3-11

 それから少し後、玉藻と葛葉はしずくちゃんの家を出た。

 マサトは「また来なさい」と言って見送ってくれた。

 だが、葛葉の表情はずっと浮かない。あのノートを見てから様子がおかしいままだ。

 玉藻は葛葉が何かに気づいたのだと思ったが、こうも落ち込んだ様子だと聞きだしずらい。二人は並んで駅までの道を歩いていた。


「お昼、何食べようか?」


 雰囲気を変えようと玉藻が話を振るが、葛葉は答えない。落ち込んでいるような、考えているような表情でもくもくと歩いている。

 玉藻がどうしたものかと考えていると、ようやく葛葉は重い口を開いた。


「………あれは閻獄じゃなかった」


「え、そうなの?」


「確かにあの中には地獄がある。でもそれだけじゃない……」


「というと?」


「………あの中には、今も……しずくさんがいる………」


「……………え、ごめん。どういうこと?」


 玉藻は葛葉の言っている事が理解できなかった。


「閻獄は地獄を封印する術式。封印するということは取り込んだ後、遮断して隔離するということ。でも、……あれは呪縛の術式。圧縮され詰め込まれた地獄に彼女の魂は囚われ、……新たな地獄を生み出し続けている…………」


 ここでようやく玉藻も理解する。その術式の醜悪さを。

 これでは無限地獄だ。


「……は?なんで、なんでそんな酷いことを?」


「わからない。だけど、こんなことあの人には言えなかった………」


 葛葉はうつむきながら言った。

 その事実はある意味死より残酷だ。それも20年間誰にも気づかれることなく、しずくちゃんは苦しみ続けていた。

 実の父親にそんな話はできない。彼もこの20年間苦しみ続け、現実を受け入れることができなくて、それでもなんとか生きてきたのだ。それもこれも、すべては娘であるしずくちゃんのためだろう。

 その娘が死後もなお地獄にとらわれ苦しみ続けていただなんて今更知って、彼は正気を保てるだろうか。

 この世には知らないほうが良い事実もある。


「救いがなさすぎる………」


 玉藻は立ち止まり、空を見上げた。そして長く息を吐く。

 少し目眩がする。

 こんなことってあるのだろうか。彼女がしたことはそんなに悪いことだっただろうか?

 術式を教えた何者かが、しずくちゃんと接触したのはたまたまかも知れない。しかし、こんなに運の悪いたまたまがあるだろうか?


「閻獄のつくり方を公開した輩も、嘘の術式に改編した輩も絶対に許せない。でもその前に、私たちは彼女を解放しなきゃならない」


 葛葉がうつむいたまま言った。


「うん、そうだね」


 玉藻は前を向いた。


「これは私たちにしかできない仕事だからね」


 葛葉がうなずく。


「よし、そうと決まれば善は急げ!今から中学校に乗り込むぞ!」


「……えぇ!今から!?」


 葛葉は頷きかけて驚いて顔を上げた。


「何か問題でも?」


「えぇ……、いや、問題はないけど、ちょっと心の準備不足というか。逆にあなたは切り替え早すぎない?」


「え、そうかな?」


 玉藻は首を捻る。

 今まで意識したことはなかったが、確かにあまり引きずらないほうかもしれないと思った。


「でも、ここからそんなに遠くないし。ちょうど二人そろってるし。」


「まあそうなんだけど。………あなたのメンタルの強さだけは唯一尊敬に値するわ」


 葛葉は呆れたようにため息を吐いた。

 そうして二人は30分後には中学校の校門をくぐっていた。


「へぇ、結構大きいのね」


 葛葉は校舎を見上げて言った。


「問題のプールはあっちだけど、一回教頭先生に挨拶しとこうかな」


 玉藻が校庭の隅にあるプールを指さした。


「そうね。そもそも無断で立ち入っていい場所じゃないでしょ」


 二人は職員用玄関から入り、職員室に向かった。


「失礼します。教頭先生はいらっしゃいますか?」


 玉藻は声をかけながら職員室を観察する。今はまだ授業中の時間のはずなので、職員室内の人は疎らだ。見たところ教頭は不在のようだ。


「教頭先生でしたら、今会議室ですね。しばらく戻らなそうですが……」


「ああ、でしたら、「少し見させてもらいます」と戻られたらお伝えください。以前許可はいただいておりますので」


「はあ、失礼ですが、お名前は?」


「私、キュービック・ルーブ探偵事務所の仙狐玉藻と申します。こちらは助手の葛葉です」


 そう名乗ると、しおらしく隣に並んで立っていた葛葉が勢いよく玉藻を見た。


「……………」


 葛葉は目を見開き玉藻を凝視している。玉藻は知っている。これはマジギレしているときの葛葉だ。

 冷や汗が背筋を流れる。

 ちょっと冗談が過ぎたと玉藻は内心後悔した。


「……あ、ええと………」


 二人の対応をしてくれた教師も葛葉のただならぬ気配を感じたじろいでいた。


「えと、では、授業の邪魔はしませんので~失礼しました~」


 玉藻は逃げるように職員室を後にした。

 取り残された葛葉と教師の目が合う。


「私は!助手じゃなくて姉です!」


 葛葉が大きな声で言う。


「え……あ、はい。わかりました」


 教師がそう答えるのを聞くと満足したのか、葛葉は頷いて職員室から出て行った。


「……いったい何なんだ?」


 取り残された教師はそう呟いた。



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