新しい世界(二)

 窓から差し込む朝日が眩しくて目が覚めた。

 夢のことはしっかり覚えている。随分リアルな、なかなか面白い夢だったな――そう思いつつ、水と昨日のパンとセットになっていたピーナッツクリームのパンで朝食。パンはもう一食分だけだ。水は公園などで補充できるが、どこかで食料を調達しなければ。

 食べた後、水で口をすすいで外に出る。外で藪に入り、できるだけ奥で用を足した。田舎育ちなのでまったく経験ない訳ではないが、できれば次は公衆トイレでもあると嬉しい。

 ほんの気持ち程度水をかけ、手を洗う。もう水も半分を切っていて頼りない。

 道へ出ると朝日がだいぶ高く昇っていた。肌にその温もりを感じると少し元気づけられる気がする。

 筋肉痛は予想したほどでもない。軽くストレッチをしてから歩き出す。時刻は六時半過ぎ。交通量が増える前に車道地帯を抜けたい。

 結局、駅では誰とも会わないまま獣道にも似た道を出て沿岸の車道へ。しばらくは白線をひいただけの歩道を歩くことになる。この時間なので行き交う車は少なめだが、誰にも見られずにっていうのはもう無理だ。

 歩きながら妄想する。頼むから、わたしが忘れかけているような知人が車を止めて何かしら話しかけてくるようなことはありませんように。

 実際はその手の人たちが通りかかる可能性は低いけど、追い立てられているかのようにちょっとペースは上がる。幸い、三日月形の行く手の沿岸に見える次の砂浜はそう遠くない。その前に、いくつか建物と小さな漁港も見えるけれど。

 店でもあればいいけれど、今見えている建物は漁師の家らしい。漁港にはいくつか漁船が並んでいた。まだ朝もやがかかっているものの海の波は穏やかで、水平線付近には船らしき白い点も並んでいる。

 そんな中、近づいてみると漁港の端に小学生くらいらしい子どもたちが数人遊んでいた。こんな朝早くから珍しい。ま、漁師である親を見送りついでに、はあり得るか。そういえば、今日明日は世間の学校は連休だ。

「すげー! あんなに飛んだ」

「見て、オレもっと遠くに投げれるよ」

 子どもたちは平たい石を手に取ると、それを投げてはキャッキャと声を上げている。いわゆる水切りという奴だ。石が連続して跳ねる距離が延びると歓声がある。

 懐かしい。小学生くらいのときには、わたしもやった記憶があるな。

 子どもたちは遊びに夢中で、道路の向こうの唯一の通行人のことになど気がつかない。そのままわたしは誰にも見咎められることなく数軒の民家の前を通り過ぎ、砂浜が見えたところで車道を渡ってそちらに降りた。

 まあ、また砂浜が途切れるのも遠くないが。この先、道路や線路が連続してトンネルに入る地帯がある。そこは徒歩でもトンネルを通らないといけないかもしれない。

 休憩を挟み、砂浜を歩き始める。ここまで朝の出発から二時間ほど。できればこの砂浜で食料など落ちていれば嬉しいのだけど。パンだけというのは、やっぱりすぐにお腹がすくものだ。

 相変わらず、砂浜には色んなものが流れ着いている。網の一部、浮き球、流木、ゴミとしか呼べない物から意外なものも。たまに貝やツブも見るのだけど、昨日は見なかった。最近の潮の調子では今日も期待できないということじゃないだろうか。

 わたしは少しずつ温もりを濃くする日光を浴びて歩きながら、しばらくの間、つらつらと漁業権について考えていた。今この状況で気にするものでもないと思いつつ。

 ふと前を見ると、白い円形に近いものが砂の上に転がっていた。この辺でよく見るウニ類の仲間の死骸かと思っていたものの、近づくと、それは平たい石であることがわかる。あまりに見事な円盤状なので、つい目の前にすると拾い上げる。

 拾い上げても何かの部品や人工物という痕跡はなく、重さや感触からしてもただの石。

 その形状で、あの子どもたちを思い出した。持って行く意味もない。行く手を見ると丁度いい川が見えた。砂浜を歩くには川はなかなか難敵だったりするが、あの川は幅は四車線の車道程度あるものの、裸足になれば渡れるくらいの深さだ。

 石を持ったまま川の縁まで近づいて、どう投げるか思い浮かべる。もう何年もこんなことはやっていない。あの子どもたちの投げ方を真似ようか、と腕を地面と水平に伸ばす。足を踏み込むと水を吸った砂に少し靴がめり込んだ。あまりいい足場じゃないが、まあ少しは飛べばいいくらいの思い入れだ。

 サイドスローで地面と水平に腕を振り、その勢いを乗せた石を放り投げた。我ながら結構いい出来だと思う。

 投げられた石は円盤ディスクのごとく回転しながら風を切り、結構な距離を飛んで水面に落ちて跳ね返ってはまた落ちて跳ね返り――五回以上は繰り返して、石は向こう岸まで辿り着いた。

「へえ……」

 我ながら感心する。こんなに強肩だったっけ?

