てされているような。

 そうだとすれば、菊池さんは何をさせたいのか。そういえば本部にもいなかったけれど、どこにいるんだろう。

 今までの道のりを思い出す。菊池さんに会い、このゲーム〈第五世界の二重線〉にアクセスし、〈ハイアーシルフ〉の本部で恵人さんたちとも出会い……。

 思えば暁美さんも恵人さんも、もともとわたしを知っていたと思っても納得のいく態度だった気がする。やっぱり、あの夢はちょっとした予知夢とかじゃない。

 何のために隠す?

 なぜわたしは覚えていない?

 菊池さんはわたしに何をさせたい?

 記憶を取り戻させたいならもっと直球で言えばいいだろうし、思い出させたくないならゲームに誘わず遠ざけておけばいい。

 可能性としては、急激に記憶を取り戻すと何か不都合がある、衝撃を受けそうな思い出があるとか……逆に、思い出させたくないけど野放しにはしたくない、監視下に置きたいみたいなパターンもあるのか。

 はた目には黙々と道路の歩道を歩いているだけだけれど、わたしの頭の中ではめまぐるしく思考が走っていた。

 物語とかでよくある話のひとつは、とてもつらい体験をしたせいで記憶が吹っ飛び、その後もつらい体験を思い出したくないために無意識に脳が思い出すのを拒むとか、周りも無理に思い出さない方がいい、みたいな対応をするとか。

 でもとてもつらい体験でそうなるというのなら、わたしの場合、家族を失った瞬間に記憶喪失になるだろう。それより上のつらい体験がゲームがらみで起きるというのはちょっと考えにくいな。

 ゲームの中で物凄く仲のいい相手がいて、その相手が何かの事故で亡くなってしまい、その記憶も相手に関する記録も消されてしまっていたとかなら、夢の中にもちょっとはその人物のことが出てこないか……? 今までの夢を考えると、わたしが一番仲が良かったプレイヤーは恵人さんに思える。

 もっと現実的な路線だと、特に衝撃的な体験はしていないけれど事故か何かでわたしは記憶を失って、すでに別の道が開けたわたしを危険を伴う任務に引き戻すことも気が引けるので、拒絶も誘いもせずなるがままに任せている、とか?

 別のパターンを考えると、わたしは何か大きなミスか裏切りを犯し、敵対したがゆえに記憶を消されて監視下に置かれることになった、とか。

 裏切ったとなると偽人類についたことになるだろうけれど、理由がわからないな。自分は地球人で、地球人の家族もいるのに。偽人類にもいい人がいてそれで……って、妄想するが、やっぱり矛盾に行き当たる。

 ――いい人なら、地球人を陥れたり、わたしを裏切る方向には行かせないんじゃないかなあ。そこまで人を見る目がなかったり、恋に盲目になるとは思いたくないな。願望かもしれないけれど。

 それに、夢でのわたしの思考からして、裏切る方向とは思えないな。あの夢ではすでにバイト先が火事になっていたみたいだし、そんなに昔のことじゃない。裏切るつもりならあのときには既にその思考が出ている可能性が高いはず。

 色々と考えてみるものの……誰かに尋ねた方が早いんじゃないかな。

 しかし、先ほどの様子だとコビーに訊いて素直に教えてくれるかは微妙。ここはもう少し、遠回しに。

 コビー。

『何かね』

 菊池政宗さんがどこにいるか知っている?

『知っているけれど、一応、当人に居場所を教えていいかはきくよ。すぐに終わるだろうがね』

 うん、待ってる。

 そのやりとりを最後に少しだけ間が空く。とはいえ、せいぜい五分もかからない程度。

『待たせたね。連絡が取れたよ。今は自宅にいるけれど、会いたいなら明日の昼、八戸市の駅前で会おうとさ』

 明日の昼? それはなかなか急な。

『なんなら、待ち合わせ時間をずらすように言おうか?』

 いや、かなりの距離を飛ぶことになるだろうけれど、間に合わせることは可能だろうし。べつにいいや。ありがとう。

 そこでわたしは通信を切る。

 速く飛べばいくらでも移動距離を速くすることはできるだろうけれど、今まで期限もなくダラダラ旅していたのが、間に合わすべき時間ができたのだ。ちゃんと計画を立て直さないと。

 しばらく歩いて、ベンチを見つけた。よくある、青いプラスチック製のベンチ。そこに腰を下ろして簡易地図の載ったパンフレットを開き、どこで一夜を過ごすがどこからどこまで歩いてどこからどこまで飛ぶのかの計画を立てる。

 ――この八戸市までの旅が、わたしの最後の自由な旅になったりしてなあ。

 冗談半分でそんなことを考えてみるものの、それは冗談では済まないかもしれない。忘れていたものを取り戻すということは、失っていたしがらみも取り戻すということだから。

 先がどうなるにしろ、この短い旅を堪能することにしよう。

 計画を立ててパンフレットに書き込むと、わたしは一歩一歩踏みじめるように歩き始めた。

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