2-9

 謎の男が突如現れたことがきっかけとなり、マンションの住人たちは動揺しているようだった。

 その隙に玉藻と紺右衛門は階段の方へと走って、住人たちの包囲網を抜けることが出来た。


「サンキュー!」


 玉藻がお礼を言うと男はニヤリと笑った。

 もう何がどうなっているのかわからないが急いで階段を駆け下りる。


「なんだったのあれ」


 階段を下りながら玉藻は紺右衛門に聞いた。


「わからん。しかし、操られている感じではなかった。エーテルの反応もない一般人じゃった……」


「なんで一般人に私たちが狙われるの?」


「わからん。じゃが、これは何かの罠と考えるのが妥当かのう……」


 二人は1階にたどり着いた。


「罠か……」


「わし等が怪異以外に対して対抗できないことが分かっていて、あのような仕掛けを仕組んでいるように感じる」


 紺右衛門は階段の上の方を覗き込む。しかし、追跡者はいないようだ。

「あの男、何者かわからぬが、あやつがいなければ危なかった」


「そうだね」


 玉藻もうなずく。


「怪異ではなく一般人が相手となると、我々の対応範囲を超える。もはや警察に連絡すべき状況じゃ」


 二人はエレベータホールまで戻ってきていた。


「ここは手を引くべきではないか?」


 紺右衛門が玉藻に尋ねた。

 玉藻は近衛門の顔を見る。彼は困った顔をしていた。


「うーん、まあ普通に考えればそうだよね」


 だが玉藻の反応は煮え切らない。こういう反応はあまり彼女らしくは無かった。


「何か気がかりが?」


 紺右衛門が聞くと、玉藻は考えこむように顎に手を当てた。


「うーん、なんか違和感あるのよね」


「…………」


 紺右衛門も考え込む。


「罠ってよりはまるで演劇。全て舞台装置で私達すら役者として組み込まれてる」


 先程の5階の住人たちなんてまさにそうだ。


「だとすると脚本を書いたものがいることになるのう」


 そう。演劇には必ず台本があり、それを作ったものがいる。


「繰り返し自殺が起こる事故物件、減らない入居者、特殊な結界、異様な住人、怪異」


 玉藻がキーワードを上げていく。いずれもこの建物に起きている事象だ。


「……全ては結界が原因じゃろう。負の結界は良からぬ物を集めるし、人の精神を歪める」


「いや、今重要なのはたぶん原因じゃない。目的は何なの……?」


 その時、玉藻のスマホが着信を知らせた。画面を見ると葛葉からの電話だ。


「もしもし」


 玉藻が通話ボタンを押すと、スピーカーから切羽詰まった葛葉の声が響いた。


『玉藻!そこから離れなさい。それは吸収の術式。術者の狙いはエーテルの採取よ!』


「エーテル採取?危ないのそれ?」


 玉藻は仙狐家にいたころ、葛葉が修行の一環として地元の霊峰に登らされていたことを思い出した。あれは大気中のエーテルに触れることで自身のエーテル操作能力を鍛えるという意味合いもあったはずだ。


『ここは霊場れいじょうでも聖域でもないただの住宅街なのよ?そんな場所にあるエーテル採取元なんて一つしかない』


「……ってこと?」


『おそらく。あれは生きてる人間からエーテルを吸収するための術式よ』


 人間は誰しもエーテルを体内に持っている。人によってその貯蔵量はピンキリではあるが、生きとし生けるもの全てにエーテルは宿る。

 ある研究者はエーテルは魂のことだと語った。なぜなら死体からはエーテルが採取できないからだ。生体に宿るエネルギーこそエーテルなのだ。

 では、そのエーテルを無理やり吸収するとどうなるのか。

 良くて衰弱。悪ければ、その時点で死に至るだろう。


『よくわからないけど、そこは危険よ!とにかく出て!』


「そうはいかねぇなぁ」


 玉藻の背後から声がした。どこかで聞いた気がする声。思い出せなくて、玉藻は振り返ろうとする。しかし、紺右衛門が素早く動いていた。一瞬で玉藻の横に移動し、玉藻を突き飛ばす。

 その直後、声の主、先ほど5階で助けてくれた男が振るったナイフが紺右衛門の首を切断した。


「紺右衛門!!」


「おっと、手が滑っちまった」


 紺右衛門の体は白い霧のようになって消えていく。

 玉藻は必死に立ち上がり、外へとつながる自動ドアの方へと走った。しかし、ドアは開かない。


「おいおい、アンタも魔法使いなんだろ?人様の工房に入り込んだらどうなるか、師匠に教わらなかったのか?さあ、拳を固めな……」


「ま、魔法使い……?」


「なんだ?、まさか違うのか?」


 男が怪訝な顔をする。


「違う!私はただの……探偵だ!」


「……ぷっ、ふはははははははははは!!」


 玉藻の言葉を聞いた瞬間、男は笑い始めた。


「おもしれえよアンタ。最高だぜ。そんだけすげえエーテル持っといて使い方を知らねえっていうのかよ。ヤバすぎるぜ」


 男は構えを解いて笑い続けている。


「……お前が結界の作成者か」


 質問しながら玉藻は脱出経路を探していた。気が付けば、以前怪異に襲われた時のように結界深度が下がっている。現世とは隔離されてしまっていて、その影響でドアも開かないようだ。つまり普通に出ることはできない。こうなると、結界を破壊するか、術者を倒すしかないだろう。


「結界?そんな古臭いもんじゃないぜこれは。最新鋭の魔術によるエーテル収集システムだ」


 男は両腕を広げて自慢げに笑った。


「我ながら最高にクールだぜ」


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