 試しにもうひとつ。近くに落ちていた握り拳大の石を拾い上げ、今度は海の方に投げてみる。普通に、ボールを遠くに投げるように振り被るスタイル。

 穏やかな海の水平線めざし投げ放たれた石は、ぽーんとピッチングマシンで打ち上げられたボールのごとく前方斜め上に勢いよく飛び、すぐに見えなくなった。

 ――これはおかしい。

 やっとそう実感する。風もない晴れた空を背景に、あの石を完全に見失うほど飛ばせるとは……いくらなんでもわたしにそんな腕力もない。歩くのは好きだし、田舎者なのでアスレチック的なことはよくやっていたものの、どちらかと言えばスポーツは苦手な方だ。

 思い当たるのは、昨日の夢。

 いや、まさかそんなことが。

 あんな夢を信じるなんて恥ずかしいと感じる一方、信じたいとも思う。誰も見てないし。何よりあの夢が本当なら、わたしは飛べるのだ。

 川を前にして、わたしは願う。飛びたい。この身を縛る重力から解き放たれたい。

 ふわり。

 身体が軽くなった気がした。

 見下ろすと、足の下に影ができている。飛べていたとしてもそんなことをしては落ちるのではないかと思いつつ右手で左手の甲をつねるが、消えもしないし落ちもしない。

 歓喜を押し殺して、次にどうすべきか考えた。このまま横移動すれば川を渡れるはず。進め、と念じてみた。念じるとおりに、わたしは直立したまま十数センチメートルだけ浮いた状態で、すーっとゆっくり前進する。

 これはどうやら、飛んでる間は集中していなければならないとかいうものではないようだ。やりたいことを念じることで飛んだり降りたりするらしい。川を渡りきったところで『着陸』を念じると、地面に降りる。

 ――それにしても、驚いた。

 文字通り地に足がついて落ち着いたところで、改めて驚きと喜びが湧き上がる。こんな非現実的なことを体験するなんて。

 もう世棄て人になったも同然のわたしには、新しい発見とか驚くような経験はないだろうと思っていた。感情自体、ここ一週間ほどの間に死滅していっているようだったのに。

 世の中は、わたしが思っていたよりずっと広くて深いらしい。

 深呼吸して、この能力を得る切欠になったらしい夢を思い出す。もうひとつの能力は姿を消す能力だったはず。

 でも、自分の姿は自分で見えないと困る。この能力ってどう実感するんだろう?

 ともかく実行してみようと、姿が消えるように念じてみる。念じても、自分の手足は見えるままだ。ただ、足もとから影が消えていた。川を覗くと水面にも姿は映らない。服や持ち物も含めて。

 ――なるほど。

 このままの状態で飛びたいと念じると、浮くことができた。同時使用も可能なようだ。

 解除を念じると夢の中で考えていたことを実行してみたくなる。姿を消して飛んでいけば、遠くの町にも移動するのに便利。こうして歩く旅もいいものだけど、とりあえず大きな都市に寄って準備を整えるのもいいな。歩くにしても危険な場所や人目を避けたいときにショートカットできるし。

 でも、この能力は際限なく使えるものなのだろうか、というのが懸案だった。能力には西洋風異世界ファンタジーの物語世界などでよくあるところの魔力みたいなものが必要で、飛んでいる最中にいきなり魔力が尽きて落下、みたいな事故は一番避けたいところ。

 これは簡単に試してみるという訳にもいかないし、こんなことならもっと詳しく聞いてみるんだった。塩飴があればあそこに行けるらしいが、菊池さんにもらった一個はすでに食べてしまい、手もとにはない。

