韓国脱出
飛鳥 竜二
第1話 1日目 侵攻開始
午前3時
時は、200X年9月。秋風が感じられる日々が続いたある日の午前3時。ソウル日本人学校教頭の会田の携帯電話が鳴った。
「だれだ? こんな夜中に・・」
会田は、不機嫌な顔をしながら、ベッドからのそのそ起きた。もう10回以上、呼び出し音が鳴っている。携帯電話を見ると、大使館の鳥居領事からだ。その名前を見て、一瞬青ざめた。鳥居領事は大使館の安全対策担当で、日本人会の安全委員会の主要メンバーだったからだ。会田もその安全委員会に所属しており、月に一度は顔を合わせている仲だった。携帯電話をとると、鳥居の切羽詰まった声が聞こえてきた。
「会田さん、その日がきました。所定の連絡網で、避難場所である日本人学校に邦人を集めてください。私も今からそちらに向かいます」
その日とは、会田たちがいる韓国の北にある国が攻め入ってきたということだ。
元々、この二国は停戦状態にあった。もう50年続いている。しかし、北の国の国家元首が世代交代し、半島統一をはかるべく韓国へ攻め入ってきたのだ。この兆候は、半年前あたりから見られていた。北の国の戦車部隊が国境地帯に移動したり、ミサイル部隊に燃料が供給されたりしていたからだ。それでも、3ケ月前あたりから動きが止まり、北の国のポーズだけかと思われていた。
会田は、小関校長に連絡を入れた。
「校長先生、鳥居領事から{その日がきた}と連絡がきました」
それに対し、校長は
「そうか、いよいよか。それではかねての手筈どおり、私は日本人街の子どもたちと、その家族を何とか学校に連れていきます。教頭先生は、学校を頼みます」
「了解しました」
緊急時に長話は無用だ。次に会田は教務主任の山川に連絡を入れた。
「山川さん、鳥居領事から{その日がきた}と連絡がきました。手筈どおり先生たちへの連絡をお願いします」
その後、日本人会事務局の倉田に電話を入れた。
「倉田さん、鳥居領事から{その日がきた}と連絡がきました。連絡網で日本人会のメンバーに連絡を願います」
と話した。これで2000人の日本人会メンバーにメールの一斉送信が行き渡り、家族や韓国人の協力者およそ1万人に連絡がいく。それだけの訓練を月に一度行ってきたのだ。
メッセージは「その日がきました。集合場所へ」という簡単な文だ。日本人会メンバーでなければ分からない文面になっている。集合場所は、日本人学校なのだ。会田は妻の香代子を起こし、自分は着替えて歩いて5分のところにある学校に向かった。香代子には
「その日がきた」
とだけ伝えた。事前に避難マニュアルは伝えてあるので、貴重品をもって行動することになっていた。
日本人学校に着くと、その日の宿直ガードマンはアン氏だった。勤続10年のチーフガードマンだ。日本語もある程度分かるので、話が早い。
「アンさん、韓国人職員で来られる人を呼んでください。無理じいはしなくていいです」
アン氏は、かねてから有事の際の対処方法を会田と話し合っていたので、特に質問をすることなく、職員に電話を入れ始めた。中には、遠くに住んでいて無理だという職員もいたが、学校周辺に住む職員は駆けつけてくれることになった。特に、幼稚園教諭のイム先生やウ先生が来てくれるのはありがたかった。幼稚園児が避難してきた時に心強いメンバーだし、日本に留学経験があるので日本語が流ちょうなのは助かる。
午前4時
そのうちに、学校近辺に住む独身の教員が駆けつけてきてくれた。会田は、その教員たちに
「マニュアルどおり日本人と協力者受け入れの準備をお願いします」
と指示をし、校門前に立った。教員は避難所の受付準備や避難物資の配布準備を行い始めた。一人は、放送室で放送器具のチェックと無線機の設置を行っている。この無線機は、大使館から貸与されたもので、いざという時に、日本の外務省とつながる強力な無線機である。停電になると困るので、いざという時のために発電機も用意された。
