見えない星を求めて(一)

 青森市に降り立ったわたしが小休止を挟んでやったこと、それは〈ハイアーシルフ〉への連絡だ。一週間の滞在を申請するとあっさり受け入れられ、滞在費を口座に振り込んでおくと伝えられる。

 携帯電話の契約や家の光熱費も解約してきたときに、銀行口座も解約してきた。そのままにしておいて居場所がわかるようなものではないけれど、なにしろ昔の名前のままの口座だからだ。

 なので、口座は〈ハイアーシルフ〉で開設したもののわたし用ということになる。渡されていたカードを使い近くの銀行で口座を見ると、滞在費は一日六千円の計算で四万二千円。あまり大金を持ちたくなくて、とりあえず二万円を下ろす。まずは泊まるところだ。

 一日六千円となると、ビジネスホテルでできるだけ安く済ませたい。カプセルホテルも調べればあるんだろうけれど、それはさすがに腰が引けた。

 こういうときは変にお金をかけたりするより、専門家に訊いた方が早い。

「安くて予約なしで長期滞在できるホテルはありませんか? 設備などにこだわりはないのですが」

 と質問したのは駅の案内所。お姉さんが丁寧に対応してくれた。

 そこで挙がった候補は三つ。無料朝食バイキング付きで五千円前後のがふたつと、素泊まり三千円代の駅からも近いところ。まあ、別に駅から近い必要性はない。五千円台のところは一方は駅から遠く、もう一方は近いけれど前者よりは数百円高い。

 安いところはチェーンみたいで、安いけれどアメニティは持参だしフロントも対応時間が短いという。ただ、長期滞在ならここがいいとお勧めされた。ここはお勧めに乗ることにしよう。

 あとは部屋が空いているか。行き当たりばったりの旅は、予約できないのが難だな。

 案内所を出ると、公衆電話を使い最安値のホテルに電話する。すると、望み通りの冷蔵庫付きのシングルを予約できた。長期滞在で素泊まりなら冷蔵庫はあった方がいいし。できれば電子レンジもあると嬉しいと思っていたところ、どうやら共用であるらしい。

 料金は一週間で驚きの二万以下。これは嬉しい誤算だった。長期滞在すればするほど一日の単価は安くなるようだ。ホテルなんて泊まる機会、ほとんどなかったからなあ。

 ただ、アメニティをどうするか。レンタルもできるらしいが必要なものなので買ってしまおうと思う。歯ブラシはすでにある。あとは、カミソリとタオルセットとクシくらいは持っていても重くならないだろう。

 チェックイン時間まで一時間弱あるし、わたしは店を探した。コンビニなどはすぐに見つかるけれど、できれば百円ショップがあると嬉しい。できるだけ節約したい。

 幸い、看板を頼りに少し歩くと、見慣れた店構えに辿り着くことができた。

 ここでカミソリとクシとバスタオルとフェイスタオル、しめて四百円と少し。余計な買い物はしない。

 店を出たところで腕時計を見ると、三時半くらい。

 そうだ、コンビニに寄っていこう。わたしが一週間もここに泊まる理由は仕事をするためだ。もらった分はしっかり働かねば。

 コンビニに行って何を買うかというと、ここの地元の新聞だ。そう、偽人類の気配が見えるような出来事がないか調べるのがこの仕事。それには地方の出来事を調べるのが一番早いだろう。

 あとは、ホテルの部屋に着いたらローカル番組をチェックしてみよう。できれば、インターネットでこの辺に関するウワサ話とかも調べてみたいところ。

 コンビニを出てホテルに直行すると、まだ少し早い時間だ。少しウインドーショッピングでも楽しもうか。

 秋の初めの風に吹かれ、ちょっとそんな気分になる。衣料店のウインドーの向こうを飾るのは、春物衣料。ああいうのとはもう縁がない。着る物に凝ると荷物が増え過ぎる。

 でも、もう少し見た目に気を使ってもいいんじゃない? と、頭の中で突っ込みが入る。思わず背負ったリュックを下ろして抱えてみるが、大きくて使いやすいのはいいけれど、だいぶ古くてヨレヨレになっている。薄い空色のリュックで、シンプルなデザインも気に入っているのだけれど。