 このゲームとやらには、ヘルプ機能はないのだろうか。

 ――誰か、教えてちょうだい。

 駄目でもともと。こんな非現実的なことが起きているのだから、何か起きるかもしれない。軽い気持ちでそう念じてみた。

『おーい、聞こえているかい?』

 驚くことに、念は通じた。耳の奥から、まるでラジオの波長が合っていくように、一音ごとにはっきり聞こえる声。

『よかった、やっと通じた。わたしはコビー。この完全五感体験型ゲーム〈第五世界の二重線〉のサポートAIだよ』

 あの夢の中の声と少しだけ響きが似ていた。でもそれ以外の部分では似ても似つかない声。若い少年にも聞こえるが、中性的でもっと余裕を感じる声だ。

「ん……なんでも答えてくれるの?」

 何を言うべきか少し迷う。そもそも、このゲームとは一体何なのか。

『答えられることなら、何でも。まず、この〈第五世界の二重線〉は本来、人工造体――人工的に作られた肉体に意識を同調させ、普段と異なる生活や時折発令される作戦の遂行を楽しむゲームだ。作戦をクリアすると報酬がもらえて、能力を強化したり増やしたりといったことも可能。異世界では癒ししか求めないというプレイヤーは、報酬にひたすらお金や土地なんかを求めたりもするけどね』

「異世界、ってことは、ここは現実ではないの?」

 もしや、わたしは夢を見続けているのだろうか。今となっては、そっちの方が現実的な考え方ではあるが。

 コビーとやらは一拍置いて答えた。

『いや、もともとこのゲームは仮想現実などは使用していない。本来はゲーム世界として使われているフィールドは限定された閉鎖空間なんだ。ただ、このゲームを悪用しようという者たちがいて、それらの悪人たちのせいで地球上にまでゲームフィールドが広がってしまった。そのために、きみのようにこちらの通信と波長が合ってしまった地球人まで巻き込むことになってしまってね』

 声はよどみなく流れるが、わたしは何度も引っかかる。地球上、地球人……?

 ということは。

「このゲームは、地球のものじゃない?」

 わたしの知らない間に技術が進歩していて地球に有能な人工知能ができて、こんなリアルなゲームの実験でもしているんだろかと考えたりなんかしていたけども。どうやら想像のさらに斜め上を行っているらしい。

『そう、きみたちからすると遠い惑星発のゲームだよ。ただ、そのゲームフィールドとなる惑星の方はここからそう遠くなかった。だから、地球に目を付けた悪人たち……わたしらは偽人類と呼んでいるが、そういう者たちがいた。地球人は彼らとよく似ていたし、このゲームの人工造体に発現させられる特殊能力は、日常生活に持ち込めば色々と有利になれるから』

 ゲームの中の特殊能力を持ったままで現実世界にいられたら、というのは、まさにわたしがこの〈飛行能力〉と〈透明化〉を選んだ動機そのものだ。悪人が目を付けるというのもわかる。例えば、〈透明化〉しつつ〈射撃〉で暗殺のプロとか。もっと簡単なところで〈投擲〉で野球選手をめざしたりとか。特殊能力のない一般人の社会にまぎれれば有利なことは多い。

 でも、人工造体という人工的につくりあげられた肉体と違い、地球人であるわたしは生身のはず。

『人工造体を変質させて特殊能力を発動させる訳だけど、どうやら地球人にはもともと特殊能力に当たる因子があるらしい。それを活性化させて再現している。地球人が似ているというのはそういう部分も含めてのこと』

 コビーは何でもないことのように言う。

 人間は能力の一部しか使っていないみたいな話を何度か見たり聞いたりしたけれど、そういうものなんだろうか。

「まあ……難しい原理とかは説明されてもわからないだろうしねえ。ただ、ひとつ教えて欲しいんだけど」

 それは助けを求める動機になった、空を飛んでいて突然落ちることがあるかどうかという問題。

『それはわかるようになっているから大丈夫。落ちる前に疲れてくる。そこで休憩すれば必要な精神力は回復する』

 このゲームで特殊能力を使うのに必要なのは、魔力でもなんとかパワーでもなく、精神力らしい。

『ほかに訊きたいことがなければ一度通信を切るよ。まだ知っておいた方がいいことはあるけど、いっぺんに聞いても覚えきれないだろうから、あとはおいおいだね』

「また呼ぶことはできる?」

『頭の中でわたしの名前を呼ぶといい。それと声に出さなくても会話はできる』

 いわゆるテレパシーか。SFの世界だな、と思うものの、もう今さらなので大した驚きはなかった。

 それじゃあまた、と電話を切るときのような調子で通信をやめ、ちょっと休憩することにする。

 砂浜の上に敷物を敷き、お茶やコーヒーでもあればいいけどないので水を一口。自分で買った飴にはまだ手を付けていないことを思い出し、封を開けて取り出す。何種類もある味から選んだのはミント入り。気分がスッキリしそうだからだ。

