第一章-3「三人の主人公」

例えばおれ、トラの話。


おれの世界には何にもなかった。あったものって言ったら、サラサラ流れる砂。キラキラ光っていたり、やけに粘っこかったり。細かく言えば言えるんだけど、知らない人にはただの砂。だから細かくは言わない。

それと、その砂を食べる生き物たち。他に食べ物がないんだから、これしか食べられない。でもその砂も色々あるらしくって、そいつらの種類も数も砂の種類と同じくらいたくさんいた。

それで、おれたちがいた。砂を食べる生き物を飼ったり狩ったりして生きる生き物たち。おれたちヒトを含む雑食系もいるし、肉しか食べない肉一筋のやつらもいる。

その中にはもちろん四つ足の虎っていう件の生き物もいた。


おれたちは頑張って生きていた。生きることに必死ってわけじゃくて、どこか余裕があった生き方だったけど。

いざとなれば砂を噛んだっていい。おれたちにはそんな生き方だって選ぶことができた。

命のやり取りだって、奪って奪われるものじゃなかった。命はいつだって、もらって差し出すものだった。そこには感謝と言っていい関係があったんだと思う。


テーブルの上に皿へ乗せられた食事たちが並べられる。

いただきます。

どうぞ召し上がれ。


そんな関係があったんだと思う。


話す言葉は一つだけ。文字はない。

じゃあ、何で読み書きができるのか。

おれの世界は、何でかわかんないんだけど「扉」が繋がりやすかった。それは人がたくさん通るっていうこと。この街みたいに。

おれたちは通りがかった人たちから文字を教わった。教わった人は別の人に教えた。そうやって広まっていった。

おれは父さんから文字の書き方を、母さんから文字の読み方を教わった。やっと覚えて自分の名前が書けるようになった頃、そろそろ王都へ行ってはどうだと声がかかった。




おれはウキウキ気分で扉の前に立った。右手と左手の先には父さんと母さんが繋がっていた。

テヲ、シッカリツナイデタハズナンダ

大きくて、温かい両親の手。




おれは扉をくぐった。







扉に







呑み込まれた。







おれの世界って、扉がたくさんあるんだ。外の世界と繋がってる扉。どこかに続いてるのかも知れない扉だってある。でも、絶対何処かへは続いてるその扉。


後になって知ったんだ。扉は何かを真似して作られたってことを。全部、取り返しのつかないことになってからおれは知った。


知らなければただの便利な道具「扉」。本当に便利なんだ。世界と世界を繋ぐ、不思議な扉。異世界へと導く、不思議な不思議な扉。

だから、たくさん扉を増やした。増やし過ぎた。







あの日のことを覚えてる。

違う。

あの日のことを思い出した。

忘れたかった。

消したかった。

だから考えなかった。

でも思い出した。思い出せって誰かが叫んだ。それはおれ自身だった。







目を閉じた。


希望とドキドキと夢とワクワクと、色んなものに胸をいっぱいにしながら扉をくぐったあの日を思い出す。

両手にまだ大切な人のぬくもりを握り締めていたあの日を思い出す。


目を開く。


目を閉じて、開く間のほんの一瞬のことだった。

ほんの一回、瞬きをした間のことだった。




おれの両手からは全てがこぼれ落ちていった。まるで、砂みたいに。




おれは扉をくぐった。目の前には王都が広がっていた。

あの日、おれは、ひとりでこの街にやって来たんだ。


リョウテニアッタモノハ?


両手に繋いでいた大切な者たちは、扉の中に置き去りにされたままだった。




増え過ぎた扉たち。その中には『本物』の扉が混ざっている。

混ざっている? いいや、違う。

あいつらは紛れ込んでるんだ。

あいつら『扉』の正体は







『魔物』『化け物』




そう呼ばれる異界の住人。







おれは知らなかった。だから、自分からあいつの口に飛び込んでいったんだ。

ぽっかりと開いた口。そこに獲物が飛び込んでくるのをあいつらは待ってる。入り口から繋がってるのは外でも異世界でもなくて、あいつらの腹の中。

そこで何があったか、知りたい?

おれの両親がどうなったか、本当に知りたい?




おれは目を閉じて忘れようとした。

あの日、おれだけが口から出れたのは誰かが助けてくれたからなんだ。それさえおれは忘れていた。

恐かったんだ。

怖かったんだよ。

初めて命が喰われるってことを感じた。終わりが目の前で口を開いていた。







エドと出会った時、確かに彼はおれとおんなじように一人でそこにいるのかと思ってた。多分、思い込もうとしただけだった。

実際は、彼の隣のイスには男の人が座っていた。エドとよく似た顔で、色を薄くした髪と目。多分お父さんかお兄さん。

都合のいい頭はきれいにそこだけ切り取って見ない振り。そんな頭をおれはしてた。見たくないから、思い出したくないから見えてない振りをする。

ほんとは逃げちゃいけないことなんだ。でも、おれはその痛みから逃げた。

ああ、なんて弱っちいお子さまなんだ!