家族もちの教員は、市内ヨンサン区にある日本人街に住んでいる。ふだんは、スクールバスで子どもたちと一緒に通勤している。バス7台に分乗してやってくる。韓国人の添乗員がいるのだが日本語が分からないので、日本人教員は添乗員と同様の役割を担っていた。また、7台は一列に並んだりせずに分かれて走っていた。集団で走ると目立って過激派の攻撃対象になりかねないからである。どこにも日本人学校という表示はない。バス会社のロゴがあるだけだ。バス路線というものはなく、日によって変更されていた。交通渋滞が激しいのと、いたるところで道路工事が行われ通行止めがあったりと、バス路線を設定してもあまり意味がない。7台中3台は途中のバス停で日本人児童生徒を乗せるので、やや時間がかかるのが常だった。それでも1時間ほどで学校には到着する。4台は直行便なのだが、漢江(ハンガン)を越える橋の数が限られているので渋滞に巻き込まれるのが常だった。そういうこともあり、日本人の教員が同乗するのは、万が一の場合の連絡員として大事だった。
会田は、警備室で韓国のTVを見ていた。ニュースでは、国境地帯で爆破があったと報道していた。この程度は、今までにも何度かあったので、韓国人は小競り合い程度と思っているようだ。会田は、(鳥居領事が来ないと詳しいことはわからないな)と思っていた。
午前5時
鳥居領事が自家用車でやってきた。
「会田さん、お世話さまです」
鳥居領事は、20代後半の若手の大使館員だ。警察出身ということを聞いていた。まだ独身ということだ。
「鳥居さん、ご苦労さまです。韓国は北の国の侵攻とは言ってないようですが・・」
「パニックを恐れているのでしょう。私にはA国大使館から連絡が入っています」
鳥居の表情は硬い。A国は停戦監視団を形成しているが、事実上韓国の軍事を仕切っている。
「A国からの情報ですか。それならば信憑性がありますね」
会田は、鳥居の言うことに全面的に信頼を置いていた。会田と鳥居は日本人会安全委員会で2年間一緒で、避難マニュアルを検討しあったり、一斉メール配信のシステムを構築してきた大事な仲間なのだ。信頼こそ最も大事なことだった。
「それでは、早速本省と連絡をとります。放送室を借ります」
「無線機は使えるようにしておきました。連絡要員の教員を一人配置していますので
使ってください。私は避難してくる日本人の対応のためにここにいます」
「分かりました。それではまた後で」
鳥居はそそくさと校舎の中に入って行った。
放室室には強力な無線機を設置してある。鳥居はそれを使って、日本の外務省と連絡を取るのだ。会田も万が一のために操作方法を理解していたが、外務省に会田が直接連絡をいれても担当者から身分照会をされて、信じてもらえるまでに手間取ることは目に見えていた。鳥居が来ることができなければ、会田が無線機を使用することになっていたが、避難民の誘導もあるので、鳥居の来校は会田にとって朗報だった。
鳥居にとっては、大使館の無線機は傍受されている可能性があるし、妨害されるかもしれないので、こちらの方が使えると判断したのだ。もっとも漢江(ハンガン)より南に住んでいる鳥居にとっては、漢江を越えて市内中心部に行くより、学校に来た方が動きやすいというのが大きな理由だった。
午前6時
小関校長から連絡が入った。
「バスが来ない。バス会社の話では、橋が通れないということだ。地下鉄でそちらに向かう」
「校長先生、地下鉄4号線は漢江を渡る橋を通っています。大丈夫ですか」
「その時は、河の下を通っている地下鉄8号線で向かいます」
と小関校長が電話を切ろうとした時、電話越しにバーンと大きな破裂音が聞こえた。
「校長先生どうしました? 大丈夫ですか?」
と呼びかけたが、電話での反応はなかった。ガードマンのアン氏が会田を呼んだ。
「TVを見てください。ヨンサン区で爆発です」
会田はとっさにTVに見入った。TV局の屋上から撮られた映像は、大きな火事のような噴煙が上がっていた。ヨンサン区には、日本人会メンバーの7割が住んでいる。学校があるカンナム区には2割で、それ以外に1割という分布だ。噴煙が上がっているのはA国の基地らしかった。校長たちがいる日本人街とは地下鉄で一駅という近さだ。その時、驚異の映像が飛び込んできた。ミサイルが飛んできたのだ。そして大きな破裂音とともに、先ほどより大きな噴煙が上がった。映像は振動で揺れている。
「近距離ミサイルだ!」