 それに、ずっとこのコートの重ね着も味気ない。袖やファーが取り外し可能なコートが一枚あると便利かな。

 しかしまあ、そういうのももう少し余裕ができたらの話だ。今は節約第一。

 でも、アクセサリーくらいは……と眺めているうちに、思い浮かぶ記憶がある。どこかで誰かと買い物をしている情景。相手は夢の中に出てきた、そうだ、恵人さんだ。なぜか今ならわかる。わたしが復讐を誓う夢で抱えていた怪我人は彼に違いない。

 楽しくアクセサリーを選ぶ情景はまるで恋人同士のよう。でもその記憶もきっと夢。予知夢のような偶然でも夢は夢。しかしなぜ、もしかして恵人さんはわたしの無意識からの理想の男性像だったりするのかもしれない。などと思いながら眺めているうちにホテルのチェックイン開始時間を過ぎる。

 少し戻り、予約したホテルに入る。佐々良の名前で予約したことをフロントに告げ、料金は前払いにしてもらった。この方が気分的にゆったり過ごせる。

 さっそくホテルの三階にある部屋を見る。さすがに狭いが、ベッドにテレビにソファー、冷蔵庫に机と、必要なものはそろっている。バス・トイレもそれぞれの部屋にあり、家の自室よりは便利なくらいじゃないかな。

 飲み物を冷蔵庫に入れ、ベッドに腰かけながらリュックを置いてテレビをつける。丁度ローカルニュースの時間のようだ。

 それをチラチラ見つつ、コビーに尋ねることを思い出した。

 ――コビー、聞こえる?

『ああ、聞こえてるよ。何かね?』

 前に言ったよね。確か……ときどき発令される作戦をクリアすると報酬がもらえて、スキルを成長させたり増やしたり、土地やお金に換えられるって。

『言ったよ。スキルを成長させたり増やしたりするにはスキルポイントというものが必要で、報酬をスキルポイントでもらうことができる』

 それは後で聞くとして、今はお金や土地に換えられるという方が気になるな。

『お金には換えられるけれど、それはゲーム内通貨だよ』

 ああ、なんだ。現実のお金ではないのか。

『とはいえ、ゲーム内で購入できるものには現実世界でも価値を持つ物がある。治療薬とか毒消しとかね』

 なるほど……治療薬、回復薬、ポーション、毒消しとか、冒険もののゲームなどでもありふれたものだけれど、そのありふれたものは現実世界ではなかなかレアだし有効だ。瀕死の人間だってすぐに救うことができたりするんだもの。

『現実世界に持ち込んで換金するのに人気なのは、特殊効果付きのアクセサリーだけれどね。こちらはなかなかゲーム内でも高価だけれど』

 アクセサリーか。それは確かに現実世界でも売りやすそう。

 頭の中で会話しながら、目はテレビのニュースを眺めている。今のところおかしなことはなさそう。普通の交通事故や火事のニュース、動物園で赤ちゃんが生まれました、なんとか漁が最盛期です、という実に平和な話ばかり。

『つまり、報酬ポイントがスキルポイントにもお金にも換金できると思うといい』

 その作戦は今も発令されているの?

『ああ、詳しくはホームフィールドで確認するといい。それと、スキルポイントは作戦報酬だけでなくスキルを使えば使うほど溜まるよ。それもホームフィールドで確認できる』

 なるほど、となると〈飛行能力〉を使った分のスキルポイントが少しは溜まっているのかな。〈投擲〉はあまり使っていないだろうけれど、先ほど聞いた話だと、使ったスキルごとというわけでもなさそうだ。

 わかったよ、ありがとう。

 コビーとの通信を切ったころには、テレビ画面の中でもニュースは終わっていた。釣り番組が始まるところだ。

 塩飴を食べる前にもう一仕事。ベッドに寝そべり、買っておいた新聞を読む。特に地域面を重点的に。

 うーん……おかしな話はないな。わたしの地元の新聞でも見たようなニュースばかり。謎を残したまま終わっているような事件もないし。

 ま、偽人類の痕跡なんてそう簡単に見つからないか。あるいは、この辺りにはいないのかもしれない。

 二〇数名、とかだったっけ。なら、一都道府県に一人としてもいない都道府県の方が多いじゃないか。その上、偽人類の全員が日本にいるとは限らないし。こりゃ、探すのはなかなか骨だ。

