第9話 いたって普通のお国事情

この件を問いただすツテは、幸いにも近くにあった。

思い当たる内容を列挙した羊皮紙に魔法を吹き込み、フロアの床に小さく刻んだ二重陣を発動させる。

術士同士だけが使える直通の通信方法だ。

そしてその上で羊皮紙が消滅したことを確認すると、リズは足で陣の痕跡を消した。

あとは朗報が返ってくることを待ちながら、このくだらない計画を潰すための方法を練るだけ。

そして幸いにも『なるはや』で依頼した内容は夕方には人員を伴って返ってきていた。

「――信じられない強引さだ……」

ひどく憔悴し遠い目をした男がひとり。

「嬢ちゃんはいつもこんなもんだぞ」

慣れた様子で笑う男がひとり。

うんうんと頷いているのはその男のパーティの人間だ。

「グスタフさん、遠征対応ありがとうございます。ブラッツは頼んだこと全部調べてくれた?」

「……調べました」

貴族層――しかもルッツフェルドの人間がこちら側に残っていたのは幸いなことだった。

黒淵城を媒介に東部と北部の拠点間を短縮、非常事態にかこつけて転送陣で "赤熊" グスタフのパーティを招聘。

これだけでも黒淵城の無断利用に繋がるため懲戒は免れない。

だがリズはブラッツの顔色だけでもそんなことにはならないと察する。

「先輩の懸念どおりです。元老院は全員撤退済。中央も北寄りから貴族層が屋敷を放棄しています。兄、および父とは現在連絡がつきません」

「ルッツフェルドは本命だと思う?」

「……兄と父に連絡がつかない今、完全に否定はできません。しかし……それにしては、どうもおかしい気がします」

「わかった。ありがと」

それはにわかには信じがたい事態だった。

黒淵城の放棄は術士の総指揮権の放棄に等しい。

中央で貴族層が逃げ始めているなら、王城が事態を察しても王命が発されるどころか『逃げる』絵すら想像にかたくない。

(予測されすぎていた事態、ね。臭いったらない)

