二話

 降りしきる雪の中、白い街灯が照らす静かな夜道を、足元に注意しながらゆっくりと歩く。丁度夕ご飯の時間帯で、立ち並ぶ民家からは良い香りが漂っていた。もう少しで、我が家に到着する。ユキのこと、家族には何と説明しようか……。そう考えながら、後ろを振り返る。

 程よい距離感を保ちながら、後ろを歩くユキ。サクサクと、雪にくっきりとした足跡を付けながら……。


 そう、信じられない事に、彼女はこの凍えるような雪道を、裸足で歩き回っているのだ。


「ユキ、足冷たくないの?」


「うん、平気だよ。私、寒さにはめっぽう強いから!」


 えへへ、と無垢な笑顔で答えるユキ。よく見ると服装もかなり薄着なのに、彼女は寒そうな素振りを微塵も見せていなかった。


 ……不思議な子。


 山を下る途中、彼女に色々と質問を投げかけた。しかし、何だかんだ言って話をはぐらかし、何一つまともに答えてくれなかった。きっと何か、話したくない理由があるのだろう。そう思い、それ以上は何も聞かなかった。

 知られたくないことを、赤の他人に根掘り葉掘り聞かれる。これ程苦痛なことは無いのだ。……私も高校に通っていたとき、同じ経験をしたから。



 そんなこんなで、無事に我が家の前へ到着した。少し緊張した面立ちのユキ。そんな彼女と、一つだけ約束をした。

 それは、ユキが空から降って来たことを、私以外の誰にも言わないこと。もし周りに知られてしまったら、きっと島中が大騒ぎになる。まぁ、そんな突拍子もない話、皆が信じてくれるとも限らないけれど。でも……。


 ――何となく、これは二人だけの秘密にしておきたかった。



 玄関を抜け、ユキについて両親に説明した。彼女が家出中であること、暫く我が家に住まわせてあげたいこと……。

 当然のことながら、両親はとても驚いていた。しかし他に行き場の無いユキを、最終的には快く受け入れてくれた。そして寒そうな彼女の服装を見て、すぐに風呂へ案内するよう私に命じたのだった。



「わぁ、これが地上のお風呂かぁ! 楽しみだな〜!」


 脱衣所にて、躊躇することなく服を脱ぐユキ。透き通るような白い肌、その全貌が、少しずつ露わになっていく。私は直視できず、つい目を背けた。


「……これがシャンプーで、これがトリートメント。で、こっちがボディソープだから」


 手短に説明を終え、すぐに浴室の扉を閉めようとしたが、ユキの声に呼び止められる。


「ねぇ。カイリは、一緒に入らないの?」


 首を傾げながら、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめていた。


「ふ、二人で入るには狭いから! 私は、後で入るから!」


 慌てて扉を閉める。ふぅ、とため息を吐きながら、鏡に写る自身の姿を確認した。顔が少し赤い。ポカポカする。また今日も、一段と日焼けしちゃったのかな?


「私の寝巻き、置いておくから。上がったらこれに着替えてね」


 そう言い残し、脱衣所から出ようとする私を、ユキの泣きそうな声が呼び止めた。


「カイリ〜! もっと冷たいお水、出ないの〜? 熱すぎて、私火傷しちゃいそう!」


 ……あぁ、温度調節の方法を教えていなかったな。ゆっくりと扉を開け、なるべくユキの身体を直視しないように浴室内へ足を踏み入れた。


「ここのつまみを右に回せば、温度が下がるから……」


 つまみの目盛りを確認し、ん? と違和感を覚えた。今、目盛りはおよそ三十度辺りを指している。恐らく、お母さんがお風呂を掃除した温度のままなのだろう。

 ……そんなに熱いお湯は出ていない筈。

 

「そうなんだ! ありがと〜!」


 ユキはお礼を言うと、信じられないことに、つまみを右へ目一杯回した。そしてキンキンに冷えた冷水を、気持ち良さそうに浴び始めたのだ。


「そ、そんなに冷たくして大丈夫!? こんなに寒いのに!」


「え? これが普通じゃないの?」


 あたかも当たり前だと言わんばかりに、無垢な表情で首を傾げていた。


 ……本当に、不思議な子。




 夕食を終え、ユキを自室へと案内した。我が家には空き部屋など無いから、必然的に私の部屋を二人で使うことになったのだ。小さな部屋だから、もしかしたら窮屈な思いをさせてしまうかもしれない。


「ごめんね、狭い部屋だけど……」


「うわぁ〜! ここがカイリの部屋なんだ〜! お邪魔しまーす!」


 ……私の心配など、純粋な彼女の前では無意味だった。


 ユキは瞳をキラキラ輝かせながら、私の部屋に足を踏み入れる。そしてすぐさま、壁中に貼ってある写真に飛び付いた。


「わぁ〜、綺麗な写真がたくさん! これ、カイリが撮ったの?」


「うん。全部私が、海へ潜って撮影したんだ」


「全部!? すごーい!」


 私の写真を、一枚一枚丁寧に鑑賞して回る。まるで私自身をじっくりと観察されているような気分になり、少しこそばゆい。


「……カイリは、海が大好きなんだね!」


 写真を全て見終わったユキは、ニコニコと満足そうな笑顔を浮かべていた。


「うん。小さい頃から、ずっと海で泳いでいたからね」


「そうなんだ。ふふふ……」


 微笑みながら、私の顔を覗き込むように近づいてくる。


「な、なにか可笑しい?」


 つい目を逸らしてしまった。


「ううん。カイリのこと、もっと沢山知りたいなーって思っただけ!」


 一歩、また一歩と、ユキが近寄る。フワリと良い香りがした。そして私の顔が、またしてもポカポカと熱く火照る。


 私のこと、もっと知りたいだなんて……。どうして? ユキ、あなたは一体何を考えているの?


