記憶の欠片(一)

 夕食を終えて部屋に戻ったわたしは、風呂に入り、その後カタログを眺めながら、恵人さんのあの表情のことを考えていた。

 今まで若い男性と二人で食事もしたことがないなんて、という哀れみの表情でもない。あれはどういう意味だったのか……気になるけれど、考えても仕方がない。

 もやもやした気分を振り払い、カタログの商品の列を目で追う。もらえるとなると、どれも欲しくなってくるけれど、実用性も含めて考えれば候補は絞れる。色々考えて、とりあえず候補を三つまで絞った。

 ひとつ目、リュックサック。二宮金次郎像の背負っているのに似た薪を背負っているかのようなデザインだけれど、リュックサックなのは見ればわかる。大きさは今のより少し大きく、希望通り。

 二つ目はジャケット。欲しいと思っていた袖が外せるタイプではないけれど、厚手で丈夫そうだしコートじゃ暑過ぎる場に着て行けそう。デザインは、黒地に裾に着物を思わせる白い花と蔦の模様。

 三つめは、ワンピースに見えないワンピースのロングスカート。上は白、下は空色だ。これも服を変えたいときにいいんじゃないだろうか。若者らしい服装の方が目立たない場に入るときとか。ワンピースは何も考えずに気楽に着られるもいい。

 どうしようかな。最大の実用性を取るのならリュックサックだけれど、そんなにパンパンで今のは入らない、みたいに切迫しているわけではない。ワンピースも、そこまで頻繁に使わないだろうし……もう、寝間着代わりのジャージ上下もあるしな。

 じゃあ、ジャケットにしようか。なんだか上着ばかりになっている気がするけれど。でもこれから寒い季節になっていくし、上着はいくらでも重ね着できるように持っていてもいいかも。

 そうと決めると、しばらくテレビを見てから歯を磨き寝る。

 ベッドに入っても、思い浮かぶのは恵人さんのこと。

 夢に出そうだな、と思いながらわたしは眠りに落ちていった。


 夢は見たかもしれないけれど覚えておらず、おにぎりとコーヒー牛乳で朝食を取ったわたしは待ち合わせの時間にロビーに降りた。日帰りできる距離ではあるけれど、天候や気温の変化を考えてリュックサックは背負ってきている。

 天気予報でも今日は曇りだし、窓の外も白い雲が多いだけで風もなさそうだけれど、少し不安定そうな空模様だ。

「おはよう、佐々良さん」

「おはようございます」

 わたしが昨日の夕食時と同様、来たときにはもう、恵人さんはソファーのひとつに座っていた。他人を待たせるのが嫌いな性格のようだ。

「準備万端に見えるけれど、よく眠れた?」

 という彼も、黒いコートを着込んでリュックサックを背負い、しっかり出かける準備万端のように見える。

「ええ、夢も覚えてないくらいぐっすりでしたよ。恵人さんも一緒に行くんですか?」

 まさか、並んで飛んでいくなどということは……。

「山のふもとまでバスで行こうと思って。景色もいいみたいだし、一緒に行かないかい? 目的地まで結構あるから、温存しながら飛ばないといけないだろうし」

 目的の山の山頂は、周囲も山に囲まれているのでただ山の山頂に昇るだけの距離を飛べばいいわけではない。それでも毎日飛んでいる距離に比べれば全然平気な距離に思えていたけれど、帰りの距離も考えれば二倍になるのを忘れていた。

 山頂で休めればいいけれど、野生動物でもいそうな深い山の山頂など、長居はできそうにない。地上には道もないような、普通は人が分け入れないような山のようだし。

 ただ、その手前の山の中腹くらいまでは登れるらしい。バスはそれよりさらに下までだけれど。

「いいですよ。今からなら昼前には行って帰ってこれるんじゃないですかね」

 どれくらいのスピードで飛べるのかはっきり調べたことはないので、あくまで体感だ。

「無事に戻ってこれたら昼ご飯を奢るよ。重要な任務だからね」

「それを楽しみに頑張りますよ」

 バスの運賃も恵人さんが奢ってくれる。そこまでしてもらうのは悪い気もするが、『仕事のためなんだから経費で落ちる』と彼が言うので、そういうことなら甘えさせてもらうことにした。

 駅前のバス停から目的地の山に近いふもとを通るバスに乗る。最後尾近くの席に恵人さんと並んで座った。こうして、誰かと隣同士になりながらバスの席に座るなんて、高校の修学旅行以来かもしれない。

 バスが走り出して間もなく、わたしは忘れないうちにと、欲しいと思ったものにシャープペンで丸をつけたカタログを恵人さんにお返しした。

「このジャケットか。シンプルなデザインのものが好きなんだね。ほかには目についたものはなかった?」

「迷いましたよ。リュックサックとワンピースと。でも、今、一番使い勝手が良さそうなのはジャケットかなと思いまして」

「ああ、荷物が増えるとそのリュックサックもパンパンになるかもしれないね。どこかに引っ掛けて破れる、なんてこともあり得るかもしれないし」

 と、彼はわたしの抱えたリュックサックの生地が薄くなっている部分に目を留めた。そこに木の枝か何かを引っ掛けて気づかないまま歩いたり飛んだりしたら、バッサリ裂けて中身がこぼれそう。