 ――気長にやろう。

 そう決めて、わたしはベッドの上に仰向けに寝ようとして、いや、そんな格好で寝たら喉に飴が詰まるんじゃないか、なんてことが心配になり、横向きに寝て目を閉じた。

 途端にまぶたの裏に見覚えのある光景が広がる。

 大樹のそびえる草原。一度目は最近だし、まだ二度目なのに、ちょっと懐かしい。

 ここが仮想現実世界のホームフィールド。

 改めて四肢の感触を確かめてみるが、現実世界と変わりない。技術の進歩というものは凄いものだ。いや製作者の母星の技術の発展具合も知らないけれど。

 目的を果たそうと目を前方にやると、それはすぐに視界に入った。

 大きなパネルが三枚、大地の上に並んでいる。そこに書かれた文字は〈スキルポイント二三一点〉〈クエスト得点〇点〉〈所持金〇チップ〉。

 少し迷い、声をかけてみる。

「スキルポイント、ってどう使うの?」

 即座に、聞き覚えのある声が返ってきた。

『スキルポイントはスキルに振り分けることで成長させることが可能です』

 さらに、新しいパネルが浮かび上がる。そこにはわたしのスキル名と、〈一レベル・〇/一〇〇点〉と書かれている。これはたぶん、百点注ぎ込めばレベルが上がるっていうことじゃないかな。

「じゃあ、〈飛行能力〉と〈透明化〉に百点ずつで」

『一度注ぎ込んだスキルポイントは取り消せません。かまいませんか?』

「ええ、かまわないよ」

 答えるなり、成長させたパネルの表示が変わる。〈二レベル・一〇〇/三〇〇点〉。二レベルにするにはもう二百点ほど注ぎ込まなければいけないようだ。

 ついでに、疑問をいくつか解消しておこう。

「スキルを増やすこともできるそうだけれど、それはどうやるの?」

『バトルスキルは二〇レベル、特殊能力は所有しているものをすべて一〇レベルにするともうひとつ取得できます。ただし、後から取得したスキルや特殊能力は初期所有スキルや初期所有能力のレベルを超えてレベルを上げることはできません』

 つまり、後からとるスキルや能力を成長させたいなら初期所有のスキルや能力をしっかり成長させましょう、という。ゲームなら当たり前の話とも言えるか。

 〈投擲〉をほぼ使っていないのが気になるが、実用性を考えるとこのまま〈飛行能力〉と〈透明化〉を伸ばしたい。十レベルになったら他のを取ったり、〈投擲〉を伸ばそう。

 でも、短い間に二百ポイント以上もスキルポイントを得られるなら、けっこう成長は速そうかも。能力の特性上、使っている時間が長くてスキルポイントを稼ぎやすい、みたいなのはあるかもしれない。

 そうと分かれば、戻ったらすぐに能力を使いまくってスキルポイントを稼ぎたいな。精神力があるうちに使いたい――というのは、ある意味、無駄にするのがもったいないという貧乏根性。

 さて……と戻ろうとして思い出す。違う違う、一番知りたいのはスキルポイントについてじゃない。

「そうだ。今発動中の作戦はあるの?」

 そう、これが本命の質問だ。

『現在発令中の作戦は二件。ウィークリークエストと特別作戦です。内容をお聞きになりますか?』

「もちろん」

『ウィークリークエストは一週間に一度発令されます。今週の期限は四日後です。内容はスキルポイントを千稼ぐことです。現在の達成ポイントは二三一点です』

 ゲームによくある定期的な作戦というやつか。よく見かけるのはデイリークエストとかいうのだけれど、現実的なゲームだけに一週間ごとが現実的なところか。これはちょっと意識しておけばクリアできそうかな。

「もうひとつの方は?」

『特別作戦はランダムにゲームフィールドに配置された星を三つ回収することが目的になります』

 うわ、これは難しそう。確かコビーによれば地球上のゲームフィールドは偽人類が勝手に作ったもので、飛び地みたいなものなんじゃ。本来のゲームフィールドじゃないここで星とやらが手に入るのか?