「……じゃあさ。明日、私がこの島を案内してあげるよ。よく行く場所とか、思い出の場所とか、沢山あるから」


「本当に!?」


 目を見開いて喜ぶユキに対し、ゆっくりと頷いた。


「やったぁ! ありがとう、カイリ!」


 突然、ユキが思い切り抱きついて来た。咄嗟の出来事で反応できず、バランスを崩してしまう。勿論、私に抱きついていたユキも一緒に。


「うぁ!?」


「きゃっ!?」


 私とユキは、互いに向かい合って並ぶようにベッドへ倒れ込んだ。


「……」


 時間がゆっくりと流れていく。静まり返る部屋。聞こえるのは、目の前にいるユキが呼吸する音だけ。

 ユキの瞳をじっと見つめる。そしてユキもまた、私を見つめている。彼女の澄んだ瞳は、まるで鏡のように私の顔を写していた。


「カイリ……」


 不意に、ユキは私の手を優しく握ってきた。私の日焼けした褐色の手に、ユキの白い手が重なる。さながらオセロのように……。

 ひんやりとしたユキの手は、まるでそこが本来の居場所であるかのように、しっかりと私の手に馴染んでいた。


 さらに、ユキは私の手を握ったまま、今度はゆっくりと顔を近づけてきた。彼女の薄紅色をした柔らかそうな唇が、少しずつこちらに迫る。えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ……!?


 しかし私の想像とは異なり、ユキの唇が通り過ぎる。ホッとしたのも束の間……。そのまま、彼女は私の首筋に顔を埋め、なんと香りを嗅ぎ始めたのだ。


「ちょ、ちょっとユキ!? 何を……!?」


「カイリの肌ってさ、さっき私が食べたチョコレートと同じ色でしょ? だから同じように、甘い香りがするのかなって思ったけど、やっぱり違うね」


「あ、当たり前でしょ!? バカなの!?」


 言いながら、身体中がカァーっと熱くなるのを感じた。胸がドキドキと、これ以上無いくらいに高鳴る。あれ? これって、もしかして……。

 う、嘘でしょ!? そんな、私、ユキに対して……。


「うん、チョコレートの香りはしないけれど。でも、もっと良い香りがする。優しくて暖かい、お日様のような香り。こうしてずっと嗅いでいたいなぁ」


 動揺する私を気にする様子もなく、ユキは香りを堪能する。首筋に当たる彼女の吐息が、私の中にある何かを刺激していく。やだ、この子……。


「ちょ、ちょっとやめて……」


 これ以上は、ダメ。くすぐったいし、何よりこの心臓の音が、ユキに聞こえちゃう……!


「あれ? ここだけ肌の色が違う。真っ白で、私と同じ色だ」


「ちょ……!?」


 私の日焼け跡に気付いたユキは、そのまま襟の中を覗き込む。まるでこたつを見つけた猫のように、ユキが私の中に入ってくる……。


「ちょっと、やめ……やめてってば!!」


 少し大きめの声を上げ、ユキを無理矢理引き剥がす。そしてガバッと起き上がり、彼女と少しだけ距離を取った。


「はぁ、はぁ……。そ、そういうのは、お、お付き合いをしている男女が、することでしょ?」


 息が弾む。どこかへ飛んでしまいそうな程、胸がドキドキしている。どうして? 相手は女の子なのに……。


「え、そうなの? ごめんごめん」


 取り乱す私とは対照的に、ユキは苦笑いしながら自身の頭を撫でている。そして無邪気な笑みを浮かべ、彼女はこう言った。


「ふふふっ。また一つ、カイリの秘密を知っちゃった!」



 ……ほんっとうに、不思議な子。



「はぁ……もう寝るよ。布団を敷くから、ユキも手伝って」


 言いながら、ベッドからスッと立ち上がる。その手を取り、ユキが上目遣いで呟いた。


「えっ? ベッドで一緒に寝ないの?」


 小動物のような瞳。またしても直視できず、つい目を逸らしてしまった。


「だ、だめ! 狭いし、その、私寝相が悪いから!」


 動揺して、思わず声が裏返る。その様子がおかしかったのか、ユキが口に手を当てて笑い始めた。


「ふふっ、あはは! 冗談だよ!」


 上品さと幼さの入り混じった笑顔。そんな彼女のてのひらの上で、まんまと踊らされる私。そう思うと、少し恥ずかしくなった。


「……もう、からかわないでよ」


「ごめんごめん。カイリの反応が可愛くて、つい……」


 ぺろっと舌を出すユキ。そんな小悪魔チックな仕草を前に、何も言い返すことができなかった。


 そして二人で、せっせと寝床を準備する。……余っている布団があって良かったと、心の底から思った。


「よし。じゃあ、もう電気消すね。私は布団で寝るから、ユキはベッドを使ってもいいよ」


 まぁ、一応ユキはお客さんだし。そう思ったが、ユキは首を横に振った。


「ううん、私が布団を使うよ。その代わり、ギリギリまでベッドに近づけさせて。……それくらいは、良いでしょ?」


 ……この言葉も、私をからかっているのだろうか。それとも、本心?

 結局ユキの気持ちが一つも分からないまま、私はゆっくりと頷いた。

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