第7話 いたって普通の調査活動
「――ああ、さっきぶりだね」
カウンターから二階に呼ばれ、こちらでお待ち下さいと案内された部屋には既にハイデマリーがいた。
応接室と思しき場所で、座り心地の良さそうなソファに腰掛けた彼女が片手を上げる。
「座んなよ。どうせ面倒臭い依頼だ、立ってちゃ疲れるよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
ハイデマリーの向かいに腰を下ろすと、黒い "何か" を使った革張りのソファがふわりと体を受け止める。
特に毛足のある革ではないのに柔らかい、不思議な感触だ。
これは何の革だろうと触り心地を確かめていると、手にしていた書類からハイデマリーが視線を上げた。
「バルヴォルフって知ってるかい」
「直接見たことはありませんけど、名前だけなら」
「でかくて丸っこい魔狼でね、革にするとこれがまたよく伸びる。しかも素材として質がいいのに狩りやすい。北部じゃありふれた素材だけど、珍しいかい?」
「はい。……これがバルヴォルフの革なんですね。東部は土地柄でしょうか、狼よりリザード系の革が多いんです」
滑らかで柔らかな革はずっと触っていたくなるような手触りだ。
だが目の前のハイデマリーが不思議そうな顔をしたことで、リズは手を止める。
「……東部?」
なんとも怪訝そうな響きだった。
「はい、東部です」
「東部出身の爆破術士ならライツェント師団だろう。どうなんだい、あっちは」
「どう、ですか。……そうですね、まず全体の人数が少ないので、各州の冒険者やギルドとの付き合いが相当量ありました。あとは……上級に至るまでに大抵のことは一人でできるようにと練習を重ねます」
「へえ、北部とは随分違うねえ。あそこは集団で欠点を補う戦い方をするから、組むと面倒で仕方ないよ」
少しばかり意地悪そうな顔をしてハイデマリーが笑う。
言葉はリズの身分、方面隊とギルドの立ち位置、それらをすべて含んだものだ。
「街の方の反応もそうでした。存在は認めるがどうにも扱いづらい、と」
笑って答えると、彼女は奇妙なものを見た顔になる。
「? 何か?」
「あー……いや、一応同僚だろう? よくそこまで言えるなとね」
「ふふ、言いますよ。住人とも各ギルドとも連携をろくに取らず方面隊だけで周囲を固める一方で、他地方との連携も取ろうとはしない。そんな爆破術士の名折れの集団であることはこの数日でよくわかりましたから。冒険者で例えるなら人数だけ寄せ集めたA級のゴロツキパーティにすぎません」
こんなところで鬱憤晴らしはどうかと思うが、北部しか知らない人々には不幸でしかないと知ってもらってもいいだろう。
リズが微笑んでそう言ったことで意味が理解できたのか、ハイデマリーも苦笑しただけで言葉は残さなかった。
「……さて、ここで待つようにとは言われましたが遅いですね」
「ん? ああ、アイツはいつも行動が遅いんだ。お嬢は先にこれでも見ておくといい。これだけでも依頼したいことはわかるから」
テーブルの上に、羊皮紙が数枚。どれも文字や記号が並ぶものだ。それを読める方向に差し出されてリズは視線を落とす。
「――ッ、これだから!」
半分も読む前にそんな悪態が漏れていた。
一枚目。住民から冒険者ギルドへの訴状。
二枚目。現地調査班の報告書。
これだけでも依頼を出すには充分なぐらいだ。
三枚目。冒険者ギルドによる簡易探針の結果。
四枚目。冒険者ギルドの議事録。
「議事録なんて作ってる暇があるなら!」
ソファから立ち上がりかけたリズを制したものは、向かいのハイデマリーの視線だった。
静かでいて冷ややかなそれにじっと見据えられて、息を呑んでから浮かしかけた腰を再びソファに沈める。
「……お嬢ちゃん、ここは東部じゃない。北部だ。北部なりのやり方なんだよ、これが」
「納得がいきません……探針からも魔力溜があることは明らか、それに呼応したように魔獣発生の訴状。なぜこれが、依頼にならないんですか」
「そりゃあ簡単だ。単純明快、依頼の件数が "多い" からだよ」
「ッ!」
リズとて北部に来てから探針を欠かした日はない。
地下に埋もれているものは膨大な数の魔力網。
加えてそこに存在する大小あらゆる形をした魔力溜まり。
まるで複雑な織柄のように広がるそれは、東部とはまったく異なる光景だったからだ。
(……いえ、でも)
そんな複雑な網をどう断つか。
庭師のようにその網をきれいに整頓することはできる。
むしろそれも爆破術士の技量のひとつだったはずだ。
それが放置されているだけでも怠慢だと言える。
「ハイデマリーさん」
「ハイディでいいよ、お嬢さん」
「では私のこともリズと。この依頼の地域の地図はありますか」
リズが書類を整えて脇に寄せる。
そこにハイデマリーが地図を広げた。
「依頼してきた住民の村はここ。調査にあたったのはこの森」
「わかりました」
指さされた場所を、指先でなぞる。距離はここから近くはない。はたしてきちんと視えるだろうか。
『――探針・千震』
地図に指を落とし言葉を口にすると、わずかな時間で頭に膨大な情報が流れ込んでくる。
(まずは縦……深く……!)