どこから飛んできたのは明白だった。とうとうソウルに北の国が攻撃を仕掛けてきた。こうなると、いたるところにある秘密トンネルから北の国の兵隊がやってくる。避難を早めなければ・・・。会田は放送室にある鳥居領事のもとに走った。
「鳥居さん、A国基地がミサイルでやられました」
息せききった声がうわずっていた。
「会田さん、橋もだめです。爆破されました。漢江を越えることはできなくなりました」
「鳥居さん、それで外務省は何と言っているんですか?」
「早急に対策をたてると言っています。その返事待ちです」
「それでは、私は避難者名簿を作ります。漢江を越えられないとすると、いったい何人の日本人がここへ来られることか?」
会田は、校門にもどった。校門ではアン氏が避難してくる日本人および協力者の確認を行っていた。日本人はパスポートか免許証などの身分証明書で確認している。韓国人の協力者はリストがあり、ガードマンのアン氏がそれと照らし合わせていた。確認ができると体育館へ移動で、そこで避難マニュアルと避難物資を受け取ることができる。学校の地下室には2000人分の避難物資が備蓄されていた。避難物資の中身は、3日分の携帯食料と500ccのミネラルウォーター3本。それにアルミシート。これは座るだけでなく、保温用にも使えた。それに携帯用トイレもあった。希望者には紙おむつや粉ミルクも支給できるようになっており、物資は豊富だった。
午前7時
朝がきて、日本人会のメッセージを見た日本人が続々とやってきた。その中に、会田の家族もいた。妻の香代子と長男の慎一(中1)、長女の江里(小5)の3人だ。
「あなた大丈夫?」
香代子の顔は青ざめていた。TVで爆破事件を知ったようだ。
「橋がやられた。後は、マニュアルに従って避難するだけだ」
会田は淡々と答えた。
「マニュアルどおりって、あなたはここに残るってこと?」
香代子は泣きそうな顔になってきた。
「それがオレの仕事だ。慎一、ママと江里を頼むぞ」
慎一は神妙な顔をしていた。マニュアル作成の際に、校長は児童生徒の誘導、教頭は学校の保全および遅れてきた日本人への対応という役割分担を行っていた。このマニュアルを作ったのは、勤務3年目の会田自身であり、小関校長は今年赴任してきたばかりで韓国の事情に精通しているわけではなかった。
そこに鳥居領事から呼びだしがあった。会田が放送室に行くと
「会田さん、外務省から連絡がきました。防衛隊の輸送機が1機、南ソウル空港に飛んでくるそうです。150人乗れます」
「150人だけですか? 第一防衛隊の飛行機が韓国に飛んでこられるのですか?」
「防衛隊のマークは入っていません。赤十字のマークがついています。見た目はただの救難機です。それに南ソウル空港は緊急時にはA国の管制下になります」
「そういう飛行機があるんですか? でも150人限定だと、あとの人は? すでに
避難者は300人を越えていますよ」
「プサンに赤十字の船がやってきます。これも防衛隊の病院船です。プサンには、明日の朝7時到着予定。バスで6時間もあれば着きますから今日中に出発すれば間に合います。集合場所はプサン日本人学校。領事館は狙われる可能性があります。マニュアルどおり抽選で飛行機に乗るメンバーを決めてください。飛行機は11時に到着します」
「分かりました。早急に決めます。鳥居さん、これからは?」
「外務省や大使館と連絡ですよ。私も居残り組です。会田さんと一緒ですよ」
「それは心強い」
会田は作り笑いをして体育館へ向かった。そこには、すでに400人近い人がいた。日本人学校があるカンナム区だけで2000人ほどの日本人がいるので、その半数が避難してくると会田は予想していた。が、カンナム区に住む日本人は自家用車を持っている人が多いし、配偶者が韓国人であることが珍しくなかった。そういう人は日本人学校に寄らずに、とうに南のプサン方面に逃げたのかもしれない。50年前に北の国が侵攻してきた時は、プサンだけが占領されなかったからだ。
午前8時
体育館で、避難者に説明を行った。
