三人の子どもの最初の冒険記(ちゃら~ん♪)
第2話 はじまりを呼ぶプロローグの音
はじめて冒険を目にする君たちへ。
コロン…♪
…コロン…♪
どこからかきこえてくるこの音はなんだろう。
今の君にわかるかな?
がこんと大きな音を立てて扉を開ける。開けるというより板を外すに近い作業だが、唯一ある出入口のための大切な「扉」である。しっかりと開いてから、俺はその部屋へ入った。
室内はきれいに片付いていた。また、あのお節介なぼくちゃんが掃除しに来てくれたんだろう。
部屋の真ん中には大きな円形の机がひとつ。俺は、そこに下の階の店主から渡された布をばさりと広げた。
いつも使う大きさがぴたりとはまる白い布。それは専用のテーブルクロスなんかじゃなくて、いつだったかよく気づく、あたしが見つけてきたのと言う少女が敷き始めた物だった。
今はお菓子屋の店主を勤める彼の店は、今日も客で賑わっている。今さっき自分が通ってきた扉の向こうにある階段の先から、甘い匂いと一緒に慌ただしい声がいくつも運ばれてくる。
俺はひとつ息を吸い込んで気合いを入れた。
「よっしゃ」
どかどかと足音を立てながら締め切っていた窓を開いていく。
ひとつ、ふたつ。
前に来たときよりも筋肉が付いたかな。二人に自慢してやろう。
みっつ、よっつ。
体力もついたな。体力だけが取り柄だって、また笑われるかな。
いつつ。これで、最後。
五つの窓を全開にして、外の風を中に通す。大して入らなかった。
「あっついな」
頬を汗が流れていく。
先週よりも更に暑くなった気がする。というか、毎日暑くなっている。去年よりも確
実に猛暑日が続いている。
なぜかと聞かれたら、そういう気分だからだろとしか答えられない。暑くなりたいんだろ。どっかの誰かが。
それにしても暑い。
「スノウサイダーでも買ってこようかな」
こんな暑さだから、一瞬で溶けてしまうかな。
そんなことを考えながら、俺は上着を脱いでシャツ一枚になる。汗に浸されたシャツはできればすぐにでも洗濯したい。でもどうせ、別の服に着替えたところで数分後には同じ状態になるだろうけど。
「あー、暑い暑い」
暑いとこうまで言葉が奪われるのか。
木で作られた折り畳み式のイスは、同じ材料でできている壁にしっとりと溶け込んでいた。四脚しかないそれの、一番手前にあった物を開いて床に立たせた。
待ち人たちはまだ来ないだろう。そう思い、テーブルではなく窓の側にイスを移動させた。そして、その上に腰を下ろした。
窓の額に背を預け、外を見る。
裏口は森のすぐ近く。ちゃんと戸締まりをしないと、たまにとんでもないものが一階の店にやって来る。店主はそう言っていた。
表の入り口からやって来るものは、一応はおとなしい客らしい。一応は。
「どんなのが来るんだ?」
「そうだな。面白いことが好きなどっかの吸血鬼お嬢様とか」
吸血鬼お嬢様?
「材料が足りなくなって、慌てて買いに来るパン屋の魔女とか」
パン屋の魔女?
「あと、お前たちみたいなクソガキ」
クソガキで悪かったな。
「そいつらは意外とちゃんとしてるんだ。言葉も通じるしな。
でも、裏から来るのは」
体をなくした魂。
腹を空かせてよだれを垂らした獣。
面白半分にイタズラ目的で来る妖精。
「どれにしても、できれば関わりたくない。そんな客たちが来る」
そんなときもあるさ。
店主は笑って俺にそう言った。
「吸血鬼お嬢様、先月会ったっけ」
満月の夜に出会った小さな女の子。目を赤く燃やしながら、俺に微笑んでこう言った。
「夜は長いわ。私と遊びましょう?」
その夜は本当に長かった。
朝が来るまで一対一のフルバトル。もちろん、最後は俺が勝った。人生ゲームで人が負けたら人生終わってる。
そうだよ。二人で一晩徹夜で遊んだのは人生ゲーム。
俺はそれなりに人生の配分をわかってるけど、向こうは不老の吸血鬼。人生のターニングポイントがわからなくてずっとゴールできなくなる。
というか、なんで吸血鬼と人生ゲームなんてやってたんだろう。
朝日が登る頃には吸血鬼のお世話係、じゃなくて。旦那と、あ、やっぱりお世話係だった。庭師って言う吸血鬼がやって来て、俺とお嬢様は二人仲良く怒られた。
なんで人生ゲームを徹夜でやりながら酒盛りしてるのか、ってな。
俺とお嬢様は意外と気が合ったせいで、途中から酒を持ち出して大騒ぎ。最後にはお嬢様がこう言う始末。
「貴方、いい機会だから吸血鬼になっちゃいなさい!」
人間やめるいい機会ってなんだよ。
俺は笑いながら答えた。
「また来月来るから、そのとき決める」
また、今月あの屋敷へ行かないと。
記録の森と呼ばれるあの森へ。
「あー、あっつー」
俺は何度目ともしらない言葉を窓から吐き出す。数時間前よりは風が出て、少しは涼しくなったかもしれない。
階段の下から聞こえていた賑やかな声はおとなしくなって、店主もそろそろ食事時だなと俺は感じていた。
待ち人はまだ来ない。
俺は持ってきた水筒を手にした。中身は早々に空になったから、何度も下の店に行ってはスノウサイダーを継ぎ足した。おっと、ちゃんと代金を払ってだぞ?
