2-3

 話が一区切りしたので、玉藻はいよいよ本来の目的である商売について切り出した。


「ところで、このお部屋で何か霊障であったり不可解なことでお困りではないですか?」


 そう玉藻が尋ねるとフトシは首を傾げた。


「霊障?……うーん、そうだなぁ。ああ、足音がしたり気配がすることはよくあるよ。もう気にならなくなってしまったけど」


「ふーむ、確かに気配は感じますねぇ」


 玉藻は周囲を見渡しながら言う。


「実はそんな鈴木さんにオススメのアイテムが……こちらです!」


 玉藻は持ってきたカバンを漁り、タブレットPCを取り出した。


「その名も[護符.pdf]!」


 玉藻が画面のロックを解除すると、画面いっぱいに護符が表示された。


 開発コードKT001:[護符.pdf]

 これは玉藻のアイデアを元に、葛葉がペンタブレットで書いたものをそのままPDF化したものだ。機械に疎い葛葉の代わりに細かい編集作業は玉藻が行っている。真っ白なページにお札ぐらいのサイズ感の黒い枠があり、その中央にでかでかと「悪霊退散」の文字が達筆で書かれているが、実はそれだけではない。デジタル化したことにより手書きでは不可能なほど細かな文字を書き込むことが可能になり、視認できないほど細かい文字があえて白いインクで隅から隅まで書き込まれている。

 紙の護符と違って劣化しないし、バッテリーが続く限り永続的に効果を発揮するという画期的なアイテムだが、欠点もある。実はこのPDF単体では効果が無いという事と、プリントするとただの悪霊退散と書かれた紙になってしまう事だ。

 護符とは刻まれた術式にエーテルと自身の願いを込めることで効果を発揮するものなのだが、デジタルデータは紙と違いエーテルや願いを刻み付けることはできない。そのためこのPDFにはエーテルや願いを流し込むためのが内蔵されている。それが白インクで隠された文字なのだ。何らかのデバイスでこのPDFを表示させつつ、使用者がそのデバイスに触れることで、自動的に回路にエーテルが流れ効果を発揮するという仕掛けになっている。

 これ単体で素人が除霊できるようなものではないが、周囲に自身の領域を展開して禍々しきものを一時的に遠ざけることはできるだろう。



「なんとこちら、現役の神職が手書きしたものをPDF化しておりまして、こうして画面に表示させておくだけで効果があるんですよ」


 玉藻は得意そうに説明するが、フトシは胡散臭そうにそれを見る。


「…………ふーん?それで?」


 しけた反応だがこれは予想通りだ。


「これを今回は特別にプレゼントします。これで多少の怪奇現象は防げるはずです」


「うーん、まあくれるというならもらっといてやるか……」


 それを聞いて玉藻はにっこりと営業スマイルをした。


「ありがとうございます。このSDカードにインストールしてありますので、お好きな端末でご使用ください。また、何かお困りのことや、不可解なことがありましたら、ぜひ探偵事務所キュービックルーブにご連絡くださいね!」


「ああ、考えとくよ」


 フトシがそう言ったのを聞いて玉藻は頷いた。

 これで今日のミッションは達成だ。


「それでは今日はこの辺で失礼します」


「ああ、気を付けて帰れよ」


 フトシに見送られて玉藻と紺右衛門が503号室を後にしたのはそろそろ夕方という頃だった。


「護符PDFは我ながら傑作なんだよね。上手く効果発揮してくれるといいなぁ」


 玉藻はにこやかに言った。しかし紺右衛門は不満そうだ。


「しかし、あれを複製されるとまずいのではないか?わしも電子機器の扱いには疎いが、現代の技術であれば、簡単に複製できるんじゃろう?」


「そうだね。コピーされてネットにばらまかれると商売にならないね」


「それでは意味がないではないか」


「でも今回配ったやつは大丈夫なんだよ。閲覧可能期限を設定してあるからね。今日から一週間しかあれは使えないよ」


「ほう、そのような高度な設定も可能なのか」


「私ぐらいのスキルがあれば簡単よ」


 紺右衛門は頷いた。


「なるほど。それであれば心配ないな」


 そこまで話した時、ちょうどエレベータホールに差し掛かった。

 エレベータはあれから誰も使っていないのか、それとも玉藻たちを待ち構えているのか、今も五階に止まっていた。このエレベータの扉には窓が無いので中をうかがうことはできないが、なぜか気配のようなものを感じる。いや、気配というよりも圧と言ったほうが適切か。


「……階段でいこうか」


「……そうじゃな」


 二人は階段で降りることにした。 

 階段を下りながら玉藻は紺右衛門に尋ねる。


「でも、ここってどうしてこうなっちゃったんだろうね」


「さてのう。夢見月のいう通り何かの儀式かと思っておったが、今のところそういう気配はあまりないのう。結界はあったが、あれは霊的なものを閉じ込めるためのものじゃった」


「周囲の建物に迷惑が掛からないようにしているのかな」


「わからん。わからんが、怪異が多い以外は特に問題なさそうじゃ」


 二人は階段を下りながら雑談する。


「さて、今日は何食べようかな」


「わしは寿司が良いな」


「寿司は高いからダメー」


「くっ、ではスーパーの稲荷寿司でどうじゃ」


「ううん、稲荷寿司は食べたい……スーパーなら安いかなぁ」


「三個で百円じゃ」


「安い!けど、お姉ちゃんは文句言いそう」


「舌が肥えとるからのう」


「十分おいしいんだけどなぁ」


 そんな話をしているうちに二人は一階に到着した。来た時と変わらないエントランス。相変わらず人気が無い。しかし、妙な気配がある。

 狙われている。と玉藻は感じた。横を見ると紺右衛門もこちらを見ている。


「……タダでは返してくれなさそうじゃぞ」


「私たち、まだ何もしてないんだけどなぁ」


 ちょうどその時、背後でチンと軽い音が鳴った。振り向かなくてもわかる。エレベータの音だ。


「……なるほど、そろそろ逢魔時か。どうりで……」


 紺右衛門が外の方を見ながら言う。

 玉藻が振り返ると、エレベータの前に俯きがちな姿勢で女性が立っていた。赤いワンピースのような服を着ている。長い黒髪が垂れていて表情は見えない。

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