見えない星を求めて(四)
五日目の朝。
四日だとまだ半分過ぎたくらいに思うけれど、なぜか五日目と考えると終盤戦に入った実感が湧く。今日も含めて三日も残ってるんだけれど。
のんびり起きて、朝食は昨日考えたサラダにゆで卵を刻んで入れたものとカップ麺、紙パックから注いだコーヒー牛乳。それと、昨日残してあったフランスパンの端をカップ麺のスープに浸けて食べた。
窓の外は相変わらずの雨模様。行き交う人の姿も少なく、風景全体が暗い。上空は雨雲で敷き詰められている。
これは大人しくしよう。一日くらい休憩日があってもいいはずだ。
ただ、飛べないとスキルポイントが溜められない――と、わたしの貧乏根性がささやく。あのとき時間を無駄にした、と後悔したくないのだった。
飛べはしないし屋内で〈投擲〉を使いようもないだろうけれど、透明になることはできる。部屋で〈透明化〉して、ドアを少し開けて廊下に誰もいないのを確かめてから、少し散歩してみることにする。
わたしにとってこの能力は〈飛んでいるのを隠すための能力〉と化しているが、本当はこれだけでも凄い力なのはわかっている。たとえば、わたしが裸で廊下を歩いていても、行き交う人の視界にはまったく入らないわけで……もちろん、誰も見てなくてもそんなことはしないけれども。
この能力ならプライバシーも覗き放題だけれど、そんな行儀の悪いことはしない。今更わたしが興味の惹かれるような相手もいないし。有名な芸能人ならちょっとは見てみたいかもしれないが、それもあまり面白みは感じないな。
そんな調子なので、単なる散歩だった。フロアの廊下を歩き回り、誰かがエレベーターに乗るとあとをついて別の階へ。
それを何度か繰り返し、三階に戻るともう一周して自室に戻り、ニュースチェック。
思えば、このゲームってけっこうダイエットになるなあ。移動距離が成果に関係する携帯ゲームで似たようなことがあったけれど。
スキルポイントも少しは溜まったか。
テレビを消すと一度ホームフィールドにアクセスするが、スキルポイントは三九七点。惜しくも、〈透明化〉をもう一レベル上げるだけの点数には届かず。
新しい作戦も発令されていない。午後ももう少し透明人間で散歩して、スキルポイントを溜めておこう。
昼食は残ったしめじを入れたカップ麺とフランスパンの大きめのひと切れという簡素なもの。それはいいけれど、夕食はそろそろ買い物が必要そう。明日の朝食もないし。
午後は透明化して、ホテル内を散歩ではなく外を歩くことにする。コートの上から雨合羽を着て雨の下へ。
雨水は防げるかもしれないけれど、薄手なのでやや寒い。さっさと屋内に入った方がよさそうだ。
近くのスーパーに入り、トイレで能力解除。透明なままでは買い物もできないので、短い透明人間状態だった。
ハムの見切り品四枚入り五五円、レタス四分の一見切り品が五〇円。シーチキンのおにぎりが八〇円であったので購入。正直、パンはお腹がすきやすい。できれば白米を毎日食べたいものだ。
それらを買って、スーパーを出る。傘をさして歩道を行き交う人々の姿もまばらだ。雨は特に強くもなっていないけれど、ほぼ途切れることなく降り続いている。
ホテルに戻ろう。こんな日はのんびりと寝ているに限る。
そのまま歩いて、ホテルの玄関に入ろうとしたとき。
「あ、見つけた!」
雨音をさいてそんな声が聞こえた。そちらに目をやると、黒い雨合羽を着た人物がこちらに駆け寄ってくる。
まさか、こんなところに知り合いがいるわけは。と思うものの、周囲に他に人の姿はなく、その人物は真っすぐこちらに来て、あまつさえわたしの腕をつかむ。
「良かった、なかなか探せなくて」
顔を上げたその人物が誰なのか、ようやくわかった。色素の薄い整った顔立ちの青年。蒼井恵人さんだ。
「え……なんでここに?」
「それは色々と用事が……まず、場所を変えよう」
