第六章

第六章 

『極北の壁を越え、今人の領域から離れた土地へ』

-セへナイ・レイラ著 “極北探検録 第五章”より


フラニップス山地からは水が豊かに湧くが木が余り生えない岩山の集まりで、見通しが利く。山の頂は既に雪を被っていて、夜は特に冷えた。山肌の草原にはポルモスという毛むくじゃらの巨大な牛が群れを成していて、温厚な彼らは群れの真ん中を突っ切っても気にも留めなかった。山歩きに慣れたリナアルを先頭にセヘナイ達四人は一列で進み、二日が経過する。

 山に入る前からご機嫌のチェルネツア。シルカルブトを出て以来の軽やかな様子に、予測が正しいか不安が拭えないセヘナイの張りつめた気持ちも和む。

「楽しそうだね」

「えへへ。そうですか? だってこんな景色の良くて心地いい場所、そうそう来れないですよ」

 スキップを始めそうな浮かれよう、その理由は分からないが、屈託の無いチェルネツアをセヘナイは長く見ていなかった気がした。

  はるか遠い鳥の群れを見つけたリナアルは立ち止まり、空へ向けてマスケットを発砲すると双眼鏡で鳥がいる方角を見る。突然の銃声にチェルネツアはビクついて、空を見上げるが何もない。

「リナアルさん、何してるんですか?」

「小さな鳥の群れは竜がいる証拠だから。威嚇してるんだ」

 竜という単語に染みのないチェルネツアの微妙な反応に、リナアルは首にかけていた双眼鏡を外す。

「見方分かります?」

 チェルネツアは小さく頷いて、双眼鏡で鳥の群れを見た。首と尻尾の長い四足歩行の動物が稜線の向こうに消えていき、それを鳥の群れが追いかける。

「あー、え? あの蛇みたいのですか? え? 危なくないですか?」

 双眼鏡を下ろして目をパチクリさせるチェルネツア。セヘナイは彼女から双眼鏡をそっと取って覗こうとしたが、「もういませんよ」と言われてしょんぼりする。

「フラニップス山地とか、常夜の森とか、人がいない深い自然には大抵竜がいるんです」

 リナアルはセヘナイから双眼鏡を返してもらうと、そう言って歩き出した。セヘナイは立ち尽くすチェルネツアの肩をポンポンと叩き「ちゃんと対処してれば危なくないから」と言い、デーキニッズもそれに頷いて同調した。

 割と過酷な道のりで自然と口数が少なくなる中、また一つ稜線を越えると新しい山々が顔を覗かせる。全方位を取り囲む山岳の景色に心躍らせるリナアルの横で、デーキニッズは一際目立つ左右対称の山に微笑む。パツパツに膨らんだリュックサックからコンパスを取り出し、方角を測る。

 後からゼイゼイと息を切らし這い登ってくるセヘナイとチェルネツア。チェルネツアは尾根に出るとリュックを投げ捨て、仰向けに倒れた。胸とお腹が短い周期で激しく上下する。セヘナイもリュックを置いてチェルネツアのマスケットに寄り掛かった。はしゃぎ気味のデーキニッズに「あの山がチャーリュワイ『霊廟の山』だ。もう直ぐだぞ!」と話しかけられるが、即答する余裕はない。

 長い休憩をとり呼吸が整ってから改めて位置関係を確認し、眼前の左右対称の山が霊廟の山だと確証を得る。そこからは事前に作成した地図を基にして、周囲の名のある山々の方角を参考に目星をつけた場所まで向かった。リナアルが危険の無いルートを選び、ゆっくりだが着実に進んでいく。だが目的地が近づいてもけれど人工物らしき物は無く、セヘナイとデーキニッズは内心焦りを感じて来た。ここがハズレなら、一から考え直す必要があったからだ。

「あれ、なんですか?」

 チェルネツアが指を刺したのは、大きな白い物体の数々。少なくとも岩ではないと、絶妙な期待にすがって走り出したセヘナイ。だがそれらが白骨化した竜の亡骸である事はすぐに分かり、呼吸を乱しただけで終わった。

 竜の死体は目測で全長35メートルほどあり、殆どの骨が人と並ぶほど大きい。目的の物ではなくても、蛇のような頭蓋骨は迫力があった。分かりやすくスゴイ物にチェルネツアもリナアルも声を漏らすが、横でセヘナイとデーキニッズは肩を落とす。デーキニッズは周囲を見渡すが、山々に囲われた逆アーチ状の広い谷でしかない。

