四話
それから時は過ぎ――、ユキと出会ってから、一週間が経とうとしていた。
高校を中退して以降、ほぼ毎日を一人で過ごしてきた私にとって、ユキと過ごす時間は想像以上に充実していた。一日のうち、殆どの時間を彼女と共有する。その内に、私の中で『ユキ』という少女の存在が、日に日に大きく、そして特別なものになっていくのを感じていた。
「カーイリ! 今日は何して遊ぶ?」
私の部屋で、ユキが後ろから躊躇なく抱きついてくる。――そう、変わったのは私の感情だけではない。私に対するユキの言動も、心なしか変化しているような気がしていた。
もともと距離感の近いユキだったが、ここ数日、一段と肉体的な接触が増え、私を動揺させる言葉も多くなった。これって、もしかして……。
……まぁ、無垢で天真爛漫な彼女のことだ。私が意識しすぎているだけ、なんだろうな。
そんな私達は今、隣り合うように床へ座り、大きなパズルと睨めっこをしている。
「んー、難しいなぁ。どのピースも、全部同じに見える……」
しかめっ面で、闇雲にピースを手に取るユキ。その傍で、私は山のように積まれたピースを、色や形ごとに分ける作業を行なっていた。
「焦ってはダメ。落ち着いて、何処にどのピースが当てはまるのか、全体を見ながらじっくり考えるのよ」
これは写真撮影と同じだ。撮る瞬間を急いでは、心に残る写真なんて撮れない。目の前の景色全体を見つつ、どの位置、どの角度でシャッターを切れば、被写体の美しさを引き立てることができるのか。その構図を意識することが重要なのだ。
一つ、また一つと、パズルのピースを埋めていく。ユキも徐々にコツを掴んだのか、ピース選びを的確に行えるようになってきた。
「すごい。あんなにバラバラだったのに、綺麗な絵に近づいてきたね」
三分のニほど組み立てたところで、ユキが微笑みながら言った。そう、この完成に近づいていく工程が、パズルの一番の醍醐味。それに気づいてもらえたようで、嬉しかった。
「ね、楽しいでしょ? でも、パズルが完成する度、私は思うんだ。現実で壊れた物も、パズルのように直せたら良いのにってね……」
脳裏に幼馴染達の姿が浮かぶ。パズルのピースのように、いつの間にか切り離されてしまった私。修復することなんて、もう――。
「直せるよ!」
えっ?
「私、思うんだ。この世界の物は完全に壊れない限り、必ず元通りにすることができるんだ、ってね! ……そうやって私は、今まで『元通り』にしてきたんだから」
「ユキ……?」
それって、どういうこと……?
「最後の一つ、もーらい! 私の勝ちだよ、カイリ!」
言いながら、最後のピースをはめ込むユキ。こうしてパズルは完成し、雄大な海を泳ぐ可愛らしいイルカの絵が姿を現した。まるでユキの右眼のように、深いグランブルー色の海。その中を、二匹のイルカが仲良さそうに泳いでいる。
「いや、勝ち負けとか、無いから」
呆れながら、パズルを片付けようと手を伸ばす。その時、ユキの両手が私の右手を優しく包み込んできた。
「カイリ……、もしあなたが何かを直したい、そう思っているのなら、私も協力するからね」
暖かな微笑み、そして真っ直ぐな瞳。この表情の時、ユキは私をからかってなどいない。真剣だ。
ユキの白くて柔らかい両手から、ひんやりと心地良い冷たさが伝わってきた。相反するように、ポカポカと上昇する私の体温。
「あ……あぁ、そうだ! 冷蔵庫にケーキがあるんだった! ちょうどお腹が空いた頃だし、取ってくるね!」
そう言って彼女の手を解き、逃げるように部屋を後にしたのだった。
ふらっと洗面台に立ち寄る。火照った体温を冷やすように顔を洗いながら、ユキの言葉を思い返していた。
『私は思うんだ。この世界の物は完全に壊れない限り、必ず元通りにすることができるんだ、ってね!』
もし、本当にそうだとしたら。今は疎遠となってしまった幼馴染達と、また昔のように――。
ふと、鏡に映る自身の姿が目に入る。強い日差しによって、こんがりと褐色に焼けた私の肌。この日焼けも、時間が経てば少しずつ元通りになる。でも――。
「いや、ないない」
思わず呟いた。できる筈がない。人間関係を、元通りになんて。物じゃないんだから。
うん、後ろを振り返るのは、もう止めよう。今の私には、ユキがいる。それだけで十分だ。
両手で顔をパン、と叩く。そうして自分自身の気持ちを整理することにした。そう、整理をつけた筈だったのに……。
ケーキとジュースを手に、自室へ戻った私を待っていたのは、ユキの衝撃的な行動だった。
「ユキ……あなた、何をやっているの!?」
「あっ、カイリおかえり〜! 引き出しの中を見てたら、別のパズルを見つけたんだ!」
ユキの手元にあるのは、一枚の写真。それはかつて、私がビリビリに破ってしまった、中学時代の写真だった。
「これ、きっとカイリの大切な写真なんだよね? はい、私が綺麗に直してあげたよ!」
セロハンテープで、歪なりにも修復されている。どうして、勝手に――。
「カイリ、すっごく楽しそうに笑ってる! この子達と、本当に仲良しなんだね!」
たった今、気持ちの整理をつけたところなのに――。
「きっと今でも、仲が良いんだよね? カイリの友達、私も会ってみたいなぁ〜!」
よりによってユキ、どうしてあなたが――。
「ねぇ、カイリは――」
「いい加減にして!!」