 でも、もともとのゲームフィールドもどこかの惑星上らしいから、それなりに広いはず。もしかして、星というのは結構たくさん配置されたりするのか。

 と、一人悩んでいても仕方がない。

「星は、わたしでも手に入りそうな場所にすべて存在するの?」

 そうでなければ挑戦のしようがない。

『星は各プレイヤーの移動可能距離内に配置されます』

 ああ、そうか。

 星をプレイヤーたちで取り合うとかではないんだから、公平を期すとそうなるか。それぞれのプレイヤーに対応した場所に配置するのだから公平になる。

『この作戦を引き受けますか? 作戦実行期限は明後日です』

「失敗してもペナルティはないんだね?」

『はい、ありません』

 なら、引き受ける以外にない。

 スキルポイントを上げるために透明化しながら飛び回るつもりなのだが、そのついでに星とやらを探せば一石二鳥。

 星がどんなものなのかはわからないが、まあ、見ればわかるだろうと思う。当然、見つけづらい場所に配置されるだろうけれど。

「わかった。それじゃまた」

 もうここに用事はない、と認識するなり視界が暗くなっていく。

 目を開くと、ホテルのベッドの上。時刻は午後五時過ぎだ。

 思ったより時間の進みが遅いな。

 まあ、やることはできた。リュックを置いたまま、一応財布だけはコートの内ポケットに入れて部屋を出る。

 どこで飛び立とうか。迷いながらホテルを出た。日が短くなりつつあるけれどまだ夕暮れも空を染めていない。

 姿を消すのも、田舎より都会の方が面倒かもなあ。人の目が多いだけでなく、店先なんか監視カメラのレンズが光っていたりするし。

 少し歩いて公園の公衆トイレを見つける。どうやら利用者はいないようで、おあつらえ向きと言える。個室に入るなり〈透明化〉して、〈飛行能力〉の発動を念じた。

 だいぶ慣れてきた浮遊感。低空飛行で公衆トイレを出て、とりあえずそのトイレの屋根の上に立つ。

 わたしがゲームの運営者だったら、飛べる相手にはとりあえず星の一個くらい、飛ばないと行けない場所に配置するんじゃないか。そして一個は地上の見つけずらい場所に配置するかも。上空からは見えにくい場所――橋の下とかトンネルの中とか、何かの裏側みたいなところとか。

 とりあえずは明るいうちに高い場所のを見つけたい。ほぼ垂直に飛び上がり、近くに建つ六階建てくらいの建物の屋上に上がる。浮いたままだけれど、屋上の地面からは数十センチのところ。

 飛べるようになって高所恐怖症はかなり薄れてはいるものの、できるだけ足の裏に近いところに地面や床があった方が安心した。高い場所が怖いというより、人間の性かもしれない。

 屋上から周囲を見回すが、星らしいものはない。

 ――こうやって、高いところひとつひとつを探して回るだけでも相当の手間だぞ? もう少し目ぼしのつきそうなところに配置しそうなものだ。何か象徴的なところとか。

 うーん、青森で象徴的な高いところと考えると、恐山くらいしか思いつかない。土地勘があればさっと飛んで行ってさっと帰ってくることはできる距離なのかもしれないけれど、そうすると他の同じ距離の場所も範囲内ということになって、それは広過ぎないか?

 とりあえず、近場から探そう。市内の高いところ。タワーとか、名所の大きな建物や記念碑とか。

 深く考えず、こうして見て高く見えるところをめぐりつつ探そうか。観光案内のパンフレットはコートのポケットに入れているのを思い出し、それを広げつつ飛び立つ。

 風もほぼないし、暑くも寒くもなく飛ぶにはいい気候だ。直立スタイルでもヒーロースタイルでもなく、今回は少し前のめりな格好で飛ぶ。どちらの格好も探し物を見逃しやすそうだし。

 まずは近くの高いビルに上り、そこから周囲を眺めては次のビルへ。途中、パンフレットにもある何かの資料館や温泉施設が見えたりするが、そこにも星は見当たらない。

 パンフレットを見て思い出したけれど、恐山だけでなく八甲田山も有名だな。地獄沼、という単語も目に留まった。ゲーマーが好きそうな名前。さすがに名前で配置場所を選びはしないだろうが。

 何度か飛んではビルの上に立つ、というのを繰り返しているうちに、やがて、見下ろすそこに輝くものを見つけた。金色の何かが揺らめていているように見える。

 もう少し近づいてみよう。

 ビルの屋上の柵を越え、宙に蹴りだす。姿が見えていたら、はたからは飛び降りにしか見えないだろうな――しかしわたしの身体は重力から解放されていて、ふわふわとゆっくり斜めに降りていく。

 そこはタワーのある、何かの博物館か資料館らしい。タワーの屋根の上の中心で、金色のものがゆっくり回転していた。もしかしたら屋根の飾りじゃないか、と思っていたが、はっきり見えるくらい近づくと、バレーボール大の金色の星型のものが屋根から少し浮かんでいる。

