第三章-2「扉の向こう」

棚に並ぶビンとビンの間に押し込められていたのは三つの巾着。赤、青、黄色の中身がパンパンに入った巾着袋。

それはちょっと前に冒険セットの試作品だって言ってエヴァンが作った「探検セット」。中にはツカエルお得道具を詰めてみたって彼は言ってたけど、おれたちには見せてくれなかった。


「使う時が来たら教えてやるよ」


今がその時だった。

巾着に着いてる紐を引っ掴んで棚から引き釣り出す。そのままぶつかりそうな勢いで、後ろをついてきていた二人に渡す。

赤をブーケに。赤は彼女の好きな塩イチゴの色だ。

青をエドに。いつか鉱石の山じゃなくて、大きな大きな水溜まりを見てみたいとおれに話した。

黄色を自分の手に残す。赤足ニンジンは速く走れるほど黄色っぽくなるらしい。


いつもは騒がしい宝石キャンディの妖精たちが小声で何かを言いながらおれたちを見てた。

奥の扉はたまにガタガタ音を立ててはいたけど、きっとその先は今おれたちが行きたい場所へは繋がっていない。

おれたちは階段を駆け上がった。一段一段音を立てて、うるさかっただろうな、おれたちは駆け上がった。

階段を上がった所でおれは止まった。部屋に入らないで、閉じられた扉を見た。


この先はいつもの部屋。


「エヴァン! 入るよ!」


おれは部屋にいるエヴァンに向かって一声かけた。

いつもはしないことだった。いつもだったら中に誰かいてもノックさえしないで扉を開いてた。

でも、今はそうしないといけない気がした。

エヴァンの返事はすぐに聞こえた。


「入れ」


おれは扉を開いた。







「いいか。普通だったらこの扉はただの扉だ。どの異世界にも繋がっていない」


エヴァンが珍しく真面目な顔でおれたちに授業を始めた。彼の後ろには音がしない扉。

おれたち三人は巾着の紐を服のどっかに結びつけて、エヴァン先生の説明を聞いていた。


「聴こえるはずのない音が扉の向こうから聴こえる。それは音を出しているものの世界とこっちの世界が繋がっていたからだ。それが何かの理由で途切れた。

異世界とこっちの世界は繋がっていない」


ブーケの顔が下を向く。自分が間違ったからだって思ってる。


「もう、繋がらないの?」


エドがエヴァンに尋ねる。声が震えてた。


「普通だったらな」


その言葉に、下を向いてたブーケが顔を上げる。普通だったら。じゃあ、普通じゃなかったら?

何か、方法があるんだとしたら?


「繋がるかわかんないが、方法がないこともないんだ。失敗したって思ったらすぐに戻ればいい」


扉を閉めずに開いたままなら、当然世界は繋がったままになる。エヴァンは扉を開いて向こうに行った瞬間に判断しろって言ってるんだ。

そうなのか。

違うのか。

違うと感じた瞬間に扉をくぐって戻って来い。そうすれば確実に帰って来れる。

エヴァンはおれたちを心配してるんだ。別世界への扉をくぐることをずっとこわがってたおれたちを。


「おまえら、扉を開くときの作法って知ってるか?」


扉を開く時はこうしなさい。知ってる。おれ、ちゃんと知ってるぜ! おれは手を元気よく挙げた。


「はい!」

「はいそこのトラちゃんどうぞ」


おれは元気よく答えた。


「開けゴマって言う!」

「言わない!」


すぐ横のエドに訂正された。言わなかったっけ? 言うよな。え、言わない?


「いや、近い」

「近いの?!」


今度はブーケが叫んだ。

おれはエドをちらりと横目で見た。

ほら、言うんだよ。

言わないよ。

にやりと笑うおれとは反対に、エドは片頬を膨らせてふてくされてる。


「ほらそこ。ちゃんと聞いとけよ」

「はーい」


エヴァン先生の授業は続く。


「おまえらにしてもらいたいのはノックだ。これからそっちに行きますよって合図を向こうに送る。もちろん音がしてた先をイメージしろよ?

ちゃんとノックが届けば向こうに行ける」

これが『ノック』のまじないだ。


エヴァンは言いながら扉を叩く動きをする。コンコン。二回宙を叩く。

それを見てエドが聞き返す。


「叩くのは二回でいいの?」


別にいいじゃないか。二回でも三回でも四回でも。おれはこういうマナーには無頓着だった。

ブーケも丁寧だけど、意外と大雑把なとこがあった。こんな細かいことを気にするのはエドくらい。

でも今回に限ってはこの質問はすごく大事だった。


「コンコンコン、を二回。だ。」


ノックを六回じゃなくて、三回を二回繰り返せ。エヴァンはそう言ったんだ。

これはそういうおまじないなんだって思った。

物知りなエヴァンが教えてくれることにはいつだって意味がある。理由があって結果があって意味があるって彼はおれたちに教えてくれる。

だからきっと、今は解んなくてもこのおまじないにも理由があってこのやり方なんだ。

ルールを守る。守らなかったらどうなるか。




イキテモドレナクテモ、マモラナカッタオマエガワルイ




ちゃんとしたルールにはちゃんとした理由がある。だから、守らなくちゃいけない。

初心学校で誰もが教わることだよ。

生きていくために教わること。


だから今回は作法を守っていい子になる。







エヴァンが扉を背にしてはっきり言う。


「いいか。何かあったらすぐに戻って来い。おまえらは冒険者でもなんでもないんだ」


冒険者でも帰って来れるかわかんない異世界。自分のいる世界とは違う別の世界。

そこではおれたちのルールが通用しない時がある。出会うものが人とは限らないから。

だからおれは扉をくぐるのがこわかった。また、あの『扉』に食べられちゃうんじゃないかって震えてた。


扉から聴こえてた小さな音。おれたちを呼ぶ、呼んでいたあの音。

それから目を背けて逃げていたのは自分だ。助けを求める声を無視したのは自分だ。自分たちなんだ。


胸がどきどきした。緊張して、足も震えてた。握った手には汗をかいていた。


胸が、どきどきドキドキしている。

おれは、勇気をふりしぼる。


「行ってくる!」


エヴァンは笑って扉の前から体を退けた。

おれたちを遮るものは何もない。


「行こう! エド!! ブーケ!!」


おれは誰よりも先に足を踏み出した。




ノックを三回、コンコンコン。


森からやって来た栗毛のリスが、外から窓を一緒になってフォークで叩く。

コンコンコン♪

夏の終わりを告げる吐息がカーテンを揺らしていった。


ノックを三回、コンコンコン。

行くよ。今からそっちに行くから、おれたちを待ってて。

今度こそ、おれたちを信じて。










小さな子どもたちは、扉の中に飛び込んでいった。


扉の向こうからは聴こえていたはずの音は消えていた。もう、何も聴こえない。


残されたエヴァンは扉の中を覗きこんで呟いた。


「イヤな風が吹いてるな」


彼の目は猫のように瞳が細くなっていた。それを見るものは森からの客だけだった。

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