「そんなに継ぎ足すと、スノウ(雪)がアイス(氷)になるぞ」
店主にそうは言われたが、この暑さ。水筒の中身はどんどんなくなる。
でも、不思議なんだよな。何回も継ぎ足していくと、水筒に入る量が減っていくんだ。なんでだと思う?
水筒の底に氷ができてたんだ。サイダーの雪の成分が底に溜まっちゃって固まったんだってさ。
スノウサイダーはすぐに飲まないといけない理由がこれってわけさ。あと、透明なコップやビンで渡される理由も。
炭酸が抜ける、温くなる。そうじゃなくって、それよりも速いスピードでスノウサイダーの中の雪が溶けちゃうんだ。溶けた雪は底に溜まって、冷たい炭酸に冷やされてまた凍る。凍った雪はもうふわふわの雪じゃなくて、カチカチの氷になる。これが店主の言う「アイスサイダー」。
いいか? スノウサイダーを買ったら、すぐに飲むんだぞ。雪はすぐに溶けちゃうんだからな。
「言ってたのはこの事か」
減ってしまったサイダーを飲みきって、俺は水筒をテーブルの上に置いた。肉球柄の水筒も俺と同じように汗をかいていた。
窓から風がやって来た。シャンシャンしゃらりと不思議な音色を響かせて、深緑色のヴェールをひるがえした少女が夏の空で踊っている。
「元気だな」
窓からそれを見た俺は、カバンの中に詰め込んでおいたタオルを手にイスの上へ戻った。
そして、深緑の少女が舞うのをぼんやりと見ていた。
妖精とも精霊とも、幽霊とも言えない四季の四姉妹。彼女たちは自分の季節になると、どこからかやって来る。いや、もしかしたら彼女たちが季節を連れてくるのかもしれない。
春には桃色ヴェールをふわりと纏って。
夏には新緑ヴェールをひらりと翻して。
秋には緋色ヴェールをぱさりと叩きつけて。
冬には白色ヴェールをさらりと流して。
俺は何度も彼女たちを見てきた。季節がめぐる度に、ヴェールの色が変わる度に、時間が過ぎていく。
彼女たちはヒトじゃなかった。もちろん、ケモノでも。
初めて彼女たちに出会って「おねえさん」と呼んだちびっこい俺の背は、すぐに彼女たちを抜かした。
会う度に俺は成長していく。身長も伸びた。声も低くなった。筋肉もムキムキ、とは言えないか。
俺は、子どもじゃなくなった。
彼女たちは、出会ったときのままの笑顔で空を舞っている。
俺は、シャンシャンしゃらりと鳴らし続けて踊る深緑の彼女をぼんやりと見ていた。
「おとなに、なったなぁ」
ほんと、おとなになったな。
彼女たちのように姿を変えないものを見ると、特にそう思う。自分とは流れる時間が違うものたち。
去年もその前も同じものを見ているはずなのに、自分が変わっている。目線が高くなったり、考え方が変わったり。できることが増えたり減ったり。
自分で好みが爺臭くなったな、って思う瞬間ってさ。おとなになったなって思う瞬間とは別の寂しさがあるんだよ。
ずっと先を歩いていたはずの父さんが好きだったものを、自分が好きになる。子どもだった頃に好きだったものたちを置いてさ。
なんか、こう。父さんに追い付く。祖父さんに追い付く。追い越していくんだな。追い抜いて、終わりに近づいていくんだなって。
振り返ったらさ。子どもの自分が置き去りにされているわけよ。おとなになった自分を見て。
どう、思うのかな。
置き去りにされて寂しい。どうして置いていくの? 一人で淋しい。一緒に連れていって。
おとなになる自分に対して、そう思うことがあるんだ。
死ぬまで時間はどれくらい残されているんだろう。あと、どれくらい残っているんだろう。
焦っているんだ。
あんなに無敵だと思っていた子どもがあっという間におとなになって。その先は?
