第4話 いたって普通の左遷通告
それから十日も立った頃のこと。
「失礼。リズベス・ライツェント上級魔導官でいらっしゃいますか」
「ふえ……?」
ギルドの酒場で昼ご飯にありついていたリズの前に現れたのは物々しい鎧を着込んだひとりの男だった。
食事中の死んでいる思考は、そこまで着るならヘルムも被れば、などとぼんやり考えて手を止める。
逆に相手はこちらが手を止めるのを待っていたように、不意に空中に手を伸ばした。
そして何もないところから一巻きの羊皮紙を取り出す。
(わお、空間魔法適性。……うん?)
魔法にはそれぞれ適性がある。
『爆破』にもそれなりの技術と適性が必要だ。
ただ、リズが今の状況に疑問を浮かべたのは別の理由だった。
そもそも、空間魔法の適性者は、東部などにはいない。万が一いたとしてもすぐに中央に招聘されるだろう。
それぐらいこの適性持ちは希少なのだ。
だから彼は少なくとも他の州から来たことになる。
しかもわざわざ、こちらを名指しで。
それだけで嫌な予感がちらりと脳裏をかすめた。
だが相手は特に気にした様子もなく羊皮紙を上下に広げる。
「それでは失礼ながら、代理で読み上げさせていただきます。元老院より通達。来月よりリズベス・ライツェント上級魔導官を北部方面隊所属とし、現職の東部上級官はブラッツ・フォン・ルッツフェルドが引き継ぐものとする」
「北部」
言葉を繰り返す間に腸詰め肉がフォークから落ちて、皿に華麗な着地を決める。
「はい。つきましては月末までに引き継ぎ作業及び移動をお願いします。移動の際には黒影城の転移陣使用が認められておりますのでご安心ください」
「……ええと、あなたは」
爽やかに微笑む青年。目鼻立ちのとても整った、落ち着き払った雰囲気にさらさらした青光りすらする黒髪。
瞳の色は青。紫がかった青は庶民には受け継がれない色だ。
「ライツェント上級魔導官から東部方面を引き継ぎます、ブラッツ・フォン・ルッツフェルドです。お目にかかれて光栄です、先輩」
それがにこりと笑うものだから、背後から女性陣の声なき悲鳴が確かにあがった気がした。
「はぁ、まあ、……よろしくどうぞ」
榛色に藁色の地味な女の前で、そのキラキラした青年は今度は視線をしっかり合わせてから微笑んだ。
「ご同席しても構いませんか?」
「……食事中で良ければ」
「はい。あっ、僕はずっと北部にいて、東部の食事事情には疎いもので……お勧めなど教えていただけると嬉しいです」
人懐こい子犬のような印象ながらスマートに鎧を見えない空間に格納し、ちゃっかり隣の席を確保した男は、期待を隠さない目でこちらを見ている。
これはまた一癖ありそうだと思いながら、通りすがりの接客係に先程自分が頼んだものとまったく同じメニューを注文した。
温かい食事が冷めてしまうのはまったくもって非常に惜しいが、爆破術士にとって急なトラブルはよくある話だ。
「食事、以前にですが。ああ、これはあくまで食事待ちの雑談として流していただいて構いません。例えば東部最大のアルテン州は畜産が盛んな地域です。東部ではここを拠点に冒険者ギルドをはじめとした各ギルドが動きます。ですが、北寄りですので魔力の流れが複雑化しており、爆破要請も最も多い地域となります。念のため確認しますが、探針素養および遊牧地での爆破についての基礎知識はありますか」
「はい。遊牧地の爆破はもっとも慎重さが求められる作業のひとつであり、入念な探針のもと爆破地点、規模を最小限にとどめる必要がある、と」
うーむ、七〇点。
隣の男の言葉は教本そのままの言葉だ。
荒地が多い北部に遊牧地はほぼ存在しない。だから七〇点の答えでも相当マシなほうだろう。
「慎重さが求められる理由は?」
「畜産動物が音に敏感で生産に影響を及ぼす可能性があるから、でしたか」
「うん。じゃあそれぞれの家畜に必要な措置と爆破地点までの距離は?」
「!」
おや、ちゃんと気づいた顔だ。
少し意外だなと思いながら、先程逃げた腸詰めを追いかけてフォークで突き刺す。
ちなみに貴族層の目の前の行為になるが、この行儀の悪さを改めるつもりは毛頭ない。
「ちなみに今のはただのイジワルなので正解はありません。実際は場所、位置、種類、状況、ありとあらゆるものを想定して準備をする必要があります。おっ、きたきた」
今日のメニューは茹でたての腸詰めと肉の三種盛りにサラダのセットだ。
それにパンがついて、地元の名産をとてもおいしくいただける酒場ランチである。
「冷めないうちに食べたほうがいいですよ」
「あ、……ハイ! いただきます」
礼儀正しく、そして興味津々に。既知だろうにおそるおそる手をつけて口へ運ぶ。
別に子供ではないのだが、どうにも子供らしさの抜けない御仁だ。
「おいしいです……!」
「ん、良かった」
キラキラした視線とともに投げかけられる報告。
それをつい、どこか可愛らしいものを見る目で見てしまう。
相手は貴族のお坊ちゃんだが、飽食気味ではないらしい。
(まあ、北部ならそっか)
黙々と食べ続ける相手の隣で食事を再開する。
ごはんが美味しいのは良いことだ。
最後の一切れをパンに乗せてかぶりつく。
肉の味は相変わらず柔らかく、パンの香ばしさが加わって美味しさを何倍にも感じた。
そして飲み込んで一息ついたところで、新たな来客がテーブルに影を作った。
「嬢ちゃん、ちょっといいか」
それは赤熊ことグスタフだ。声に疲れと焦りを感じて、リズはすぐさまテーブルを囲む空き椅子を促した。
「……例の件、一枚噛んでもらいたい」
そこに腰掛けるやいなや、グスタフは眉間にシワを寄せて唸るように呟く。
このところグスタフは例の件、ことローナルーの件でここを離れていたはずだ。それが戻ってきたとなると状況は察せる。
「……厄介なことに?」
「グレートがいやがった」
「なるほど。それは随分と」
魔獣の群れは規模が大きくなると上位種を生み出すことがある。より統率の取れた群れに『進化』するのだ。
元がB級。グレートともなれば、それはS級に届かないこともない。
そしてこちらとしても絶好の機会だった。
「いいですよ。一応ギルドを通したってことにしてくださいね」
「勿論だ」
「では久しぶりに運動といきますか。ブラッツさんも行きますよ」
「え」
「え、じゃないです。爆破術士に依頼です。S級・グレートローナルーおよびその群れの討伐補助。冒険者としての経験がなくとも、術士としての経験がないとは言わせませんからね」
僻地東部の地獄へようこそ。
歓迎の意志を込めてリズは笑って手を差し出した。
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