もうおれには父さんも母さんもいない。

あの『扉』に喰われちゃった。








親友二人に怒られた時、おれは泣いてあの日のことを話した。泣いて、泣いて、ごめんなさいを繰り返した。守れなくて、弱くてごめんなさい。忘れたりなんかして、ごめんなさい。

ぽろりと流れ始めた涙は大雨になった。流れ落ちるのを忘れていた分だけ止まらなくなった。


親友たちの怒った顔は、だんだん困り顔へ変わった。何のことを言ってるのかわからない。それはそうだよ。「扉」がもともと魔物を基に作られたなんて知られてない。

図書館で司書さんにでも聞けば教えてくれるだろうけど、あの人たちは聞こうとしない限りそんな話はしない。『扉』の話は知らなくていい話なんだから。

知っちゃったら、もう誰も扉をくぐれなくなっちゃう。そうしたら、もう誰も外の世界へは行けなくなっちゃう。

そんなのツマンナイだろ?


おれの時はたまたまだったんだ。同じように扉をくぐった親友たちが普通なんだよ。

おれはアンラッキー。

エドとブーケはラッキー。

そんなちっぽけな違いなんだよ。それでいいだろ? いいんだよ。


そう言ったら、二人も一緒に泣き出した。

人が目の前で亡くなるのは辛いことだから。 だからたくさん泣いてもいいんだって。

辛くて忘れたくもなるんだって。でもいつかは、その人たちのことを思い出して前に進むしかないんだって。

それが今生きている自分たちのするべきことなんだって。


エドの世界も、ブーケの世界も、本当は人が生きるには苦しい環境らしいんだ。

エドのジュエルシティは豊かに見える。宝石に囲まれてキラキラきらきら。でも実際は鉱石病っていうのが命を削っていく。

ジュエルシティに産まれた人誰もがかかる病気、鉱石病。だんだん髪と目の色が薄くなって、視力がなくなる。最期には手足が動かなくなって死んでいく。

ブーケの塩ノ原も似たようなもの。

彼女の世界に広がる平原は塩分が濃すぎて人は居続けることができない。だから移動を繰り返して生きるしかない。

そこにいる生き物は体が塩に適応した生き物ばかり。人は適応できなかった。

栄養が足りない食事は、空腹をまぎらわすことはできても何かが足りない。人の体は小さくなる。小さく育って、小さいまま死んでいく。当然生きることのできる時間だって短くなる。

その世界の人はみんなそういう生き方しか選べない。小さい自分でしかいられない。

それがわかっているから、ブーケは小さいって言われるのを嫌う。




おれたち三人は両親がいない。

世界に奪われ、魔物に奪われた。ひとりぼっちになってしまった。

ひとりぼっちで扉をくぐって、別の世界に来てしまった。




悲しくて、寂しくて、淋しい想いに蓋をして、おれたちは笑い続けた。

雨の日に濡れることが楽しいんだと、傘も持たずに出かけてずぶ濡れになった。笑い声も泣き声も、みんな同じように掻き消された。

迎えに来てくれる人なんて、もういないってわかってた。それでも、ずぶ濡れになった自分をいつかのように見つけてくれるんじゃないかって、くだらない微かな希望を捨てきれなかった。また傘を持って、迎えに来てくれるんじゃないかって。

また、あの人たちに会えるんじゃないかって。




そんなの、もう二度とないのに。




おれたちは一人きりで雨の中を立ち続けた。




でも、全く別の世界へやって来て、全く知らない人に出会って、不思議なことに出くわした時におれたちはふと思い出すんだ。

晴れの日の太陽の輝きとか、虹がかかったときの感動とか、水溜まりの揺らめきとか、雲を流す風の力強さとか、嵐が連れてきた雷の煌めきとか。

世界は不思議で不思議で、不思議に溢れている。

その事を、教えてくれた人の笑顔と一緒に思い出すんだ。




おれたちは大きな傘をさす。

自分と同じようにずぶ濡れになった仲間を、この街で見つけた。

此処はフロンティア・ガーデン。

未来と可能性を開拓する冒険者の街。出会いをゆるりと待つがいい。




おれたちは扉の先に広がる世界で出会った。

扉を越えて、出逢うことができた。







父さん、母さん。

おれ、もう泣かないで生きてくよ。

こいつらと一緒に、生きていけるよ。

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