ユキの言葉を遮るように叫ぶ。同時にケーキとジュースを落としてしまい、音を立てて床に散らばった。ユキは何が起こったか分からない、と言わんばかりにその表情を凍らせていた。
「あなたはいっつも、無神経で能天気で! 私の気持ちなんて、ちっとも知らないくせに、ずかずかと人の心に土足で入り込んできて!! 何がしたいのよ!?」
怒りに身を任せ、早口で叫びながら、拳をギュッと握りしめる。その両手はプルプルと小刻みに震えていた。
「ち、違うの、カイリ。私は……」
蚊の鳴くような声で呟くユキ。そんな弱々しい態度が、今の私を余計に苛立たせた。
「もう知らない! ユキなんか、大っ嫌い!!」
そう言い捨て、家を飛び出したのだった。
降り頻る雪の中、部屋着のまま、ひたすら走り続ける。外の寒さなんて、微塵も気にならない。むしろ今は感情が
何故か、眼には涙が浮かんでいた。視界がぼやける。雪で足を滑らせ、何回か転んでしまった。その上から、追い打ちのように冷たい雪が降り積もる。ずるずるになりながらも、やり場のない気持ちから逃げ出すよう、唯々走り続けた。
こうしてやって来たのは、いつもの桟橋だ。寒空から一転、天から鋭い日差しが降り注ぐ。肩で息をする私から、汗として水分を奪い取っていた。身体に降り積もった雪が一瞬で溶け、汗と混ざっていく。
隅の方へ座り込み、今日も相変わらず美しい海を眺める。そうする内、徐々に冷静さを取り戻していく私。衝動的に感じていた憤りは、いつの間にか後悔の念へと変わっていた。
――また、やってしまった。
体操座りの状態で、蹲る。その瞬間、自然と涙が溢れ出てきた。
どうして私は、こう、すぐ感情的になってしまうのだろうか。写真を破ったあの時のように――。ユキとの関係も、このまま壊れてしまうのだろうか。そんなのは嫌。でも、どうすれば……。
「――はぁ、はぁ。カ、カイリ!」
閑静な桟橋に、私を呼ぶ声が響く。慌てて涙を拭い、ゆっくりと振り返る。すると、私以上にドロドロの格好をしたユキが、息を切らし、ドタドタと足音を立てながらこちらに駆け寄っていた。
「はぁ、はぁ。や、やっぱり、はぁ、ここだった! カイリなら、こ、ここに来ると、はぁ、思ってた、から……!」
私の目の前まで来るや否や、ユキは勢いよく頭を下げた。
「はぁ、はぁ……カイリ、ごめん! あなたの物を、はぁ、その、勝手に触っちゃって!」
弾む息を必死に押し殺しながら、謝罪の言葉を並べる。話し終えたユキはその場に横たわり、大の字の姿勢で天を仰いだ。
この子は、ろくに体力も無いくせに、私のことを必死に追いかけて来たの? そんなドロドロになるまで、何度も何度も転びながら――。
その姿を想像しただけで、途端に彼女のことが愛おしく思えてしまった。
「……ずるいよ」
ギリギリ聞こえるくらいの声量で、ポツリと呟く。
「ずるいよ、ユキ。あなたは自分のこと、ちっとも教えてくれない癖に。私の心には、遠慮なく入り込んでくるなんて。あなたのせいで、私、もうおかしくなっちゃいそう……」
私の言葉を受け、ユキは少しだけ表情を曇らせた。
「ごめん。私のことは、本当に、今は何も話せないの。でも、でもね――」
仰向けのまま、彼女は力強く話す。
「一つ言えるのは、私はカイリのことが好き! 大好き! 出会った瞬間から、ずっと! 好きになればなる程、あなたのことをもっと知りたくなって、だから私……うっ、うっ……」
話しながら、ユキは涙を流し始めた。その様子を見ながら、私は気づいてしまった。
――ずるいのは、私の方だ、と。
ユキはこんなにも、真正面から私を思ってくれている。何も着飾ることなく、逃げも隠れもせず……。
それに引き換え、私ときたら……。ユキに対して抱く感情に、心のどこかで鍵をかけてしまっていた。本当は私だって、ユキのこと……。
仰向けに横たわるユキの元へ、ゆっくりと近づく。そして優しく覆い被さると、彼女の瞳から零れ落ちる涙をそっと拭った。
「カイリ……?」
少し不安そうな表情で、真っ直ぐに私を見つめている。異なる色をした二つの瞳。何度見ても、吸い込まれそうな程に綺麗だ。
「ねぇ、ユキ。あなたが私にしてきたように、私もあなたの心に入り込んだとしたら――。あなたは自分のこと、私に教えてくれるのかな?」
少しだけ、遠回しに言ったつもり。しかし、ユキは言葉の意味を理解してくれたようで、暖かく微笑んでくれた。
「どうだろう、分からない。でも――」
両手を伸ばし、私の頬を優しく撫でる。
「やってみてよ。カイリに何をされても、私はあなたの全てを受け入れるから」
私の火照った頬が、彼女のひんやりとした掌に染み込む。まるで想いを吸収するように、私の体温が、彼女へと伝わっていく。
「分かった。私、頑張るね――」
銀色の前髪を掻き分け、ゆっくりと顔を近づける。眼を閉じるユキ。その薄紅色の唇に、自身の唇を優しく重ねた。
柔らかくて、ひんやりと心地良いユキの唇。生まれて初めての、好きな人とのキス。この濃厚な時間は、恐らくこれから先、ずっと忘れることができないだろう。
静かに唇を離す。名残惜しさを残しながら、ゆっくりと……。
「ユキ……好きだよ」
吐息を漏らすユキに向け、そっと囁いた。
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