と、彼はホテルの中を指さす。
ここで雨に打たれながら話すのは寒い。玄関で水をできるだけ落とし、雨合羽を脱いで畳みビニール袋に入れてから、ホテルのロビーに入る。安ホテルだけれど、一応簡素なソファーとテーブルがある。
わたしと恵人さんはテーブルを挟んで向かい合って座った。
「どうやってここまで来たんです?」
恵人さんは横にリュックサックを下ろしていた。まさか、ヒッチハイクとかではないと思うけれど……。
「ああ、飛んできたよ。これで偽装してね」
そう言ってチャックを下ろしたリュックの口から一部が取り出されたのは、見覚えのある色の三角の一部。ただ、質感は思っていたのと違う。ビーチボールを思わせるような、おそらくはビニール製のもの。
「ああ、それ……偽物だったんですね」
「見てたのか。うん、色々考えた結果、これが怪しまれないかと思ってさ。少しずつ休みながら来たよ」
話しながら、ビニールのハングライダーをしっかり畳む。畳んで袋に入れて空気を抜くと、けっこうコンパクトな薄さになる。世間も便利になったものだ。
一気に飛んできたなら怪しまれるかもしれないが、たまに地上に降りながらならハングライダーの長旅も大丈夫か。
「来月の掃討作戦に関わることなんだけれど、手紙を届けてほしくてさ。きっと、お金も心もとないんじゃない? 監視任務だけだと」
「それはまあ、確かに」
財布の中身はそろそろ五千円を切りそうだ。
「まあ、監視任務も今回みたいにずっと泊まる必要はないけれどね」
そう、過去一週間におかしなことがなかったと調べればそれでも監視任務は完遂になる、ということは覚えてはいる。ただ、それでも一日では終わらないだろうし、その場合の滞在費は出ないだろうから、最初だけは一週間滞在にしようと決めていた。
「今度からは一週間分調べる方にしますよ。それで、その手紙はどこに届ければいいんです? 急ぎですか?」
「いや、明後日までだよ。届ける先は山の上なんだ」
テーブルの上に地図が広げられる。目的地は本当に山の上で、何かの施設とかがあるわけでもない。そこにある大木の枝の上にある、鳥の家を模したポストに手紙を入れてくればいいらしい。
「今日はこの調子だし、明日か明後日に行った方がいいだろうね」
手紙を届けようにも、外はこの雨。確かに今日は無理だ。
それでもまあ、手紙は受け取っておく。
どうやら恵人さんは今夜はここに泊まるらしい。フロントと交渉して、すぐに契約を済ませる。
「今夜は夕食を奢るよ。まだ食事の用意はしてないんだろう?」
その申し出に一瞬、頭の中をよぎるのは、おにぎりが固くなるんじゃないかな、ということ。しかしまあ、レンジで上手く温めれば大丈夫のはず。
「奢ってもらってばかりで悪いですが、たまには豪華な食事をしたい欲もありますので、では遠慮なく」
「素直だね。そういうところ、結構好きだよ」
「どういたしまして」
七時に待ち合わせをして、自室に戻った。この雨の中なので、行く先はもちろん外ではない。このホテルのあるビル内にも何件が飲食店がある。今まで縁がなかっただけで。
部屋に戻ると買ってきた物を冷蔵庫に入れ、雨合羽を乾かそうと広げ洗面所の風呂の縁に掛け、コートを一枚脱いでベッドに転がってから思い出したようにニュースチェック。
いつも通りの何の変哲もない内容に見える。
少しだけ、自販機荒らしが頻発していて犯人不明のままというのが注意を引く。特殊能力があればそういうのもお手のものか。でも、それが偽人類の仕業だと言える要素もない。
――それにしても、びっくりしたなあ。
思いがけないところで思いがけない人物にあった。会ったばかりの先ほどより、今の方が驚きが強い。
それに次いで、疑問も湧き上がってくる。ただ手紙を届けるためだけのためにここまで来るだろうか。コビーがみんなのんびりしていると言っていたから、休暇の旅行のついでに、みたいなノリなのか?
