1-10
「あ、えっと」
玉藻は頭が混乱していた。直前の記憶がすっぽり抜け落ちている。葛葉は泣いているし、自分は倒れているし。戻ってきた?ここは近所の公園?紺右衛門は?
「あ!!!」
その時すべてを思い出した。自分が刺されたこと。結界に自分から入ったこと。紺右衛門が戦い続けていること。
すぐに体を起こす。
「お姉ちゃん!すぐに結界を閉じて!」
玉藻が慌ててそういうと葛葉はすぐに理解した。
「え?ああ、なるほど。二人を閉じ込めるのね。でも、紺右衛門は?」
結界を閉じれば紺右衛門も帰る手段を失い閉じ込められるはずだ。
「多分大丈夫!」
やってみたことはなかったが、玉藻には確信があった。
「……駄目でも恨まないでね」
そう念押ししてから、葛葉は電話ボックスに向かって手を広げた。しかし何も起こらない。
「お姉ちゃん?」
「待って、おかしいの。壊せない。どうして?そんなはず……」
葛葉は焦っているようだ。ということは………
「お母様の仕業か………」
お母様は恐らく葛葉が右近、左近に危害を与えられないように葛葉に命じているのだろう。おそらくは幼いころからの強力な暗示。これも一種の呪術だ。
「…てことは、私がやるしかないって事ね」
玉藻は電話ボックスのほうを見た。実は玉藻は結界術が得意ではない。あれはどうにも繊細すぎるのだ。普段結界を持ち要らなければならない場合は紺右衛門に丸投げしていた。しかし破壊するとなれば特段技術は必要ない。
結界を破壊すれば常世とのリンクが失われ、右近、左近たちのいる空間は隔絶される。そうすれば人間ではなく、霊体に近い存在である彼らであっても、そう簡単には戻って来れないはずだ。
ただし紺右衛門は違う。玉藻の髪と紺右衛門の狐玉という2つの縁がある。狐玉がリンクをつなぐ役割を持つのであれば、彼の主である玉藻の髪も同様の効果を持つはずだ。それさえあれば結界が閉じようと呼び出せる。しかし、今彼を呼んでしまうと、右近、左近もついてきてしまう可能性があった。それでは意味がない。
「お姉ちゃん、結界の基点を教えて!私が壊す!」
「あなた、体は大丈夫なの?」
「あれ、そういえば」
玉藻は自分の胸元を確認する。服は出血で汚れているが、血は止まっているみたいだ。じっとしていても疼くような痛みはあるが、多少は動けるだろう。
「私が治癒の術式を使ってみたのだけど、軽く塞いだだけだからね。無茶したら開くわよ」
(やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだ。色々あったけど私の心配をしてくれる唯一の家族なんだ)
「お姉ちゃん………ありがとう。わかった」
葛葉は頷くと、電話ボックスを指さした。
「基点は公衆電話機よ。あれを電話ボックス内から取り出せれば、結界は崩れる」
「承知!」
玉藻は電話ボックスに急いだ。
「あ、待って!」
葛葉の制止する声が聞こえた時にはすでに私は電話ボックス内にいた。
「ともかくこの電話機を取り出せば良いんでしょ?」
がしっと両手で緑色の本体を掴む。
「うおりゃあああ!」
思ったより重いなこれ!だが、なんとか本体が台から少し持ち上がる。その瞬間電撃に似た痛みが腕に走った。
「あだっ!」
思わず手を放してしまう。
「防衛術式よ!あなたまさか知らないの……?」
葛葉が呆れたように言う。そういえば結界の基点には防御用の術式をかけると長持ちするみたいな事を紺右衛門が言ってたような気がする。
「結界術は苦手なの!」
「苦手というか、初歩中の初歩なんだけど……」
(しかし、防衛術式か。……まあ、気合でなんとかなるでしょ!)
