一日目

深夜のお茶会

 美羽はしばらくの間、翔太の遺体の近くに座っていた。もしもこれが赤の他人の遺体であったら怖くてすぐにでも二階の宿泊施設に閉じこもって、七日間を籠城で使っていただろうが、この遺体が彼氏のものであった。もしもここで逃げ帰ってしまったら最後、自分の心根の弱さであったら、彼の死をなかったことにして過ごしてしまいそうな気がする。彼の死を悼めるのは、今をおいてないと判断したのだ。

 やがて、コンシェルジュから通信が入った。


『遺体は主催側で片付けますので、どうぞそのままにしておいてください』

「……彼の遺体を……せめて遺骨だけでも持って帰ることはできませんか?」

『了承しかねます』

「せめて、髪だけでも」

『それだけならば』


 ここで「ありがとうございます」と言うのも変な気がして、美羽はどこにあるのかわからない通信機に会釈をしてから、自身の荷物からポーチを引っ張り出した。

 ポーチの中には枝毛を切るための小さなハサミがあり、それで翔太の遺体に触れた。彼の髪に触れたとき、もっと艶があったと思うのに、魂が抜けてしまったせいなのか、まるでゴワゴワしたウィッグのような髪質であった。それを悲しく思いながら、美羽は髪にハサミを入れる。

 やがて遠巻きに見ていた立石が声をかけてきた。


「明空さん。入れ物いる?」


 少し驚いて立石を見ると、「すぐ戻る」と言って二階まで走っていったと思ったら、小瓶を持って帰ってきた。


「あの……これ……」

「フィールドワークの際にサンプルを取るときに使うから。これに遺髪を入れてあげて」

「……ありがとうございます」


 美羽は大学の講義をいまいちわかっていないが、フィールドワークのものを持ち歩いているのかと納得しながら、小瓶に髪を入れてあげた。

 紅は薄情にも「もう帰っていい?」と言ってさっさと帰ってしまったし、怖がった中柴や浜松も彼についていってしまった。紅はよくわからないが、中柴にしろ浜松にしろ、普通の神経なのだろう。

 ただ石坂はここに残り、美羽を見つめていた。


「温かいものをいただきますか?」

「え……?」

「食堂を見ましたが、あそこの厨房に入れば白湯くらいならばもらえるかと思います。よろしかったらどうですか?」


 落ち着き払った声に、先程までの苛立ちや強張った感情が溶かされていくような気がした。


「あ、ありが」

「はぁーい、オレも欲しいで~す」


 いきなり間に割り込んできたのは、榛であった。途端に美羽は強張った顔に戻る。

 先程からずっと無表情の立石もまた、小さく手を挙げた。


「俺も欲しいです」

「ははは、意外でしたなあ。皆さん、この中でも落ち着き払っている態度だと思っていましたから。それでは参りましょうか」


 最後に美羽は翔太を見た。

 考えた末、彼の鞄も持っていくことにした。


(翔太……ごめん。敵討ちはするから)


 ひとまずは食堂へと向かうことにしたのだった。


****


 食堂の電灯は切れているようだったが、立石がスマホの明かりを使って電源を探してくれ、それでなんとか明かりは点けることができた。

 皆でそのまま厨房に向かい、中身を見て榛は「ヒュー」と口笛を吹いた。

 厨房にはロボットがたくさん並び、鍋やフライパンの前に設置されていたのである。

 立石は無表情のまま、興味はあるらしくロボット調理器を眺めていたい。


「……食材を入れたら、ロボットが調理してくれる仕組みか。海外だと機械化が進んでレストランでもロボットが過程の半分は調理してくれるとは聞いていたが。全自動は初めて見た」

「でもこれだったらさあ、毒物入れても誰もわかんなくね?」


 榛の言葉に、美羽は引きつった。それに「どうでしょうねえ」と石坂はきょろきょろと食器を探す。


「この手の機械のAI管理を手伝ったことがありますが、まだ食材を入れるところは、人間がしなければ難しいようですよ。未だにロボット調理器よりも業務用レトルトを使ったほうが早いし味も安定していますから」


 そんなこと考えたこともなかったが、そんなものかと美羽が思っている間に、石坂はカップを四つ見つけてきた。


「皆さん白湯で大丈夫ですか?」

「あ、はい……」

「オレあったかい炭酸がいい~」

「……炭酸なんて温めても気泡が抜けるだけじゃないのか?」


 榛のくだらない戯言を立石が突っ込んでいる間に、石坂はやかんを引っ張り出してきて、それでお湯を沸かしはじめた。しばらくしたら沸騰し、それをカップに注いで分けてくれる。

 美羽は白湯を飲む。昔はわざわざなにも味のついていない白湯を飲む気持ちがわからなかったが、なにも味がついていないからこそ意味があるのだと思う。

 体が温まれば、先程までのささくれ立った感情も丸くなり、手先にも温度が戻ってくる。そうなれば、少しは考えを張り巡らせることもできるようになるものだ。


「あの……皆さんで食事会、しませんか?」

「どうして?」


 立石が美羽を見下ろす。痩せぎすでフィールドワークをしていると言っている割には青白く、筋張ったカップを持つ指を見ても、贅肉も筋肉も見当たらない気がする。

 美羽は言う。


「……指令書。もし確認できるんだったら、見られないかなと思いました」


 正直、美羽は榛のことは全く信用はできない代わりに、彼は主催側の人間ではないだろうとだけは当たりを付けていた。こんなルールを守るかどうかわからない男を放り込んだら、主催側が破綻するような気がするからだ。