長く続いているだろう北部の怠慢。

放置された魔力溜まりと魔人級の発生。

それに伴う元老院と中央の即時逃走。

「まったく。今、他国と戦争になったらどうするんでしょうねぇ」

「そりゃあぞっとしねえ話だ」

「まぁ、あんな災害につけこむ度胸はないと思いたいです。あちらも攻め入ったところで自国の軍に飛び火したら地獄でしょうし」

「よくそんな話を平然としてますね!?」

笑い話として終わろうとしていたところに真面目なブラッツ後輩の声が飛ぶ。やはり不謹慎だったか。

「平時なら不敬に問われます。……今は平時じゃありませんが」

「大丈夫だ、嬢ちゃんもわかってる。冗談、より万一の話だな。横から殴られる可能性も考えとくってだけだ」

「わかっていても大声で喋らないでください」

たしなめる声にグスタフが肩をすくめた。

なんとなく東部の今が見えてほっとする。だがその一方で懸念は晴れないままだ。

「ブラッツ」

「はい」

「もうひとつ聞きたいんだけど、北部はいつからああなの」

現、東部担当官である以前に、ブラッツは元、北部の術士だ。

尋ねるとそのきれいな顔立ちが苦いものでも食べたかのように歪んだ。

「あの体制は、もう十年以上になると思います。少なくとも僕が任官したときには既にあの体制でした」

「その頃からもう一依頼に十人とか使ってたってこと」

「……そうです。厳密には方面隊をさらに小隊に分けて、ひとつの地域を丸ごと掃除、を繰り返す形でした」

「それで観測には引っかからないのか〜……そんな小細工に気づかなかった自分が嫌になるなぁ」

思わずごつ、と額に拳を当ててしまう。近くとも東部は東部、北部は北部ということが。

もっと早く気づいていれば馬鹿げた茶番は間違いなく防げていたはずだ。

「こんなくだらない企み、絶ッ対に、阻止してやる」

「うわ……東部北境の魔女……」

「ブラッツ、そのあだ名の出どころも探らせてあげようか」

「スミマセンデシタ」

どうせ庶民の出のくせにでかい顔をしている女が気に食わない連中が生み出した言葉に違いない、とリズは勝手に思っている。

その実態が『屈指の天才に畏怖を込めてつけられた二つ名』であることを知らずに。

――だが、あえて言うまい。

ブラッツがそう心に決めたところでリズが顔を上げる。

それは何かを思いついた顔だ。

「ブラッツ」

「はい」

「一人で七重陣描ける?」

「……は?」

唐突な言葉に呆気に取られた。

七重陣、とは一つの魔法陣に最低七つの付与効果を載せたものだ。

例えば三重陣で火柱を起こすとするなら、中央を炎、二重目は風、三重目は防護の陣を刻む。陣に追い込んだ魔物を一掃する場合などに使われる、設置型の魔法陣だ。

そしてこの魔法陣というものは、各層の魔法を順次起動させ、中央へ導く魔導式を書く必要がある。このため層が増えるごとに求められる技量と暴発の危険性が増すことで有名だった。

「だから、七重。爆破陣を土魔法スタートで引いたらそれぐらいにはなるでしょ」

――何を言ってるんだこの人は。

ブラッツは本音を飲み込むと首を横に振った。

「いや、単独での七重はさすがに……。やれないこともないでしょうが、そもそも時間がかかりすぎますし、起動したところで暴発する可能性が残ります」

「そっか。じゃあこの案はなし。……えーと他の方法は」

術士の使う爆破陣ですら単独なら四重がせいぜいだろう。

ひとりで七重陣をさっと書いて起動できるのは貴女だけですなどと言えるわけもない。

そもそもできると答えたらいったい何をやらせるつもりだったのか。

七重陣が暴発すれば、待っているのは辺り一帯を巻き込む即死事故なのだが。

想像しただけでもブラッツはぞっとする。

「この案もダメかな……うーん……、ッ!」

ぶつぶつと呟きながら案を練るリズの腹から、不意にきゅる、と音がした。

「〜〜っ!」

空腹を訴える音は素直なもので、当の本人の顔を赤らめさせるには十分だ。

それを見てグスタフが豪快な笑い声をあげる。

「まずはメシにしようや嬢ちゃん。食材ならついでに色々持ってきてるからな」

大人と子供、とは言わないが長男と年の離れた末子程度には年の差がある構図だ。

リズもおとなしくその言葉に従った。そもそも空腹は事実で、考え事をするにもよろしくない。

それに東部の食糧事情は北部よりずっと豊かだ。

ボソボソした食感のパンにも、水分の見当たらない干し肉にも、卵ひとつが異常な値段をしていることにも、新鮮な野菜が見当たらないことにも堪えなくていい提案は実に魅力的だった。

「お集まりのS級共! 東部からメシの差し入れだぞ!」

ブラッツの襟首を掴んで酒場へ歩いていくグスタフがそう叫ぶ。

それだけで空間魔法適性の誤った、ある意味正しい使い道を察してしまい、リズは少しばかり自分の適性のなさを思って宙を見つめた。

「――リズ、あれはあんたからの差し入れかい?」

聞き覚えのある声が背後から飛んできたのはその時だ。

振り返ると赤銅色の髪が視界に入る。

「あ、お疲れ様です、ハイデマリーさん」

「だからハイディでいいって。……まさかとは思うけど、東部師団全員連れてくる気かい」

「違いますよ、東部でも実力は人それぞれですから。今回はあの二人だけですね」

「片方は東の "赤熊" だろ、見たことがあるよ。あの細っこいほうは?」

遠目とはいえブラッツの顔を見てもピンと来ないらしい。

本当に北部方面隊が冒険者との繋がりをほぼ絶っていたと裏付ける言葉だ。

「同僚、兼、参考人ですかね。ルッツフェルドの三男坊です」

「ああ、方面隊の弟のほうか。……ふぅん、悪くない顔ではあるね。多少の戦力にはなりそうだ」

品定めの視線を感じたのか、宙から東部の食材を山ほど出していたブラッツが素早く振り返ってこちらを見た。

「勘もいい」

気に入ったと言わんばかりの声音にはリズですら苦笑するしかなかった。

「食事を終えたら少し皆さんを集めていただいても?」

「いいよ。招集もそろそろ揃いだ。先発するパーティも決めたいしね」

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