これから、俺はどこを行けばいいんだ?
俺は、ぼんやりと空を見上げた。
「おとなに、なっちまったなぁ」
変わらない空だけが、今日も広がっていた。
暑い。
季節の四姉妹について聞いたのはいつのことだったかな。
誰から、聞いたんだっけ。
もう、思い出せないや。
『廻る4つの季節』
世界を廻る4つのヴェール
四人の少女の姿をもって
くるくる華麗に舞い躍る
春のヴェールは幼い桃色
夏のヴェールは茂る深緑
秋のヴェールは 燃える緋色
冬のヴェールは積もる白
大地を覆って健気に彩る
大地を廻って微笑みかける
時の移ろい知らせる少女は
祝福与える4姉妹
春の桃色ヴェールは
曙(あけぼの)時にたなびくものが一層美しい
ふわり、ふわりと花びら纏い
夜明けの空に
散っていく
追って若草
芽を出し始め
大地をうららかに染めていく
ゆぅらりゆらり
眠気を誘う
おっとりゆったりマイペース
だけど目覚めを教えてくれる
そんな彼女は
春色ヴェールの女の子
夏の深緑ヴェールは
昼の翠と夜の紺が交互にたなびく
光と闇が練り込まれた繊細さ
ひらり、ひらりとひるがえり
緑が踊る
葉が踊る
高き青空に負けないよう
大地を涼やかに染めていく
シャンシャンしゃらり
拍子を刻む
あつい心は負け知らず
すっきりさっぱり強気な彼女は
夏色ヴェールの女の子
秋の緋色ヴェールは
夕暮れを切り取った
どこか寂しい郷愁が流れる
ぱさり、ぱさりと地面を叩く
朱と黄の絨毯
大きく広がる
空も大地も同じあか
あおを落としてあかく染まる
カランカランと靴音鳴らし
動きも言葉もしなやかに
乙女の秘密はルージュから
恋する華恋な彼女は
秋色ヴェールの女の子
冬の白色ヴェールは
つとめて早く朝を見る
知る人ぞ知る神秘の景色
キシキシ凍てつきまた融ける
光を綴じ込め眠りにつかす
子守唄さえ銀(しろがね)に
積もり積もれと重ねてく
さらりさらりと流される
冷たい微笑は誰より鋭いはずなのに
ほんとは弱気なおっちょこちょい
そんな彼女は
冬色ヴェールの女の子
世界を廻る4つのヴェール
クスクス笑い世界を染めて
くるくる優雅に舞い躍る
春のヴェールは幼い桃色
夏のヴェールは茂る深緑
秋のヴェールは 燃える緋色
冬のヴェールは積もる白
時の移ろい祝福している少女らは
笑顔与える4姉妹
今日はどの子とお喋りしよう
明日はどの子とお喋りしよう
そう自分に語って笑ったあの人は、誰だったっけ。
もう、思い出せないや。
変わらない空だけが、今日もただ広がっていた。
暑いな。
ほんと、つまらないおとなになっちまったな。
「おとなはスノウサイダーを何十杯もおかわりするのですか?」
突然、人の声が俺の意識を部屋に連れ戻した。しかもそれは、ここにいるなんて思うはずもない相手だったから余計に驚く。
「うわ!」
なんで吸血鬼が真っ昼間からこんなとこに出現する?! という失礼な言葉はなんとか飲み込んだ。
先月出会った、吸血鬼お嬢様の屋敷にいた庭師兼お世話係。お嬢様に対しても、俺のことに対しても世話を焼いてくれた執事服を着た吸血鬼の庭師。ただ、お嬢様の旦那に対しては少しだけ厳しい。
「下の店主様からお届け物です」
庭師はどかどかと部屋に上がり込むなり、テーブルの上にバスケットを置いた。ガチャンと音がした。
「た、宅配は頼んでいません」
「今日は特に暑いですから」
一旦バスケットを退かして、先に上へかけられていた布をテーブルの上に敷いた。そして、改めてバスケットをテーブルの隅の方へ置いた。今度はガラスが悲鳴をあげることもなかった。
次に庭師がテーブルに並べ始めたのはガラスのコップを三つ。割れてはいなかった。
そして、スノウサイダーがビンで二本と、包装紙に包まれたサンドウィッチが一つ。
「店主様からのお気遣いですよ」
こんがりと表面がトースとされたサンドウィッチ。俺はそれを知っていた。
