2.5-3

 そこには村があった。人口九十人ほどの長閑な村だ。稲作を基本とする農業が主体で自給自足している今や数少なくなった農村。春には村民総出で田植えをして、夏になれば広場で夏祭りが行われる。秋には作物を収穫し、冬には子供たちが雪合戦をする。

 

 そんな長閑な村がその大地ごと消失していた。

 きれいに円形にえぐれた地面。赤黒く染まった大地はこの世の光景には見えない。草木は一本も生えておらず、当然家や建物、その他あらゆる人工物が消失している。

 生存者はいない。そう断言できるほどの絶望的な光景。


「すごい、初めて見た。これが常世とこよ………?」


 少女が呟く。


「いや、これは地獄の再現じゃ。真の地獄とは違う。それに、常世はここまで呪われてはおらん」

 

 老人が口元をさすりながら答える。


「それより、さっきの言いぐさはなんじゃ!不貞腐れるのはわかるが、あの警官を傷つける理由にはならんぞ!」


老人の厳しい口調に少女は首をすくめた。


「……うん、言い過ぎたとは思ってる」


 少女はうつむきながら言った。


「後で謝りなさい」


「……はい」


 少女がうなずいたのを見て老人もうなずく。


「よい。まずはこれを祓おう」


「わかった」


 少女と老人は躊躇なく扉をくぐり、赤黒い地面を歩き始める。


「あ、おい、そっちは駄目だ!!」


 慌てて近くにいた自衛隊員と消防隊員が駆け寄ってくるが、少女はこれを制止する。


「大丈夫。あなたたちこそ、それ以上は危ないから離れて」


 そのままなんともない様子で中心部に歩いていく二人を周囲の人々はあっけにとられながら見送った。


「……どうなってるんだ。こっから先は入っただけで人が死んだんだぞ。どうして平気なんだ?」


「化け物じみてる。いや、化け物なんじゃないか?」


「そもそも政府から派遣された専門家があんな小さな少女と老人だなんておかしいと思わないか?」


 人々が噂する声は二人の耳にも届いていたが、振り向くことはなかった。


 しばらく歩みを進めると次第に周囲の音が遠くなっていった。風の音すらかすかに響くだけ。生者の気配はおろか動くものすらない。そんな光景とは裏腹に空は青く澄み渡っており、それが非現実的な美しさだった。


「きれいだけど、すごい瘴気だね」


 少女が老人に話しかけた。確かに、閻獄が作り出した領域内はすさまじい瘴気によって満たされている。エーテルが生命をつかさどるプラスのエネルギーだとしたら瘴気は死をつかさどる負のエネルギーである。常世とこよの中でも地獄と呼ばれている深い領域に満ちているとされ、常人であれば触れただけで死に至る。特殊な鍛錬を積んだものや、そもそも人間ではない霊体であればエーテルで中和することで耐えることができるが、長く触れすぎると徐々に汚染されていく。

 閻獄の領域内は濃密な瘴気で満たされているため、熟練の術師であっても長居はできない環境だが、少女はなんともなさそうに歩いていく。

 また、それに続く老人も普段と大差ない歩みだった。


「お主は苦しくはないのか?」


 老人が少女に尋ねる。


「ちょっと歩きにくい感じはする」


 そう言いながら、少女は自分の手の甲を眺めた。

 そこには火の玉のような形の痣が薄っすらと浮き上がっていた。


「でも、お天道様が守ってくれてるみたい」

 

 よく見ると少女の額と首元にも勾玉のような痣が薄っすらと浮かび上がっている。


「なるほどのう。これが目的だったようじゃ」


「どういうこと?」


 少女が不思議そうに尋ねるが、老人は首を振る。


「いや、何でもない」


 少女は何か言いたそうだったが、諦めたように前を向いた。


「閻獄って何なの?」

 

 代わりにそんな質問をした。


「わしも実物を見るのは久しぶりじゃが、呪具の一種じゃ。絡繰箱の内面に

 呪詛式が書き込まれており、地獄を封印しておる。一度封印すれば、本来それは開けることはない。正しい手順で浄化するしかないのじゃが………今回は開けられてしまったようじゃな」


「どうして地獄を封印なんてしたんだろう」


 そう尋ねる少女に老人は優しく微笑んだ。


「昔は今よりもいたるところに地獄があったのじゃ。それを祓う手段として閻獄は有効だと考えられてきた」


 争いも飢餓も不当な殺戮も、人類はなくすことができなかった。平和と言われた時代にも、陰には常に地獄があったのだ。数こそ減れど、それは今も変わらない。


「ほとんどの閻獄はしかるべき手順で祓われ浄化されたか、海に投機され海底深くに沈んでおる。しかし、こういう未処理のまま忘れ去られてしまっていたものが時々現れるのじゃ」

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