理解できる映像に仕上げるのは、探針を使う術士の脳だ。
分厚い肉に刃物を入れるように、イメージの中の地面を切りひらき、どんな魔力網が存在するか、形にしていく。
「ッ」
本来こんな距離で使うものではない魔法に、頭がずきりと痛んだ。
(っ縦は、見えた……ッ! 次……! 魔獣も……!)
悪寒がする。気分が悪い。
さらに視ようとして、魔獣の気配をさぐる。
その時だ。
何かに気づいたように振り返った人型の異形と、『目が合った』。
(気づかれたっ……!?)
思わず探針の指を離すほどの恐怖。
ズキズキする頭が警鐘を鳴らす。
「えす、きゅう……いいえ、あれは」
混濁する思考はハイデマリーが目の前にいることすら忘れさせた。
「リズ? 大丈夫かい。水は?」
声をかけられてようやく顔を上げるほどだ。
ちがう。
やらなくてはならないことがある。
「大丈夫、です……ちょっと休めば……。それ、より……今動かせる、北部の、S級は、何人、ですか」
「……コレ、相当ヤバい案件か。掻き集めた付け焼き刃とあたしのパーティとどっちがいい」
尋ねられて、考えるまでもなく答えを紡ぐ。
「おそらくこれは、数、です」
「わかった。じゃあここにいても仕方ない。時間は?」
「急を」
あれを放置してはいけないと、勘が、警鐘を鳴らしてくる。
「立てるかい」
差し出された手を、握る。
だが強く握ったはずなのにろくな力が入らず、逆に握り返された。
「リズ、あんたが頼りだ。必要なものは何でも言いな」
「……ッはい……!」
ソファから引き起こされ、ハイデマリーに支えられるようにして応接室を出る。
ちょうどそのタイミングで廊下の向こうから男性が小走りでやってきた。
「おいウルリヒ! アンタの持ってきた件、大当たりだと! S級非常招集相当! 物資集めたら先発隊は明日にでも出る!」
もはや一喝にも近い声でハイデマリーが告げると、ウルリヒ、と呼ばれた男性の顔色が変わる。
「ひ、非常級の判断はどこで」
「今、さっきだ。彼女が探針でかなりのものを視たらしい。その上で、 "北狼" じゃあ足りないと。わかるな、ウルリヒ。それだけでも相手は格上だ」
「しかし! 彼女は "北狼" の実力を知らないわけで」
なおも言い縋ろうとする相手にハイデマリーは鬱陶しそうに頭を掻いた。
「ウルリヒ・ルーベン冒険者ギルド長。お前は彼女の名前を知っているか」
「あ、ああ……ええと、リズベス・ライツェントさん、でしたか」
「そうだ。爆破術士でその名はたった一人。東部北境の魔女の名だ。上級魔導官にして精鋭揃いの東部ライツェント師団の長。彼女は単独であの "赤熊" と戦線を共にすることすらある。その彼女が、『足りない』と言ったんだ。それを非常級だと判断して何がおかしい」
尻込みしやがって、と相手の様子を一瞥してハイデマリーは判断する。
北部方面隊も不在のさなか、この男にはギルド長として発令をする根性がどこにもないのだ。
舌打ちしたハイデマリーはその男を無視して歩き始める。
応接室へではない。階下へ、だ。
「リズ、下なら横になる場所も作れる」
「ありがとう、ございます……何だか、ご迷惑を?」
「あれは昔からああなんだ。北部の州ギルドでも指折りの根性なし。恥晒しもいいとこだよ」
階段をゆっくり下りながらそんな言葉を吐くハイデマリーを見上げて、リズはその表情に苦笑していた。
けなしているはずなのに、楽しげなのはどうしてだろう。
「あいつのことは後始末係だと思っときな。ここのギルドの大半は一階だけでも十分回る。それこそ非常招集程度じゃギルド長のサインは後回しだ」
「ふふ、……悪い話ですね」
「単なる常識だよ。……さて、あたしは例の件を何とかしてくる。リズはまず体調を戻しな。横になってていいから」
「はい。……よろしくお願いします」
「ああ、まかせておきな。"北狼" の名にかけて」
長椅子に座らされて、走り出すハイデマリーを見送る。
深く重い頭痛から逃れるように、上体を倒した。
(私が、やること……、ああ、さすがに、頭が、回らない)
今は回復に務めるべき。
そう判断してリズは細く長く息を吐くと目を閉じて長椅子に体を沈めた。
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