「ここはハズレなのか。困ったな」

「……まだ諦めるのは早い気がする。魔法石もあるから、魔法の痕跡でも探そう」

「分かった」

 デーキニッズは荷物を置いて、竜の頭蓋骨の前で跪き祈りを始める。チェルネツアはアグリアの人にとって何か特別な意味があるのかなと思って、見よう見まねで竜へ祈った。二人の祈りをセヘナイが見守っていると、「ボ~ン!」と鈍く大きな音がごく至近距離から鳴り響いた。三人とも驚いて音源の方向を見ると、リナアルが鼻を抑えながらのた打ち回っていた。セヘナイが駆け寄ると、リナアルは谷の方向を指差して「見えない壁が」と情けない声で言う。セヘナイは谷の方へ左手を突き出しジリジリと前に進めると、本当に目の前で左手にピタッと平らな何かが当たった。その瞬間、勝利を確信する。

「結界だ」

 セヘナイはチェルネツアにアイコンタクトをすると、彼女はナイフで自分の腕を切る。デーキニッズもリナアルも体をじんわりと温める波動を感じ取った。チェルネツアが手を繋ぎ、右手を突き出す。「もう少し前。そこへん」と言われて一歩踏み込むと鉄製の板のような質感に触れた。手の平でジンジンと熱を感じる。

「よし、解体するぞ」

「はい」

 チェルネツアの体を巨大な意図や意識が吹き抜け、直後バリバリバリと雷鳴を響かせて半透明の巨大なドームが現れる。チェルネツアの力がより結界へ流入すると、魔法陣のような模様がドームの表面に輝いた。

「テーナサラ式か。本の通りだな。復習しといて良かったな。シルカ式に書き直してから、アイル・ワル・カネル変換でラクラミ式に」

 魔法陣の模様が一度大きく変形し、それが落ち着くと、再度変形して幾何学模様の塊になる。

「そういう原理ね」

 セヘナイは目を瞑ってブツブツいうと、見る見るうちに結界にひびが入って崩壊した。

 結界が無くなった後、そこはただの谷ではなかった。荘厳な建築物群が現れる。セヘナイは真っ先にデーキニッズを振り向き、両手を挙げて喜んだ。

 チェルネツアの腕に包帯を巻いてから、四人は霊廟へ踏み込む。幅広い石畳の道の両脇には薄い赤色が残る石造りの霊廟がいくつも並び、刻まれた言語からも後テーナ・サーラ王朝アグリアの物だと分かる。無音の山の中朽ちて佇む建物の数々は、眠る王たちを知らない人にも存在感、威厳を語る。

セヘナイは左右の霊廟を交互に指差して「こっちは浪費家の、そっちは暗殺された、あっちは」と呼吸も追いつかない早口で知識を放出させ、内なる興奮を発散させる。デーキニッズですら置き去りにされるが、空気感には共感して楽しむ。 

 そしてセヘナイはオレール大帝の霊廟を見つけると、駆け寄って口をあんぐり開けながら細部を見回す。アグリア人の好きな細密彫刻に、王族だけが使用を許された赤鉄顔料。

「本物だ……。オレール大帝はね、竜狩りの大帝とも呼ばれてて」

頬を石にスリスリさせて、表面のざらつきを感じて喜んだ。リナアルにとっては眉をひそめる奇行も、チェルネツアはいつもの事だと無視して、霊廟の正面にある扉らしき模様に近づく。

「ここから入るんですか?」

 チェルネツアが扉の模様の触れようとすると、透明になり長方形の横穴が現れた。中は暗くなく、血のように赤黒い。地獄の入り口に見えて、中に入ったら死を免れないような不気味さがある。セヘナイはその様子にこの先だと確信する。

「正解を引き当てたな。皆、布で口元を覆ってから入ってくれ」

 セヘナイは手本を見せてから迷いなく斜路を下り、次にリナアルが入った。チェルネツアとデーキニッズは顔を見合わせてから下っていく。

 細密彫刻に四方を囲まれた地下空間の中心、朱色に輝く秘宝アクアグロットは棺の上に浮いていた。卵と同じ形とサイズで、ガーネットの塊にも見える。

「信じられない」

 リナアルが呟き、歩み寄る。だが手が届く範囲に近づく前に、セヘナイが腕を掴んで留めた。

「待った。危ないから、私とチェルネツアで確認する。いい?」

 不審がるリナアルにセヘナイは微笑みかける。

「危険なんてないでしょう」

「それを決めるのは私の役割だろ?」 

 リナアルが腕を振り払い、すかさずチェルネツアがマスケットに手を回すがセヘナイが制止をかける。リナアルもワンテンポ遅れてチェルネツアの動きの意図に気が付き、悲し気に眉を広める。ただならぬ空気にあたふたするデーキニッズ。

「北方シア人の私には触る権利は無いと? セヘナイ様まで私達を二等シア人と見下すのですか? そうですよね、南方の人には私達の気持ちなんて」

「違う! リナアルの協力には感謝してる。だがアクアグロットの正しい歴史は北方サーテシラがどの民族を起源とするかを定める物だ。慎重に扱わなければ戦争や虐殺の口実になる」

「北方サーテシラは北方シア人の土地だ。私達の土地だ! 南方シア人でも、アグリア人でもない。異論は無いでしょう」

 リナアルは激情する。怒鳴る姿が想像もつかない男が、感情に任せて怒鳴った。

「君は冷静沈着で理性的だ。だからここまで友として連れて来たんだ。だから冷静になって聞いて欲しい」

「何を聞くっていうんです!」

「北方サーテシラの文明の起源はシア人でもアグリア人でもない。エジシン人だ」

 思いもよらぬエジシン人という単語にリナアルは硬直し、無言で首を横に振る。

「まさか。エジシン人。あんな少数民族が……。嘘だ」

 リナアルが一歩退くと、セヘナイも一歩詰める。認めがたいが、この期に及んでセヘナイが嘘をつくとは思えなかった。歴史に対する誠実さと知識の量は知っているから。信じる対処の取捨選択に混乱し、真っ直ぐ見つめて来るセへナイが怖い。真っ直ぐさが怖い。自分の無知が恐怖を掻き立てる。

「太陽と月はエジシン人の国、フォルティナ文書で報告されてる。アグリア人と北方シア人が長い時間をかけて歴史の隅に追いやったんだ。アグセン・リウウィのようにね」

「フォルティナ文書なんて聞いた事ない。我々はアグリア人やシア人の侵攻から守る守護者のはず。でもそれが本当だとしたら、私達は侵略者じゃないですか」

一歩また一歩と退くリナアルだが、セヘナイは臆せずリナアルの腕を引き、強く抱きしめる。

「アクアグロットは恐らくフォルティナ文書の内容証明してしまう。皆混乱してしまうだろう。そうやって皆を困らせない為に、私が管理して慎重に対処したいんだ。平和の為に」

「だったら何のための解放軍で……。私は何のために戦うんですか?」

「歴史的正当性より、今帝国の圧政に苦しむ人々を開放したいと思うリナアルの正義感の方が価値のあるとは思わないか?」

リナアルは急に静かになって、力が抜けていく。セヘナイが抱きしめた腕を解けば、ぐったり崩れ降りて放心状態になった。デーキニッズが「何があった? 大丈夫か?」と聞き、セヘナイは「問題ないよ」と答えてチェルネツアを呼ぶ。チェルネツアはリナアルを気に掛けながらも、セヘナイと手を繋ぎアクアグロットの前に立つ。

「何をすれば?」

「アクアグロットを持って」

 リナアルが取り乱すほど大事な物を私が持っていいのかなと思ったが、アクアグロットを手に取った。直後アクアグロットは輝き、空中へ象形文字文を数十層も投影する。

「黒き力はどこにある? どうやって手に入れる?」

 セヘナイが語り掛けると、象形文字は虫のように蠢いて動く立体の絵となる。白い河を上った先、森に飲まれた都があり、そこには巨大な三角の神殿。神秘の木を守る空間の天井に魔法陣があった。人がアクアグロットを掲げると、魔法陣は吸われて無くなる。木を神聖なものとして崇める神殿に、リナアルは心当たりがあり肝が冷えていた。