気合を入れ、玉藻はもう一度本体を掴む。
「せーの、どりゃああああぁあ!」
力を入れて持ち上げると同時に後ろに向かって放り投げた。
直後、電流が流れるような激しい痛みが全身を貫く。
「あばばばばばびばばばばば!」
電話機は電話ボックスの外に落ちて転がった。
「えぇ!嘘でしょう!?」
葛葉が驚いている声が聞こえる。
「あたた、結構痛かった……」
だが、痛がっている暇はない。
電話ボックスから出てポケットの狐玉を取り出す。それを強く握って叫んだ。
「来い!!紺右衛門!」
空間に一筋の裂け目が現れ、辺りが一瞬眩しく輝いた。
「…ふー、危なかったわい。何とか越えられたようじゃな」
光がおさまると、紺右衛門が玉藻の足元に膝をついていた。見ると左腕が肘から下がない。それに体中傷だらけだった。
「こ、紺右衛門……」
玉藻は紺右衛門の体を抱きしめる。
「ごめん。ごめんね。腕が………」
「ん、ああ、腕なら大丈夫じゃ。休めばもとに戻るじゃろう…」
紺右衛門は言う。だけどそれにしたって痛くて苦しかったはずだ。ここまでボロボロにしてしまったのは全て自分の責任だと玉藻は思った。
「紺右衛門ありがとう……」
「良いのじゃ。わしはお主を信じた。お主は裏切らずわしを呼んだ。それで十分報われたわい」
「……うう、紺右衛門……」
「さあ、泣いている暇はないぞ。今はしっかり終わらさねばならんだろう?」
紺右衛門が玉藻の肩を優しく叩く。そうだ。最後にやるべきことがある。
結界は崩されたが、完全には壊れていない。壊すためには術式を解読して分解して解体するか、基点を物理的に破壊するかの二択しかない。私は袖で顔を拭った。
「お姉ちゃん、構わない?」
最後の確認をする。結界を完全に壊せば右近も左近も無事では済まない。それは仙狐家が優秀な眷属を二人も失うという事だし、その責任は少なくとも表向きは主である葛葉に向けられることになるだろう。彼らと葛葉の間にも思い出や信頼関係があるはずだ。そのすべてを壊すことになる。
「………ええ。やりましょう」
しかし、葛葉は力強くうなずいた。覚悟は決まっているようだ。玉藻も別にこんなことはしたくない。右近、左近もお母様に利用された被害者でもある。しかし、命を狙われた以上放っておくわけにはいかない。玉藻は紺右衛門の手を握る。
「紺右衛門、あと少しだけ力を貸して」
「御意」
紺右衛門の姿がクルリと一回転したか思うと、一振りの刀に変わっていた。
妖刀[紺右衛門]
これが紺右衛門の真の姿だ。この刀に斬れない怪異は無い。紺色に輝くその刀身が朝日を反射する。もうすぐ夜明けだ。
玉藻が電話機に近づく。緑色の筐体は地面に転がっている。これを斬れば一連の出来事は終わるだろう。
玉藻は刀を上段に振りかぶる。よく狙いを定めて一気に振り下ろす。その瞬間、最後のあがきのように黒い影が電話機から染み出した。刀を弾くつもりのようだ。しかしこの刀は止められない。
「これで終わりよ!」
刀はバターをナイフで斬るような感触で、ぬるりと影ごと電話機を中央で切断した。
直後、ぼふんと黒い煙が上がる。術式を完全に破壊したのだ。この電話機はもう鳴ることはないだろう。
「はぁ、はぁ……」
玉藻はその場に座り込んだ。緊張が途切れ、アドレナリンが切れてきたのかもしれない。
「紺右衛門、ありがとう。終わったよ」
だが、紺右衛門は返事をしなかった。
「……あれ?紺右衛門?」
玉藻は右手に握った刀を見てみるが特に異常はない。ただ、刀身が怪しく光るだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます