3-2

 しずくちゃんは友達がいなかった。正確には先輩との一件が表ざたになった際に全員敵になった。だから唯一の話相手は父親だった。

 彼女はこのころよく父親に学校が楽しいと話していた。それを聞いた父親は安心していたが、ある日しずくちゃんは血だらけで帰宅した。

 その左手には薬指がなかった。

 服を脱がせてみるとやけどの跡だらけだった。いじめはまだ終わってなどいなかった。

 それでもしずくちゃんは笑顔で父親に言った。「だいじょうぶだよ」と。

 父親は悟った。この子は壊れてしまっている。痛みと恐怖と絶望で、どうしようもなく、もう直せないほどに、どこかの誰かにぐちゃぐちゃに踏みにじられてしまっていた。

 父親は泣いた。泣き続けた。しかし、しずくちゃんは泣かなかった。

 もう泣くことすらできなかったのかもしれない。


 そしてその数か月後、●●中学の家庭科室で殺人事件が起きた。

 被害者の名前はしずくちゃん。加害者は元々仲の良かった幼馴染の少女だった。


 そしてそのさらに1か月後、殺人犯として少年院に送致された少女は収監された部屋で突然自分の薬指を食いちぎり、それを丸のみしようとして窒息。死亡した。


 それ以来、●●中学では18時になると学校を女子生徒が徘徊し、その薬指は欠損しているのだという。


 ◆◇◆


「…………めちゃくちゃ胸糞悪い話ですね。作り話であってほしいけど、そうだとしたら作者の人間性を疑います」


 玉藻がプリントアウトされた書類を机の上に投げた。


「ええ、まったくもって、酷い話です………」


 玉藻の向かいの席には中年の男性が汗をハンカチで拭きながらこじんまりと座っていた。

 この男性は件の●●中学の教頭だと名刺にはあった。

 そう、●●中学は実在するのだ。


「それで、ご用件としては、この[しずくちゃん]の除霊といったところですか?」


 玉藻が少々嫌そうに聞くと、男はゆっくりうなずいた。


「はい……そうなります……」


「うーん……」


 玉藻はセミロングぐらいまで伸びてきた金髪をかく。

 ここはキュービック・ルーブ探偵事務所の応接エリア。●●中学の教頭が尋ねて来たのは17時を過ぎたころだった。扉を開けると、グレー色の少し寄れた背広を着た中肉中背の中年男性が立っており、きょろきょろと挙動不審な様子な様子だった。

玉藻は珍しく依頼人が来たと、最初こそ笑顔で対応していたが、案件の重さに徐々に元気は失われ背筋が丸まっていった。


「色々伺いたいことはあるのですが、これはどのくらい前の出来事ですか?」


「20年ほど前になります……」


「それで、被害状況は?」


「この20年で5人ほど……」


「なるほど。それで、ここ何年かはおさまっていたが、再び起きたと」


「ええ、その通りなんです」


 教頭は禿げ上がった頭の汗をまた拭った。どうにも汗が止まらないようだ。


「………何かきっかけがあるんじゃないですか?そしてあなたはそれをご存知なんじゃ?」


 玉藻がそう聞くと、教頭はわずかに体を震わせた。ビンゴ。玉藻は頷く。


「うん、では話していただきましょうか何が起きたのかを」


「………わかりました」


 意を決したように頷いて教頭は話し始めた。


 全ての始まりであるしずくちゃんの事件が20年前に起きた。しずくちゃんが殺害されたのが放課後の18時ごろ。完全下校時刻よりも後だった。そのため目撃者はおらず、しずくちゃんが発見されたのは翌朝だった。

 それ以来校内で生徒たちが噂するようになったという。

「18時に家庭科室に行くとしずくちゃんが待ってる」と。最初は面白半分だった。でも、犯人だった少女が自殺したと報道されてから空気が変わった。しずくちゃんは本当にまだいて、その霊にとり殺されたのではないかと。

 そうして怖がった生徒たちは次第にしずくちゃんの噂をしなくなった。年度が変わり新しい生徒も入学してきた。もう、全ておわったのだとみんなが思っていたころ、再び事件は起きた。

 一年生の少女一人が忘れ物を取りに学校に戻ったところ、女子生徒と遭遇したというのだ。そして、その女子生徒は

 一年生少女はAさんと仮名する。Aさんは入学する前からしずくちゃんの事件を知っていたが、噂を信じてはいなかった。それでもやはり怖いので、なるべく家庭科室には近づかないようにしていた。

 その日は明日提出の宿題を教室に忘れてしまい、仕方なく取りに戻ったらしい。Aさんが教室でプリントを見つけて、廊下に出ると、3教室分ぐらい離れた廊下で誰かが立っていた。廊下に電気はついておらず、薄暗くシルエットしか分からなかった。先生かなと思ったが、それにしては身長が低い。明らかに自分と同年代であるとAさんは感じた。その時しずくちゃんのことが脳裏によぎったが、しずくちゃんがいるのは家庭科室のはずだ。今、Aさんがいるフロアとは別のはずだった。ではこんな時間に一体誰が?

 恐怖と好奇心がマーブル模様のように広がる。

 Aさんは、声をかけるのは流石に躊躇したが、しばらくその女子生徒の様子を観察していた。

 だが、奇妙な事にその女子生徒は暗い廊下で微動だにせず立っている事に気づいた。何をするでもなく立ち尽くしている。仮に生きている人間だとしたら何をしているのだろう。暗くてよく見えないのでAさんは少し女子生徒に近づこうとした。距離はあと二教室分だ。しかし、まだよく見えない。そこでAさんは思いついた。廊下の電気をつければよいのだと。そうすればはっきり見えるし、幽霊なら消えてしまうはずだ。

 Aさんは近くにあった電気のスイッチにこっそり近づき、廊下の電気を一斉に点灯した。



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