「まさか、本当にエジシン人が……」

「アクアグロットは誰の者だ?」

 象形文字は再び蠢いてシンボルを浮かべる。太陽を枝に、月を根に、星の葉を生やす巨大樹。

 セヘナイがチェルネツアの手を離すとアクアグロットは輝きを失い、彫刻が刻まれた石になる。リナアルもデーキニッズも呆然としてアクアグロットを見つめたが、セヘナイが布に包みチェルネツアのポシェットに雑に突っ込んだ。

「一度外に出よう」

デーキニッズはセヘナイのアクアグロットの扱いに動揺し「あ、ああ」と反応し、外に出る。セヘナイはリナアルに肩を貸して外へ連れ出し、チェルネツアも後に続いて霊廟を出る。すると霊廟の横穴は不思議にも封じられ、扉の模様の壁になった。


竜の白骨まで戻ると、セヘナイはリナアルを肋骨に腰掛けさせてた。それから適当な木の棒に自分の名前をナイフで彫って地面に突き刺し、結界を張り直した。霊廟も木の棒も霞に飲まれたように消え去り、何も人工物が無い谷の景色だけが残る。デーキニッズは折角見つけた霊廟を隠すなんてと思うが、満足げなセヘナイに水を差しそうで声にするには気が引けた。

「また結界を張ったのか。セナが報告すればいいだろ」

「いつか誰かが見つけた時のサプライズだよ。びっくりするだろうね、二番目で」

「でも、折角の成果じゃないか」

 デーキニッズは結界のある方向を指差すが、セヘナイは一瞬振り返るだけ。

「テーナ・サーラは専門じゃないからな。名誉だけ頂いて、後はその道のプロに任せるよ」

発見をしておいて興奮は共有しても、余裕があるというか名誉欲を感じさせないセヘナイに、デーキニッズは身に覚えのある差を感じさせられる。セヘナイに悪気はないのだろうが、自分では推し量れないような価値観に、自分は劣っていると言われている気がした。

いや、劣っているのは七年前から知っていた。リザーツァでは博識で名が通っていたデーキニッズも、セヘナイの前では生徒並み。町中の高嶺の花だった才女のカデシエーナも歴史への愛と知識に興味を持ちセヘナイを選んだ。親友とは言え世界でデーキニッズにしか見えない壁がセヘナイとの間にあり、それを今思い出させられた。

セヘナイは落ち込むリナアルの隣に座り、シードルの入った瓶を差し出す。するとリナアルは瓶を掴み、一気に半分を飲み干した。

「歴史の後付けが無いと自分の正義に根拠がない気がします」

「私だって根拠が無くて不安だったけど、でも霊廟は見つけられた」

「セヘナイ様は古文書をよく理解していらっしゃる」

「そう、それが問題。あいつら自分の妄想ばかり書くから、どこまで本当か分からないんだ」

 セヘナイは楽しそうに空を見上げ、頭をゆっくり左右に揺らす。リナアルも顔を上げて空を見る。雲の少ない青空は眩しすぎた。

「私は何のために戦うのでしょう」

「ん~。難しいね。でもリナアルが自分で考えて決める事だからな。相談には乗れるけど、理由を押し付けられる程私は偉くないよ。答えになってるかな?」

 セヘナイは目を細める。指針を示してくれると期待していたリナアルだったが、その思惑は外れた。ここ五年間南方シア人からウルカハシアジルを開放する事だけを目標に生きてきただけに、途方もなくて深いため息が出る。

「セヘナイ様は何のために戦っているのですか?」

「私は昔の夢を追いかけてるだけで、戦いの方から寄ってくるだけだよ。でも敢えて言うなら学問の為。どんな妥協的な平和だろうと、平和は学問の母だからね」

 リナアルは曖昧にしか分からない答えに、もう一度深いため息が出る。でもセヘナイがただ勉強の好きなだけの人だと分かって嫌な気分はしなかった。

 バーン。チェルネツアが高台から稜線の向こうへ水平に近い角度でマスケットを撃った。デーキニッズもリナアルも鳥の群れを探したが、セヘナイだけはチェルネツアの狙いすました目に人の存在を察する。

「イルハサール! 帝国軍です! 敵十五人程。武器持ちは半分」

 チェルネツアはハッキリした大きな声で報告すると、直ぐに第二弾を装填して撃つ。セヘナイはチェルネツアの銃口が向く方向とは逆へデーキニッズを走らせた。リナアルにもマスケットを持たせ、「帝国の追手だ。引き籠れる高台を探してくれ」とデーキニッズを追わせる。