「なら、新しいデザインのリュックサックのサンプルができたら試してもらおうか。それで、実際に使ってみて不便な点や気になったことがあったら伝えてもらうの」

 それもまた魅力的なお誘いではあるが……ひとつ難問は、どんな個性的なデザインになるかどうかだ。

 薪を背負ったデザインのものは、目立つだろうけれどギリギリ許容範囲というか、ほかにないなら実用性の方を重視して目を瞑れるくらいのものだったけれども……。

「それって……もうデザインは決まっているんですか?」

 思い切ってそう尋ねてみる。

 すると、彼はバッグからわたしが借りていたのとは違うカタログを取り出した。

「ああ、この二案でほぼ決定しているよ」

 見せてくれたのは、〈新作リュックサック〉と見出しの入ったパンフレット。

 一種類は大きなドングリを背負ったようなデザインになっており、ポケットは少ないが丸みを帯びた輪郭で大きめだ。このデザインも目立つだろうけれど、でも個性的なリュックサックとしてはなくはないという感じ。

 もう一方はデフォルメされた馬を背負っているようなデザインだった。おもしろくはあるけれど、こりゃまた、どんぐりリュックと比べてもだいぶ個性的な……。

「これふたつなら、どんぐりリュックがいいですね」

「たぶん、そう言うと思っていたよ。馬の方は欲しがる層が限られそうだし」

 一応、それは把握した上でデザインしているらしい。

「あとはね、米俵とか藁入りの納豆をデザインしたリュックもシリーズの次のデザインに入れようと思っているんだけれど、そっちの方が良かったら」

「いえ、そちらは遠慮しておきます」

 即答。

「そうだよねえ。今度は若い女性向けのデザインも考えないと」

 と、彼は苦笑する。

 バスは停留所で止まったり乗客の乗り降りがありながら、市街地を離れていかにも郊外らしい方へ、緑の多い方へと向かっていく。

 やがてバスは〈自然公園〉と名のついた看板のある脇道を曲がり、やや登り坂になった道路を進み始める。

「そろそろみたいだね」

 いくつか観光施設のような建物の前を通過すると、次の停留所のアナウンスが流れ、直後に恵人さんが停車ボタンを押した。

 間もなく辿り着いたのは、自然に囲まれた公園の前。いくつか遊具が見えたり、バンガローらしき木造の建物も見える。一際大きな、看板のある建物は事務所だろうか。

 ここで降りるのはわたしたちだけらしい。バスは駐車場で一回りして引き返していく。駐車場には五、六台くらいの車が止まっており、遊具で遊ぶ子どもの姿も数名は見えるので、そこまで閑散とした印象でもないが。

 それでも人の姿は少なく、利用者が多いとは言えない。ただ、公園の道路を挟んだ向かい側にはレストランがあった。そちらはまあまあ繁盛している様子。

「じゃあ、僕はあっちで待っていることにするよ。昼ご飯もあそこで食べることになるだろうし」

「ええ、お昼には間に合わせますよ」

 手紙はコートの内ポケットに大切にしまってある。

 恵人さんと別れて、わたしは真っすぐ、公園の脇にある公衆トイレに向かった。そばには屋根付きの水汲み場もある。

 公衆トイレで特殊能力を両方発動し、低空飛行でトイレを出てから公園の案内板でしっかり目的地の方向と位置関係を確認してから高度を上げる。

 風はないけれど少し空気が冷たい。コートの襟をしっかり寄せて、いつもはしていないボタンをかけて、やや速めに飛ぶ。天候が変わると厄介だし、さっと行ってさっと帰ってきたい。

 地上はしばらくの間木々の間に散歩コースなどが見えていたけれど、間もなく金網の柵に区切られたのを見て以降は一部が紅葉に変わりつつある緑が広がっている。手入れもされていない自然のままの緑だ。

 わたしは木々の数メートル上を、やや前かがみの姿勢で飛行した。目的地は山頂の一番高いところだそうだから、探すのに手間取ることはなさそうではあるけれど。

 不穏な気配はあるものの、今のところはたまにそよ風が吹くくらいだ。一山越えたときには周囲に人工物がほとんど見えなくなり、ちょっと心細くなって、わたしはやや速度を上げた。

 その刹那だった。

 ビュン、と何かが背後を通過していった。驚き、木の枝に隠れるように降下。それから、何が飛んできたのか確かめようと飛んで行った先を確かめるが、そこには何も見当たらない。鳥ほど大きいようには見えなかったけれど……。

 それにあれは、意図的にぶつかってこようとする動きに見えた。

 でも、こっちは透明化したままのはず。

 ――コビー、透明化が通じない特殊能力もあるの?

 木の枝の上で息を殺しながら、心の中で呼びかける。

『ああ、〈透視〉があるよ。そのレベルが透明になる側の〈透明化〉のレベルを超えていれば、透明人間も見破れる』

 なるほど。向こうはこちらより上のレベルである可能性が高いわけね。

『そうだね。とはいえ、この地球上のゲームフィールドではエネミーは出現しないことになっているし、特にプレイヤー同士で戦う必要もないのだから、相手は一般プレイヤーとは思い難い』

 ということは、偽人類……?

