第三章「扉の向こう」
第三章-1「扉の向こう」
いつからか、二階の扉から不思議な音が聴こえるようになった。
♪コロン
♪コロン
鈴が転がるようなその音は、部屋に入った時に後ろから聴こえてきた。
まだ暑い日は続く。
不思議なその音は聴こえる時もあれば聴こえない時もある。エドにも聴こえるしブーケにも聴こえるんだけど、エヴァンには聴こえない。
子どもにしか入れない道があるみたいに、子どもにしか聴こえない何かがあるのかもしれない。
窓の外を見る。森からは葉っぱが擦れる音が風に乗って部屋に入り込む。
雨の日はほんの少しだけ窓を開ける。水の粒と一緒に雨の音が部屋に入り込む。
窓を叩く音と一緒に森から小さな獣がやって来る。時間ごとに毛色の違うリスたちが、銀の食器を持ってやって来る。ノックの音は高い銀の音。
窓の外を見る。たくさんの音が窓の外を横切っていく。
でもそのどれもがあの音じゃない。
聴いたことのない不思議な音。
おれたちはその音を聴くと、顔を見合わせて口に人差し指を当てるんだ。
「静かに」
「聴こえる?」
「聴こえる」
「あの音だ」
おれたちはナイショ話をするみたいに近くへ集まって、耳を澄ませて音を聴いた。
その音は二階のその部屋だけでしか聴こえなかった。部屋に入る前には聴こえない。扉を挟んでおれとエドで確認したんだ。廊下側のエドには聴こえなかった音が、おれの耳にはしっかり届いた。
他にもいろいろ試してみてわかったのは、その音が部屋に入る扉からしているっていうこと。でもその扉に何か仕掛けがあるとか、変な虫が住み着いているってことじゃないんだ。
何て言ったらいいのかな。階段を上がってその部屋の扉を開く。部屋に入る。扉を閉める。そうすることで扉から、いやもしかしたら扉の「向こう」からなのかもしれない。そこから音が聴こえるんだ。
ほら、「扉」の話、覚えてる? 扉は異世界とこっちを繋いでいるんだ。
だからきっと、その部屋から扉を開くことでどっかの世界に繋がってる。そんな時にあの音が聴こえてくるんじゃないか。おれたちはそう考えたんだ。
そう。きっと、あの音はおれたちを呼んでいるんだ。
「扉」が呼ぶんじゃなくて、扉の向こうにいる誰かが呼ぶなんて聞いたことない。
エヴァンに話したら、確かに扉の向こうから呼んだり呼ばれたりすることはあるみたいだった。でも結局、扉を開いて別世界に行くか行かないかは自分次第なんだってさ。
おれは知ってるよ。興味本意で扉を開くことの愚かさを。
学校を卒業した先輩たち。その内の何人かは二度とこの街に戻って来れない。おれの両親みたいに運悪く『扉』に喰われた? ううん、違う。
エヴァンに聞いたんだ。扉をくぐって別世界に行った時、そこが森なら生きて帰るのを諦めた方がいいんだって。
森にすむカレラはおれたち人を食べるから。
カレラっていうのは獣だったり魔物だったり、他のものだったりするかもしれない。何と出会うかはその人の運次第だけど、辿る結末は大体同じなんだって。
わかるだろ? かえってこれないんだ。その森からは。
カレラはおれたちを森からかえしてくれない。
それを知った上で、その音に応えるか考えてみろ。エヴァンはそう言った。
おれたちには扉を開く勇気はなかった。でも、扉の向こうが気になっていた。
何があるんだろう。誰がいるんだろう。
おれたちを呼んでいるのは誰なんだろう。
閉じた扉を見ながら、おれは音に耳を傾ける。
♪コロン
♪コロン
向こうから、誰かが呼んでいる。
おれたちを、呼んでいる。
おれたちは子どもだった。奇跡も偶然もめったにない、一回きりの特別なことだって忘れてた。
毎日が特別だったから、それがずっと続くと思ってたんだ。だから、不思議なことも続く。おれたちはそう思い込んでいた。
でもそんなことあり得ないんだ。不思議なことは起こっているようで起こっていない。起こっていないようで起こっている。幻や陽炎、蜃気楼みたいに手の届かない、そんな現象。
不思議なことを現実にしたかったら、自分からそこに飛び込むしかなかったんだ。
『ほら、勇気を出して!』
誰かがおれにそう言った。うずくまって立ち上がれないおれに勇気をくれた人がいた。一緒に泣いて、一緒に歩こうとしてくれる親友たちがいた。
勇気を持つべきだったんだ。勇気を出して、その音に応えるべきだったんだ!
