第四章-3「竜の巣」

結局あの卵はドラゴンの卵ってことになった。おれは思い出す。目玉焼きにもゆで卵にもならない、おっきな白くて硬い卵。

おれたちを呼んでいたのはあの卵なんだ。


ドラゴンの卵を発見してしまったおれたち。いつ産まれてくるんだろう。どんなドラゴンが出てくるんだろう。

おれたちは急にワクワクそわそわし出した。

でも、それはエヴァンの一言で一気に急降下させられた。


「ああ、でも多分孵らないな」


これ以上ないくらい目を見開いて、おれたちはエヴァンを見た。


「なんで!?」


あの卵から大きなドラゴンが出てくるのを想像してたんだ。大きな翼を広げて、口から火を吐いて、鱗はピカピカ、トゲのある長い尻尾、鋭く光る眼。そんなドラゴンを想像してた。そんなドラゴンと会えるんだって思い込んでた。


「だっておまえら、他のドラゴン見てないんだろ?」

親のドラゴンがいなきゃ、さすがに卵は勝手に孵らないぞ?


卵はひとりぼっちであの場所にいた。

父さんも、母さんも、いなかった。


「ママもパパもどこ行っちゃったの?」

「卵一個残していなくなるの? ドラゴンって」

「卵はずっとあのままなのかよ」


エヴァンは黙っておれたちの言葉を聞いていた。エヴァンの家族のことは知らないけど、少なくともおれたちは親に守られなくなるってことを知っていた。この街には一人でやって来たんだから。

親のぬくもりがない夜は冷たくて、どんなに毛布を被っても震えて眠れなかった。雨の避け方も知らなかった。両親が傘を刺して雨を遮ってくれた。抱き締めて、濡れた自分を温めてくれた。

あの卵には、そのぬくもりが必要なんだ。

卵の二重の殻は、外からも中からも割ることができない。親のドラゴンがいるから、卵から新しいドラゴンが出てこれるんだ。

子どもは守られているから外の世界を夢見ることができる。おれたちがそうだったように。




「もう帰って、来ないのかな」


誰かが言った。三人ともそう思ったから、誰が言っても不思議じゃなかった。

自分を残してどこへ行っちゃったんだろう。寂しいな。淋しいな。

ひとりぼっちで誰かを待ち続ける姿が、自分と重なった。




置いていかないで。


オイテイカナイデ


ここにいて。ここに来て。ここへ戻って来て。


ヒトリニシナイデ




迷子ひもの先が、ほんの少し揺れた気がした。


…コロン…

…コロン…


鈴を転がすようなあの音が聴こえた気がした。


おれたちを呼ぶ音だ。


あの卵の中にいるドラゴンが、おれたちを呼んでる。外へ出たいって、おれたちを呼んでるんだ。


「どうすれば、出てこれるのかな」

どうすれば出してあげられるのかな。




まだ扉は閉まったままだった。







「卵の殻をぶち壊そう!」


そう言い出したのはおれだった。殻を壊せば中のドラゴンが出てくる。単純な考えだった。


「殻が壊れるくらいの力じゃ、中のドラゴンも潰れるよな」

「トラ、頭も虎になったのか」

「目玉焼き作ったことないの?」


おれは単純な頭をしてるって思われた。実際してた。虎の方が頭はよかった。

頭をがっくり下へ落としたおれに、エヴァンは言った。


「ごめんな。虎だってそんなことしないよな。頭、悪くないもんな」


言ってる「とら」がどっちの「虎」かなんてわかんないような言い方だったけど、おれにはどっちかなんとなくわかった。おのれ。

こんな頭でもどうすればいいか必死で考えてるんだよ!


「じゃあ、あっためる! 毛布とかいっぱい持っていこう!」

「…なあ、トラ?」

「それがダメなら、えっと、他のドラゴンがいる世界に持ってって…」

「おまえ、何がしたいんだ?」


何って、決まってるじゃないか!


「ドラゴンの卵を孵す!」




実際、ドラゴンの生態なんて知らないし知られてもいない。ドラゴンは敏感でおれたちヒトを避けてるから。だからって諦める理由にはならないと思うんだ。

卵はこのまま親が戻ってこなかったらずっとあのまま。卵のまま、あの場所でひとりっきり。


「もしかしたら、もしかしたらよ? ママもパパも、今ちょっとだけ出かけてるだけで、すぐに帰ってくるかもしれないよ?」


ブーケの言葉には頷けなかった。

「扉」の中で両親をなくしたおれにはわかる。目の前で両親をなくしたから、おれにはわかる。

ドラゴンの親は戻ってこない。

おれには、わかっちゃうんだ。


「ブーケ、多分、卵はずっとあのままだったんだよ。じゃないと、ぼくたちを呼ぶはずないだろ?」


エドの言葉にブーケは何も言えなくなる。エドもわかってるんだ。それに、本当はブーケも。

どんな理由があったって、子どもが親に置き去りにされるなんて考えたくない。ひとりぼっちは嫌なんだ。

だからあの卵の中にいるドラゴンは呼んだんだと思う。誰かにいてもらいたくて、誰かに助けてもらいたくて、あの音を鳴らしたんだ。

それがキライできらいで大っ嫌いなおれたちヒトに届いたとしても。いいって思えるくらい、きっとあの卵の中は寂しいんだ。




ヒトリニシナイデ




おれたちが卵を割らなきゃいけないんだ。

呼ばれたおれたちだから、呼んでくれたドラゴンに応えなきゃいけないんだ。

おれたちが! あの卵を孵すんだ!




