3-7
「………!」
それに気づいた瞬間、言葉を失う。この存在は先ほどまでのしずくちゃんとは次元が異なる。
それは地獄のような深い怨念が生み出した怪異だった。
怪異が腕を上げる。右手にはハンマー。左手には
「くそっ、どうして急に!」
玉藻はとっさに体を横に倒して転がり落ちる。
カーンと甲高い音。
鑿が玉藻が座っていた椅子の背もたれに突き刺さっていた。
玉藻は転がりながら距離を取る。
だが、怪異の動きが早すぎる。玉藻が顔を上げたときには、すぐ目の前に顔のない顔があった。
「………っ!」
とっさに体をそらそうとする。しかし指一本も動かすことができない。金縛りにかかったような感覚。
視線すら固定され瞬きもできない。
玉藻は一瞬死を覚悟する。その時、怪異が初めて言葉を発した。
『あ゛のび、ど、わだ、じの、あ゛のびど、わだじの……』
さび付いた金属同士をこすり合わせたかのような耳障りな音。耳をふさぎたくなるが手は動かない。
(………あのひと?わたしの?)
『か、えじ、で………』
ガランと音を立てて金槌が床に落ちる。怪異は私に向かって手を伸ばした。
それをよけることはできない。もう少しで手が顔に触れる。
その時、保健室の扉が開く音がした。
同時に、金縛りが解けて力が抜ける。玉藻は床に顎を打ち付けた。
「あだっ!……うぐううう…………」
「大丈夫ですか!?何か大きな音がしましたが………どうして床に?」
玉藻が顔を上げるとそこには教頭が立っていた。
周囲を見渡してみるが他には誰もいない。
「……まさかあなたに助けられるとは。ありがとうございます」
玉藻は顎を摩りながら起き上がった。
「え、もしかして、しずくちゃんがここに?」
「ええ、ですが今はどこかに行ったようです」
「なんと………」
教頭は呆然としつつあたりを見渡した。
玉藻は立ち上がり、服の埃を払う。
そして、握っていた手紙を教頭に見せた。
「これに見覚えは?」
玉藻が尋ねると、教頭は顔を近づけて観察した。
「んんん?何ですこれ………封筒?」
「中に手紙が入っていました」
そう伝えると教頭は少し考えた。
「…………手紙?誰宛てですか?」
「わかりません。ただ、先生へとだけ」
それを聞いた瞬間、教頭の表情は険しくなった。
「見せていただいても?」
「どうぞ」
玉藻が手渡すと、教頭は少し震える手で受け取り、それを開封した。
「……読めない」
しばらく手紙を観察していたがそういって顔を上げる。
「そうなんですよ。だから誰宛てなのかもよくわからなくて。ただ、これがしずくちゃんが書いたのだとしたら、あて先は教頭先生、あなたなんじゃないかと思いまして」
玉藻がそういうと、教頭は露骨に驚いた。
「ええ?どうして私なんですか?」
「この中学は担任制を導入していますよね。まあ学校のルールやその他色々な例外はありますが、普通、単に先生と言えば担任の先生なんじゃないかなと」
しずくちゃんが当時担任の先生に手紙を書いたとしても、それは驚くほど不自然なことではない。
「……うーん、しかし、私は見覚えがないですねぇ」
「そうですか。わかりました」
玉藻は手紙を受け取り、丁寧にしまった。
「今の話とは少しずれるのですが、教頭先生に一つお願いがあるんです」
玉藻はわざと少し媚びたような声色で言った。
「え、な、なんでしょう?」
教頭は動揺している様子だ。
玉藻はふふっと笑うとこういった。
「しずくちゃんのお父様の住所、教えていただけますか?」
◆◇◆
翌日、玉藻は朝から昨日聞いた住所へと赴いていた。今日は葛葉も一緒だが、相変わらず紺右衛門はいない。葛葉を連れていくと言ったら何も言わず出て行ってしまった。
最近一緒に行動しないことが多かったのでへそを曲げているのだろうか。ああ見えて繊細なんだよなと玉藻はため息を吐く。帰りに日本酒でも買って帰ろうか。
「それで、今回はどういう案件なのかしら」
葛葉は電車に揺られながら玉藻に尋ねた。
「閻獄って素人に作れると思う?」
玉藻が尋ねると葛葉は怪訝そうな顔をした。
「いきなり何の話?閻獄?ずいぶん物騒ね」
「まあね、今回それが関係してくるのよ」
それを聞いて葛葉はうなずく。
「ああ、それで私が必要なの。でも、あなた祓ったことあるでしょ。あれを」
「まあ、一応ね…………」
玉藻にとってあの事件のことは色々と思い出したくないことが多い。あの後玉藻はお母様に怒られて1か月も座敷牢に閉じ込められることになった。そしてそれ以降も公式記録からは姿を消す。
「……まあいいけど。それで素人に作れるか、だったかしら」
「そうそう」
「できなくはないんじゃない?」
葛葉はさらりと言った。
「やっぱり?」
「ただ、その製法は禁術指定されているし、何より地獄を見たものにしか作れないわ。素人が禁術を知っているはずがないし、現代において地獄はそこまで多くはない。でも、ただ器を作るだけなら案外簡単なのよ、あれ」
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