「皆さん、外務省と連絡がとれました。避難方法はふたつです。一つ目は、プサンに救難船が来ます。大きな病院船です。ここにいる全員が乗れます。明日、午前7時に到着予定です。集合場所はプサン日本人学校。港から歩いて10分ほどのところにあります。二つ目は、南ソウル空港に救難機がきます。これは150人定員です。本日11時に到着予定です。飛行機を希望する方が多数の場合は抽選となります。ここまでで質問はありますか?」
一人の男性が手を挙げた。日本人会の安全委員会のメンバーの堀越だ。某商社の部長だ。安全委員会では、一斉メール配信の担当だが、部下任せで自分から動くタイプではない。
「プサンまでバスで6時間はかかる。ましてや、緊急事態だからその倍はかかると思う。今日の夕方には出ないと間に合わないと思うが?」
当然の疑問だ。会田は
「バスは確認中ですが、それまでには出発させたいと思っています」
堀越は少し興奮して
「バスの確保はできていないのか!」
「バス会社に連絡していますが、今だに通じません。通学用の7台は日本人学校用に確保してあるはずなのですが・・・。」
そこに、バス会社と連絡を取り合っていた事務の中山が、会田に近寄って伝言を伝えた。会田は、それを聞いて深呼吸してから話を始めた。
「バス会社と連絡がとれました。バスは7台確保しているそうですが、運転手がいないということです。どなたか、バスを運転できる方はいらっしゃいますか?」
避難者は、皆、顔を見合わせた。だが、運転免許をもっていても韓国の交通事情を知る人は、とても運転できるもではないと思っていた。
大使館からは、「日本人学校の日本人教員は韓国内で運転を認めず」という通知がきていた。交通事故の心配はあるし、日本人学校教員は大使館嘱託という身分なので外交問題につながる可能性があるからだ。そこに、韓国人職員でボイラー技士のイ氏が手を挙げた。20年以上、日本人学校で勤務している。
「以前、バス運転手でした。何とかできると思います」
皆がイ氏に注目し、畏敬の念を抱いた。ふだんは無口な人で、片言の日本語は分かるとは知っていたが実際にイ氏の日本語を聞くのは初めてという人が多かったからだ。イ氏は、続けて話した。
「後の6人は、知り合いに声をかければ、何とか集まると思います。ですが、その人たちを協力者ということで、救難船に乗せてください。その家族も同様です」
韓国人もプサンに行くことはできても、そこから先がどうなるか不安なのだ。それに対し会田は、
「分かりました。私の判断で、協力者リストに名前を載せましょう。ただし、一家族5名までです。それで、バスは何時に出発できますか?」
それに対してイ氏は、少し沈黙してから
「バスの車庫まで自転車で30分。そこから仲間を集めて、3時間後かと・・・」
3時間後と聞いて、堀越が怒鳴りだした。
「そんなにかかったら、飛行機には間に合わない。イ氏一人だけでも、すぐに戻ってこれないのか!」
それに賛同する輩も数人いたが、江里が口を開いた。
「どうして、そういうこと言うの! 150人助かって、あとの人は助からなくてもいいの? 日本人学校近くのテモサンに登れば、南ソウル空港は見える距離よ。今から出発すれば、11時には間に合うわ」
5年生以上は、テモサンに遠足に行ったことがあるので、
「そうだ。そうだ」
と江里を擁護していた。堀越は、子どもたちの圧力におされていた。テモサンは、標高100mほどの低い山で、カンナム区の人たちのほどよいハイキングコースになっていた。日本人学校から歩いて1時間ほどの距離だ。
堀越は、苦し紛れに
「分かったよ。テモサン越えをするんだな。でも、道案内はだれがするんだ? だれが責任者になるんだ!」
と怒鳴った。会田が居残り組と知っての発言だ。会田は神妙な顔をして
「それは教職員と相談して決めます。まず、イさん出発してください」
その話を受けて、イ氏は自転車で学校を出た。途中、橋を越えなければならないので
車より速いと思われたからだ。ソウルの交通事情を知っている者は、無理もない判断だと思った。そこに一人の男性が体育館に入ってきた。全身ずぶぬれだ。
「校長先生!」
その声に、体育館にいる全員が入口に注目した。会田が駆け寄っていき、
「校長先生、無事で良かったです。携帯がつながらなくて心配していました。どうやって来られたんですか?」
