記憶の欠片(三)

 夢を見た。

 どうやら夜の丘のようだ。周囲には木々があり、前にした景色には電気の点灯したビルや民家など。見覚えのある都会の街並みに思える。

 わたしはひとりじゃないと、振り返った視界で気づく。

「いくら夜だからって大丈夫なのかな」

 そこには、もう見慣れた顔。少し不安そうに恵人さんが言う。

「大丈夫、夜に空を見上げたところで鳥の姿がはっきり見えたりはしないでしょ? 満月の明るい夜とかならともかく、今日みたいな暗い夜は」

 わたしの唇は自動的に動く。ことば通り、空には雲が多く月は隠れている。星々もまばらだった。

「そんなに心配なら、何かに偽装すればいいんだよ。それか、〈透明化〉を取ればよかったのに」

「だってさ、暁美さんが誰かは〈結界〉を持っておいた方がいいって言うから……」

 〈結界〉で姿も消えるといいのに、〈透視〉は無効化できるのに面倒くさい――と、このわたしは思ったらしかった。

 ずい分、このわたしと恵人さんは親しそうというか、古くからの知り合いのように気安い感じで話している。これはわたしの願望なのだろうか。

「まあ、仕方がない。ひとつ教えておいてあげる。〈透明化〉は触れている服や物も透明にできるけれど、それは触れている人間も同じなんだよ」

 そう言ってわたしは自分から手を伸ばし、彼の手を握った。

「行くよ」

「うん」

 声を掛け合い、丘を蹴って夜のまばらな星空の中へ飛び出す。ただ、最初は少し低めに。

 道路の真ん中に水たまりがあった。その上を通過するが、水面には何も映らない。

 ――二人とも透明化するのか。

「へえ、消えているんだ。じゃあ、誰かが〈透明化〉を持っていれば同じようにできるのかな?」

「触れている相手は透明になるけれど、〈飛行能力〉は触れても共有できないけどね。つまり、〈飛行能力〉のない〈透明化〉持ちと同じことをしようとすると、相手の体重がかかって落ちるよ」

 このわたしは、かなり特殊能力の仕様に詳しいらしい。

「じゃあ、飛びながら消えるには、全員〈飛行能力〉を持っている必要があるんだね」

「そういうこと」

 わたしたちは高度を上げ、街の明かりの上を飛んだ。星空に負けないほどにこれも趣ある風景だった。

 少しの間飛んで、恵人さんが口を開く。

「***さんは、偽人類が地球上からいなくなったらどうするとか、予定はあるの?」

 彼はわたしの本名を呼んだ。もう、自分でも記憶から薄れつつあるその名前。

「どうしようかな。バイト先もなくなっちゃったし、キミのデザイン事務所でも雇ってもらおうか」

「ほんとに? 女性目線のアドバイスが欲しかったから、それなら歓迎するよ」

「ほんとに雇ってくれるの? わたしは高いかもよ」

「いいんだ。親戚がアパートを経営しているんだけれど、部屋が余っていてね。あと二年もすると取り壊すらしいんだけど、借り手がいるなら安く貸すってさ」

「二年もあれば少しは貯金できるかな」

 ロマンチックな風景を眺めながら、そんなリアルな会話を交わす。

 そうしているうちに眼下から街並みは消え、大きな川が視界を横切る。

「あそこに降りよう」

 恵人さんが指さしたのは、川沿いの牧場の近くの岡の上。

「そうだね、人の目もなさそうだし」

 わたしたちはゆっくり降下していく。街灯もない地上に近づき星明かりから遠ざかり、黒々した木々や茂みが近づくとどんどん視界が暗くなる。

 視界が完全に闇に閉ざされ、次に目を開いたときに映ったものは、木のベッドの一部と天井、やや赤みを増した陽の差し込む天窓。

 一時間とちょっとくらい寝たかな。あくびをして身を起こし、外の様子を見ると、すっかり夕日も暮れているようだ。ここは太陽が隠れるのは早い。

 夜の闇もまだ来ていないけれど、と時計を見ると、五時を少し過ぎたところ。

 まだ寝ている恵人さんを起こさないように梯子を降り、外に出てみる。そこで干していたのを気づいたバスタオルはすっかり乾いていて、回収してベッドの上の段の柵に掛けておく。

 そこで恵人さんも目が覚めたようだ。

「あら、起こしたかな」

「いや、おはよう……じゃないや」

 寝ぼけたように言って目をこすり、夕日に少し眩しそうに目を細めながら壁の時計の針を確認する。

「まだちょっと早い……けど、朝食をレストランで食べるとすると、凄く遅い時間になるんじゃないかっていうのが気になっていたんだった」

 そういや、レストランの開店時間は九時か十時だったはず。

「確かに」

「だから、先に朝食を買っておいた方がいいんじゃないかな」

 わたしはリュックサックの中身について思い出した。

「そうだね。わたしはいくらか食料があるけれど。パンもハムも、そろそろ消費しないと悪くなりそうかも」

 夢の影響か、敬語でなくても話すのがスムーズになっている気がする。

 改めて調べてみると、フランスパンの端の方が二食分くらいと買ったまんまのハム、小さなチューブ入りジャムがひとつ、シナモンシュガー、そしてキシリトール入りの飴と塩飴がほぼ一袋ずつ。