街に唯一ある図書館、それはそれはもう気持ちよく眠れる絶好の安眠所と言ったら司書に本気で殴られた。そう、その殴ってきた司書の先輩が好きなサンドウィッチ。ん? 違う、違う。その先輩司書さんの助手が好きなサンドウィッチ。それがこの「気まぐれ魔女のサンドウィッチ」。中身はいつも気まぐれで変わるそうだ。
「これって、森にあるパン屋の?」
「おや、ご存知でしたか」
森にあるパン屋を営むのは一人の魔女。
彼女はこの世界ではちょっとした有名人なんだ。パンを焼くコーヒー好きの魔女として、な。
俺はその魔女とサンドウィッチについて知っている。でも実際は会って喋ったことも、その店のパンを食べたこともない。知っているだけのものだった。
興味はあったけど。
庭師はコップの口を下にして並べ終えると、ビンと紙包みだけ持って俺のいる窓の方へ近づいてきた。
なんだ? なんだ? と俺が慌てているうちに、庭師はあっという間にすぐそばだ。
入ってきた時とは打って変わって履いているブーツの靴音も、持っているガラスのビンの甲高い擦れる音も、紙包みの小さな擦れる音さえさせずに近づいてきた。
そういうのはやっぱり、人間技じゃない。
庭師は俺の前に立つとこう言った。
「失礼。イスを出していただいても?」
俺は急いでイスを立てた。焦りすぎて、なぜか自分のイスの正面に立てた。ああ、これじゃあ対面で座ることになるじゃないか。
「あ」
俺は冷や汗をかきながらイスを移動させようとした。させようとしたけれど、それより先に庭師が座ってしまった。
ふわり、っていう言い方がいいと思う。
その庭師は、本当に体重なんか感じさせない動きでイスに座った。
部屋に入ってきた時、庭師はわざと足音を立てて歩いたんだ。
俺は、普段吸血鬼がどんな歩き方をしているのかなんて知らないよ。もしかしたら宙に浮いているのかも。
でも、こんな風にいきなり物音さえしないで近づいてこられたら、誰だって緊張すると思う。いや、緊張じゃなくて身構える。
言っちゃ悪いけど、バケモノの動きだよ。気配も、物音も立てないなんてさ。危険だと感じる。恐怖を、感じる。
自分が狩られるんじゃないかって。
だから庭師はさ。わざと音を立てて歩いたんじゃないか。
別に油断させようとか、そういうのじゃないんだよ。
ほら、店主が言ってただろう? 表の入り口からやって来るやつらは、意外とちゃんとしてる。庭師はちゃんとしてるんだよ。この部屋に入ってくるのに入り口の扉を通ってきた。
普通のことだって? ああ。普通のことさ。普通じゃないやつらは扉なんて使わない。例えば窓からやって来たりするんだろうな。あと、声だってわざわざかけたりしない。
獲物を襲うなら、気づかれずに近づくものだ。
俺は何度も何度も、獲物が狩られる瞬間を見てきた。そいつらはみんな、自分に何が起こったのか解らないまま血を流していった。
それは人が人を狩るときも。獣が人を狩るときも、逆の時だって。それと、もちろんバケモノが誰かを狩るときだって同じだった。
そういう瞬間を見てきたから、俺には解る。庭師は俺を狩ろうとしているんじゃない、って。
庭師は、自分は敵ではないっていう意味を込めて足音を立てたんだ。
それでも俺みたいにどかどか歩くのはやり過ぎだと思う。せっかく庭師はキレイ系な執事なんだからさ。
とにかく。俺は目の前に出されたスノウサイダーのビンを前にして、体の力を抜くことができた。
「おかわりもほどほどにしておきなさい」
足を組みながら無表情に言った庭師に、俺は苦笑いを返した。
イスに座りながらビンを耳の横に持っていく。澄んだ、冬の音が微かに響いていた。
窓の外からは、夏の音がシャンシャン鳴っていたけれど。
俺と庭師は揃ってビンに口をつけていた。思いきりよく、傾けたビンから流れ落ちるサイダーをごくごくと飲む。冷たい冬の水が喉を下っていくのは気持ちいい。
目の前に座る庭師はすごくキレイだった。白い髪に白い肌、赤い目。なんて、どこかで聞いたかもしれないウワサの吸血鬼の姿はしていないけど。それでも、どこか儚い感じがするやつだった。
薄い茶色の髪に、ほどほどに焼けた肌。