うーん、でもなぜか、わたしは彼の行動に悪意があるとは微塵も思えない。この人は信頼できると心から思えてしまう。それは動物としてのカンか何かか。
それに、なぜだかこういうことが初めてとは思えなかった。初対面のときもそうだったけれど、以前も何度も顔を合わせていたような……浜辺で菊池さんと会ったときに感じたのに似てる。
あのときに思い出した理由は、夢の中で出会っていたらしいというもの。なら今回もやはり夢の中で同じようなことがあったのかもしれないが、思い出そうとしても何も浮かんでは来ない。過去の記憶だという確信が持てず、ただの夢の域を出ない感覚。
やがてあきらめ、溜め息をついて目を閉じる。いや、こうしてじっとしていると眠ってしまいそうだ……そうだ、ホームフィールドへ行こう。
ホームフィールドにアクセスすると、スキルポイントは五〇一点になっており、〈透明化〉を一レベル上昇。これで特殊能力はどちらもレベル四になった。
作戦も発令されておらず、ほかに用事はない。そのままホームフィールドを離れ、口に残っている塩飴を舐め切ると、丁度六時五〇分になる。
今から行けば丁度いいくらいの時間だろう。立ち上がって部屋を出ようとし、その前に洗面所に寄って髪を整えてから財布を持って部屋を出た。
普段は見た目なんて気にはしない。でも、まるでファッションモデルのような外見の恵人さんと一緒に食事ともなれば、ちょっとは気をつけたくもなるのだ。気をつけようとしてもどうしようもないが。外見に関するものはカミソリくらいしか持ち合わせていない。
ほとんど透明化しているし、人目のない場所を歩いて旅するつもりだったし。昔は接客業をやっていたわけで、そのころは当たり前のように化粧もしていたし、身だしなみには気を使っていた。
しかし、化粧品も美容関係のものも、全部家に置いてきてしまった。全部持ってくるとなるとかさばるけれど、せめてリップとファンデーションと化粧水くらいは持っていても良かったかもなあ。
ちょっとだけ、今更過ぎる後悔を抱きながら廊下を歩き、エレベーターに乗ってレストランのある四階へ。
来たことのないフロアなのでちょっと戸惑うが、出口にすぐ見覚えのある姿を見つける。
「あ、待たせましたか?」
声をかけると、相手は笑顔で振り向く。彼はタートルネックの白い長袖にデニムのジャケットとジーパンというラフな格好。それでも、その辺のファッション雑誌に載っていても違和感のない印象である。
「いや、ついさっき来たところだよ。じゃあ、入ろうか」
茶色がかった長めの髪に茶色の目。少し西洋の血が入った少女のようにも見えなくはない。普通なら、まるで住む世界が違う人間のようだと思うところだけれど、彼の笑顔になぜか懐かしさを感じる。
「ええ、入りましょう」
夕食どきだし中は混んでいる様子だが、もう何組かくらいは入れる隙間がありそう。
実際、中に入ると給仕係のお姉さんが二人掛けのテーブルの席に案内してくれた。窓際の端の方だ。
水と同時にひとりずつにメニューを渡される。ハンバーグ定食とかピザ、パスタなど洋食が中心のレストランのようだ。値段は高過ぎるということもないけれど、千円以上のものがほとんど。
あまりボリュームを感じない食事を続けていたので、どの料理名を見ても自然と生唾が出てきてしまう。でも、奢ってもらうなら少しは遠慮しないと……。
「好きなものを頼むといいよ。僕も、食事を楽しみたい気分だからね。ほら、デザートとかも……僕だけ頼むってのはやりにくいじゃない?」
向かいから掛けられる、甘い誘い。
デザートの並びに視線が向く。バニラアイス、苺パフェ、メロンソーダフロート、バナナパンケーキ、チョコレートクレープなどなど。女性客が結構多いと思ったら、デザートの種類が色々と豊富だ。
いやいや、まずメインを決めないと。せっかくだから、自分では用意できないような料理が食べたい。
目についたのはビーフシチューと焼きたてパンのセット。でも、少しお高めだなあ。これを食べるとデザートは入らないだろうし。
これならまだ、ハンバーグセットの方が安い。少しずつだけれど、フライドポテトやニンジンのグラッセ、野菜とライスもついてくるし。
「では……わたしは、ハンバーグセットと苺パフェを」
「飲み物は?」
そこまで甘えていいのだろうか。
「それは……では、オレンジジュースを」
「僕はクラムチャウダーとパンのセットと、クリームブリュレとダージリンティーをいただこうかな」
恵人さんが給仕係を呼び、注文を伝えてくれた。
「ちょっと時間がかかりそうだね」
店内は混んでいるし、まだ料理待ちのお客さんも多そうだ。
