第4話

 珍しくピンポンと事務所のインターホンが鳴った。ローズ保険会社で働き始めて数日がたつが、これまで誰かが訪ねてくることはなかった。

 暮里は外出中、ポコミも奥の研究室で新たな武器開発中なので絶対にドアを開けるなといわれている。勝手に応答してよいものか迷ったが、客ならばあまり待たせるわけにもいかない。

 ソラは緊張しつつ、インターホンに向かって少し高めの声をだした。


「……は、はい。どちらさまでしょうか?」

「あれ? ポコミちゃんじゃないんですね。一織さんの友人で湯島といいます。彼女、いますか?」


 ポコミのことを知っているということは、本当に暮里の友人なのだろう。ポコミは客の前に姿を表すことはしない。電話やメールで客とやりとりするときは、ポコミではなく「牛見」と名乗っている。


 ソラがドアを開けると、三十代くらいの女性が立っていた。スーツの上に上品なロングコートを羽織ったその女性は柔らかな笑顔をソラに向けた。


「はじめまして。湯島聖菜 《ゆしませいな》です。もしかして、新しい社員さんですか?」

「はい。谷中ソラといいます。数日前からこちらで働かせていただいてます」

「ソラさん、素敵な名前ね。よろしく」


 聖菜は見るからに優しげな雰囲気をまとっていた。肩より下あたりでふんわりと巻いた髪の毛、すこし垂れぎみの大きな目にぽてっとした唇。一織とは正反対の印象であった。

 そんな素敵な女性に自分のことを「素敵」といわれてソラは気持ちがふわふわとしてしまう。


「えっと、暮里さんはいま外出してまして……」

「そっか、残念。ポコミちゃんは……研究室?」

「はい。研究室に籠もってて、絶対ドアをあけちゃだめっていわれてまして」

「う〜ん、そっか。困ったな。せっかくケーキ買ってきたし、少し待たせてもらうね」


 聖菜はコートをソファに置くと勝手知ったるといった感じで、カップを棚から取り出し紅茶を淹れ始める。

 ソラにも紅茶を淹れてくれて、さらには持参したケーキまで出してくれる。どちらが社員かわからなかった。


「一織さんがポコミちゃん以外にだれかを雇うなんてびっくり。相当ソラさんのこと気に入ったみたいね」

「そうでしょうか? 全然そんな感じしませんけど」

「ふふ。ぜったいそう。私なんて、最近は煙たがられてるからうらやましい。連絡してから来ると、わざとその時間に急用できたっていっていないし。だから今日はアポなしで来たんだけど……だめだった〜。会えない運命なのかもね」


 聖菜はそう冗談めかしていうが、本当に寂しそうだった。


「えっと、ケンカをしたから気まずいとか、そういう感じなんでしょうか」

「ううん。べつにケンカをしたわけじゃないの。ソラさんはあのひとがケンゴウピンクだったことは知ってる?」

「はい。ポコミさんが教えてくれました」

「私もね、じつは同じ戦隊のメンバーだったの。元ケンゴウホワイトでーす」

「えっ、そうなんですか?!」


 その柔和な見た目からは、彼女が激しい戦闘をくぐり抜けてきた戦士だったとはとても想像ができず、ソラは驚いた。


「驚いた? ふふ、もっと驚くこといっちゃおうかな。いまは政府で防衛大臣を担当してまーす」

「ぶふぅっ! す、すみません! だ、だ、大臣ですかっ?!」


 驚きすぎて飲んでいた紅茶を思わず吹き出してしまった。慌てて雑巾で拭くソラの様子に、聖菜は満足したように笑った。


「やった〜! ドッキリ大成功! あ、大臣っていうのは本当だけど。私のこと、テレビとかで見たことない?」

「ご、ごめんなさい。ニュースとかあんまり見ないし、政治とか難しいのもよくわからなくて。総理大臣だけはテレビで見たことありますけど……」

「いいの、いいの。あやまらないで。私もソラさんくらいのときは大臣の顔なんて知らなかったし。そうそう、その総理大臣もね、元ケンゴウレッドなんだよ。ほかの戦隊メンバーも大臣をやってるよ」

「すごい! 戦隊のみなさんがいまの政治の中心メンバーになってるんですね。でも、暮里さんだけちがうのはどうしてなんですか?」

「うん。本当はね、一織さんにもこちら側で一緒にやってほしいと思ってるの。何度も誘ったけど、いまだにいい返事はもらえてないの」

「なにか理由があるんでしょうか? いまもひとりで戦い続けている理由が」

「長くなるけど聞いてくれる? その前にもう一度、紅茶を淹れなおすね」


 聖菜は淹れなおしたアールグレイティーの香りをゆっくり吸いこむ。こくりとひとくち飲むとやがて決意したような表情で話し始めた。



 戦隊が所属していた地球防衛軍、その科学部門のトップに魔坂 《まさか》博士という人物がいた。

 博士をひと言であらわすと、まさに科学の天才であった。若くして組織に入るとすぐに頭角を現し、あっというまにトップに就任した。彼がおこなう実験は公にはされておらず、組織内でもごく限られた者にしか知らされていなかったが、その実験の成果か対怪人用の武器開発は飛躍的に向上した。