「コーヒーと何かおかずになりそうなものがあれば買って、そのパンとハムと一緒に食べようか。買い物してから夕食にすれば丁度いい時間かな」

「そうだね。しっかり鍵を掛けて」

 一瞬忘れそうになっていたが、天井裏にはまだ物騒なものがあるのだ。思えばその物騒な天井裏近くで昼寝をしていたとは……意識してしまうと少し気になるかもしれない。

 もちろんドアにしっかり鍵を掛け、わたしたち財布を持って道路を渡り、向かいの土産物屋に入った。わたしとしてはハムとパンの代わりの食料も少し持っておきたい。ホテルに戻ってからでも間に合うだろうけれど。

 土産物屋で恵人さんは、モッツァレラチーズの塊とトマトひとつ、それに山菜スープの素とヨーグルトを二つ買った。バンガローには冷蔵庫はないけれど、一晩おいておくくらいは大丈夫なはず。

 わたしはその間に、何かないかと物色していたのだけれど……予想はしていたけれどこういうところのは高い。どうにか焼き鳥の缶詰をひとつと、ドライフルーツの袋を見つけ出し購入するも、四百円の出費は高かったかもしれない。缶詰が百円で、地物のドライフルーツが相応の値段だったんだけれど。

 でも、相場はこれくらいだから、これが高いというよりわたしが無駄な買い物をしただけの話。だって、缶詰ひとつだけを買うのは悪い気がして。

「確か、コーヒーは自動販売機にもあったからそれで済ますとして……そろそろ六時か。夕食に行こうか」

「そうだね」

 内心の後悔を隠しつつ、わたしたちはレストランで夕食を注文した。この時間にここに来る人間は少ないのか、昼食時より客の姿は少なかった。

 ちなみに食べたメニューは、わたしはナポリタンとオレンジジュース、恵人さんはオムライスとサイダーと杏仁豆腐。

 食べ終えるころには、窓の外はすっかり夜の暗さだ。一応、街灯の明かりがあるけれど。

 街灯の明かりを頼りにバンガローに戻る。歩く視界の向こうに見える山は、夜は黒くてどこか底知れない深淵の闇のように不気味に見える。たまに聞こえる鳥の声も不気味に思えたりして。

「紅茶を入れようか」

 昼に買ったお菓子も少し残っている。ここは火は使えないが水やお湯は使えるので、湯でパックの紅茶を出す。ちなみに、カップは備え付けであった。わたしはカップをコンビニの紙製のしか持っていないので、それを出すのは少し恥ずかしいので助かった。

 ――お金が入ったらカップも買う必要があるな。心の覚書にメモしておく。

「とりあえず、アレはどうにもなってなさそうだね」

 今度は天井裏を確かめることまではしなかったものの、恵人さんは見上げてほっとしたようにうなずいた。

 時刻は六時四〇分過ぎ。彼も同じ心境だろうけれど、とにかく早くアレから解放されたい。一時的に忘れていても常に心のどこかには重く引っかかっていて不安なのだ。なんだか、遺体の処理に困っている殺人犯の気分を想像してしまう。

 それももう、あと数十分だ。

 そう思っているとその数十分が長く感じたりする。とりあえず椅子に座ってお菓子をつまみつつ、紅茶をすすりつつ外を眺めているけれど。来客を迎えるような態勢。

「待っていると、なかなか来ないもんだね」

 時刻が七時を過ぎても、運び屋は現われなかった。もう少し時間が必要らしい。

 窓の外では星々が瞬いている。あの暗い夜空の中を飛んでくるのもなかなか骨が折れそうなところだし、仕方がないか。

 暗い夜空の中を飛んでくる――というところで思い出す。あの夢のことを。

 夢にしてははっきりした、細部までリアルな夢だったな。

 わたしは飛びたいと思い続けてきたし、何度も飛ぶ夢を見た。でも、誰かと一緒に飛んだ夢は今までなかったように思う。それに夢の中の光景はどこかぼやけていたり、曖昧な部分があることが多いのだけれど……昼寝で見たあの夢は違っていた。まるで、現実の延長のようだった。

 あれは本当にただの夢なのだろうかと、少し疑問があった。疑問、もしくは願望かもしれない。

「ひとつ、試してみたいことがあるんだけれど……」

 一人で悶々としていても仕方がない。ここは確かめた方が早い。

「手、つないでもいい?」

 我ながら唐突だ。さすがに、相手も驚いた表情をする。

「いいけど……確認って、なに? 柔道の技の確認とかなら遠慮しておくよ」

「そんな痛いことはしないから。ちょっと特殊能力の仕様を確かめたいだけで」

 おっかなびっくりでそれでも差し出された手を握り、わたしは〈透明化〉を発動した。結果はすぐ目視でわかる。窓に映っていたわたしたちの姿は一瞬にして消え去っていた。

 そのことに恵人さんもきづく。

「〈透明化〉の実験がしたかったの」

「こうやって触れていると、触れた相手も消えるんだね。そのまま〈飛行能力〉を使えば飛べるんだ。なかなか便利な能力のようで」

 〈透明化〉すると服や持ち物は消え、服から落ちた物は姿を現わす。それはとうに確かめていたことだし……ということは、あの夢はわたしの無意識が現実にあり得ることを見せただけという可能性もある?

