2-12

 その時だった。非常階段のところに人影が見えた。

 誰かが階段を上って屋上まで上がってきたようだ。だが、それは一人ではなかった。

 一見共通点のなさそうな男女が続々と屋上に上がってくる。その中には先ほど5階で見た住人の姿もあった。


「なんだ?どうなってるの?」


「ああ、こいつらは俺の部下なんだわ。闇バイトってやつで募集した奴らでさ」


 玖玄が指をぱちんと鳴らすと、住人たちの動きがぴたりと止まった。


「さっきの一幕は茶番だったというわけか」


 紺右衛門が尋ねる。


「ああ、俺を信用してもらうにはあれが手っ取り早いからな。全部台本通りさ」


 玉藻がため息を吐く。


「いい性格してんね、あんた」


「ああ、自覚してるぜ。俺はクールだってな」


 玖玄は自慢げにサムズアップして見せた。


「心底嫌いなタイプじゃ」


 紺右衛門はうんざりしたように言った。


「じゃあ、パーティーを始めようか!GO!GO!GO!」


 男の合図に反応し、住人たちが動き始める。ゆっくりとしてうつむきがちな歩き方でゾンビの大軍を連想させる。


「多いな……」


 紺右衛門が呟く。


「こっちが一般人に手出しできないのわかっててやってるよね」


「そのための茶番だったんじゃろう」


 紺右衛門が刀を抜く。

 その時、住人たちの動きが止まった。


「大丈夫だ!ただの玩具だ!進め!」


 玖玄が大声で叫ぶ。それを聞いた住人たちは再び前進を再開するが、その動きには戸惑いが見て取れる。紺右衛門の刀に怖気づいている?


「動揺している?操られているわけじゃないのか?」


 不思議そうにいう紺右衛門の呟きを聞いて玉藻はポンと手を打つ。


「ははあ、なるほど。ひらめいちゃった」


 そう呟くと、玉藻は両手でメガホンのような形を作り、口元に当てて大声で叫んだ。


「我々は警視庁公安の特殊対策課のものです!これ以上の捜査妨害は刑法95条1項の公務執行妨害に当たります!自分は本件に無関係だと思うものは直ちに帰宅してください!」


 住民たちの動きが一斉に止まる。そして住民同士顔を見合わせた。


「ほほう、よく条数まで覚えておったな」


 紺右衛門が言う。


「まあ、一応探偵の端くれなんでね。ちょっとは勉強してるってわけ」


「なるほど。例えはったりであっても具体的な条数を言われれば普通は怯むもんじゃ。実際効いたようじゃぞ」


 紺右衛門の言う通り、住民たちには動揺が広がっていた。ただでさえ厄介ごとに巻き込まれている


「おいおい、そんな見え透いた嘘にだまされんなよ?こんな女とジジイが公安な訳ねーだろ!」


 だが、男の思惑とは裏腹に、住民たちは元来た非常階段へと引き返していった。

 確かに玉藻たちは公安職員らしからぬ恰好だ。紺右衛門は一応スーツなので見えなくもないが、いくら公安でも日本刀は携帯していないだろう。しかし、そもそも戦いたくないという戸惑いが透けていた住人達にとって、引き返す大義名分として「逮捕されたくなければ引き返せ」というのは十分だったのだ。

 

 だが、帰らずに残ったものが一人いた。

 銀色の棒を地面につき、そこに体重をかけることで、重心のバランスを保っている。茶色いだぼついたズボンに赤い刺繍入りのチョッキ。禿げ上がった頭に日光が反射している。

 杖をついたヨボヨボのおじいちゃんだった。ニコニコしながら立っているが、立っているだけなのに常によろよろと揺れており、どう考えても戦力にはならない。


「あー、もう帰っていいぞ」


 玖玄も諦めてそう言うが、おじいちゃんは動く気配がない。


「おーい、聞こえてるか?」


「あぁ?なんだって?」


 全然聞こえていなかった。

 流石の玖玄もがっくりと膝に手をつく。


「お 仕 事 終 わ り! 解 散!」


 玖玄がおじいちゃんの耳元で大声で言うと、ようやく聞こえたようで、おじいちゃんはうなずいた。


「じゃあ、これにて失礼いたします。お疲れ様でした」


 おじいちゃんは全員に会釈すると、よろよろとふらつきながら帰っていった。


「……あんた、誘う相手は選んだほうがいいんじゃない?」


 おじいちゃんが階段を下って姿が見えなくなってから玉藻が言うと、玖玄は手を横に広げやれやれというようなジェスチャーをした。


「金で雇った関係なんて、まあこんなもんだな」


「何がしたいのよあんた」


 玉藻が呆れて言う。


「そりゃあ、まあ、時間稼ぎってやつよ」


 そういうと玖玄は屋上の床に手をついた。

 途端に空気の重さが変わる。結界の深度が一気に深くなる。完全に現世と切り離されたようだ。


「俺は魔術師だが、専門は死霊魔術ネクロマンスよりでね。ただ、死体を扱うのは面倒だし汚いし臭くて嫌いなんだ。そこで考案したのが霊の実体化。この魔法陣とそれを維持できるだけのエーテルさえあればこの通り」


 玖玄の周囲にはいつの間にか10体の影が佇んでいた。このマンションで亡くなった人々の魂だろう。


「俺はこの術で神を復活させる。それを邪魔する奴は……皆殺しだ!」


 影が一斉に動き出す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る