「まあ、夕食どきですからね」
「もう少し時間をずらせばよかったかな。でも、お腹すいちゃってさ。かといって、早くするとあまり入らないかもしれないし……」
食事を楽しみたいから、と言ってたからにはたくさん食べたかったんだろうな。
「それでも、席につけただけマシですよ。酷いところは何時間も外で待つようですし。わたしは田舎者なのであまり経験ありませんけどね」
「僕も、並ぶような店はいかないな……一度、人に頼まれて有名な苺大福の店の列に三時間ほど並んだけれど、あれはもうこりごりだ」
「でも美味しいんでしょう?」
ちょっとその苺大福の味が気になってしまった。でも、さすがに三時間は並べないな。
「ひとつもらったけど、確かに美味しかったな。これだけ並んだんだから美味しいはず、っていう思い込みの効果もあるかもしれないけれどね」
確かに、三時間も並んで美味しくなかったら悲しいし、美味しいはず、と思い込みたくはなる。思い込みが効果を発揮するみたいなのは、プラシーボ効果とかいったかな。
「まあ、苺大福はコンビニのでも充分美味しいですからね。列ができるからには何かしらのプラスアルファはあるんでしょうけど」
「苺が大きいとか、餡子にこだわってるとか、手間暇はかかっているんだろうね」
そんな他愛のない話をしているうちに、予想よりは早く注文した料理がやってきた。二人分が同時に来る。
「それでは……いただきます」
「いただきます」
手を合わせ、久々のご馳走に手を付ける。まずナイフで切ったハンバーグの端を一口。
肉汁がデミグラスソースとともに口に広がる。レトルトのハンバーグもあれはあれで美味しかったけれど、やっぱりまず、厚みからして違う。こちらはデミグラスソースの主張より先に肉のぎっしり感がある。
しっかり記憶に刻み付けるように、わたしは目の前の料理を味わった。ニンジングラッセの甘みも、ほどよい塩気の効いたフライドポテトのホクホク感も。
「なかなかいい味付けだね。具も多いし」
恵人さんはスプーンでクラムチャウダーをすくって味わっている。野菜だけでなく、何種類かの貝の中身も見えていた。
付け合わせのパンはバターロールが二個で、見た目も焼きたてのように香ばしい。
ハンバーグに野菜にライスを味わいつつ食べて、オレンジジュースを一口。飲食店のオレンジジュースにも色々と味に種類があるけれど、ここのはあまり主張しない、爽やかな淡い甘みのある味のようだ。ほかの料理との兼ね合いを考えれば好都合。
口の中がフラットに近くなる。苺のパフェを目の前の真ん中に移動する。
苺ムースの上に苺アイス、生クリームのタワーに苺ソースがかけられ、脇に果物の苺を縦に切ったものが三つ飾られ、苺のポッキーが刺さっている。見た目はよくある感じの苺パフェだ。
この生活を始めてから、パフェが食べられる日が来ようとは。
なぜかそんな感動が湧き上がる。いや、ちゃんと経済的に余裕が出てきたらいずれは食べられたかもしれないけれど、とにかく恵人さんへの感謝を胸にスプーンを伸ばす。
まずは生クリームを一口。
――美味しい甘い。
生クリームとチョコレートは定期的に食べたくなる。今は生クリーム欲はない時期だったけれど……いや、あったとしても故意に目を背けていただけかもしれない。生クリーム欲が満たされていくのがわかるからだ。
「本当に、甘い物が好きなんだね」
わたしはどんな幸せそうな顔をしていたのだろう。恵人さんが楽しげに笑う。
しかし、わたしは知っている。今彼が引き寄せたクリームブリュレだって、成分のほとんどは生クリームの権化みたいなものだ。
「恵人さんも人のことは言えないんじゃないですか、それは」
「うん、それは認めるよ。だって、甘いの大好きなんだから」
いっそ清々しいくらい素直に言い切って、程よい焦げ目のついたクリームブリュレをスプーンで掬いとり、口に運んで味わう。
クリームブリュレはわたしも好きだ。ちょっと羨ましくなるけれど、パフェも美味しいんだから、我慢我慢。
苺ソースの酸味のおかげであまり生クリームもしつこく感じない。アイスは爽やかな甘さだし、ムースも硬過ぎずいい触感。昔、とある旅先のデパートで苺パフェを食べたときには、正直、甘党な小学生だったわたしの舌をもってしても甘ったる過ぎる、なんてものに当たったこともあるのだが……そういう心配とは無縁のパフェだ。
まさかこれでパフェの食べ納めということもないだろうけれど、大事に大事に食べる。
「そんなに美味しそうに食べてもらえるなら、奢った甲斐もあるというものだね。でも、そのうちきみの方がずっとお金持ちになってたりして」
