第8話 いたって普通の北部事情

それからどれほどが経っただろうか。

頭痛が緩まり、あたりが騒がしくなった気配を感じてリズは目を開ける。

(……さすがに北部は早いなあ……)

なんとなく東部と比べてしまうが、非常招集と聞いても怖れる気配が見当たらないことは素晴らしいと思う。

(東部ならまずは戦々恐々大騒ぎだし……)

横になったままギルドを眺めていると、その視界を誰かの脚が遮った。

「……?」

そのまま視線を上向けると、そこには冒険者だろう体格をした男性が立っている。

「おう、横になってるとこ悪いな。話せるか?」

言いながら男はすっと片膝をつく。騎士のような、ではなく背が高い人に特有の、視線を合わせるための仕草だ。

「あ、はい。もう大丈夫です……」

見覚えはないが、思い当たる要件はある。

ゆっくり上体を起こして、視線を動かした。どうやら頭痛は引き下がってくれたらしい。

目の前には片膝をついたままの男がいた。

それで問題なく視線が合うのだから背丈の高さがわかるというものだ。

髪は淡い茶色。瞳は黒。特段整った顔でもないのにどこか人の目を惹くタイプだ。

その男に小さく頭を下げて、リズは再び顔を上げた。

「お待たせしました。ご用件は何でしょう」

「姐御に呼ばれて来た。が、肝心の姐御が見当たらん。状況を教えてくれ」

姐御、という言葉から想像できる相手は一人だけだ。

フロア内を見渡しても確かに彼女の姿はない。そのかわり心配そうにしているギルド職員と目が合った。

おそらく彼女がこちらを紹介したのだろう。

「ハイデマリーさんは、おそらく、まだ呼び戻しの最中かと。本件、どこまでご存知ですか」

「非常招集とその場所までだ。悪いが、あとは何も聞かされてない」

「わかりました。まず、非常招集の原因は魔人級出現によるものです。おそらく魔領からの滲出と思われます。同時に大型の魔力溜まりからは魔力の自然漏出、および魔獣の群体が観測されています」

「大型魔力溜とはぞっとしねえ話だな」

探針の結果を伝えるとさすがに伝わったのか男の顔がしかめられる。

かの昔から、魔領と人間領を隔てている最大の壁が『空気』だった。

空気に漂う魔力は本来微量で、魔領の住人の生存を許すほどの濃度はない。

だが地下ほどの魔力濃度が地上で得られるなら話は異なる。

空気という壁が存在しなければ、魔領の異形は情け容赦なくこちらの世界に這い出てくるのだ。

北部の守りが手厚い理由も本来はそこにあった。

「……ん? そもそもあんた、術士か」

「今は無所属の流れ者です。リズといいます」

しれっと答えたのはそれが事実だからだ。

だが相手には思い当たる節があったようで素直に首をひねった。

「リズ? 東部北境の魔女が無所属? 何でこんなところに」

「さっきから何なんでしょうそのあだ名……居合わせたのは偶然です。偶然、ここにいて、偶然、視ることになって、偶然、見つけちゃったんです。主に北部方面隊の怠慢を、ですが」

そう、状況が状況でなければ今すぐ彼らを捕まえて職務怠慢で説教してやりたい程度に、術士としては大失態なのだ。

だがリズの目の前にはそれを語るより先にやらねばならないことがいくらでも並んでいる。説教などそのあとで十分だろう。

「……あ、と、そろそろお名前を伺っても?」

「すまん、名乗るべきだったな。レオナルトだ」

そして恐ろしきはS級の集会だ。

こうして話しかけてくる相手すら有名人とは。

「お会いできて光栄です、"剣王" レオナルト」

二つ名がある、ということは『それだけ周囲に認められている』という証でもある。

だからそれが『初めまして』なら二つ名を合わせて呼ぶことは珍しくない。

だがリズが二つ名を口にするとレオナルトは居心地が悪そうに視線を揺らした。

「あー……ええとな、姐御名義の招集だ、来るのは二つ名付きの連中しかいねえし、今から畏まってちゃキリがねえぞ。これから俺をヒヨコ扱いするような奴らがゴロゴロ集まってくんだからよ」

「いえ、それでもS級の皆様には敬意を。それも、危険を冒してまで来ていただくことに。ありがとうございます」

冒険者でもS級となれば王命、もしくはこうした緊急事態で命をかけることは珍しくない。

そのためあえてA級で留まる冒険者のほうが多いほどだ。

だがそれにもレオナルトは面白そうに笑うだけだ。

「北部のS級なんてな、揃いも揃って戦闘狂ばっかりだ。この件だって誰が戦功を持ってくかしか考えちゃいねえよ」

「ふふ。頼もしい限りです」

もうひとつ。

S級冒険者は空気づくりが巧みな人間が多い。

本来は自分のパーティや依頼のための技術だが、こちらも思わず笑みをこぼしてしまった。

「――おいレオ! 仕事だぞ!」

その隙間を縫うようにどこかから彼の名前を呼ぶ声がする。

「おっと。じゃあまた、あとでな」

「はい」

話せることは話した、聞きたいことは聞けたとお互い確信し、レオナルトは立ち上がると声の方向に去っていく。

「――さて。私も打てる手は打たないと」

やはり暇はリズの大敵だ。

ましてやこんな状況でただ眺めているだけなどありえないことだった。

「懲戒なんていくらでも受けてみせましょう」

すべては北部に送り込んだ者達の罪だ。

そちらであがなってもらうとしましょう、と微笑むその姿が魔女と呼ばれる遠因であることを、リズ自身は気づいていなかった。

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