第6話 リモートワーク in ダンジョン




 ダンジョン施設でのリモートワークは意外なことに会社でも好意的に受け入れられた。


『うちらダンジョン製薬業の下請けですからねえ。廻ってこない希少サンプルとか先輩経由で入手できると分かったら、そりゃあ目の色変えますって』


 リモート会議の進行役である人事課の矢間口はご機嫌だ。

 先日自棄になって第五階層まで突撃した結果、徘徊型ボスであるサラマンダー希少種をほぼ欠損なしという状態で確保できた。冒険者組合を経由すると武器防具や秘薬材料として腑分けされた後の残骸しか廻ってこない高級素材が、体表の粘液すらそのままの形で、ドライアイスに埋もれる形で送られてきた訳で。

 そら喜ぶよね。

 そら驚くよね。

 人の手が極力触れないようにして急速冷凍したので、体表組織も粘膜も人体が分泌する核酸分解酵素などの影響から極力保護されている。

 薬草だって、実際に生えている環境の土壌や水のサンプルを、開発担当者が望む状態で確保できるのだ。同じ水準の仕事を普通の冒険者に依頼したら、果たしてどれだけ請求されるのか想像したくもない。


『そういう訳で、安納さんお手柄っす。通常業務とかこっちで担当しますんで、サンプル回収部門立ち上げてくれないかって本社から熱烈ラブコールっしょ』

「花粉症治ったらおぼえてやがれください。スリジャワワルダナプラコッテ支店への転属を希望します」

『……レベル20以上の人は、国の許可が下りないと海外渡航禁止っすよ?』

「がっでむ」


安納賢司 レベル25

クラス:未開放

スキル:来世チケット(従魔SSR×3、契約妖精SSR×1、調理技能【宮廷中華】、回復魔法)、印字打(皆伝)、テイム★★★、収納魔法★★、地形解読★、気配察知★★、罠解除★★


 国民番号カードに視線を落とし、己の迂闊さに悪態を吐いてしまう。

 レベル25というのは、ちょっとした専業冒険者並みの数字だ。

 事実己が現在探査を行っているのも初心者向けダンジョンではなく、中級車向けダンジョンの、しかも未踏破階層である。冒険者組合は花粉症耐性の取得を半ば諦めているというか、自分を素材調達屋として扱い始めている。


『安納さんがどんだけ波乱万丈な人生を送ってきたのか、社内でも話題っすよ』

「人聞きの悪い」


 レベル25に到達してなお花粉症耐性獲得に至らないのは新記録とは聞いている。

 ダンジョンが出現してからの十数年間は誰も平穏になど過ごせていないはずだ、自分だけが特別な訳ではない。多分。


『素材の希少性よりも、ダメージ少ない素材をとにかくお願いするっす』

「承知した。薬草類と鑑定される植物標本を、風乾・アルコール固定・油浸・液体窒素凍結の四種類の方法で保存できないか試してみます。それぞれ生重量で500グラム程度を冒険者組合経由で提出しますんで、確定したら連絡入れます」

『かしこまりっ』


 ダンジョンに潜る前は、冒険者達が回収した素材を使って新薬開発のための成分抽出など、いわゆる理化学系労働者として勤務していた。研究職とは似ても似つかぬピペット土方とか自嘲するような職場環境ではあるが、ダンジョン素材に直に触れられるという点では論文提出や学会発表に追われている研究部門のデスマーチを知っているだけに、学生時代に抱いたような劣等感はない。

 それに矢間口の話では、自分が丁寧に素材を回収し加工したことで、これまで冒険者組合から納品されたものとは桁違いに薬効成分が保たれている。元受けのダンジョン製薬が部署単位で矢間口のところに押しかけてきたくらいだから、こうしてモニター越の打ち合わせでも気合が伝わってくる。


 そういやダンジョンでは学歴マウントする奴には出会わないな。

 ダンジョン専門学校もあるらしいけど、徒弟制度も力持ってるみたいだし。なんか中高生で深層探索してるのを見ると、冒険者界隈で出身校による学閥とか無意味ではある。本社は会長派と社長派の背後に出身大学が影響しているとは聞くが、子会社末端の現場担当者には関係のない話だ。きっと。多分。




▽▽▽




 レベル25に至ってなお花粉症耐性を獲得できなかったのは、痛恨の極みである。

 なにしろレベル25だ。

 くしゃみ一つで大変なことになる。

 カップラーメンの中身が汁ごとすべて吹き飛ぶレベルと思ってほしい。あの時は掃除が大変だった。食器についても取っ手まで一体化した金属製のマグカップが辛うじて原形を保つことが出来たくらいだ。漆器や陶磁器も汁椀は全滅した。


「俺は花粉症を何とかしたいだけなのに」


 ステータスの暴力なんて大嫌いだ。

 レベルが上昇すると、一般市民向けの抗アレルギー剤も効きにくくなる。そのくせ花粉症は容赦なく目と鼻の粘膜を襲う。

 初心者向けダンジョンから中級者向けに異動する時に地獄を見た。途中、ぶっ倒れて風呂と空調がしっかりしている場所としてダンジョン近くのラブホ街に連れ込まれた。鼻水の処理とティッシュと服の買い出しのために呼ばれたデリヘル嬢もいい迷惑だっただろう。最後の方は爆笑でお別れされてしまったよ。

 ははは。

 レベル上昇と共に感受性も高まってしまった己の身体は、もはやダンジョンという異空間の中でしか生きられなくなってしまった。もしくは南極あたりか。


 インストラクターとして最初の頃にお世話になった狐耳尻尾の冒険者、緒形さんとは今も交流がある。彼女以外にも冒険者の知り合いが増えた。柳田さんとはフリーランスのメリットとデメリットについて実体験から色々教わってる。ダンジョン内の食堂を利用していれば、嫌でも顔見知りにはなってしまうか。

 そうそう。

 親会社の遣いを名乗る若者に、職場ではなく自分に希少素材を卸せ悪いようにはしないと言われたりもした。そういうのは十代から二十代にかけての、意欲があって意識高い連中を相手にしてほしい。三十路すぎてなお脂っこく生きていけるのは一種の才能が必要になるのだ。


 とにかく今は花粉症耐性を獲得しよう。

 話はそれからだ。



 狐耳尻尾のセクシー冒険者の緒形さんが熱っぽい視線を向けながら「テイム……テイムされちゃう……もうテイムされてもいいよね……」と呟いているけど、決して視線を合わせてはいけない。

 彼女の周囲にいる女性冒険者達から殺気が洒落にならないので。

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