3-14

 だが、玉藻は急に強烈な耳鳴りに襲われた。


「……やっぱ抵抗してくるよねぇ」


 いつの間にか右腕を何かに掴まれている。この薄暗さでもわかるほど血の気のない白い腕。しかし、玉藻は顔を上げない。見る、というより視界に入れるということは、その存在をしたことになる。これが昨日保健室で遭遇したほうのしずくちゃん(怪異Ver)なのであれば、認知することで向こうの術や呪いに囚われてしまうだろう。

 だから玉藻は顔を上げないまま語り掛ける。


「あなたがこの箱を作ったのはわかっている。きっと救われたかったんだよね。終わらせたかったんだよね。でも、これじゃ駄目だったんだよ。あなたは悪くないけど、やり方が間違っていた」


 右腕を掴む力が徐々に強くなるのを感じるが、玉藻は話し続ける。


「わたしなら、あなたの地獄も照らせる。だから………」


 その時、耳元で声が聞こえた。


『ちがうの』


「え!?」


 ささやくような小さな声だったが、確実にそう言っていた。

 驚いた玉藻は顔を上げてしまう。正面には少女が立っていて、その顔に当たる部分は真っ黒な暗闇だった。


「やばっ!」


 だが、そう思ったときにはすでに手遅れ。

 視界が揺れ世界は反転した。


 気が付くと、玉藻はどこかの廊下に立っていた。見覚えがある。●●中学の廊下だ。

 周囲を見渡すと教室の中に人影が見えた。ドアに近づき、窓の部分から教室内を覗き込む。

 夕日が差し込む教室。そこで一人の女子生徒と成人男性が何かしゃべっている。あれは、当時のしずくちゃんだろうか。その時、成人男性が女子生徒を抱きしめた。玉藻の立っている位置からも顔がはっきりと見える。それは若き日の教頭のようだった。


 再び視界が揺れ景色が回る。

 つぎの場面は、しずくちゃんの部屋だった。彼女は机に向かい、何かをかいている。背後から覗き込むとそれは手紙のようだった。まだ書き始めで内容はわからないが「先生へ」の文字が見える。そしてその隣には妊娠検査薬。


 再び視界が揺れる。

 今度は体育倉庫だった。男子生徒がしずくちゃんに馬乗りになっている。


「やめて!」


 玉藻は思わず叫んでいた。だが、男子生徒は気づく素振りもない。

 玉藻は駆け寄って、男子生徒を押しのけようとするが、その手は男子生徒をすり抜けてしまう。

 しずくちゃんの表情が視界に入る。彼女は泣いていた。


 再び視界が揺れる。

 またしずくちゃんの部屋だ。

 彼女はベッドの上で体育座りをして泣いていた。手にはあの手紙が握りしめられている。


 再び視界が揺れる。

 しずくちゃんが教室のゴミ箱を見つめている。そこには修復不可能なほど切り刻まれたノートと教科書が入っている。


 再び視界が揺れる。


「なんなのよこれ………」

 玉藻は思わずつぶやく。


 今度は空き教室のような場所だ。カーテンが閉め切られ薄暗い教室で複数の男子生徒に囲まれるしずくちゃん。


「やめて、もう、やめてよ!」


 玉藻は頬が濡れるのを感じ、自分が泣いていることに気づく。今はそれどころではないと分かっていても止めることができない。


 再び視界が揺れる。

 学校の屋上だろうか。フェンスの隙間から下のほうを見下ろすしずくちゃん。


 再び視界が揺れる。

 しずくちゃんが自宅のドアを開けると、奥に血だらけの女性が倒れていた。

 しずくちゃんが駆け寄り、揺さぶるが反応はない。きっと彼女の母親なのだろう。


 再び視界が揺れる。


「やめて!!!」


 玉藻は大声で叫んでいた。

 目を開くと、そこは薄暗いプール下の空間で目の前にはしずくちゃんがいた。元の時間軸に戻ってきたようだ。


「………あなたは、全部わかってたの……?なのに、どうして……?」


 玉藻が尋ねると、しずくちゃんは目の前の箱を指さした。

 玉藻が視線を落とすと、バラバラに分解された絡繰箱が落ちていた。そしてその中央には干からびた小さな指。左手の薬指。しずくちゃんのものだろう。


「………あなたは、いまでも………」


 玉藻が顔を上げると、そこにはもう何もいなかった。

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