「携帯は爆発の時に落として壊してしまった。地下鉄の駅は、すごい人でマンションに戻り、万が一のために用意していた救命ボートで漢江を渡った。途中までは良かったんだが、川下に流されそうになったので、妻にパドルを渡し、私は水につかってボートを押した。おかげでこのざまだ。漢江から上がったら、ちょうどタクシーを降りる客がいて、それに無理無理乗り込んで、ここまでやってきた。いつもの倍の料金を取られたけどな。それより状況は?」
「11時に南ソウル空港に150人乗りの救難機がきます。今からテモサンを越えれば間に合います。それ以外の人は、明日午前7時にプサンに救難船がきます。バスの運転手がいなくて困っていたのですが、ボイラー技士のイ氏が以前バス運転手をしていたということで、お願いしました。昔の仲間を6人さがしてくれるそうです」
「大丈夫ですか? イ氏はともかく、あとの6人は?」
校長は赴任1年目なので、韓国人をまだ心から信用できていなかった。
「協力者リストに載せるという条件をのみました。我々で運転できない以上、信じるしかありません」
「だな。それで私はどうすれば?」
「150人といっしょうテモサン越えをしていただければ・・」
「分かった。着替えてこよう。早くメンバーを決めてくれ」
と校長室にもどり、運動着に着替えに行った。会田は、飛行機の搭乗メンバーを募った。テモサン越えをするということで、児童生徒が中心だった。
江里のクラスメートの樹里が、慎一と江里に近寄ってきた。
「二人とも飛行機を希望しないの?」
と怪訝な顔で聞いてきた。二人は顔を見合って、お互いにうなずき、
「うん、船で行く」
と答えた。
「どうして? お父さんが教頭だから・・?」
「うん、それもある。前に家族会議でこういう時がきたら、席を他の人に譲るということで同意しているの。後で恨まれたくないもの」
「つらいね。教頭の家族も・・・」
「人をおしのけて生きていくよりはいいと思う。それが私の生き方」
「そのわりには、剣道の試合で勝ちにこだわるよね」
二人は会田が主催する剣道教室のよきライバルだった。
「それとこれとは別でしょ」
と言い、二人で笑い合った。
抽選は、児童生徒と女性が優先となり、樹里もその中に入った。成人男性は、小関校長と補佐をする職員の二人だけとなった。でも、選ばれた者の全てに喜びの笑顔はなかった。テモサンを越えて、空港に行けなければ何もならないのだ。ましてや、残る人の前で笑顔を見せるわけにはいかない。
校長が着替えて戻ってきたので、早速出発していった。校長夫人は、テモサン越えが難しいと判断し、教頭夫人の香代子と共に行動することとなった。ボートをこいだだけで、体力を消耗しているようだった。
江里と樹里は固い握手をかわして別れた。(必ず再会しよう)という気持ちが、言葉にでてなくても明らかだった。別れ際、樹里が振り返って、
「慎一先輩、江里をしっかり守ってくださいね。守らないと、稽古の時、やっつけますからね」
と大きな声で叫んでいた。慎一も剣道教室に入っているのだが、勝ち気な樹里と稽古するのは苦手だった。隣で江里がクスッと笑っていた。
午前9時
バスの定員は350人だ。それを越えるとバスには乗れない。現在およそ300人。それ以上は避難物資だけを渡し、自力でプサンに向かってもらわなければならない。およそ1万人の在留邦人に対し、500人しか避難できない計画では片手落ちとしか言いようがないが、戦時なのだ。ましてや北の国は、日本を完全に敵国と見ている。かつての日本統治で受けた恨みを忘れていないのだ。韓国は日本とある意味友好国なので、日本はそれなりの補償や支援を行ってきたが、北の国とは一切の交流がないので、昔のままなのだ。日本人と分かれば殺されるのは目に見えていた。
午前10時
定員の350人に達した。会田は校門で、避難してくる日本人や協力者に避難の手段がないこと。明日、午前7時にプサンに救難船が来ることを伝えた。ほとんどの人がしぶしぶ納得して、避難物資を受け取って、南へ向かった。ヒッチハイクをしたり民間バスに乗って行くしかなかった。鉄道は大混雑で乗れるあてがなかった。そこに協力者リストに載っている韓国人がやってきた。日本人学校の施設設備の修理を担当している会社の社長だ。韓国語で何やら騒いでいる。ガードマンのアン氏と事務の中山が対応しているが、引き下がる気配がない。どうやら、未払いの修理費をすぐに払えと言っているらしい。中山は、期限はまだだし、銀行は閉まっていて、お金を下ろすことができないということを説明している。それでも韓国に留まっている。自分が避難するのに、現金が必要だと思ったのだろう。がまんしきれなくなったアン氏は、警備室の奥からピストルを持ち出してきた。それを見た会田はアン氏を引き留めた。