おれたちは、後悔した。後悔することになった。
ある日、扉の向こうから音が聴こえなくなった。おれたちを呼び続けていた音は、急にピタリと止んでしまった。
最初に気づいたのはエドだった。エドはおれたちの中で実は一番心配性。だからいつもと違う「音がしない」ことに気がついたんだと思う。
おれとブーケも扉に耳をぴったりつけて音を聴こうとした。でも聴こえるのは自分の心臓がどくどくいう音だけだった。
「なんで、昨日までは聴こえてたよ?」
「こんな急に…」
本当に突然だった。
どうしたらいいのかわかんなくて、おれたちは階段を駆け降りてエヴァンに助けを求めた。
もうすぐ夏が去ろうとする時期だった。
エヴァンは扉の前に立って、丁寧に木の板を撫でた。
「で、本当に聴こえねえのか」
おれたちは頷いた。言葉も出てこなかった。
「あのな。その音にずっと応えてこなかったのはお前たちなんだ。開けばよかっただろ?」
おれたちの頭はどんどん下がっていく。そんな姿を見ながら、エヴァンは溜め息を吐いた。
「無視してたのはお前たちだ」
そうだよ。その音がおれたちを呼び続けてくれるのにいい気になっていた。
おれたちは呼ばれてる。
だから、行くのも行かないのもおれたちの自由。そんな風に思ってたんだ。呼んでる方がどんな思いかも考えないで。
あんなに呼んでいたのにはきっと理由がある。冷静に考えればそのはずなのに、おれたちは「自分たちが求められている」っていう状況に浮かれていたんだ。
助けてください!
えー、どうしよっかなぁ?
本当にバカだった。自分たちは「呼んでもらってる」立場なのに、いつの間にかそれは「呼ばれてやってる」に変わっていたんだ。
上と下を勝手に決めて、自分はその上に立つ。自分はえらい、自分は強い、自分は優れてる。人はそう思いたい時がある。それだけなら自信の問題でいいのかもしれない。でも、お前は下なんだからって他の人を決めつけ始めるとどうだろう。
おやつを奪う、宿題をやらせる、イスに座らせない。子どもでもやるイジメの始まりだ。
人は間違える。小さなイジメも小さな勘違いも、時に種族や国境や性別を越えて大間違いをする。
取り返しのつかない間違いを犯す。
人は、間違い続ける。
そういう生き物なんだ。
おれたちは、そういう生き物なんだよ。
子どもだからってなんだよ。目の前の声にこたえられなくてどうするんだよ。
おれは自分が恥ずかしくなった。なさけなくて、頭を叩きたかった。でも今そんなことをしてたって何にもならない。おれはエヴァンに頭を下げた。
「お願いします! あの音がどうなったか知りたいんです。おれを扉の向こうに行かせてください!」
エドもブーケもどんな顔をしたのか見えなかったけど、また、バカだって言われるかもしれないと思った。でも違った。二人もおれとおんなじ気持ちだったんだ。
「お願いします!」
「もう一回だけでいいんです!」
ダメだと思ってた。あの音が聞こえないってことは、もう繋がっていないかもしれない。偶然は何回も起こるはずないんだから。
扉はもう閉じてしまっている。
頭の上から二回目の溜め息が聴こえた。
「おまえら、下に行ってこい。試作品のあれ、棚に引っ掛けてあるから」
勢いよく頭を上げた瞬間、おれたちの目がぶつかった。真ん丸な二人の目。きっとおれもおんなじ真ん丸になってた。
そんなおれたちをエヴァンはけしかけた。
「ほら、とっとと行け」
おれたちは店に下りて宝石キャンディが並ぶ棚に向かっていった。
お客さん? 今日も閉店だよ。
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