第5話

 冬の寒さが和らいだ暖かな午後、週末の街は多くの人々が行き交っている。ソラと暮里は朝から保険の飛びこみ営業をかけていた。中には半怪人であるソラが怪人保険の販売をしていることを揶揄する者もいたが、暮里のフォローもあり、二件ほど契約にこぎつけた。


「暮里さんって営業のときの表情や話し方が別人みたいになりますよね」

「ふん。そりゃそうだ。無愛想な営業なんて誰も相手にしないからな。……おっ」


 暮里はなにかを見つけたかのように、急に方向を変えて足早に歩いていく。


「ちょっと、どこ行くんですか?! 待ってくださいよ~」


 ソラも慌てて追いかけるが、人混みのせいでなかなか進めなかった。ようやく追いついたかと思ったら、見知らぬ女性と話し込んでいた。知り合いかと思い、近づいて聞き耳を立てる。どうやら単に保険の営業をかけているようだった。

 いつも以上に軽妙な営業トークで相手の女性がクスクスと笑う。髪型や顔立ちがなんとなく聖菜に似た綺麗な女性だ、とソラは思った。


「はい。こちらの保険に入っていただけたら、万が一はぐれ怪人に襲われそうになったとしても私があなたを守ります。可憐なあなたを傷つけるものから、どうか守らせてください。……くわしいことは、二人っきりになれる静かな場所でじっくりお話させていただけませんか」

「二人っきりになれる場所って……えぇ、それって……。でも、いきなりそんな……」

「丁寧にやさしく、ご説明します。いや、もう回りくどいことはやめます。一目惚れを信じますか? 私はいま、一目惚れが本当にあるのだとわかりました。あなたを見てから」


 暮里はいつも以上にキリリとした最高のキメ顔で女性に訴える。道端でウソみたいな口説き文句をいわれた女性は頬を赤く染めて「はい……」と頷く。

 そうして、二人は腕を組みながらホテルのある路地裏の方へと歩いていった。

 去り際に暮里はソラに向かって合図でもするようにウインクを飛ばした。


「……って、わたし、どうするんですか! ウインクじゃわからないから!」


 二人が消えた路地裏に向かって叫ぶも届かなかった。



 結局、暮里が女性とホテルから出てきたのは三時間後だった。

 ソラは二人が入った路地裏がちょうど見渡せるカフェで時間をつぶして待っていた。

 ウインドウ越しに眺めているとようやく二人の姿が見えた。聖菜似の女性が名残惜しそうに暮里の頬にキスをして去っていく。

 カフェを出て、暮里と合流すると開口一番に謝られた。


「待たせてすまなかった。でも、ちゃんと契約をとってきたぞ。今日はなにかうまいものでも食べて帰ろう。もちろんごちそうする」

「はあ……。まあ、いいですけど。わたし、焼肉が食べたいです」

「そうか。じゃあ、行こう。あっちにうまい店がある」


 機嫌良さそうに鼻歌をうたいながら隣を歩く暮里をチラリと見る。

 聖菜に似た女性とホテルに行ったということはつまり、暮里は聖菜のことが好きなのかもしれない。そんな推理から好奇心がムクムクと膨らんだソラは疑問を口にせずにはいられなかった。


「暮里さんって、聖菜さんのことが好きなんですか?」

「ハァッ?! 待てまて! いきなりなんだっ?! 私が聖菜を好きだなんてっ! 変なこというな!」


 暮里はわかりやすくオーバーリアクションで否定をする。


「だって、さっきの女の人、聖菜さんに雰囲気とかすごく似てたから、てっきりそうなのかと」

「ち、ち、ち、ちがう! ぜんぜん似てない! それに聖菜は弟の婚約者だったんだ! そんな相手を好きになるはずないだろ!」

「えっ、聖菜さんが弟さんの婚約者? ケンゴウブルーだった、あの……?」

「ああ。もしかしてポコミか聖菜に聞いたか?」

「はい。この前、聖菜さんが事務所に来たとき話してくれました」

「まったく……。私の周りのやつらはなんでこう、おしゃべりが多いんだ」

「暮里さんのことが心配なんだと思います。聖菜さん、いってました。暮里さんがひとりで無茶しないように見守っててほしいって」

「ふん……。私のことなんていつまでも心配してないで、あいつは自分の幸せをさっさと見つければいいのに」


 ソラと暮里が焼肉屋の前につくとどこからか車が衝突したかのような音がした。暮里はキョロキョロと辺りを見渡している。日が落ちて、暗くなってきたせいか異変が見つけづらい。