「チェル、本当にイルハサールが?」

「はい。もう目の前ですから」

 チェルネツアがピョンピョン岩肌を跳ね降りてきてからセヘナイも走って逃げだした。

「ゴロゴロ岩が転がってて足場悪いから、滑ってこけないようにね」

「それ私のセリフです。セへナイさんの方がこけないでくださいよ」

チェルネツアの真剣な顔と力強い口調に、なんか頼りになるな、とセヘナイは感じて少し可笑しかった。

 二人の背後から銃声が鳴り、どこかの岩に弾丸が当たって跳ねる。だがセヘナイもチェルネツアも気にも留めず走り続けた。

 その間にリナアルは適当な高地に陣取ると、マスケットに弾を込めてから伏せる。右往左往するデーキニッズには石を握らせ、チェルネツアとセヘナイが斜面を登り終えるまで牽制射撃で援護した。帝国兵は高地に近寄ると素早く散兵し、対魔法障壁を張ると岩陰に隠れる。

セヘナイとイルハサールの久々の再会は、遮蔽物に身を隠すまでの一瞬だけだった。

「セヘナイ、アクアグロットを見つけたな」

 銃声と弾丸の飛翔音が騒々しくとも、イルハサールの声は良く通った。

「さあな。霊廟はすぐそこだ。自分の目で確認しに行くといい」

「分かりやすい嘘はつかない方がいい。注意も引けないぞ」

 セヘナイが「いや、本当なんだけどな」とぼやく。緊張感の無いセヘナイに、装填していたチェルネツアはクスッと笑い、斜面の傍まで前に出て撃ち下ろす。

デーキニッズは石を持たされただけで状況が読み込めず、他三人が何故冷静に戦えているのか理解できない。手あたり次第石を投げるセヘナイを捕まえ、安全な後ろの方に引きずる。

「どうした? デーニスも適当でいいから石を投げてくれると助かる」

「いや、帝国軍ってシア・インラーデ帝国の事か? どうして?」

 デーキニッズに揺すられるセヘナイ。

「アハハ……、巻き込んで済まない。後で説明するから、今は落ち着いて私の指示を聞いてて」

「あ、ああ。分かった……」

 そして投石に戻るセヘナイに、デーキニッズも迷いながらも渋々石を投げる。けれど、もし自分が投げた石が人に当たったらと考えれば、セヘナイのように迷いなく投げられない。

 イルハサールとしては十分な対魔法障壁で魔法攻撃を抑制し、銃撃を集中させチェルネツアさえ制圧できていれば怖い物は無いと考えていた。その考えのもとに銃撃をチェルネツアに集中させ制圧は成功したが、距離を詰めると上から降ってくる石が鬱陶しい。銃撃は十数秒に一回だが、石は一秒に二個落ちてくる。イルハサールの部下も半分はマスケットを捨てて石を投げた。イルハサールはずっと突撃の機会を探したが、高地からの投石という幼稚だが効率のいい攻撃に攻めあぐねた。

それでも続々と間合いを詰める帝国兵に、石を投げ下ろした後のリナアルはセヘナイを振り向いて首を横に振る。セヘナイはその内白兵戦になると予想して、チェルネツアと魔法で強引に押し切るしか術はないかと考えた。その矢先、リナアルの顔に鳥の影が映る。セヘナイとリナアルは空に目を向けると、そこには数十羽の鳥の群れがいた。


 ドドドドド、地面が鳴く。振動と共に砂煙が巻き上がる。キイイーーーーーーンと耳に刺さる鳴き声。砂埃から姿をさらす細長い竜の顔と蛇の様な長い首。赤い目に、背には岩肌のような硬質で不揃いの装甲を纏う。トカゲの様に横にせり出した四つの足を持ち、その後ろには長く細い尻尾が続く。

 50mも離れていない場所に現れた竜は咥えていたポルモスの死体を落とし、大きく首を持ち上げ人間を見下ろす。

「まずい、ムシュラスカーラのメスは繁殖期で気が立ってる」

 リナアルは下手に手を出さないよう警告しようとした。けれど、その前に発砲が起こってしまった。帝国兵の一人が竜へ撃ったのだ。竜はその兵士を赤い目でギョロッと睨み、周囲の岩々を浮き上がらせる。ガラガラガラと音を立てて百の岩が十分な高さまで浮く間、全員が目を離せず、動けもせず、ただその時まで息を呑む。浮遊したすべての岩は発砲した兵士へ放たれた。轟音に包まれ、砂煙で視界も遮られ、上下左右も見失う。セヘナイが次に知覚するのは、砂煙の中に浮かぶ竜のシルエット、チェルネツアやデーキニッズの咳き込み。