 これが星……って、そのまんまやんけ。

 まあ、見ればわかると思っていたし、実際わかりやすくはあるけど。

 そんなことを思いながら手を伸ばして触れると、鈴の音に似た音を鳴らし、星は手のひらに吸い込まれた。これでひとつゲット、ということだろう。

 あとは、地上の見つけにくいところも探したい。それと、観光名所とかに隠されていたりするんじゃないかな。

 推理がひとつ当たったので意気揚々と、橋の下や大きな屋根の先の裏、トンネルの中などを探し回る。でも見つけられないまま、少し怠さを感じた。

 ――まずい、精神力が切れかけている。

 慌ててゆっくりと、でもいつもよりは早めに地面に降りる。高く飛んでいるときにこの精神力が尽きる感覚が湧くのは、かなり慌てる。ゼロになる前に知らせてはくれているんだろうけれど。

 それにしても、ここ、どこだろう。

 探すのに夢中になっているうちにけっこう遠くまで来ているし、もう空は夕日に染まっているし。腕時計の針は六時半過ぎだった。

 交通機関を使って戻るかしばらく休み飛んで戻るか。お金の計算をしてみよう。バス待ちのベンチを見つけ、そこの棚に置いてあった電話帳をめくる。タクシー料金と一緒にバス料金や時刻表示も書かれていた。

 ここから駅前に戻るとなると、五百円もしないくらいか。ちょっとその辺のカフェで一服した方が安くつくかな。いや、カフェのコーヒーは温かいけれど高い。コンビニの方が安上がりか。二軒ほどコンビニを覗き二軒目で食事用のカウンターがある店を見つける。

 温かいカフェラテは一杯一五〇円。それと、同じく一五〇円のロールケーキと税別六〇円の野菜ジュース、八〇円くらいのヨーグルトを買った。

 ここで食べるのはカフェラテとロールケーキだけど、夕食を卵サンドで済ませようというのにそれは豪華過ぎるんじゃ……と、なんとなくバランスを取りたくなったのと、ここ数日、野菜の少な過ぎる食事をしているのが気になったから。

 カウンターの椅子に座りロールケーキの甘さを味わっていると思考は止まる。美味しい食事は凄い魔力を持っているものだ。

 食べながら窓越しに外を眺めていると、少しずつ夜のとばりが降りつつある。仕事帰りのスーツ姿や家路を急ぐ学生さんなんかが多い。もうそろそろ夕食の時間か。

 わたしもデザートをここで食べずに持って帰った方が良かったかもしれない、と一瞬だけ思う。でも、これは体力回復のためだ。そうだ、デザートを食べる大義名分ができた。

 ロールケーキを食べて温かいカフェラテをすするうちに、もう怠さも疲労感もすっかりなくなっている。

 コンビニは客の出入りが激しい。カウンター席にはほかにも二人、ゆっくりとコーヒーを味わう客がいた。一人はスーツの女性で、もうひとりはスマホをいじる若者。学生さんだろうか。

 また既視感。誰かとこうやって食事をしたような……暁美さんだろうか。この既視感はプレイヤーという共通項でつながっているからなんだろうか。

 ふと、周囲にはわたしはどう見えているだろうかと思う。リュックがあれば旅行者に見えるだろうが、今はリュックも鞄もない。近所の住人に見えるかもしれない。

 ロールケーキを食べ終えカフェラテも飲み干すと、紙のカップを捨てずに洗って使うことにしてリュックに入れ、コンビニを出る。もう、このときには周囲は暗くなりつつある。

 コンビニから眺めている間に目をつけていた、建物と建物の間に入る。煙突らしき丁度いい出っ張りの陰に隠れると、ふたつの特殊能力を解放。

 どこまで精神力が回復しているのかもわからないし、早く移動に使った方が消耗も少なくて済むだろう。ということで、地上数センチだけ浮いた状態で歩道と車道の境目あたりを高速移動する。障害物があったり人がいたりすると速度を緩め避けるという動作は必要だけれど、自転車よりは速い。

 駅の方向は時折ある看板で確認できた。何度か確認しながら道を曲がるうちに、見覚えのある建物が道の向こうに見えてくる。もう駅のすぐそばだ。

 そこでデパートを見つけて人の後について入り、人目のない階段下で能力を解除。ホテルに向かう。

 できれば今日中に二つ見つけられたら楽だったんだけど、結局、星はひとつしか見えなかったな。あまりじっくりとは探せていないけれどここに戻るまでの間にもなかったし。

 まあ、まずは少し休んで夕食を取ろう。思えば今日の朝はまだ地元からあまり離れていない、秘境駅にいたのだ。精神力とは無関係に少し疲労感を覚えていた。

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