 地球人の十倍の聴力をもつソラには、はっきりと音の発生源がわかった。


「暮里さん、あっちの方です。行ってみましょう」



 音の発生源は解体工事中のビルの中であった。今日は日曜日のため休みなのか、明かりはついておらず、作業員の姿も見当たらない。

 だが、いまも中から金属がきしむような音がする。

 二人は目配せを交わすと、立入禁止の柵をこえて中に入っていく。足元に気をつけながら奥へ進むと、闇の中に大きな丸い塊が見えてきた。それはガリガリという金属音を響かせていた。

 暗さに目が慣れてきた頃、ようやくその塊が怪人だと気づく。そいつが立てているガリガリという音は、ショベルカーを喰っている咀嚼音だったのだ。


「チッ。なぜあいつがこんな都会にいるんだ。それにあいつはもっと小さかったはずなのに」


 暮里が舌打ちをしながらつぶやく。


「暮里さん、あの怪人を知っているんですか?」

「あいつだけじゃなく、日本にいるはぐれ怪人はほとんど把握している。あいつは廃坑になった鉱山に住み着いていた。大きさだって、もともとポコミくらいのはずだったのに、今じゃトラック並みだ」


 ショベルカーの半分ほどを喰い終わると丸太のような腕で、残りの部分を掴み、ビルの壁に投げつけた。

 衝突事故のような激しい音が鳴り響く。解体中のビルがグラグラと揺れる。そいつは立ち上がると、反対側の出口へ向かってのっそりと歩いていく。


「あいつ、外に出る気でしょうか。またこの前の怪人のように暴れたら大変ですよ」

「ああ。ソラ、あいつをここで始末するぞ。サポートしてくれ」

「は、はい! でもサポートって、一体なにをすれば……」

「あいつを外に出さないように注意をひきつけてくれ。その間に私は武器を準備する」


 そういいながら暮里は懐からケースを取り出すと千歳飴を口に咥えた。


「ちょっと、なに悠長に飴なんて舐めてるんですか! はやく武器を準備してくださいっ!」

「時間がない。いいから、さっさとあいつの動きを止めるんだ。私を信じろ」


 文句をいうソラに対して、いつになく真剣な口調でまくしたてる。


「もうっ、わかりましたよ! 信じます!」


 ソラは駆け出した。怪人の真後ろに立つと大声で呼びかける。


「おーいっ! そっちに行っちゃだめだ!」


 声に気づいた怪人がゆっくりと振り向く。遠くから見たときは丸い形をしていると思っていたが、間近で見ると岩のようにゴツゴツとして固そうな体をしていた。


 暗がりでも赤く光る目がソラをじっと見据えた。その不気味な視線にソラは身震いしてしまう。

 怪人の腕が近くに落ちていた瓦礫を掴む。そうして腕を大きく振りかぶるとソラめがけて信じられないスピードで投げつけた。危険を察知したソラは間一髪、その攻撃をよけた。

 ゴオンと向こう側の壁に当たった音が響き渡る。

 頬のすぐ横を通過した瓦礫の風圧にゾッとする。当たっていたら、確実に死んでいただろう。

 再び怪人が瓦礫の塊を掴むのが見えた。今度こそソラを仕留めようと、その瞳がギラギラと輝いている。

 当たらないよう逃げ回らないといけないとわかっているのに、ソラは恐怖に足がすくんで思うように動けない。

 怪人がニヤリと笑ったような気がした。大きく腕を振りかぶる動作がやけにゆっくりと感じられる。ソラが死を覚悟して目を閉じたそのとき。


「待たせたな」


 暮里の声が聞こえた。それから怪人から発せられる断末魔の叫び声。目を開けると怪人の頭から暮里がヒョイと降り立つ姿が見えた。

 そうして、服についたホコリを叩きながらソラの方へ悠然と歩いてくる。彼女の後ろでは大きな音をたてながら怪人が倒れ、やがて動かなくなった。


「よくがんばったな。……こわかったか?」

「こわかったですよ! でも、暮里さんならどうにかしてくれるって思ったから」

「ソラのおかげで武器を準備する時間が稼げた。助かったよ」

「あいつを倒した武器はなんだったんですか?」

「ああ、これだよ。これを怪人の脳天にぶっ刺したのさ」


 暮里が手に持ったそれをソラに見せる。


「え? それってまさか、千歳飴ですか?!」

「そう。舐めて先を尖らせて突き刺すのさ。私には自分の唾液を媒介として物質の硬度を自在に変化させる能力がある。だから、いま手に持っているこの千歳飴は鋼鉄より硬い」


 怪人の血がついたそれは、ただの舐めかけの千歳飴にしか見えない。だけど、実際にこの武器をつかって倒したことは事実だった。暮里のこの特殊な能力は、かつて魔坂博士によって行われた改造手術により作られたものだった。

 聖菜から悲惨な過去の出来事を聞いていたソラは胸が痛んだ。暮里にとって、忌まわしい出来事による産物のはずなのに、それを使用して戦うその姿に。

 彼女がいつか、それを使わないで済むように強くなりたいと思った。


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