「べらぼうな魔法だな」

 これは竜の関心が帝国兵からこっちへ移ったら死ぬと、顔が引きつるセヘナイ。今すぐ離れたいが、野生動物相手に背中を見せてはいけないとも聞いた事もある。焦る顔は竜に真っ直ぐ向けられているが腰は引けていた。リナアルはいつまでたっても逃げ出さないセヘナイにしびれを切らし、脇目もふらず斜面を駆け下りた。一人逃げれば、それを免罪符にするようにデーキニッズも逃げ出しす。最後まで小難しい事を考えていたセヘナイは反応が遅れて、チェルネツアに名前を呼ばれてようやく逃げる決心がついた。

 兵士を襲う竜へイルハサールはひたすら煙幕弾を投げ、竜の視界を遮る。煙を振り払おうと竜が暴れている間に生き残った兵士へ「キャンプまで走って逃げろ!」と声をかけ、負傷した一人を担いで走った。

テリトリーから抜け出すと竜は興味を失くし、それ以上追ってくる気配はなかった。その時点でセヘナイは見失っていて、イルハサールはキャンプに戻ってから即時撤退を決定する。セヘナイはアクアグロットを発見したかどうか誤魔化したが、発見していると確信していた。

「どの経路で北方サーテシラまで戻るか」

 撤収中イルハサールはずっと地図を舐めるように見たが、予測されるルートの数は無限に近く、一つに絞る手掛かりも方法論もない。こうなれば出来る事は北方サーテシラまで逸早く帰り、解放軍の動向からセヘナイの位置を予想するしかなかなかった。持っていた地図をグシャグシャに丸め、地面に叩きつけた。

 

 セヘナイ達は森をさまよい、コンパスの方角だけを頼りに平野を目指した。五時間も当てもなく歩き続けて、どうにか麓の村に出る。荷物もほとんど失い、顔も服も汚れて疲労困憊の四人を村の人は不審がるが、お金を出して事情を説明すると渋々受け入れてくれた。

村のはずれの切り株に座るデーキニッズ。地面を見つめ、何もかもグダグダな今に疲れ果てた。これからの行程を話し合うリナアルとセへナイ、残った荷物を確認するチェルネツア。体も洗えてなければ、泥だらけの服を着替えられたわけでもない、食事だって取ってない。けれど次を考える彼らの前向きさがデーキニッズには信じられない。自分は早くリザーツァに帰って、柔らかいベッドに横になりたいとしか考えられないのに。

一通りの段取りを組み終えたセヘナイは、満身創痍のデーキニッズの前の地面に座る。

「いつ帝国の手先が追ってくるか分かんないから、夜闇に紛れてこの村を出る。山道を歩けば明日にはロヌヨン。そこからは五日でリザーツァだよ。かなり遠回りだけど、変な場所に下りてなくて良かったね」

 地面を見たまま声を上げないデーキニッズ。

「あっちの小川で体洗って着替えたら、出発まで寝るといいよ。その間に私達が洗濯とか食事の準備をしておくから。でもリナアルが言うには感覚がマヒする程水が冷たいらしいから、目が覚めるかも」

 デーキニッズが顔を上げると、眠そうな顔のセヘナイは乾燥して固まった泥を髪や服から払っていた。銃で撃たれて、竜に襲われ、森をさまよって、でもどこか呑気で腹が立つというか、そんな気持ちになる。

「シア・インラーデ帝国に追われてまで何をしてるんだ? アクアグロットを奴らは探してたんだ。渡せばこんな悲惨なめに合わなくて済んだのに」

「大魔術を探してる。どうもライバルが多くて、困ってるんだけどね。でも仲間は一人も死んでないし、大切な物は全部手中にあるし、そんな悲惨かな?」

 セヘナイの悪意の無い疑問が、デーキニッズを惨めにする。普通の人ならデーキニッズの言う悲惨に共感してくれるだろう。でもセヘナイにはこの程度悲惨の内には入らない。リナアルもチェルネツアも、心は折れていない。楽しいだけで旅をしていないのだ。