この世界の吸血鬼は日光に負けない。それを知ったのは、ずいぶん昔に学校を卒業して、初めて外の街に行ったときのことだったっけ。
目は、うん。赤く、ない。紅茶色っていうのかな。赤みがかかった茶色。赤くはない。
俺より先にビンから口を放した庭師は、空いていたもう片方の手で髪をかきあげた。柔らかそうな髪が、すぐにさらりと落ちてきた。
ふう、と庭師が息を吐き出した。
ビンの中はほとんど空だった。
「暑いな」
中身を半分ほど残して口を放した俺は言った。別に、庭師に対して言ったわけじゃない。
庭師がこっちを見た。
「暑いですね」
そう返す庭師は、長袖の白いシャツを着ていた。薄い生地のそれと、スラックス。
「暑くないか?」
「これから仕事なので」
「暑いのに」
「これから寒い所へ行くからいいのです」
「え、いいな」
「六花(むつのはな)を採りに行くアルバイトです。誰かさんがスノウサイダーをがぶ飲みするので」
あ、がぶ飲みした犯人は俺だ。
六花というのは、氷の結晶。スノウサイダーの大事な材料にもなる「冬に咲く花」。つまり、庭師はこれから冬のある所に行くらしい。
冬のヴェールは積もる白。白色ヴェールをさらりさらりと流して、少女は踊る。
今日一日だけで俺はすでに何杯もおかわりしていた。もしかしたら在庫がなくなってしまったのかもしれない。
冬の花は夏には当然とけやすい。春に凍っていた氷が溶けるように、あっという間に水へと変わってしまう。
店主はうまい具合に炭酸の上に浮かべる。浮かべられた花たちは、これもまたあっという間に底へと沈んで融けてしまう。
一度だけ見せてもらったことがあった。それはとても綺麗な一瞬だった。
俺はほんの少しだけ申し訳ないと思った。と、思った。こんなに暑いんだから、仕方ないじゃないか。そう言ってしまうと、俺は目の前の吸血鬼に何をされるかわからない。
「スイマセン」
だから、俺は謝っておいた。
謝っただけだけど。
「暑ければ誰だって飲みたくなるでしょう? でも、そうですね。本当に貴方が申し訳なく思っているのなら。
一杯おごれ」
この吸血鬼、おかわりを請求してきやがった。
ほんの少しは悪いと思っているから、俺は奢るんだろうな。返事はイエスしか用意されていない。
「か、かしこまりましたご主人様」
なんちゃって。
ふざけた俺に庭師は笑った。
「ふふっ。それではお茶会と洒落混みましょうか」
空腹のテーブルの上にはガラスのコップが三つ。待ち人を待ちながら、俺は吸血鬼とティータイムを過ごすことになった。
まずは、サンドウィッチを食べてから。
腹が減ったら戦う前に勝負は決まる。万全の状態でも勝てるかわからない相手に、空腹の状態で挑むのは愚かなこと。これ、基本。
☆アルバイト募集中☆(チラシの表)
ひまつぶし系お菓子屋「寄り道」を毎度ご利用いただきありがとうございます。
当店では、材料が足りなくなることがしばしばあります。そのため、随時アルバイトを募集させていただいております。
以下の条件に当てはまった方はお手伝いをぜひ! お願いします。
①暇な暇人
種族、年齢は問いません。
暇なことが重要です。
②店主の言語が理解できる
意思疎通が困難な場合、絵文字での説明も考えております。
③方向音痴ではない
行方不明になられても何処にいるのかわからなければ助けに行けません。ただし、迷子札をお持ちの方は除外されます。
④材料がわかる
一通り説明をさせていただきますが、希少なものもあります。ご自身の力量に応じたお手伝いをお願いします。
⑤主な受付材料とごほうび
・赤足ニンジン(一本につきドリンク一杯半額、俊足なら無料)
・ 森のハーブ(どの森でもいいが生で納品すること、同重量の小袋焼き菓子と交換)
・常夏マンゴー(甘熟大歓迎! 一個につきバナナケーキ一切れ)
・竜のひげ(十センチ以上のものに限る、一頭から長く切りすぎると怒ります、一本につき探検セットレンタル一回無料)
・むつのはな(溶けやすいので冷凍ポーチ支給、百個でスノウサイダー年間フリーパス発行!)