「じゃあやってみろ」


エヴァンが教えてくれたのは卵の孵し方じゃなくて、卵の目覚めさせ方だった。自分も詳しくは知らないから、図書館へ行けって店を追い出された。


扉に挟まった迷子ひもは確かに卵に続いている。でも、扉をノックするおまじないを使わないとこっちとあっちの世界は繋がらなかった。

不思議だな。

おれたちは不思議な世界に生きていた。







扉の向こうからは何の音もしなくなった。

無音の世界からのドラゴンの呼ぶ音は絶えてしまった。




エヴァンは瞳を細めて扉を見続けていた。




森の葉は秋色に染まろうとしている。







世界にたった一つしかない大図書館。そこにはたくさんの司書がいる。

何かに囚われている司書たち。

おれたちはそれを知らなかった頃にどかどか土足で踏み込んで、勝手にそこを遊び場にしていた。

褒められたことじゃないけど、司書さんたちにとっておれたち「子ども」っていうのはそういう生き物だったらしい。怒りもしないで、おれたちにたくさんの知識を与えてくれた。


そんな彼らは一人一人が全知全能っていうのかな。どの分野にも詳しい。ってことじゃなかった。

サンドウィッチには目がないのに、目の前の女の人には無関心だとか。遠くを見るような目で魔法を語るのに、子どもと一緒に紙飛行機を飛ばしまくるとか。

彼らはどこか抜けていた。

でも確かなことは、一人が一つ、専門の分野を持っているってこと。自分が自信を持って語れる分野があるってこと。


その中に、おれたちがドラゴン博士って呼ぶ司書さんがいた。

専門はもちろん、ドラゴン。




おれたちはドラゴン博士の待つ階に転がり込んだ。

カラス色の髪をした司書さんの上の階。そこにはドラゴンについての簡単な本から難しい本まで揃っていた。棚にはドラゴンの小さな骨の模型が座っている。

多分、ここがドラゴンに一番近い場所。でも、一つだって本物が置いていない一番遠い場所。


おれたちはドラゴン博士に質問した。


「どうすれば卵の中にいるドラゴンを目覚めさせられますか?」


そのタイミングはラッキーだった。だっておれたちと博士以外誰もいなかったんだから。

普通ならドラゴンと出会えるはずがない。なら、ドラゴンの卵になんて出会えるはずがない。だからこんな質問されるはずだってないんだ。

博士はすごく驚いた顔をして、何でそんなことを聞くのか理由を求めた。おれたちは正直に話した。でも、話したのは卵と卵がある世界についてだけ。エヴァンのことは名前だって出さなかった。


博士は色々話してくれた。それはもう、いろいろ。

おれたちがその司書さんのことを「博士」って呼ぶのはこうなるから。

話始めると止まらない。自分だけの世界に入っちゃって、あーでもないこーでもないって一人言が口から流れてくる。その時の内容は多分貴重なものだろうけど、専門的すぎておれたちの頭が追い付けない。

だから今回は紙に大事なことだけをまとめてもらった。

博士はもともと人に教えることも得意だから、絵も入れておれたちがわかるようにしてくれた。ただ、ちょっと暴走する時があるってだけなんだよ。うん、かなり暴走することがあるってだけなんだよ。


博士からもらった紙を手に図書館を出る。

次に扉をくぐる時は大冒険になりそうだった。


紙に書かれていたのは卵の中にいるドラゴンを起こす方法。

何かの理由で親ドラゴンをなくした卵は、普通なら他のドラゴンに食べられる。他の生き物じゃなくて、ドラゴンに食べられる。それは同じ「ドラゴン」っていう仲間だからなんだとおれは思う。他のやつにくれてやるくらいなら仲間の自分が食べてやる。おれだったら、そう、思うな。

仲間のことを知ってるから他のやつにはあげたくない。これは自分の仲間だ。せめて最期まで自分が面倒見てやる。そう思ってドラゴンがペロリと卵を食べていたら。

そうだと、いいな。

おれはドラゴンのことを全く知らなかった。




孵してくれる親がいないドラゴンは、自分で出てくるか卵ごと食われる。そうするしか、そうなるしか道がない。

子どもが選べる道は本当はものすごく狭いんだ。でも、もしその狭い道を通り抜けることができたら、きっとその先にはすっごい出会いが待ってるんだ。

おれがこの街に来れたみたいに。

エヴァンの店を見つけられた日みたいに。

本当は難しいんだろ? 卵から出てくるのも、出てきてもその後一人で生きていくのも。知ってるよ。よく、知ってるよ。

それでも出てきて欲しいんだ。




どんなにおれたちが叩いても、中のドラゴンには聴こえない。同じ「ドラゴン」じゃないと外から割れないんだ。だから中のドラゴンを起こして、自分で出てきてもらうしか出会える方法はない。


お願いだよ、出てきて。おれたちの前に出てきて。


結局ヒトには何にもできないんだ。いくら叩いても、あっためても、卵は割れないし中のドラゴンは気づかない。

卵の中にいるドラゴンを起こす方法。

それは、他のドラゴンの涙を三滴集めてかけること。たった三滴。簡単じゃん。

で、そのドラゴンって何処にいるの?

で、どうやってそのドラゴンを泣かせるの?

なあ。こんな無理難題、初心学校の先生もびっくりなんですけど。

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