「セナはすごいな。尊敬するよ」

「別に、私達好きな事をしてるだけだろ」

 いいや、違うよ。デーキニッズはそう言いかけた。だが「チェルやリナアルには付き合わせてしまってるのに、愚痴一つ無いなんて本当にありがたいよ」とセヘナイが続けて言うと、惨めになりそうで出かけた言葉を飲み込んだ。

 

 リザーツァに帰ってきた日は山霊祭二日目の夜だった。シルカルブトと比べて灯りの量も提供される食べ物の量も少ないけれど、その下で酒を飲んで踊る人の陽気さは上回っていた。リナアルは船の手配に港へ走り、セヘナイが今夜にもリザーツァを出る事になるだろうと知ったデーキニッズは、見送りの為にカデシエーナを呼びに屋敷へ帰った。

始めて聞くヴァイオリンの音と曲調の歌に気を取られ、そのリズムに合わせて体を揺らしていたチェルネツア。セヘナイと二人になっていたと遅れて気が付くと、荷物からリボンのついた木箱を探して、背中に隠し、同じように音楽を聴いていたセヘナイに近寄る。

「あの、そう言えば、シルカルブトだとそろそろ収穫祭の時期ですよね。このお祭り見てたら思い出して」

「暦が違うのによく気が付いたね。そうだよ。だからこれ」

 セヘナイは包み紙で包まれた薄い円柱をチェルネツアの前に出す。

「開けてみて」

 不意を突かれたチェルネツア。自分の贈り物をポシェットに差し込んでから受け取って、丁寧に包み紙を開ける。それは薄い円柱の木の容器で、蓋を開けると肌色のクリームが入っていた。

「ラクラミ王国の日焼け止めなんだけど、目立たないように肌の色なんだ。これを使えば数回はタトゥーを隠して出かけられるはず」

自然な肌の色に馴染むような色合いだった。シルカルブトでも似たようなものはあったが、白くて顔に塗るものだったため、タトゥー隠しには不自然だと諦めていた。だからこそ嬉しくて、チェルネツアはセヘナイに抱きついた。

「嬉しいです。嬉しいです。嬉しいです!」

 全身で喜びを表現するチェルネツアに、セヘナイも半年かけて輸入してもらった甲斐があったと身に染みて感じた。その時チェルネツアのポシェットから滑り落ちそうになった物があり、セヘナイが落下する前に掴んだ。

「これは?」

セヘナイの視線の先をチェルネツアも見ると、用意した贈り物がセヘナイに握られている。彼女は慌ててセヘナイの手から木箱を奪い取り、顔を真っ赤にしながら改めて渡す。

「これは……。はい、プレゼントです」

「ありがとう。何かな」

 クスクス笑いながらリボンを解いて箱を開けると、傷だらけで使い込んだ跡がある小さな伸縮式望遠鏡が入っていた。セヘナイは「おーー」と歓喜の声を上げながら望遠鏡を掴み上げ、覗いたり離したりを繰り返す。

「す、すごい、レンズがまともだ! ちゃんと見えるぞ! センスいいね。アハハハハハ」

 覗く望遠鏡を伸び縮みさせながら笑いが止まらないセヘナイに、チェルネツアの口角が自然と上がった。

「セへナイさん、あんまり目良くないから。役に立つかなって」

「役に立つよ。すっごい嬉しい」

 望遠鏡にしようと決めたのはチェルネツアで、初め黒塗りのかっこよさそうな新品を買おうとしていた。同行していたカデシエーナはその黒塗りの望遠鏡を覗き「ガラスの加工って大変でレンズの質はまちまちだから、一番きれいに見えるの選んだら喜ぶよ」と助言しのだ。悩みに悩んで助言の通りに選んだが、でも中古品で良かったのかと不安だったチェルネツア。けど目の前の反応を見れば、そんな心配も杞憂だったんだと気持ちが晴れていった。

 カデシエーナはデーキニッズがいつ帰って来てもいいように、ここ数日は屋敷で仕事をしていた。窓を開けて麓の賑わいを聞き、今日も気が済むまで文章を写す気でいた。普段なら工房から帰ってくるまでデーキニッズは起きているので、適当に仕事を切り上げる。けれど止める人がいないと時間も忘れて熱中してしまう。