と言っても、本物の銃ではない。催涙ガスがでる銃なので、撃たれた方は涙が止まらなくなる。アン氏の剣幕に社長はおそれをなして、捨てゼリフを吐いて帰って行った。アン氏と会田は、安堵の気持ちでお互いに肩をたたき合った。
午前11時
会田は放送室で、鳥居領事とともに防衛隊からの連絡を待った。10分後、救難機は無事南ソウル空港に着いたという連絡がきた。プロペラを回したままで待機するということだった。給油ができないので、長くはいられないということだ。長くて30分。それを越えたら飛び立つという連絡だ。
150人はまだ空港に来ていないということだ。会田は、同行している職員に連絡を入れた。すると、空港の門で足止めをくらっているとのこと。韓国人の一部には、日本に好意をもっていない人もいる。赤十字をつけた飛行機が飛んできて、混乱していることは、容易に想像できた。そこで、鳥居領事は知り合いのA国大使館職員に電話を入れた。そこから空港管制官に連絡を入れてもらい、やっと空港の中に入ることができた。A国の軍隊が空港警備にあたっていたこともプラスだった。タイムリミットに間に合い、救難機は飛び立つことができた。それを知った体育館にいる避難民は拍手で喜んだ。校長夫人は涙ぐんでいた。
「あの人は、子どもたちを守れたのね。よかった」
午後0時
そろそろバスが来てもいいころだ。そこに、事務の中山がイ氏の伝言を伝えにきた。
「運転手はそろって、今、車庫を出たそうです。各自の家族を連れてから、そちらに向かうので時間差で着くそうです。途中のチャムシルの橋が混んでいるので、1時間以上かかるかもしれないということです」
その報告を受けて、避難民にバスが動き出したことを報告し、7つのグループに分けることをした。運転手の家族が乗ってくるので、補助席がわりに児童用腰掛けをバスの中央通路に置くことにした。本来は道路交通法違反だが、戦時下なので、緊急措置だ。ロープで腰掛けを固定するような工夫も考えた。
午後1時
イ氏が運転するバスが到着した。会田は、早速第1グループを乗せて出発するように言ったが、イ氏は頑として出発しようとしなかった。彼の言い分はこうだ。
「私は6人の仲間を信じる。協力者名簿に載ることも確認しなければならない。6台 がすべて出発したら自分も出る」
彼の頑固さは会田も事務の中山も知っていた。早々とバスに乗ろうとする避難民に状況を説明して、次のバスを待ってもらった。
午後2時
2台のバスがやってきた。イ氏は二人とハグしあって喜んでいた。協力者名簿に家族連名で書き加え、会田が署名をした。これで救難船に乗ることはできる。
100名の避難者が乗車した。高速道路は混んでいるので、半島の西側の一般道を進むことにした。プサンまで高速道路で400kmほどだが、このルートだと500kmを越す。時間で10時間ほどかかる。それでも、夜中にはプサンに着く予定だ。各々のバスに添乗員がわりに女性教員が乗り込んだ。運転手は高速バスの経験があるので、道には精通しているということだった。彼らも家族を救うために必死なのだ。
午後3時
時間差で3台のバスが到着した。この3台は半島の東側を行くことにした。距離は西側より50kmほど短いが、北の国が上陸するとしたら東海岸のおそれがある。通行止めに合うリスクはあるが、到着時刻は先ほどの2台と同じぐらいだ。この3台には、事務の中山と幼稚園の先生方が分乗した。いずれも日本語と韓国語に精通しており、緊急時には対処しやすい。万が一のルート変更のために、中山が韓国の地図のコピーをイム先生とウ先生に渡した。中山が乗るバスと離れた時のためにだ。
午後4時
鳥居領事から
「救難機が福岡空港に着いたという連絡がありました。給油をしたら、また南ソウル空港に向かうそうです。午後7時に到着予定です。問題は着陸できるかどうかです」