 次に中学生の中柴。彼の学ランは公立中のものであり、裕福な家庭かどうかはグレーゾーンだったが、昨今は富裕層は軒並み私立の一貫教育を受けさせたがる。主催側の人間とは縁もゆかりもないんじゃないだろうかという気がしている。

 だとしたら残っている人物の中から、主催側の人間を探したほうが早いので、できる限り全員と接して犯人を絞りたいという意図があった。


(一対一で会うのは、あまりにも危険過ぎるし……大人数で一緒にいたほうがいいよね)


 誰がどんな指令をもらっているかわからない以上、当たり障りない付き合いに留めたかったが。

 それに榛が「あぁー……」と言いながら、ガサガサとライダースジャケットをまさぐった。


「中身見たけど、やることが半端過ぎて、どうしようって思ってたとこ。協力してくれるのぉ~?」


 そう言いながら、ひょいと指令書の中身を見せてきた。それに美羽は絶句した。


【期限七日目の生き残りを三人にすること】


 さすがに無表情だった立石も、メガネのフレームをガチャガチャと押し当てる。


「……ふざけるな。協力できるか」

「だよねぇ……カレシくん死んだし、残り三人殺すしかないじゃあん」

「やめて」

「すぐに指令書の内容を出すのは、あまりに軽率では?」


 せっかく落ち着きを取り戻そうとしていた美羽の心臓の音が、再び大きくなる。


(やっぱり無理……! 榛清音と協力なんて……!)


 とりあえず四人は白湯を飲み干すと、流しにカップを置いて部屋に戻ることになった。

 美羽は施錠しつつ、今後について考えはじめる。


(立石さんも石坂さんもいい人そうだった……中柴くんは……中学生くらいってことしかわかんないけれど、こんな殺人をいとわないゲームに刺客として送り込むかな、普通……残りの紅さんと浜松さんは全然よくわかんないけど……榛清音は無理。あの人とだけは絶対にやってけない)


 なによりも彼の指令内容は、あからさまに殺人を受容する内容だったことにぞっとする。

 一応鍵はかけているものの、誰かが壊したことのときを考え、武器になりそうなものをベッドに入れて寝ることにした。そうは言っても美羽も武器になりそうで、自分が怪我しないようなものを持ってはおらず、勇気を出して翔太の鞄の中を見てみることにした。

 普通の学校の教科書にノート、手帳にスマホは出てきたが、そこで美羽は違和感を覚えた。


(……翔太、自分の指令書置いてきたのかな? 鞄の中にはないや)


 美羽は中身を他の人に見られたら嫌だと、とりあえずは鞄の中に入れている教科書の間に挟んでいるが、教科書も全部確認したが入っていなかった。


(逃げ出すつもりだったとはいえ……翔太の性格だったら大事なものは手放さずに持ち歩くし……まさか制服のジャケットの中?)


 再び翔太の遺体と向き合うかどうかを悩んだ末、美羽は首を振った。


(大丈夫だよね……指令書の内容確認しなくっても)


 結局は美羽は、鞄に自分と翔太の分の教科書を詰め込んで重くし、それを抱きしめて眠ることにした。

 これで殴られれば、さすがの榛清音だって、一瞬くらいは動転するだろうと、そう割り切りながら。


****


 美羽が石坂たちと一緒に食堂に移動する中。階段の影で息を潜めて見守っている人間がいた。

 彼らが完全にエントランスから離れたのを確認してから、やっとのこと、扉の近くに小走りで寄って行った。スマホの光源があれば手元はわかるだろうが、食堂に移動した面々に見つかる可能性が高く、自分がしようとしていることを咎められかねないため、それが尺だったために、耐え忍んでいたのだ。


「うっぷ……」


 焦げた肉のにおいがする。これが先程まで生きていた人間のものだと知っていると、途端に怖気が走るが、もう死んでいるからと割り切って、その遺体に手を伸ばした。

 感電死したと言っても、肉を完全に焦がし尽くすことがなかったらしく、表面だけ焼け爛れただけで、死後硬直で上手いこと制服をまさぐることができない。

 ジャケットの中身を確認するだけでもひと苦労だった。

 電気が通ったせいか、ジャケットが皮膚と多少癒着してしまったものの、音を立てないよう慎重に剥がしていったら、なんとか脱がすことができた。


「……あったあった」


 美羽は彼氏の遺品代わりに鞄と髪を持って行ってしまったため、そちらに入っていたら駄目だった。

 ジャケットの内ポケットに、指令書が入っていたのだ。電気が通ったせいか、少しくすんだ色をしていたが、それで充分だった。

 隠しカメラがどこかわからないが、かすかに音が出るように、中身を取り出すと、それをビリビリに引き裂いた。


「こ、れで……指令は突破できたよな? なあ……?」


【指令書一枚の破棄】


 そんな指令を出されたら、この場にいる誰もかれもが変な人間なため、まさか殴って奪わなければならないのかと危惧していたが、タイミングよくひとり死んだのだ。

 美羽だって彼氏の形見は既に持っているのだし、他の人間のものを盗んだわけでもないし、問題はないはずだ。

 そう自分に言い聞かせていた。

 見つかったら後ろめたい。遺体を漁るなんてどうかしている。しかし死にたくもなかった。

 周りからは「いい人」と思われてはいるものの、基本的に小心者だし自己保身に走るし、だからこそこの館内では誰からも信用されていない。

 浜松はそういう人間であった。

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