 ちょっと身体の芯が冷えるような緊張感を感じる。知識としては知っていても、実際にその存在を見たこともないのだ。

 ただ、バトルが発生する可能性があることは予想していたけれど。何しろ最初に選ぶのがバトルスキルなこのゲーム、本来はバトルはゲームの重要な部分を占めるのだろう。

『対偽人類となれば、これくらいのサポートは許されるだろう』

 コビーが言うなり、わたしの目の前に白い球が現われ、それが形を変えて黄色い小型の槍になった。穂先は黄色い針金で楕円形を編み上げたような形で、中身は空洞だ。

 これは、投げ槍、というやつなのかな。

『捕縛の槍だよ。名前の通り、投げつけた相手の動きを止める。まあ、そんな平和的にやる必要もないんだがね。キミたち地球人とは違い彼らは借り物の身体だから、意識を奪えば意識は元の場所に戻り、身体が空になるだけだよ』

 相手が死なないよう、と気を使う必要はないはずだ。

 でも、捕縛できるならそれに越したことはない。ただ、わたしの〈投擲〉スキルはレベル一だ。

『焦ることはない。相手がスキルを使うのを目にすれば、わたしも干渉できるから。それと、確かにキミの〈投擲〉スキルは投げられる距離も速さも未熟だが、スキルも特殊能力も、技術には反映されない。わかっていると思うけどね』

 確かに。飛行能力だって、どう飛ぶかはわたしの思うままだし。

 もちろん、レベルが高くて速さ高さの上限が高く飛べる方が、できることの幅は広いだろうけれど。

 わたしは槍を手に、地面スレスレに飛んだ。この方が見つけられにくいはず。

 相手は〈透視〉を持っているのは確かだけれど、〈飛行能力〉と〈透明化〉まで持っているとは思いたくない。いや、持っている可能性はあるんだろうけれど。

 バトルスキルは〈投擲〉か〈射撃〉だろうか。どうにしろ、不意をつければどうにかなりそうなんだけけれど、あっちも透明化できると攻撃対象が見つからず大変なことに。

『それは心配ないよ。こちらでなんとかするから』

 突然コビーの声がして、危うく木にぶつかりかけた。

 まあ、そういうことなら。

 あまり心配しないでおこう。そう肝に銘じ、目の前の作業に集中することにする。

 緊張感はあるが、なぜか落ち着いていた。似たような状況を何度も経験してきたような気さえする。

 面白いとさえ思いながら茂みを避けたところで、若い男の背中を見つけた。黒い上下を着て、腰には道具入れのついたベルトを巻いている。

 こちらには気づいていないと見て、わたしは一気に加速した。

「おあっ」

 さすがに数メートル内に近づくと向こうも気がつくが、対応するには遅過ぎる。振り返るその手が腰のベルトに伸びた。ベルトに固定されているのは鍔のないナイフだ。

 もう距離は充分。わたしは飛行の勢いをのせたままで投げ槍を投げつけ、そのまま急上昇。

 上空から見下ろすと、黄色い網が広がり男を覆い隠す。その網は吸い付くように彼の身体の表面にまとわりつき、動きを止めた。草むらの上に身体が転がる。

『中身についてはわたしが処理しよう。偽人類を一名捕獲、回収』

 中身についてはって、外身はどうするの?

『別にこのまま野生動物のエサにしても、こちらとしては問題ないんだがね、キミたちとしてはそうもいかないだろう。回収するには本部へ送る必要がある』

 ここから本部に? それは、なかなか大変な……。

 持っていくまでに誰かに見られたりしたら、どう見ても遺体を運ぶ怪しい人物にしかならないだろう。

『大丈夫、運ぶ専門の協力者もいるから。今、恵人に連絡したから、本部から運び屋を送ってもらえばいい。そんなにすぐには来れないけれどね』

 じゃあ、どうすべきか。地面になんて置いておいたら、本当に動物にでも食べられかねない。この辺りは熊がいてもおかしくなさそうな雰囲気だ。

 そこで偽人類の身体を持ち上げようとして、それが異様に軽いことに気がつく。造られた身体なので、便宜上軽くしているのか。

 どうにせよ、これなら楽に運べそうだ。

 わたしは男の身体を脇に抱えて飛行を再開する。傍目に見ている者がいれば凄い光景だろうが、まだ透明化中だ。

 目的の山の木々の少し上を飛び山頂に辿り着くと、少し開けた場所に大きな松の木があった。何年も前からここに根を下ろしてきた木だろう。

 その幹に沿って上昇していくと、小さな三角屋根の木造の鳥の家らしきものが枝の上に固定されている。ただ、鳥が出入りできそうな穴はなく、細長い切れ込みと、後ろに鍵穴付きの蓋がある。

 ――これが目的のものか。

 ほっと息を吐き、落とさないようにしっかり掴んで内ポケットから手紙を出す。それを切れ込みに入れた。

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