と話があった。
「空港があぶないのですか?」
会田は怪訝な顔で鳥居領事に尋ねた。
「いつミサイルが飛んできてもおかしくない状況です。西にあるインチョン空港はミサイルで滑走路をやられました」
インチョン空港は、韓国で最も大きな国際空港だ。国境にも近いので、ねらわれることは明白だった。もうひとつ国際空港としてキンポ空港があるが、避難民でごった返しているとTVで放送していた。その点、南ソウル空港はセスナ機が飛ぶ民間空港でジェット機の離着陸は難しかった。プロペラ機の救難機だから降りられるのだ。
会田は、最後のバスが来ないのが気がかりだった。イ氏もやきもきして何度も携帯電話をかけている。体育館の残っている堀越は
「ほら、やっぱり韓国人は信用できない。バス1台盗まれたんだよ」
とぼやいた。それを聞いた江里が
「あんたみたいな人がいるから、いつまでたっても日本人と韓国人は仲よくできないのよ」
と、すごい剣幕だ。慎一は、江里が突っかかっていかないか心配で、江里の後ろから抑えていた。そこに、最後のバスが滑り込んできた。入院している老母を連れ出すのに苦労したらしい。イ氏は、その運転手と泣きながら抱き合っていた。
午後5時
2台のバスが出発した。先行するバスには男性の独身教員が乗り、イ氏のバスにはガードマンのアン氏とその家族が乗った。目的地は、南ソウル空港だ。会田の家族と校長夫人はイ氏のバスに乗った。日本人会の堀越は、先行するバスに乗った。自分が疑った運転手だったのでバツの悪そうな顔をしていた。会田と鳥居領事は、手を振ってバスを見送った。そして日本人学校の門を固く閉じた。
会田の手元には、例の催涙ガス銃があった。校長室の窓に厚いカーテンをかけ学校に人がいないように見せた。放送室は、すぐ隣にある。非常食は1000人分残っている。会田は、(籠城戦だな)と、まるで戦国時代の武将の気分だった。無事でいられるかどうかは分からないが・・・。
午後6時
鳥居領事の無線に大変なことが飛び込んできた。南ソウル空港にミサイルが飛んできて滑走路が使用不能になったとのこと。救難機は福岡空港に戻ったということだ。そのことを早速2台のバスに連絡した。なんとか渋滞を避けて、プサンに向かうということになった。それ以後、携帯電話は通話不能になった。基地局がやられたのかもしれない。いよい全面戦争か。だが、日本人学校の周辺は穏やかだった。
午後7時
非常食のスパゲティを食べ終わったころ電気が消えた。周りを見ると、どこも消えている。停電だ。とうとうカンナム区にも敵が近づいてきたのかもしれない。会田はテラスに用意していた発電機を動かした。ガソリンは充分ある。3日はもつだろう。無線機とPC・TVだけは使えるようにした。コンロは携帯用のガスコンロにした。トイレの水洗は、プールの水を使うようにした。まさに籠城だ。TVは遠くから街に火があがるのを放送している。TV局は漢江の中州にあるヨイド島にある。その北側市庁広場や大統領府がある青瓦台(セイガダイ)付近で戦闘が行われているようだ。北の国は、半島統一のために攻め込んでいるので、ソウル全体を焼き尽くすつもりはないようだ。狙われるのは軍事基地と大統領府なのだ。
午後8時
外で爆発音が聞こえるようになった。戦車のキャタピラ音が聞こえる。まるで地震みたいな揺れだ。西の方のオリンピック公園の方で爆発音が鳴っている。暗闇に閃光弾が飛んでいる。いよいよ北の国は、漢江を越えたのかもしれない。そうなると日本人学校も危ない。会田と鳥居は、話も交わさず、TVやPCを注視していた。携帯電話が通じないので得られる情報は限定的だった。
午後9時
交代で寝ることにした。ベッドは校長室のソファだ。保健室から布団をもってきて簡易ベッドを作った。3時間交代で、まずは会田が眠りについた。眠れないかと思ったが、横になったら、すぐに眠くなった。よほど疲れていたのだろう。
明日は、どんな運命が待ち受けているのだろうか? 会田は夢の中で、家族のことを思っていた。
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