2-8
古来より伝わる結界術にはいくつかの型がある。
①魔法陣のように直線と円を用いて視覚的に境界線を引く結界。
②文字や情報で人の認識に作用する結界。
③特定の物体を起点として周囲を遮断する結界。
大きく分けるとこの三種類が良く使われる。
例えば玉藻のビルの防御結界は②と③を併用していて、害をなそうとする者には建物自体を発見することが出来ないようにされている。
大規模なものであれば、伊達政宗が城と城下町を
これ以外にも日本列島には古来より様々な結界が用いられてきた。
だが、このマンションに書き込まれているものは一見①の結界の用で少し違う。境界線を区切るためではなく、線の組み合わせが術式そのものであるかのようだ。現に、この図形は完全な円の形をしておらず、区切られていない。未完成なだけという可能性はあるが、見た感じここ最近に描かれたものではなさそうだ。
「とりあえず、この線を消せば結界も消えるかな?」
「まあ、おそらく。しかし、少々不自然じゃな」
紺右衛門が首をひねる。
「何が?」
玉藻が尋ねると、紺右衛門は階段の方を指さした。
「ここが結界の基点であるならば、防御が薄過ぎる。鍵ぐらいはしっかりかかっていても不思議ではない。しかし、鍵どころか防衛術式も特に見られない」
「確かに」
周囲には何もないし、線を踏み越えても特に何も起こる気配はない。ただの黒線だ。
「であれば、これは結界の基点ではないか、もしくは結界の主による罠のどちらかじゃろう」
基点ではないという事は、これは単なる落書きという事だ。それならば、結界の術式に当てはまらないのも納得できる。一方、罠という可能性も捨てきれないが、今のところ何かが起こる気配はない。
「じゃあ……消してみる?」
「…うーん、特に実害がないなら放置するのも手じゃが……そうじゃ、葛葉殿に聞いてみてはどうじゃ?」
紺右衛門はポンと手を打った。
「ああぁ、画像付きで送ればいいのか」
玉藻はポケットからスマホを取り出して写真を撮影した。そしてメールにして送る。
「よしこれでオッケー。あとは見てくれさえすればアドバイスくれるよね」
「では少し待つとするか」
二人は床の線を踏まないように気を付けて階段まで戻った。
「待ってる間、時間がもったいないし他の階も見とく?」
玉藻が提案する。
「そうじゃな…どこから向かう?」
「5階がいい」
そういいつつ、玉藻は無意識に拳を握りしめていた。
◆◇◆
上りは大変だが、下りは簡単だ。あっという間に5階に到着した。以前フトシという住人が住んでいたのも5階だった。玉藻は無言で503の部屋の前に立った。周囲の道路を走る車の音が時折するくらいで、あとは風の音しか聞こえない。静かだ。
少し悩んで、それから震える指で、玉藻はインターホンのボタンを押した。
ぴんぽーんと少し間の抜けた音が鳴りそして静寂に戻る。答えるものはいなかった。
「………ふう」
玉藻は大きく息を吐いた。
「よし、整理ついた。行こう」
紺右衛門は何も言わずに頷いた。
その時だった。503号室の両隣の部屋のドアが同時に開いた。それだけではない。その向こう、廊下の端まで503以外のすべてのドアが一斉に開いたのだ。
その異様な光景に玉藻は声を失った。だがそれもつかの間、各部屋から人が現れるまでの間だった。
「ひえっ」
思わず小さな悲鳴が漏れる。
各部屋から現れた人々は年齢も性別もバラバラだった。ただ一つの共通点は包丁、ドライバー、ハンマー、バールなどの何らかの武器を手にしていること。
「……こ奴らは怪異ではない。人じゃ」
紺右衛門が呟く。
「やばいじゃん」
紺右衛門は代々続く巫女の一族に仕える眷属であり、自身も稲荷神の力の欠片を持つ白狐である。
その力は邪を祓うためにあるのであって、彼からすれば本来人間は庇護の対象だ。ゆえに、何の力も持たない人間に対しては危害を与えることはできない。例え彼がその気でも、彼の持つ刀は人体そのものに対しては効果はない。
玉藻はというと、昔友人に護身術を習ったことがあるのと、たまに紺右衛門と稽古していたおかげで最低限の格闘は可能だが、エモノを持った複数人相手では当然無力だ。とっさにガスガンを構えたが、これもやはり攻撃力は無い。所詮は玩具だ。
玉藻はチラリと下を見る。ここは5階。どこかで聞いたが、人は5階までの高さなら落ちてもギリギリ助かる可能性があるらしい。だが、それも相当運が良くての話だし、地面の状況にもよる。その上、死んでいないだけで、無事とは言っていない。
部屋から現れた住人達はじわじわと距離を詰めてくる。玉藻と紺右衛門は503号室の前に追い詰められていた。
「あの、ちょっと待って。きっと何かの間違いです。話をしましょう」
駄目元で玉藻が声をかけてみる。
「………………」
だが、やはり反応は無い。
「…どうなってんのよ、このマンションは……」
もう距離は2メートルもない。左右で挟まれ、背後は503号室のドア、目の前は胸の高さほどの手すり。その先には青空が広がっている。
「わしが囮になろう」
紺右衛門が小声で言う。
「…いや、あれ使うしかないよ」
玉藻はガスガンを構えながら言った。
「…合図したら先に飛べ」
紺右衛門は目線を住人から外さずに言う。
「がってん」
そう、この状況では廊下に逃げ場はない。手すりを乗り越えて飛び降りる。それが唯一の逃げ場だった。普通は無事では済まない高さでも、オーバーライドを使えば耐えられる可能性がある。
もう一刻の猶予もない。紺右衛門が合図を出そうとした時だった。
「はい、そこまでー」
男の声がした。全員が声の方向を見る。廊下の端にある階段の辺りに一人の男性が立っていた。麦わら帽子を被り黒いロングコートを羽織ったその男は場違いなほど陽気な口調で続ける。
「いやあ、大盛況すね!どしたん、なんか面白いもんでも見っけたん?」
スタスタと歩み寄り、一番近くにいた住人Aの肩を掴むと、無造作に引きずり倒した。ゴンと鈍い音が響き、コンクリートの床に頭を打ち付けた住人Aは動かなくなる。
「おっと、ごめんよ。ちょっと強かったかな?」
そういいつつももう一人の住人に歩み寄り流れるような動作で右ストレートを繰り出す。
「!」
流石に住人も反応し、防御しようとするが、男の拳は防御を貫通して住人の顎を砕いた。
崩れ落ちる住人B。
「今なら逃げれるぜ」
男は玉藻を見ながら言った。
「困ってたんだろ?」
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