 呼び鈴が鳴り、カデシエーナはペンを置いて出迎えに行く。デーキニッズが帰って来たのだと直ぐに察した。無事に帰って来た安心と、気が済むまで仕事ができない寂しさが混在する。

 外には案の定デーキニッズがいて、疲れなのか、打ちひしがれたのか、冴えない顔をしていた。

「おかえり」

「セナが今からリザーツァを離れる。見送りに行こう」

 デーキニッズはカデシエーナの手を握りる。「いつも急よね」と言ってカデシエーナが歩き出してから、デーキニッズも歩幅を合わせて歩いた。

「クマができてる。人がいないのをいい事に夜更かししたな」

 余計な事によく気が付くな、とカデシエーナは少し感心する。

「ちょっとだけ。六年ぶりの冒険、楽しかった?」

 楽しかったというより、疲れた。デーキニッズはそう答えようかと考えたが、カデシエーナはその答えに満足しない気がした。

「セナは凄い奴だと再確認させられたよ」

「セナの事はどうでもいい。貴方の感想を聞きたいの。楽しかった?」

「楽しかったよ」

「嘘つき。疲れたって顔してる。友達との付き合い方と距離感は、時代と人生の段階で変わべきものなの。無理に合わせようとするのはデーニスの悪い癖。貴方が疲れるだけなら私は止めて欲しい」

 デーキニッズがカデシエーナの横顔を覗く。彼女は真っ直ぐ坂の下を見据えて迷いがない。つくづく自分にはもったいない人だが、離したくないとも思う。愛してもいた。彼女と一緒になれた事が人生で唯一セヘナイに勝てた事だと思えば、セヘナイと対等にいられるとどこかで考えていた。より無意識まで潜れば、それはセへナイに対する小者じみた復讐だったかもしれない。

「もう当分冒険はいいかな。町での仕事もあるし、気が向いた時にでも」

「いいんじゃない。デーニスがいない間、早く帰って欲しいって皆言っていた。頼りにされてるんだって思うと私嬉しかったな」

「カーシャが一緒にいてくれる方が数倍は嬉しいよ」

「じゃあいくらでも一緒にいてあげる」

 カデシエーナは照れ隠しに平静を装って、腕を組んだ。素直に反応した赤い耳も、程よい町の暗さが都合よく適度に隠す。デーキニッズも普段だったら絶対しないカデシエーナの行動に驚くが、満更でもない。

 港では船の傍でセヘナイが貰ったばかりの望遠鏡をチェルネツアに覗かせて、その望遠鏡がいかに良い物か意気揚々と説明していた。その様子にカデシエーナは既視感を覚え、同時に安心する。

セヘナイがデーキニッズに気が付くと、二人は港に泊まる船を指差して世間話を始める。望遠鏡を下ろすチェルネツアにカデシエーナは「無事に帰って来たみたいで良かった」と声をかけ、つま先立ちで三度頬を擦り合わせた。

「はい。無事に帰ってきました」

カデシエーナは耳元で「贈り物喜んでくれたみたいね」と囁き、頬を赤らめて小さく頷くチェルネツアを微笑ましく思った。

リナアルは船の甲板から顔を出して「まもなく出港です。もう船に乗っていてください」と叫んだ。言語は分からなくても別れが近いと想像つくデーキニッズ。

「セナ、もう行くのか」

「みたいだね」

 セヘナイは真っ直ぐ船のマストを見上げた。畳まれていた帆が張られ、係船索が解かれる。魔道の倉へ行くだけの旅に、胸が高鳴る。二十五年の集大成への最後の一歩が始まるのだと。けれどデーキニッズに取ってはささやかな再会の終わり。自分が決していけない世界へ向かう友との別れ。

「大魔術見つかるといいな。応援してる」

「応援さしてくれてありがとう。でも、もう後は時間の問題さ」

 デーキニッズには時折セヘナイとカデシエーナが重なって見える。やっぱり似た者同士なんだなと、不意に思った。

 セヘナイとチェルネツアが乗り込むと、船は錨を上げて瞬く間に出港する。セヘナイは港に向けて手を振り、埠頭に立つ人の姿が闇に紛れて分からなくなるとリナアルの手伝いに向かった。だがデーキニッズとカデシエーナは船が見えなくなるまで見送り続けるのだった。

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