2-5
二人が自動ドアをくぐって外に出ると、あたりはもう暗くなっていた。
周囲を見渡すが特に変わったところは無い。結界を出ることが出来たようだ。
「とりあえず一人祓ったし、今日はこんなもんかな」
玉藻が呟くと、紺右衛門もうなずいた。
「まあ、無償でやるには少々サービスしすぎじゃが……犠牲者が減るのであれば、それを報酬とするかの」
「まあ、そうだね。少しでも良くなると良いけど」
玉藻は伸びをしながら振り返る。マンションは静まり返っており、先ほどの出来事も夢か幻だったのではないかと思われた。しかし、首に絡みつく髪の毛の感触が忘れられず、玉藻は自分の首を無意識に撫でた。もちろん、今は何もついてはいないし、痛むことも無かった。
「お腹空いたし、帰ろう。お姉ちゃんも待ってる」
「そうじゃの」
そして二人はその場を後にした。
◆◇◆
事務所に戻ると、葛葉が、来客用のテーブルにカセットコンロを置いて、その上で土鍋を温めていた。土鍋の中には野菜がぐつぐつと煮えているのが見える。
「ほわぁああ、いい匂い!」
「今日はみそ鍋よ。ちょうど食べごろだから手を洗ってらっしゃい」
「わーい」
玉藻はカバンと上着を空いている椅子に投げて、手を洗うためキッチンに向かう。
後から紺右衛門がその上着とカバンをコートハンガーにかけてあげている。いつもの光景だ。それを見て葛葉は少しため息を吐く。
「相変わらずがさつねぇ」
「なんか言った?」
玉藻が戻ってきて席に座る。もうすでに箸とお椀を持っている。準備万端だ。
「紺右衛門にお礼を言いなさい」
葛葉がお椀に具材をよそいながら言った。
「?…あ、センキュー紺右衛門。早く食べよー」
「……………」
紺右衛門はハンカチで手を拭き玉藻の隣に無言で座る。彼はまだ葛葉のことが苦手なようだ。
「はい紺右衛門」
「………
お椀を葛葉から受け取り礼をいう。いくら苦手でも最低限の礼はするのが大人である。
「お、しらたきもらいー!」
そのお皿から玉藻がしらたきを奪い去った。紺右衛門の額に青筋が走る。
「何の真似じゃ、主殿」
「ふん、さっきの仕返しだよ」
「なぁにぃー?!」
玉藻は話を聞かずに白菜をほおばった。煮込まれた白菜は味が染みてトロトロだ。白菜本来の甘味と味噌風味のスープ、とろけるような触感の奥に残るシャキシャキ感。完璧だ。
「はふはふ……うまっ!」
玉藻はもはやかき込むような速さで鍋を平らげていく。
「これ!まだ話は……くっ、早すぎる!」
紺右衛門も玉藻に負けじと鍋を食べ始める。
そんなやり取りを横目で見つつ、葛葉は自分の椀に鍋の底に隠しておいた鳥つくねをよそってそれをほおばった。
「うーん、染みてておいしいわぁ」
「ああ、いいなぁ!」
玉藻がそれに気づきうらやむ。
「追加のソーセージもあるわよ」
これが意外と合うのだ。
「やったー!」
そうして夜は更けていった。
食事が終わると、玉藻はソファーに転がり眠ってしまった。
紺右衛門が起こそうと肩をゆするが起きる気配はない。
「まったく、風呂にも入らず眠るとは。子供じゃな……」
紺右衛門は諦めて毛布を掛けてあげながら呟いた。
「今日はコーヒーをあまり飲んでいないんじゃない?」
鍋を片付けながら葛葉が言う。
「ああ、確かにそうじゃな。ペットボトル1本分ぐらいか」
「この子はそれだけじゃ足りないから」
それは玉藻の体質だった。理由は不明だが、人よりも必要な睡眠時間が長いのだ。一切カフェインを摂取しなければ一日14時間は寝ている。しかし、それでは不便なのでカフェインを大量摂取することで人並みに活動ができている。
「難儀な体質じゃのう」
「歴代の巫女に同じ体質の人はいた?」
葛葉の質問に紺右衛門は首をひねる。
「うーむ、昔と今では生活の流れが異なるのでなぁ」
電気のない時代は日の出とともに目覚め、日の入り後も夜遅くまで活動する人は少なかった。早寝早起きが自然とできていたわけだ。
「そう、まあ別にいいんだけど。一応乙女なんだから、汚れていなくてもお風呂には入ってほしいわね」
寝入る玉藻を見ながら葛葉は少し困った表情でいう。
「明日起きてから入らせるわい」
「そうね。私は片付け終わったら入るわ」
「好きにするが良い。わしは入る必要が無いのでな」
紺右衛門は背広のしわを伸ばした。
「……………」
葛葉が急に黙った。
「……なんじゃ?」
紺右衛門が尋ねると、葛葉はにっこりと笑いかけた。
「洗い物、代わりにやってくれない?」
「いやじゃ」
即答する紺右衛門。
「どうしてよ!あなた仙狐家の眷属でしょ?」
葛葉の目つきが鋭くなる。
「ふん、わしの主は玉藻だけじゃ」
そう言い残し、ふいと立ち去ろうとする紺右衛門。
「くっ、この過保護狐!玉藻にももっと厳しくしなさい!」
葛葉がそう言うのを手を振って聞き流し紺右衛門はパーテーションの奥へと消えていった。
「くぅ、羨ましい。誰か私を溺愛してくれないかしら………」
葛葉の呟きを聞いているものは、残念ながらいなかった。
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