 冷静に考えれば荒唐無稽な話だ。でも、実際のところ飛べるのだから仕方ない。驚きや疑念よりも飛べるのが嬉しいという感情の方が強い。だって、今までずっと飛びたかったのだから。

 夢の中で何度も飛んだことのあるわたしは、飛行中の注意事項をいくつも知っていた。

 まず、高く飛び過ぎてはならない。高いところは寒いし空気も薄い。丁度いい高さというのは難しくて、物凄く〈飛行能力〉の存在意義に反しそうな気もするけど、やっぱり低く飛んで用が足りるならその方がいい。

 そして、速く飛び過ぎてはならない。空の住人は他にもいる。〈透明化〉なんてしていたらなおさら、高速で鳥にでもぶつかれば怪我では済まない可能性もある。

 丁度いい高さを丁度いい速度で飛ぶ。これがなかなか難しかったりする。夢の中でわたしがちょうどいいと思う高さには、大体電線があって困っていた。電柱より高く飛ぼうとすると、結構高い。そう、空を飛んでみたいと長年思ってきたくせに、わたしには若干の高所恐怖症の気があるのだった。

 じゃあどれくらいの高さを飛べばいいのかというと、電線のやや下程度を飛べば高さにそれほど恐怖を感じない。そうして、車の上をついていけば迷うこともない。

 まぁ……速さとしてはそれじゃあ車に乗って移動するのと大して変わらないじゃないかと言うのは確かだが、どうしてもショートカットしたければ山なり海なり越えていくこともできるし、信号や渋滞にも引っかからないし。本当は地図があればもう少しマシなルートも取れるんだけれど。

 方角もわからない以上、目的地に向かう車についていければ迷う心配もない。

 わたしは砂を払った敷物を丸めて仕舞い、飴をいくつかポケットに入れてから精神を集中した。見えなくなれ、と念じた後に飛びたい、と念じる。

 数十センチメートルほど浮くと、ふよふよと横移動。直立スタイル――と今命名したこの格好では、ゆっくり飛ぶにはいいけど速く飛ぶには不安定だ。わたしは適当な運送会社のものらしいトレーラーを見つけると、うつ伏せになるヒーロースタイルに体勢を変え、トレーラー上に飛びあがった。速度を合わせてそのまま飛ぶ。

 風はやや感じるけど、寒いほどではなかった。風圧はあまり感じないのがこの体勢のいいところ。ただ、映画や漫画の飛行シーンなどでよく見るこのヒーロースタイルにも実は弱点があって……この体勢で前方を長時間見続けるのは難しい。空飛ぶヒーローというのは、首も鍛えてあるものなんだろう。

 でもまあ、急ぐ必要もない。たまにトレーラーの上にそっと横になってもいい。今はこの、空の旅というには低空過ぎるけど〈飛行〉そのものを楽しもう。

 沿岸の道路は曲がりくねりながら続いていく。トレーラーの前には乗用車が何台か連なり、天井部が日光を反射して眩しい。目を逸らし左手側の海の方を見ると、徒歩では見られない角度からの絶景。もっと眺めていたいけどすぐに視線を前方へ。飛行中によそ見していて何かにぶつかるというのを、今まで見た夢の中のわたしは何度か繰り返していた。

 そろそろトンネルが見えてくる。トンネルも電線同様、低空飛行には厄介な障害物のひとつ。

 飛び始めて十数分だが、わたしは慎重にトレーラーの上に降りた。姿は見えなくても、音や振動で運転手に気付かれては困る。

 間もなく、アスファルトの道路は近づく車ごとトンネルに飲み込まれる。

 暗いオレンジの明かりの中、天井に並ぶ丸い照明が通り過ぎていく。最初のトンネルは短いが、さらに三つ、トンネルが続く。最後のトンネルは結構長い。

 すべて抜けた後は、海がかなり遠ざかっている。右手には牧草地と農家らしい家や何かの工場、左手には土手の向こうに川と防風林。たまに丘の合間に海がのぞく。

 移りゆく景色を眺めるのはまだまだ飽きないが、眺めながら色々なことが脳裏に浮かんでは消えていった。

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