 それまで圧されていた戦局も優位にたつことが多くなり、彼の功績は誰しもが認めるものであった。

 だが、魔坂博士にはひとつ大きな問題があった。

 彼はとらえた怪人たちに非人道的な実験を繰り返すマッドサイエンティストであった。他者が苦痛に呻く、泣き叫ぶ声が心地よかった。身体を傷つけ、解体し、改造を施すことに興奮し、快感を覚えていた。相手が怪人であるのをいいことに、まさにやりたい放題の残酷な実験を繰り返していた。


 偶然、その実験を目にした暮里は、すぐさま中止するように博士に強く求めた。止めなければ上層部に報告すると。

 だが、逆にそのことが魔坂博士の蛇のような嗜虐心にさらに火を点けるきっかけとなってしまった。

 暮里には、ひとつ下の弟がいた。名前は暮里仁織 《くれさとひろおり》。彼もまた戦隊メンバーのひとりであった。姉の一織を追いかけるように、防衛軍に入隊し、抜群の身体能力を買われてケンゴウブルーとして活躍していた。

 暮里姉弟がふたりとも防衛軍に入隊したのには訳があった。

 彼らの両親は防衛軍の研究施設に属する科学者として働いていた。怪人というだけで悪と決めつけ捕まえて倒すという体制に両親は反対し、善良な怪人たちを保護する活動をおこなっていた。姉弟ふたりもそんな両親に連れられて、保護施設に行くたびに怪人たちと遊ぶ日々を過ごしていた。

 だが悲劇は起こった。保護していた怪人に両親が殺されてしまう。幼い姉弟の目の前で起きた惨劇。そのときの光景は姉弟の心にひどい傷痕を残した。

 そして生まれたのは怪人をすべて駆逐するという共通の強い思いだった。

 だが暮里は知ってしまった。怪人を駆逐するこの武器と力は、無抵抗の怪人に非道な実験を繰り返した末のたまものなのだと。

 暮里のやろうとしていることも、博士や両親を殺した怪人と変わらないのではないかと思い悩む日々が続く。

 そんな気持ちの沈みこんだときに、さらに悪いことが重なった。仁織が戦闘で大怪我を負ったのだ。命に関わるような重篤な状態で運ばれた弟を見て、暮里は泣き崩れた。そんな彼女に魔坂博士は囁いた。「僕なら彼を救える」と。

 こんな男に頼るべきではないと理解していた。だが、暮里にはそれ以外にすがれるものがなかった。魔坂博士は暮里と約束を交わし、見事に仁織を命の危機から救ったのだった。

 暮里が博士から見返りとして求められたものは二つあった。ひとつは、怪人に対しての人体実験を上層部に報告しないこと。もうひとつは暮里自身も研究の実験台になることだった。

 魔坂博士は怪人の能力を直接、地球人に移植させたいと考えていたのだ。秘密裏に一般人を連れ去って何度か試したことはあったが、すべて失敗していた。

そんなときに手に入った暮里は強靭な肉体と精神力を併せ持つ、理想の材料であった。そして博士の思惑どおり、暮里は数度の改造手術に耐えた。

 だがやはり限界があった。十数回目の改造手術のあと暮里は自我を失い暴走してしまう。さまざまな怪人の細胞により体組織の半分以上を侵食され、暮里の体はもはや地球人のものとは違っていた。

 弟の仁織は暴走し、怪人のような力を振るいながら暴れる姉を見て泣いた。なぜ暮里が変貌してしまったのかわからないまま、地球防衛軍の本部施設は崩壊寸前になりつつあった。

 戦隊メンバーが苦渋の決断の末、必殺武器を使用する。レッド、ホワイト、イエローが支える砲身から五色の光線が渦巻きながら暴走した暮里めがけて放たれた。

 暮里は死ななかった。かわりに弟の仁織が彼女をかばって直撃を受け、死んだ。

 弟の体が宙を舞い、あたたかな血の雨が暮里の意識を取り戻させた。


 暮里は混乱に乗じて逃げた博士をいまも探している。



「……暮里さんは博士を探すために、いまもひとりで戦っているんですね」

「そう。みんなで協力して探そうっていっても、自分の撒いた種だからって、いつも断られてるの」

「でも、そんなの寂しいし、つらいですよね。暮里さん自身も仲間のみなさんも」

「うん。でも、一織さんは頑固だから、一度決めたらなかなか考えを変えないの。だからね、ソラさんにお願いしたいの。一織さんがひとりで無茶しないように見守っててほしい」

「わ、わたしがですか?」

「初対面でこんなことお願いするのも変かもしれないけど……。でも、一織さんがソラさんを雇ってるって本当にすごいことなの。心を許しているのか、なにか通じるものを感じてることは確かだと思う。だから、お願いします」


 驚くソラの手を両手で包むように握る。その温かさと真剣な眼差しに、ソラはただ頷くしかなかった。


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