などなど
今後もご利用お待ちしております!
お問い合わせは店主・エヴァンへ
俺は丁寧に折り畳まれたチラシを庭師に渡された。そうか、店主はこんなことまで始めたのか。
いくつかの内容は俺にもできそうだった。今度詳しいことを聞いてみよう。
「この手伝いに行くのか」
「むつのはな」の項目を片手で指差して、もう片手はサンドウィッチを掴みながら俺は言った。しかし庭師は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべてチラシの裏を見ろと促した。
裏? 裏には、表と同じような内容が書かれていた。裏の内容ではあったけど。
☆アルバイト募集中☆(チラシの裏)
毎度ご利用いただきありがとうございます。
ひまつぶし系お菓子屋「寄り道」では、表以外の随時アルバイトも募集させていただいております。
以下の条件に当てはまった方はお手伝いをぜひ! お願いします。
①腕に自信のある方
特にこちらからはアシスト致しません。ヘルプもありませんので、ご自分で思う存分動いてくださって構いません。
②信頼できる方
身元確認のできる方だけとさせていただいております。後日、クレームなどの連絡は致しませんのでご安心ください。
③命の保証はしておりません
事後における後遺症、トラウマ、命の損害については一切保証しかねます。命の保証はしません。
④確保材料は以下のものとなります
・借金を踏み倒した不届きもの
・迷惑行為を繰り返した不届きもの
・ルール違反の常習犯
・商品、及びレシピを無断で盗んだ極悪人
・店主・エヴァンの名を語った成り済まし
などなど
確保材料の位置を特定した後、お手伝いを正式にお願いすることとなります。お時間の都合のつく方が望ましいため、事前にご連絡をさせていただきます。
皆様、確保材料にならないよう健全に当店をご利用ください。
ひまつぶし系お菓子屋「寄り道」
店主・エヴァン
そんなことがチラシの裏には書かれていた。
そういえば親友の一人であるエドワード、彼は宝石の加工前である原石を扱う仕事をしている、彼がいつだったか採石場にいたはずの盗賊が根こそぎいなくなったと不思議がっていたことがあった。
そういえば親友のもう一人であるブーケ、彼女は特殊なハーブから薬を作っている、彼女がいつだったかハーブ畑を踏み荒らした子供たちが急に揃って謝りに来たと言っていたことがあった。
そのチラシの裏を見て、俺は察した。こうやって悪人たちはこらしめられていたんだな。
罰を与えるのは警察や裁判所ではなくてこういった身近な人たちなんだ。
例えば、スリをしている人の真後ろに立ってすごい顔で睨んでいる物言わぬ狩人とか。「お前の今盗もうとしている物は、愛しの愛犬がずっと楽しみにしていた今日限定のスペシャルジャーキーなんだぞ」みたいな。
いや、狩人さんより先に足下にいるおおかみ少女の方が噛みつきそうだ。
とにかく。腰を重たくしてなかなかイスの上から立ち上がろうとしない人たちよりも、すぐ近くにいる正義感溢れるどっかの誰かさんたちの方が悪者にげんこつを食らわしてくれる。
誰もしないときは、そうだな。俺が相棒の槍でビビらせてやってもいいかもな。いや、しないといけない。
もう、俺もおとなになったんだから。
そもそも。俺と庭師がこんな話を始めたのは、どうして今日ここに来たのかという疑問からだった。
庭師はチラシの表を見て。六花がある場所について心当たりがあったそうだ。
普段から利用している一階にある店、お菓子屋「寄り道」のスノウサイダーは夏になると特に重宝される。今日みたいな暑い日には売り切れになることだってあるんだ。だから、店主のエヴァンに恩を売っておいて自分用のビンをいくつか確保しておく。
そういうやり取りが必要ってわけ。
そして、チラシの裏。そこに書かれていたのは悪者をこらしめてくださいという依頼だった。
チラリと庭師の顔を見る。どう見ても、そこにいる庭師の方が純粋なワルモノの顔をしている。罪を犯して悪いことをするんじゃなくて、悪いことを楽しむ顔。
吸血鬼お嬢様も、似たような顔をしていた。イタズラを楽しむ顔。