「まさか。わたしはずっと旅を続けるつもりですし。それに、偽人類が完全にいなくなれば〈ハイアーシルフ〉の仕事もなくなるんでしょう?」
わたしが経済的に潤うとしたら、何かの大きな写真公募で間違って賞を取って賞金を手に入れたとか、そんな賭けごとみたいな理由しか思いつかない。
そう言えば、恵人さんら本部の人たちは本職を持っているのだろうか。まさかわたしみたいに、偽人類関連の仕事が主な収入源でもないだろうし。
「皆さん、本職はあるんですよね」
ちょっとプライバシーに踏み込んで行くようで気が引けたが、たぶん、最低限なら〈ある〉と答えればいいだけだろう、と思ってはいた。だって、わたしと同じような境遇で暁美さんや恵人さんが親切にも奢ってくれる可能性は低いだろう。いくら性格的に親切だったとしても、ない袖は振れない。
「ああ、僕はね。これでも服飾デザイナーをやっているんだ」
ああ、どおりで……。
「お洒落に見えてましたし、納得ですね」
「そう? あまりお洒落な服とは言われないけれど。こういうのを作ってるよ」
そう言って、彼は懐から折りたたまれたカタログを出して見せてくれた。
――これはなかなか、変わったブランドのような。
たとえば、帽子は動物の耳がついていたりアンテナがついていたり、ネジ型だったり。チョンマゲのついているものもある。
服も何かの制服に似せたものとか、なぜかうな重がプリントされたコートとか。いわゆる面白系がメインらしい。
まあ、全部が全部そういうデザインというわけではないんだけれど。着物っぽい柄を使った上着やワンピース、西洋の騎士を思わせるコートなど、綺麗なものや格好いいものもあるにはある。
「これはまた、個性的ですね」
「欲しい物があれば、何かひとつプレゼントするよ。お近づきの印に」
カタログを返そうとして、わたしは動きを止める。
「それはありがたいですね」
ずっと同じ格好というのも芸がないし選択にも困るし、いつかは服も買えるといいと考えていたものの、高い出費だ。それがもらえるならありがたい。
もらえるとなると、カタログで選ぶのも楽しい。が、まだ食事中だ。
「カタログ、明日まで借りておいていいですか?」
「いいよ、焦らなくても。まあ、きみとしては早く手に入れたいかもしれないけど」
「そうですね。リュックの隙間も計算しなきゃですし」
と、残り少ないパフェの苺ムースを口に運ぶ。食べきるのがもったいない気もするが、早くカタログを眺めたい。
このときはもう、恵人さんは食べ終わっていた。
「ごちそうさまでした」
じっくり味わっていたので、食べ終えたころには周囲のお客さんも少なくなっていた。
「ありがとう、付き合ってくれて。いい夕食になったよ」
席を立ちながら、彼は礼を言った。助かったのはどう考えてもわたしなのに。
「いいえ、こちらこそありがとうございます。助かりました。美味しかったです」
「じゃあまた頼んだら、一緒に食べてくれるかな?」
少し悪戯を思いついたような声。
「奢ってもらえるなら、何度でも。なんてのは現金過ぎますかね。でも、恵人さんもずっと一緒にいるわけじゃないんですよね」
「ずっと一緒にいてもいいの?」
「養ってくれるなら……と言いたいところですが、今は一人旅も気に入っているので、二人旅をするならもう少し先にしてほしいものですね」
〈ハイアーシルフ〉が役目を終えればわたしと本部の皆のつながりはなくなる。できればそうならないように願いたいけれど。でも相手も冗談だろうし、冗談で返したつもりだった。
「二人旅、あり得るの? きみは一人の時間を大切にしそうだと思っていたな。食事も一人の方が気楽なんじゃないか?」
それはまあ、外れてはいない。とはいえ、マイペースなので相手がこちらのペースを狂わせるようなことをしなければ、それほど苦痛には思わない。ほんの少し心苦しいものを感じるとすれば、それは一人じゃないからではなく、奢られているからだ。
この奢りのお返しは、仕事で返そう。
「べつに二人の食事でも気楽ですよ、気楽にしてくれる相手なら。まあ、若い男性と二人で外食するなんて初めてのはずだし、それで少し緊張していたのはありますが」
わたしがそう言うと、彼は一度、動きを止めた。
「そうか……初めて、か」
独り言のように呟きながら、彼はレジに向かっていく。
その背中を見送りながら、少し不思議に思った。
今、わたしのことばを聞いたとき、彼はとても悲しげな顔をしていた。あれはどういう意味だったのだろう。
理由は尋ねられないままだが、その表情は目に焼き付いた。
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