 それにしては、すべてが現実に存在するものだけで構成されているような感覚があったけれど……。

 ふと、我に返って恵人さんの手を放す。

「ありがとう、つきあってくれて。勉強になった」

「そう……応用力豊かなんだね、きみは」

「ゲームは好きなもので」

 と言っても、ゲーマーと呼べるほどじゃないけれど。家族が生きていたころは家にゲーム機はあったものの、高校生くらいのころから自分はほとんど遊ばなくなっていった。たまに携帯電話でできる程度のSNSゲームなんかを遊ぶくらい。

 そのとき、窓の外で何かが動く気配がした。これはもしや。

「来たかな」

 恵人さんが言いドアを開けると、姿を消していた運び屋が〈透明化〉を解いて近づいてくる。見たことのない男性だ。

「すみません、遅くなりまして……それで、目的のものは?」

 中に迎え入れられると、彼は室内を見回す。

 こんな時間にここを出歩く者もいないだろうが、周囲に人の目がないのを確認して、恵人さんが屋根裏から寝袋入りの人工造体を取り出した。

 ああ、やっと解放される。

 運ぶ側は帰りも大変だろうが、こちらとしてはせいせいした、という感じで目的のものを背負って飛び立つのを見送っていた。

 それからは早めに寝て早めに起きることにした方が効率が良いかもしれない、と思いつつ、昼寝もしたのであまり眠くもならないので、わたしは買い物用メモをつけたり、恵人さんは新しい衣料のデザインを描いたり、それについてわたしが意見を求められたり……そんな風にしばらく過ごし、思い出したように塩飴を舐めてベッドに横になる。

 目を閉じると現われるのは、大樹に草原の光景。

 ここでも確かめたいことがあった。が、まずはスキルポイント。特殊能力のどちらかを上げられそうなほど溜まっている。山の中でのことがあるので、ここは〈透明化〉をレベル五にしておこう。

 次のレベル六まで上げるのに必要なスキルポイントは一二〇〇点。さすがに必要ポイントはずっと倍々では上がらないらしい。

「スキルについて訊きたいことがある」

 そう話しかけてみると、いつもの声が即座に応答した。

『何なりとお尋ねください』

「では〈結界〉という特殊能力はある?」

『はい。〈結界〉、特殊能力のひとつ。任意の方向にレベルに応じて大きさや同時出現可能数の上限が変わる結界を張ります。結界の強度もレベルにより変化します。結界は一定の衝撃の攻撃を防ぐことができます』

 その特殊能力は実在したのか。でも、ありそうな能力ではあるし、一番最初に能力を選ぶときに見ているはずだ。それが脳に記憶されていて夢に出てきたとしても、おかしくはないか。

 一応、もっと詳しい話も聞いておく。

「〈結界〉では、〈透視〉を防ぐことはできない?」

『〈結界〉は衝撃を伴う攻撃のほか、〈透視〉を防ぐこともできます。ただし、透明化するわけではありませんので視界に入ると発見されてしまいます』

 うーん、これも予想は可能なのかな。

 あれが夢ではないと確認するには、もっと別の角度から確かめることが必要だ。

「わたしが最初にこのゲームにログインした日はいつ?」

 これにもすぐ返答があった。一分一秒違わず、無人駅で寝たあのときの時間が帰ってきた。いや、考えてみればわたしは今の名前でログインしているんだから、それはそうか。

 じゃあ、と昔の名前を出してみた。

「このゲームにログインした履歴はない?」

『ほかのプレイヤーについての情報はお答えできません』

 これも、言われてみてもその通りだ。

 釈然としないが、ここで尋ねられそうなのはこれくらいか。

 それと、新しいウィークリークエストが出ていたのでしっかり聞いておく。今週の作戦は〈バトルスキルを二〇回使う〉だそう。どこかで石を二〇回投げてくれば達成になるんだろうか。

 用事は済んだのでホームフィールドを離れ、飴を舐め切って少し眠気が来たところで歯を磨いてベッドに入った。

「おやすみ、佐々良さん」

「おやすみなさい」

 間もなく、照明が豆電球に切り替えられた。

 天窓から星が見える。いい角度だ。

 あまり星空を堪能しないうちに、わたしは眠りに落ちた。

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