こんな奴らに追われるなら、警察に追われた方がマシな終わり方ができるな。
俺はこれから狩られるだろう悪者たちに同情した。
「いくつ先まで行くんだ?」
俺は庭師に聞いた。スノウサイダーのビンは、今度は綺麗に空になりそうだった。
「三つは通るでしょうね」
俺のこの聞き方は、扉を通る者にとっては普通の聞き方だ。
世界は不思議で不思議で、不思議に溢れている。そんな世界は一つ二つじゃなくて、小さな世界の集まりだったりする。
俺たちの今いる街は王都と呼ばれる特に大きな世界。そこはいろんな存在が出入りし、住人は受け入れる。ごく、当たり前のように。
王のいない王都、フロンティア・ガーデン。
それがこの街の名前だ。
誰かが言った。
『王都・フロンティア ガーデン』
王のいない都へようこそ
ここは可能性と未来を開拓する
冒険者の街
あちらに見えるが大図書館
世界に唯一の図書館です
あちらに見えるが国役所
冒険の手続きはあちらでどうぞ
今日も賑やか市場と公園
市場ではなんでも揃います
公園では楽しい出会いがあるかもね
あちらに見えるが初心学校
冒険者になりたくてもならなくても
誰でも始めはあそこから
その隣に見えるが冒険学校
もしも冒険者を目指すのならば
あそこへ通っておきなさい
誰もが通る通過点
選択肢は全ての命に対して平等に
選ぶか避けるかはあなた次第
王都はあなたを歓迎しよう
良い道を選びなさい
勇者よ、勇気をここに掲げよ
戦士よ、雄々しく立ち向かえ
騎士よ、意志をその背で示すのだ
医師よ、命を癒し助けるのだ
コックよ、命を貰い潤すのだ
パティシエよ、夢を与え育てるのだ
あなたが選んだその道は
いつの日かきっと実を結び
あなただけの名前を与えるだろう
おそれるな!
進め!
あなたは誇れる冒険者
もしもあなたが誇らなくても
我らが代わりに誇ろうぞ!
どんな道を選んでも
後悔だけは決してするな
我らはあなたを見捨てない
ここは冒険者が集う通過点
力と魔法を育みながら
出会いをゆるりと待つがいい
門はひらいた
ここは王都
フロンティア ガーデン
主のいない庭
Frontier Garden
そんな風に、誰かが言った。まさにその通りだと、俺はここで生きてきて思った。
街に出入りするには扉を通らなきゃいけない。その扉は世界を繋ぐ扉だ。
街と森。街と砂漠。街と隣の街。街と、どこか。昔いた頭のいい人たちが作った扉たちは、どこかとどこかを繋げた。
それは運命みたいに一ヶ所と一ヶ所しか繋ぐことができない。だから、扉はたくさんある。
ぱたん。扉が開いた時に見える向こうの景色はいつだって素晴らしいさ。切り取ったみたいにこっちと向こうで景色が違うんだから。
ぱたん。閉じた扉を前にして、俺はいつも胸がドキドキする。この扉の向こうに違う世界がある。そう、思うだけですごくドキドキするんだ。
扉を作ることは難しいこと。人の手で作るなんて。俺にはどう考えても無理だとしか思えない。
でもこの世界にはさ。俺なんかよりもずっとずっと、ずう~っと賢い人がいてさ。そんな人らが扉を作るらしいんだ。
俺には関係ないことだけど。
そんな人たちは本当にすごくてさ。今まで扉が壊れたことは一度もないんだ。開かなくなったり閉じなくなったりすることはあるんだけど、それを直すのは作った人の仕事じゃない。
とにかく、扉を作った人たちはすごい。すごいけど、やっぱり限界っていうものが人にはあるんだよな。
一つの扉を通って行けるのは一ヶ所だけ。だから、場所によっては違う扉をいくつも通らないと行けない場所もある。
今いる場所から離れるにつれて、いくつもいくつも扉を通らないといけなくなるんだ。
世界には外から来るものを拒絶する世界もある。こっち来るな。入って来るな。そういう世界とは扉が繋がりにくい。
もしかしたら繋がっていないのかもしれない。世界が自分で扉を閉じるんだ。
人も、同じだよな。俺も。あいつらも。
だから、自分で開かなきゃいけない。
そういう閉じた世界に行くには方法は一つだけ。
自然に作られた扉が運よくその世界と繋がるのを待つ。それだけだ。
繋げられないから繋がるのを待つ。単純な話だよ。
どれだけ時間も運も使うかわからないけど。
そういうこともあって、俺たちは滅多に外の世界へは出ない。普通だったら一つの世界の中で一生を終えることができる。
それでもいいんだ。
それでもいいんだけど、俺たちはワガママでさ。一つの世界だけでもいいのに、誰だって外の世界に夢を見る。
行ってみたい。知りたい。見てみたい。
扉一つ先の世界だったら、意外と誰でも行ける未知の世界。
森へ行って帰ってこないなんてよくある話だけどさ。それは、ほら。ここにいるだろ? 吸血鬼とかそういう世界の住人と出会えば帰って来られない。かもしれない。
かもしれないくらいの軽い話なんだから、気軽に出かけて行けるんだよ。
俺たちはそれを探検と言う。扉一つ向こうに行くのは、探検。誰でもできるアソビゴト。
じゃあ、それより先は? 遊びじゃすまないホンキゴト。
扉を二つ以上挟んだ世界っていうのは、遠い世界なんだ。自分のいる世界から離れた、別の違う世界。そこでは常識だって通じるかわからない。
二度と、帰ってこれないかもしれない。
それでも先に進んで、世界を巡ろうとする人たちのことを俺たちはこう呼ぶんだ。
「冒険家」、ってね。
憧れるさ、俺だって。行ってみたいさ、二つ以上扉の向こう。でも怖いんだ。
起きるかもしれないことを予想してしまう。それにこわがって、足を踏み出せない。
それがおとななんだよ。
俺は遊びで一つ扉向こうだったらよく行く。でも、それ以上は。
勇気がなくて進めない。
これがおとなだ。
小さな探検で満足したつもりになってる、これがおとなだ。
あーあ、ほんと、つまんないおとなになっちまった。
目の前にいる別世界の庭師が勇者に見えるぜ。
「ところで探検家様」
「?」
「他に誰がいると言うのです。貴方です、貴方」
「???」
「スノウサイダーをがぶ飲みしている」
「俺?」
「はい」
「俺ですか?」
「はい」
俺は探検家ですか?
じゃなくて、じゃなくて。俺、探検家だなんて一言も言ってないのですが? え? 誰がそんなこと言ったの? 誰?
あ、言ったわ。酔ってたけど、ふざけて言ったわ、俺。
「お嬢様から聞きましたよ?」
ほら、吸血鬼お嬢様ー!
「バカなことを仰っていらっしゃるとか」
ほら、吸血鬼お嬢様ー!!
「世界征服を企んでいるとか」
え、吸血鬼お嬢様?
「まずは第一歩として何年も前に卒業した学校から攻めていこうとか」
えええ? 吸血鬼お嬢様???
俺、それは言ってないよ?むしろそれって、
「ということをお嬢様が仰っていました」
ほら! ほら! お嬢様がそうしたいって話でしょ?!
「そこで。偶然屋敷にやって来た後輩ちゃんをしもべにして」
「あ、そこで俺ですか」
でも、俺が何年も前に卒業した学校ってこの街にある学校なんですけど。お嬢様の卒業した学校ってどんなモンスター学校?
「後輩ならいいだろうとのことです」
「吸血鬼の後輩さんですか」
「だから、貴方のことですって」
ええええええー。俺の学校ってそんなモンスター学校だったんだー。
「変なことを考えているでしょう?」
そして庭師にバレる。今度吸血鬼お嬢様に会ったら俺、生きて帰れるかな。生きて返してくれるかな。無理だよね。
ヤバい先輩に目をつけられたもんだ。
「そこで。学校を守るドラゴンを餌付けしたいので、好物を教えろと」
吸血鬼、ドラゴンを餌付けする。
バカなことを言ってるのはお嬢様の方だ!
俺たちの卒業した学校にはドラゴンがいる。
それはそれは大きくて。
ヤンチャで。
子どもが大好きで。いつでも俺たちの仲間で。さみしがり屋で。俺たちよりも年下で。
コロン、コロンと鳴く。
大きな子ども。
「さあ、お客様。貴方のお話をお聞きしましょう」
主人公は俺たち。
いらっしゃいませ、お客様。なんちゃって。
この庭師に話してやりましょうかね。学校の上を飛び回っているあのドラゴンの話。
テーブルの上にはあの時の三人を待つコップが並んでいる。中身が注がれるまでにはまだ時間があるようだ。
それまでは、俺の話を聞いていただきましょう。
夏の空を少女がシャンシャン踊っていた。
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